あの女の正体

「担当の汐田君か・・・」


 ちょっとだけ複雑そうな顔をした瞬だけど話してくれた。ツーリングファン社は瞬のSNSを見つけてデビューさせてくれた恩人なのは聞いてる。その恩義もあるから瞬はツーリングファン社の仕事を優先してやってるのもね。


「会社組織を相手にすると普通に起こることなのだけど・・・」


 瞬を見出した担当と言うか編集長の人は良い人だった見たい。


「売れる文章の書き方を手取り足取りで教えてくれた。あれは本当に感謝してる」


 だけど変わっちゃったのか。人事異動の都合としか言いようが無いけど、次の編集長は、


「これも編集長が変わった原因の一つなのだけど・・・」


 ツーリングファン社は売り上げに不満を持っていたようだ。別に赤字に苦しむレベルじゃなかったようだけど、評価としては伸び悩みぐらいかな。そこでもっと儲けられるはずだの判断を下したみたいで編集長のクビを挿げ替えたのか。会社ってそんなところだものね。そうなると新編集長はどうしたって、


「そうなるよ。売り上げ至上主義、収益第一主義のゴリゴリだった」


 瞬は人気ライターだから、次々と依頼をねじ込まれる状態になったのか。横で見ててもそんな感じがした。


「依頼件数が多いのはまだしもだったのだけど・・・」


 やっぱりそうか、


「原稿料を抑えまくられるだけじゃなく、値切られたからね」


 そういう手法も会社経営的にありだと瞬はしていたけど、それってメーカーと下請けの関係みたいじゃない。


「マナミの感じていた通りで良いよ。だから関係が悪くなったんだ」


 メーカーはコスト削減のために下請けに値下げを要求するけど、やりすぎると下請けも赤字操業になるから、取引を中止して他のメーカーに乗り換えてしまう事がある。もっともそんなヒョイヒョイと新たな取引先が見つけられないから簡単な話じゃないけどね。


 雑誌社とライターの関係も似てそうだけど、ライターの方が新たな寄稿先を見つけやすいのよ。だから雑誌社が強く出過ぎるとライターはサッサと逃げるのよね。新編集長は瞬以外にもやりまくって総スカン状態になり、


「汐田君が編集長に変わったんだよ」


 へぇ、あの女は編集長だったのか。あの歳で編集長とは見た目よりも優秀だったんだ。


「若くは見えたかもしれないが、マナミの一つ下だ」


 それでも編集長にしたら若いのじゃないのかな。それぐらい手腕を見込まれたんだろうな。汐田編集長は前編集長の売り上げ収益ゴリゴリ至上主義から修正はしたらしいけど、


「背負わせられてる課題は同じだからね。だからボクの担当になったで良いと思う」


 編集長が自ら瞬の担当になることで重視の姿勢を示したってぐらいかな。普通は部下にやらせるはずだから、特別待遇の誠意を見せたとも言えない事もない。前編集長の時にこじれた関係の修復で良いはずだ。


「けどね・・・」


 あちゃ、肝心の原稿料はノラリクラリだったのか。それじゃあ、前編集長と同じじゃないの。ここで瞬は少しだけ躊躇って、


「汐田君の手法なんだが・・・」


 げげげ、女の武器を使ってたと言うの。汐田編集長は前編集長が総スカンを喰らって逃げ出されたライター達を呼び戻すために女の武器を使い、さらに収益確保のための原稿料を抑え込むためにも女の武器をって・・・何人相手にしてたんだよ。まさか瞬も、


「それは無いよ。信じて欲しい」


 それにしてもなんちゅうやり方だ。女の最終兵器に枕営業があるぐらいは知っている。どう聞いたって感心できない手法だけど、現実に駆使している女がいるぐらいは知ってるもの。あんなのがいるから女がまともに営業して契約を取って来ても、


『女の武器を使いやがって』


 この陰口を叩くのが男だけじゃなく女にまでいやがるんだよ。男の場合の理由はストレートだけど、女の場合は美人への僻みだ。どっちもロクでもないものだけど、女の陰口は自分も女だから言いたくないけど陰湿なんだよね。


 それでも女の武器を使うのは契約を取り自分の成績を上げるためのものだ。だからライターの契約を取るために使ったのなら辛うじてぐらいは理解してやろう。だけどだよ、原稿料の抑制に使うってなんなんだよ。本来ライターが受け取るべき報酬を自分の体で払っていた事になるじゃないか。


