かやぶきの里

 コンビニ休憩を終えて出発。道は相変わらずツーリングにピッタリの道だ。のどかな田園風景の中を走り抜けていく。だいぶ里山も色づいてるな。神戸ではここまでじゃないけど、だいぶ北に来てるものね。


 そろそろ腹減ったな。短い休憩を挟みながら走りっぱなしだもの。でもこれも瞬の計算のはず。後一時間なら、ちょうど目的地に着いた頃にお昼だ。だからだと思うけど今日も朝は早かった。出発の時なんかまだ薄暗かったものね。


 それだけ日も短くなってるのだけど、今年最後のロングツーリングになるかもね。今日は完全武装のつもりだったけど、これだけ長時間走るとさすがに冷えてくる。生理現象がヤバくなってチビったのも、そのせいは確実にあるよ。


 秋って人を切なくさせるんだよね。良くあるパターンだけど、夏に拾った恋が秋に終わるってやつ。秋は別れの季節でもあるよ。マナミはそんな経験は悔しいほどないけど、気分だけはわかる。


 もっとも秋に拾う恋だってある。だって、別れたら次の相手を探すじゃない。恋に破れて傷心の相手を慰めて、新しい恋に目覚めるってパターン。あははは、そのシチュエーションなら秋に振られるのはマナミだけど、マナミに新しい恋は来ないだろうな。現実は厳しいよ。


「お腹空いた。お昼にしよう」


 お蕎麦も美味しそうだったけど体も冷えてるから親子丼にした。ミニ蕎麦も付いてるものね。お腹が満たされて店を出たのだけど、これは・・・こんなところが残ってるんだ。かやぶきの里ってなってるけど、これだけ残ってるところは珍しいはずだ。


 お店でもらった地図を頼りに歩いて散策だ。こういうところは歩かないと意味ないものね。へぇ、今でもちゃんと住んでるんだ。家って人が住んでないとすぐに傷んじゃうのよね。茅葺屋根ってなんかザ日本の家って感じがする。


「元茅葺屋根は見かけることはあるけどね」


 だよね。茅葺屋根は定期的に葺き替えないといけないのだけど、その費用は今では家を建て替えるぐらいになるんだって。だから瓦屋根になっていたり、スレート屋根にしてるのだろうな。茅葺屋根を維持するには行政の保護とか、


「白川郷みたいに観光地化して稼ぐとか」


 そうなるよね。茅葺屋根に日本人なら懐かしさを感じる人は多いと思うけど、実際に茅葺屋根の家で暮らしたことのある人は少ないだろうな。マナミももちろんないし、


「ボクもそうだ」


 今じゃ贅沢品みたいなものだものね。それでも日本の原風景、心の故郷って感じがする。


「時代劇の影響とか」


 それは絶対にあるはず。農村とか出て来るシーンの定番だったもの。でも映画でもテレビでも減っちゃったのよね。親父が好きで、子どもの頃はテレビでも週に何本もあったけど、今でもあるのは大河ぐらいじゃないかな。


「そうなると・・・」


 そこまではわかんないけどね。


「日本人のDNAが懐かしがるとか」


 そんな事が起こるわけないじゃないの。茅葺屋根の家のさらに原型と言うか先祖ぐらいマナミだって知ってるぞ。竪穴式住居ってやつだ。竪穴式住居は庶民の家だったろうけど、セレブ連中は出雲大社みたいな高床式の建物だ。


 それが茅葺屋根の家の元祖であり原型なのは知識として知ってるし、復元なりの実物だって見てる人は多いはずじゃない。だけどさぁ、それを見て懐かしいとか、心の故郷なんて思うやつなんているものか。


 せいぜい、大昔の人はこんなところに住んでたんだって思うぐらいが関の山だ。茅葺屋根の家が懐かしいとか思うのは、それがまだ身近なもんだからに決まってるだろ。実際はそうでなくても、お爺さんとかの世代が住んでいるイメージが残ってるからに過ぎないだけ。


 そこに時代劇のイメージも追加されてたから記憶が引き延ばされていたけど、そろそろ終わっても不思議ないと思ってる。次の心の故郷は、そうだな、団地の風景ぐらいじゃないかな。それこそ三丁目の夕陽の世界だ。


「醒めて言えばそうなるよな」


 それが時代の移り変わりだ。てな事を話してのだけど、ここは民俗資料館になってるのか。なになに、元は昔からの茅葺屋根の農家だったみたいだけど、火事で焼けて建て直したのか。へぇ、中はこんな感じだったのか。あれ、牛小屋まであるぞ。


 こっちが板間で囲炉裏があるな。こっちは畳が敷いてある。畳のある方が南側だから、客間とか主の寝室だったのかも。そうなると残りの人は板間か。寒そうだ。


「ここを登ろうよ」


 二階もあるのかと思ったら屋根裏部屋だな。結構広いものだ。前から思っていたのだけど、日本の伝統家屋って寒いじゃない。だけどさぁ、庭と言うか、外に面してるところって、御殿みたいなところでも障子じゃない。どうして襖にしなかったんだろう?


