恋人の聖地
「今日は取材じゃないからね」
と言いながら取材なのが瞬のツーリングだ。そういう商売をやってるぐらいは百も承知だ。瞬が言いたいのは取材の比重が今日のツーリングでは軽めって意味ぐらいだよ。取材であろうと遊びであろうと瞬とのツーリングは嬉しいけどね。
今日は六甲山トンネルを越えて北摂里山街道だ。ここは何度も走ってるけど、有馬富士公園を越えたところで左に入るのか。この道って篠山に行けるはずだけどちょっと遠回りになるはず。それはそれで何の問題もないし、初めての道はそれだけでワクワクするけど、
「あそこを右に入るからね」
木器亭って書いてる方みたいだけどなんて読むかな。モッキテイかな。
「コウズキテイだよ」
わかるか! どうやったらそう読めるんだよ。走って行くと木器亭があったけど、どうも地名らしい、道路案内の地名表示にもあったものね。難読地名ってやつだろ。一つ覚えた。それから大坂峠ってとこを越えた。長くも高くもないけどちょっと急だな。ここって大坂に向かう峠だったの?
「どうだろう。とくにそうは書いてあるのはなかったよ。大きな坂って意味かもしれないけど」
三田から大阪方面に向かうのなら昔から名塩道路だってあるものね。北摂里山街道だって今と同じじゃないけど猪名川に通じる道だったはず。そんな事を話しているうちに突き当りになり、
「左に行くよ」
ここは県道十二号なのか。なかなかの快走路だ。
「この信号を左ね」
目的地の大野アルプスランドまで四キロか。へぇ、オオノじゃなくオオヤって読むのか。地名はややこしいよ。そこからは山の麓の集落って感じのところを段々に登っていき、
「ここを右だな」
そう書いてあるものね。曲がったら坂が急にキツクなった。これは峠道どころじゃない登山道だ。ヘアピンはあるし、グネグネ曲がってるし、道路幅は狭いし、その上に路面が荒れてるなんてものじゃない。
「落ちてる石には気を付けてね」
葉っぱとか枝とかもだろ。こんな道、バイク、このモンキーで上がれるのかいな。こういうところはオフロード車だろ。
「舗装はしてあるからオンロードだよ」
しらっと言うな。いくら気を付けたって小石ははねるし、大きめの石を避けようとしたら落ちてる枝を踏んづけてる。それとこの道の狭さはなんなんだよ。こんなもの軽自動車が来ただけでモンキーでもすれ違いが出来るかどうかだぞ。
「それは心配ない。山頂付近は一方通行になってるから」
そんな事が書いてあったような。悪戦苦闘しながら登っていくと、
「奥に駐車場があるから」
山頂はキャンプ場になっているのか。バイクを停めたら、
「まずは山頂に行こう」
げっ、今から山登りかと思ってけど、山登りと言うより、ちょっとした丘登り程度で山頂到着。これでマナミも大野山を征服した女になったぞ。殆どバイクで登ってるのは神棚の上に置かせてもらう。
山頂から見下ろすと、山頂付近はそれなりに広くて、あんまり木も生えていない草原になってるな。そこにキャンプ場も広がってる感じ。それより何より景色が良いのよ。それこその三百六十度の大パノラマだ。
モンキーで登るには少々、いやそれなりに、いやかなり大変だったけど、この景色が見られるのならチャレンジする価値は十分あると思う。こんなところがあったんだねぇ、知らなかった。ところであそこに見えるのは、
「猪名川天文台だよ」
へぇ、天文台まであるのか。ここからなら夜空はさぞ綺麗だろうな。
「じゃあ、行くよ」
やっぱりね。山頂から駐車場まで下りてまた少し登ったら天文台があった。瞬は天文台には入らずに、その奥の広場にマナミを案内したんだ。そこも景色は素晴らしいのだけど、あれはなんなんだ。モニュメントってやつで良いと思うけど。
「恋人の聖地だよ」
たぶんぐらいだけど、大野山に悲恋伝説とか純愛物語があるわけじゃなくて、ぶっちゃけ、客寄せとか、新たな観光名所にするために設置したで良いはず。
「そういうけど、恋人の聖地ってそういうところが多いと思うけど」
その通り。神戸でパッと思いつくところならヴィーナスブリッジだ。あそこはフェンスのところに南京錠をかけるのが定番だけど、恋人に因めるのはそこがヴィーナスブリッジと呼ばれてるだけのはず。
このヴィーナスだって愛の女神に因んだものじゃなく、明治の初めの頃に金星観測にフランスの観測隊が来て金星台と呼ばれてたのよね。
「明治の初期の人と言っても実質江戸時代の人だし、金星の英語がヴィーナスと言われてもなんじゃらホイだろうし、ヴィーナスが愛の女神と聞かされても、それ食えるのだったと思うよ」
マナミもそう思う。ここも金星台とヴィーナスブリッジは実は微妙に違って、金星台がある諏訪山公園から諏訪山展望台をつなぐ螺旋状の橋を、金星台に因んでヴィーナスブリッジって名付けたんだ。そこからヴィーナスが注目されて恋人伝説が出来上がったぐらい。
「恋人の聖地の伝説はカップルが作ると思ってる」
もちろん伝説とか伝承に因んで恋人の聖地になったところもあるけど、カップルが作り上げるのが恋人の聖地はそうだと思う。
「伝説や伝承に因んだところだって、カップルに注目してくれないと聖地にならなかったはずだもの」
もっと言えばあやかるだろうな。幸せなカップルにはそれぞれに幸せな記憶、思い出の地がみんなあるのよ。その幸せな記憶の思い出の地に同じように出かけて、自分たちもそうなりたいはあるはず。そしたら瞬はちょっとはにかんで、
「ここはまだまだマイナーだけど、新たな伝説を刻めると思うんだ」
あるかもしれないけど、交通は少々不便だな。あの山道はワゴン車だってキャンプのために登れるのは駐車場を見ればわかるけど、恋人の聖地を訪れるためだけにわざわざここまで来るだろうか。
この辺は恋人の聖地伝説の広がりようで、そうだな、有名人ぐらいが訪れたら、この程度の困難を乗り越えたら愛を達成できるに変わるのはある。恋愛って人をそこまでの気持ちにさせるパワーはあるものね。
「地理的に訪れるのが大変なのはマナミの言う通りだ。だけどな、恋人の聖地、恋人の伝説は恋人のためのものでもあるんだよ」
なるほど、恋人二人だけのための伝説や聖地でもなんの問題もないもんな。
「二人の伝説を刻もう」
キザすぎるぞ。そういうキザなセリフを臆面なく言えて、決まってしまうのがイケメンだけど、悔しいぐらいに嵌ってやがる。ここまで瞬に言われて落ちない女がこの世に居たら拝んでみたい。ホントにマナミと刻んで良いの?
「ここは前に来た時に見つけたんだ。その頃は二度と恋なんて出来ないと思ってたけど、もし大切な人を見つけたら、ここに来ようとずっと思ってた」
ダメだ。こんなものどうしろと言うのよ。涙が溢れてきて言葉にならないじゃないの。
「うぇ~ん」
瞬の胸に飛び込むしかなかった。瞬は優しく抱きしめてくれて、
「幸せになろう」
なるなる。絶対になってやる。瞬こそマナミに与えられた最高の男だ。もう迷わない、瞬を信じる。瞬は微笑みながら、
「ここは恋人の涙の聖地として刻まれたよ」
涙と言っても嬉し涙のね。ここは間違いなくマナミと瞬の恋人の聖地になった。
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