 そこまでやったら売春だ。売春の相場なんて知るはずも無いけど、一人のライターに何発やらせてんだよ。やらせてるライターは何人いるんだよ。一か月に何発ぶち込まれて注ぎ込まれてるんだよ。


「マナミの言いたいことはわかるけど、汐田君はその手法で編集長まで登ってきている」


 女が枕営業に手を出す経緯はあれこれあるだろうけど、共通してるのは枕営業で成功するのが自分の大きな利益になる時だ。他に手段がないと判断した時にベッドに臨み、股を開いて、ぶち込まれる。


 けどね、この時に女は感じない。だから疎ましいだけの行為になり、普通は枕までやったことを後悔するし、出来れば二度とやりたくないと思うはずだ。けどね、枕営業を繰り返し、営業の常套手段にする女は残念ながら知っている。


 そうなる理由でまず考えられるのは淫乱女だ。わかりやすい例を挙げれば何股も開きまくる女のことだ。そういう女の特徴は何人もの愛する男を持てる体質として良いだろう。男なら多いが女では少ないと思うぞ。


 けどな、淫乱女でも相手を選ぶ。当たり前だが好ましい男は漁るが、男なら誰でも良いわけじゃない。だからあの女は淫乱体質ではあるが、淫乱女とはまた違う。言い方が難しいが淫乱体質をある種のスキルとして磨き上げたぐらいで良いと思う。


 そのスキルにはまず戦略がある。淫乱女と違い、選ぶのは自分の出世が基準だ。じゃあ戦術とは何かだが、あれで男を虜にしてしまう魔性のような能力だ。この戦術が無いと戦略が活きてこないからな。


 この戦術のためには女は感じて楽しむ必要がある。女は感じるフリを出来るが、男を虜にするには本気で感じないと無理のはずだ。男だってバカじゃないから、本気で感じているのか、演技なのかはいつか見抜かれる・・・はず。


 それより重要なのは、戦術は常用される点だ。疎ましく思いながら演技を続けるのは苦痛過ぎるだろ。感じて楽しめない戦術が長続きするものか。どこかで自己嫌悪に陥るに決まってる。なおかつで言えばそこまで戦術を楽しんでも決して男に溺れることはない。溺れたら戦略目標である出世の邪魔になるだけだからな。


「それで良いと思うけど、もうすぐ汐田君は破滅するよ」


 そこまで!


「ボクはツーリングファン社には今でも恩義を感じてる。だからだ」


 あの女はツーリングファン社の編集長からさらなる出世を狙っていたのか。これは今のバイク雑誌のトレンドになるけど、バイク雑誌の人気を大きく左右するのはライターなんだよ。瞬もそのトレンドに乗ってデビュー出来たようなもんだ。


 だからバイク雑誌同士のライターの争奪戦もあるのだけど、あの女はツーリングファン社の有力ライターを抱えてライバル社に売り込みをかけていたようだ。これが成功すればさらなる出世を狙えるものな。


 なるほど。原稿料を抑え込んでいるのは、ツーリングファン社の編集長としての実績を上げる一方でライターの不満を蓄積させるためか。前編集長のように総スカン状態にさせないために枕でなだめ、ライバル社について行けば、


「そう思わせてるよ」


 あの女に付いて行けば、枕はそのままで原稿料アップをゲットか。いやはや、そこまでよくやるよ。そうなると連れて行くライターの質が良いほど・・・えっ、だったら、


「それしかないだろう」


 あの女の最大のターゲットは瞬だったから自ら担当になったのか。そりゃ、この分野では瞬がナンバーワンの人気だもの。瞬を手土産に売り込めば重役の座だって約束されていたのかもしれない。


「マナミを不安にさせて本当に悪かった。思ったより手強くてな。ここまで聞き出すのに少々時間がかかってしまった」


 ここなんだけど、あの女は出世のための戦略だけでなく男としても瞬が好みだったと思う。マナミが言うのもなんだけど瞬はイケメンだし、イイ男だし、オマケにリッチだもの。いくら戦略が優先されても、好みの男の方が喜ばしいのは不変の真理だ。


