ウォン
Machio
ウォン
ああ…まだ売れずに残っていたか。あまりにもかわいらしいから、きっと次に来た時にはいなくなっているだろう、と彼女は言っていた。僕も同感だった。君はすごく人気のある種らしいじゃないか。足が少し短い、中足だと店員さんが言っていた。短足のほうが人気があるらしいが、平均寿命がより短いらしい。彼女は短足の方を望んでいたみたいだが、僕は少し足が長いくらいの違いでより長命ならば、そっちのほうがいいと強く推薦したんだ。かわいらしさはそう変わらないだろう。君はとても愛らしい。少し長い毛並みは太陽の光のように輝いていてとても美しく、ふんわりしていて
彼女はまだ悩んでいるし、他のペットショップにもかわいい子はたくさんいたんだ。それに、里親募集や譲渡会なんかも検討に入れていた。君はかわいいからきっと他に買い手がつくだろうし、ならば他の子にしたほうがいいんじゃないか、という考えも当然ながらある。けれど、僕は君を強く推薦したんだ。僕の好みもあるが、なにより彼女の本音が君にぞっこんだからだ。僕にはわかるんだ。
君はペットだ。その役割は飼い主の生活に彩りと癒しをあたえる事だ。実に人間の、驕り高ぶった手前勝手な理屈だと思うが、それが現実であり、君がこの先平穏無事に生きていくための一番の
しかし君は高価だな。僕たちの生活費の、2か月分以上もするじゃないか。僕たちは決して楽な生活をしているわけじゃない。そこのところは少し説明しておこうか。僕らの家は一軒家だ。借家じゃないから、君が家の中を駆けまわっても特に問題ない。だけど調子に乗ってものを壊せば、彼女はすごく怒るから気をつけろよ。かなり古い家なので冬は寒い。きっと一番暖かい居間でほとんどを過ごす事になるだろう。エサは1日2回、おやつもあるが、あまり多くを望むなよ。病院代がかからないよう、なるべく自分の健康には気を遣うんだ。彼女は心配性だから…。
実は、彼女も僕も天涯孤独の身の上なんだ。君が生まれるずっと昔だ。大きな…家がひっくり返るくらいの地震があって、彼女と僕はそれぞれの家族を失った。地震とは、何もかもがひどく揺れて、立っている事も寝そべっている事もできなくなる事だ。あちこちに体をぶつけて、いろんなものが上から落ちてきて押しつぶされるんだ。とても
同じ境遇だった僕たちは出会ってすぐに仲良くなった。同居するようになって、お互いを支え合って生きてきた。でも、僕たちは結婚していない。子供もいないんだ。彼女はその地震で夫と、生まれたばかりだった自分の子を失ったんだ。両親も失った。きっと…忘れることはできないだろう、当然だ。…彼女はまだ35歳だ。いつかその心が解きほぐされる時がくるだろうと期待しているが、僕自身はもう高齢といっていい年齢だ。ずっとそばにいられる事はないだろう。
もしも僕が病気になってしまったり、死んでしまったりしたら、君が彼女の心の支えになってほしい。そして彼女がまた新しい家族を持ちたいと思えるようになるまで、もちろんその後も彼女を見守ってほしい。もしもずっと彼女が一人のままでいるならば、君が亡くなる前に彼女の心を癒せる代わりのペットを探してやって欲しい。
重いよな…まだ子供の君にこんな話をしてわかるはずがない。まあ、家族になれたらゆっくり話をしよう。
彼女はまだ…悩んでいるな。金額が金額だから無理もない。でも時間の問題だ。数日前から昨晩まで何度も預金通帳を見つめていた。そして、僕と毎晩相談していたんだ。君の名前についてだよ。ああ、僕の名前は「
エリが店員さんと話をしている。前回よりもずっと長く話をしている。もう少しだ。君はどうだ?僕たちと家族になってもいいと思うかい? 不思議そうな顔をしているな。まん丸の、一切邪心のない両目で、僕の顔を見下ろしている…なんてかわいいんだ。君は僕の娘…僕とエリの娘になるんだ。命ある限り、この上ない愛情を君に示すことを約束するよ。どうか僕らを選んでくれないか。どうか、どうかお願いだ。
…ああ、いま、ニャーと鳴いたね。それは了解を示したと解釈するよ。絶対そうだ、本当は何も考えていないのだろうが、感極まってしまった僕は、無理やりそう思い込むことにしたよ!
「ウォン!、よろしく!」「エリ、ウォンだ!僕たちの娘だ!」「ウォン!」「ウォン!」「ウォン!」
僕はリードを引きちぎらん勢いで飛び跳ね、新しい家族の名前を叫んだ。いや、吠えた。ケースの中のネコや犬たちが呼応するように鳴き始めた。ぼくと同じように「ウォン」の名を叫ぶものもいた。店内は騒然とし、皆が僕に注目した。それでもキョトンとしているウォンは、本当にかわいい。
…僕はエリにこっぴどく怒られた。あぶないあぶない…追い出されるところだった。しかし、エリは決心してくれた。ケースから出されて、エリに両手で抱かれたウォンが僕の鼻先に近づいた。店員さん、さっきはごめんよ。安心して、どんな事があっても、僕は彼女を傷つけたりしないから。
逆にウォンが後ろ足でぼくの鼻を叩いた。少しびっくりしたが、むろん怒るはずはない。僕はその足をペロッとひと舐めしてやった。エリと店員さんが笑顔になった。
よろしくね、ウォン、いや…ミロになる可能性の方が高いか…。
家に着いたら、ともに足を洗ってもうおうな。
ウォン Machio @machio_AKI
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