「襖なんかにしたら日が入らないだろ」


 あっ、そっか。ガラスの無い時代だから今風の窓なんかないのか。だから寒くても障子一枚だったのか。そりゃ、寒いわ。ガラス窓って偉大な発明だったんだ。取材も兼ねてるからノンビリかやぶきの里を探索して、


「ここから一望だって」


 鎌倉神社ってエラそうな名前の神社だけど、村の鎮守様ってやつだろ。たしかに良く見える。こういう神社ってお祭りもあるだろうけど、子どもの遊び場だったり、村の寄り合いの会場でもあったはず。昔とは変わってしまったところもあるけど、こんな風景をこの村の人は昔から見続けてたんだろうな。


「そろそろ行こうか」


 そうだね。ここから日帰りだったら死ぬけど、泊りなんだ。かやぶきの里にも民宿みたいなのはあったけど、そこなの?


「悪かった。満室だったんだ」


 あちゃ、ここまで来てるから泊まりたかったけど、満室なら仕方ない。そうなるとこの辺の民宿とかホテルになるだろうけど、ホテルはさすがにないか。バイクに戻って宿を目指して走り出したけどけっこう走るな。


「ここだよ」


 えっ、これって茅葺屋根の家だ。かやぶきの里以外にもあったのか。これは嬉しいサプライズだけど、これも瞬の計算だろ。落としといて、さっと持ち上げるってやつ。これは怒ってるのじゃないよ、喜んでるの。


 宿に入ると民俗資料館とはかなり違うな。というか、民俗資料館みたいな宿だったらお断りにしたいよ。あれは見るには良いけど、住んだり泊まったりするのは無理がある。そこら辺は現代人だからな。


 茅葺屋根の家と言っても、屋根がそうなだけで、屋根の下の住居部分は現代風にリニューアルは可能だものね。この宿は現代風じゃないけど、古民家風ぐらいで良いと思う。これだったら泊まってみたいもの。


 さて部屋はと思ったけど、ここでもまさかのサプライズ。なんとなんと、一棟貸しだって言うのよ。瞬には勝てないよ。茅葺屋根の家を体験するには良いけど、ここに一人で泊まるのは気が引けるよな。だからあれだけツーリングに誘ったのは良くわかった。


 冷えたし、まずはお風呂だけど、別棟か。だろうね。民俗資料館にもお風呂はあったけど、あれって沸かし風呂じゃなかったもの。風呂桶というか、大きなタライみたいなものだったから、夏は水だけ、冬はお湯を沸かして入れていたのかもしれないけど、あんなもんに現代人のレディが入れるわけない。


 別棟の浴室に行ったのだけど、四人ぐらいは入れそうかな。ちゃんと湯船だし、シャワーも蛇口も現代風だ。温泉じゃないのが残念だけど、それはさすがに贅沢だろ。というか、温泉に入れるっていうのはやっぱり贅沢だよね。


 いやぁサッパリした。ツーリングの汚れも落とせたけど、チビったものだから気色悪かったんだ。トイペで出来るだけ拭いたけど、走ってるとチビった部分が冷えるのよ。さすがに乾いては来てるけど、やっぱりチビってるから嫌じゃない。


 新しいパンツに履き替えてスッキリして、部屋でマッタリ過ごしていたら夕食だ。囲炉裏のある部屋で食べるのか。ちゃんと炭火が熾してあって、自在鉤に鍋が掛かってるじゃない。


「今日は牡丹鍋にしてみた」


 わぁ~い、わぁ~い、初めてだ。前から食べて見たかったんだ。ところでどうして猪鍋を牡丹鍋とも言うの。


「それはね・・・」


 猪って豚の御先祖様のはずだけど、豚肉とはだいぶ感じが違うんだ。色もそうだけど、肉の片側に脂肪が付いてる感じ。それを盛り付けると、


「牡丹に見えないか」


 見える見える。だから牡丹鍋って言うのか。鍋は味噌仕立てだな。それもコッテリって感じ。肉や具材をいれて蓋をして、待つことしばし。湯気が吹いてきて、


「もう良いはずだ」


 これは美味しい。懐石料理みたいな繊細さはないけど、これぞ野趣あふれる田舎料理って感じがする。さて猪肉はどうなんだろ・・・豚肉とは別物だ。まず硬いと言うか歯ごたえがしっかりある。脂肪の部分が気になったけどこっちもなかなかだ。


 山椒も振って食べるのだけど、猪肉と味噌味と山椒のハーモニーがたまんないよ。これぞ山の幸って感じだ。野菜は地野菜ってやつらしいけど、なんか美味しい気がする。もっともコテコテの味噌鍋だからよくわかんない。


 そこに登場したのが熱燗徳利だ。マナミも普段は冷酒だけど、秋に牡丹鍋なら熱燗だろ。熱燗を考え出したやつも牡丹鍋食べながら思いついたのかな。あれこれ迷ったけど来てよかった。あくまでもたぶんだけど、同じ牡丹鍋でもここで食べる方が絶対に美味しいはず。瞬が笑ってるけど、


「ゴメンゴメン。いつも思うのだけど、マナミって本当に美味しそうに食べるんだって」


 そういうキャラだから受け入れろ。


「マナミと食べてるだけで三倍ぐらい美味しくなりそうだ」


 そんな変わるもんか! せいぜい一割とかぐらいだろ。食べて、飲んで大満足なんだけどご飯も欲しいな。そう思ってたらグッドタイミングで来てくれた。えっ、えっ、えっ、これってもしかしたらあの幻の、


「幻は大げさだけど松茸ご飯だよ」


 なんかこのまま死んでも良い気がした。これが最後の晩餐でも後悔はない。別にゴルゴダの丘で磔になるわけじゃないけど、瞬と最後の夜になってもだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る