 あの女にとって障害に見えたのはマナミだ。そりゃ、同棲までしている恋人だからな。マナミを蹴落とさないと枕営業はできないけど、見ただけで問題外と判断したんだろうな。それは悔しいけど、そう見られてしまうのはわかる。


 ここでだけどあの女は二つの過ちを犯している。一つは瞬をタダの会社員上がりのライターだと舐めた点だ。あの女にとって元会社員であるのは枕をやりやすくなるエッセンスぐらいにしか見えなかったと思う。


 もう一つは瞬のツーリングファン社への思い入れだ。自分を見出し、育ててくれたツーリングファン社に瞬は恩も義理も感じてる。前編集長時代にイザコザがあったのは確かだけど、それで切り捨てる気はないんだよ。


 瞬は甘い男じゃない。営業で枕を仕掛けられる経験ぐらい豊富に持っているだろうし、それを逆手に取るぐらい鼻クソをほじりながらでも出来る男だ。その瞬がツーリングファン社を守る判断をされたら敵う相手がこの世にいるはずがない。


 それにしても瞬はどこまで見抜いていたかと思うよ。ベッドを避けたのはマナミの存在もあるだろうけど、瞬でもベッドになれば自信がなかったのかもしれない。そういう魔性を読み取ったと思う。


 だからベッドを餌に使っているはずなんだ。あの女は自分の出世のために瞬が必要な一面もあったけど、好ましい男として瞬が欲しいもあったはず。あの女にとって瞬とのベッドは戦略としての実利だけなく、女としての趣味の両面があったはずなんだ。


 だから瞬はあれだけの隙を見せ、あの女を誘い込んでいる。その様子にマナミがヤキモチを焼きまくったのは置いとく。誘い込まれたあの女は勝ったと思っていたはず。そうだな、仕上げのベッドで実益と趣味を満喫するだけぐらいの気分だ。


 だけどそこで瞬がベッドを焦らしたんだろ。そこまで瞬が見切ったのには驚くしかないけど、焦らせばあの淫乱体質の女の弱点が出て来るのを知っていたとしか思えない。あの女は焦らしに焦らされて、実益と趣味の天秤が趣味に傾けさせられてしまったはず。


 目の前にちらつかせ続けられたらベッドに耐えきれなくなってしまったぐらいだろう。我慢できなく女はベラベラと話してしまったぐらいだ。この辺は話してもベッドに持ち込めば魔性の力でどうとでもなるの計算もあったと思う。


「そこまで陰険にやってないって」


 たく、どの口が言うんだよ。ライター同士はライバルでもあるけど、同業者として横の繋がりも強いんだよ。この辺は濃淡もあるけど、瞬は手にした情報を巧みに噂として流ししたはずだ。そんな事をすれば、


「男だってね、愛してくれる女じゃないと溺れ込まないよ」


 だと思う。あの女が男を虜にしている秘訣がそこのはず。虜にされた男は自分だけと思い込まされてるんだ。そうされるだけの魔性もあるし、それがバレないようにする手腕だって卓越してるはず。


 これは男も同じだものな。何人もの愛人を抱える男はいるが、その愛人が浮気をするのは許さないし、女の方も基本的に自分が一番愛されていると思い込ませてるはずだものな。そうじゃなきゃ、維持できるわけがない。


 けどね、その女が何股開いているかわからない女と知れば魔法はすぐに解けるよ。男はヤリマン女とでもやるが、それはマジックにかかり溺れ込まされていた時と違い、公衆便所で生理現象を解消するぐらいになってしまう。


 そうなればあの女の陰謀は潰えるだけでなく、出世のために踏み台にした男たちの魔法も解けるから社内の支持も消えるだろう。ごく簡単には編集長の地位を失うだけでなく、社内にもいられなくなる。


「同業他社への再就職も難しいだろうな」


 あのな、瞬がそうやったんだろうが。でもさぁ、これだけの事を打ち合わせと、それに伴う雑談ぐらいでやってしまった手腕には素直に驚嘆する、ベッドに手を出していないのもわかるもの。まさにカマイタチおそるべしだ。


 すべての悩みは消し飛んだ。もう我慢できないよ。言っとくがマナミは淫乱じゃないぞ。瞬にしか感じないし、瞬としかやりたくない。愛する女と男がいくら求め合ってもそれはピュアで清らかなものだ。もう燃えまくった。

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