続街道の謎

 大名同士の関係は微妙なところはありそうなのはわかる。松江藩は勝間田宿に本陣を作ってるけど、勝間田宿の前が津山宿で、その前が勝山宿だ。でもって、勝山宿から勝間田宿までナビで四十キロ以上あるんだ。昔で言えば十里以上になる。


 勝間田宿に泊まろうと思ったら勝山宿に泊まるしかないじゃない。でもさぁ、どう考えたって勝間田宿まで無理して行かなくても津山宿に泊まれば良いじゃない。勝山宿から津山宿までなら三十キロぐらいだから江戸時代の大名行列ならそんなに無理ない距離のはずだ。


 これは松江藩が津山宿に泊まりたくなかったとしか考えられないじゃない。ここで津山宿は津山藩の城下町だったから避けたは出て来るけど、勝山宿だって勝山藩の城下町なんだよね。だから城下町の宿場だから避けたでは説明が出来ないところがある。


「マナミもすごいところに目を付けるね。松江藩は泊りたくない大名の宿場はあったのだろうな。勝山藩なら良くても津山藩ならダメみたいなもの」


 ここで思い出したのだけど勝間田宿には二つの本陣があったじゃない。津山藩のは大名行列の再編成用だとして、松江藩のがどうしてあったのかだ。二つ本陣があるのは二つの藩が同じ日に泊まっても良いようにと思いそうなものだけど、


「東海道は百五十ぐらいの大名行列が使ってたから、そういう事もあったかもしれないけど、原則として同じ宿場に泊まるのは避けるのじゃないかな」


 東海道は五十三の宿場町があるのだけど、そんなにある理由の一つに同じ宿場に二つの大名行列が泊まらないためもあったのかもしれない。そんだけあれば前後に分散できそうじゃない。


 だってだって、同じ日に宿場で鉢合わせして妙なトラブルでも起こされても困るものね。出雲街道を通る大名なんて数が知れてるはずだから事前の調整で回避するのは容易のはず。つうかそれが責任者の仕事だろ。


 そうなると同じ日に泊まらなくても、二つの本陣が勝間田宿に必要だったと考えるのが妥当じゃないかと思うのよ。


「あれじゃないかな、津山藩のは大名行列再編成用の特製本陣だったとか」


 そういう考え方もあるけど、行列再編成に特別な設備は必要だとは思えないよ。強いて言えば帰国時に出迎えの人数を待機させるために規模を大きくするぐらいだろ。


「マナミは松江藩が津山藩と同じ本陣に泊まりたくなかったからと言いたいのか」


 その可能性はあると思うのよ。だって鉢合わせしなければ本陣は一つで良いじゃないの。それぐらい仲が悪かったから松江藩は津山宿を距離的に無理があっても通り過ぎてるし、その先の勝間田宿の本陣さえ別にしてたはず。


 同様の関係が松江藩と鳥取藩にもあったに違いない。松江藩が因幡街道を使おうと思えば延々と鳥取藩領を通る必要が出て来る。出雲街道でも通るけど、因幡街道を使おうとすれば鳥取藩の中心部を通らなければならいのよね。


「なるほど、だから鳥取藩も新出雲街道の整備工事を許可したとしたら筋が通るぞ」


 えっ、どういうこと。


「鳥取藩も松江藩に通って欲しくなかったんだよ。領地の端っこは交通ルートからやむを得ないぐらいだけど、出雲街道から因幡街道にルート変更なんてトンデモないぐらいの感覚だったんじゃないかな」


 そうなるか。普通に考えて他藩の人間が自分の領地に入り込んでそんな工事をするのは嫌がるはずじゃない。だって鳥取藩はどこも困ってないもの。嫌がる鳥取藩を説き伏せた材料として、参勤交代ルートの変更を交渉材料として持ち出したぐらいはあるかも。


 それを避けたいがために、松江藩の負担として新街道整備の許可を出すことで両藩の利害が一致したのはあるかもしれない。瞬の解釈が一番腑に落ちるけど、肝心のピースが抜けてるじゃない。


「マナミの言う通りなんだけどわかんないよ」


 瞬も新出雲街道がどうして設置されたかの理由は調べてる。それが日野川の問題なのは書いてあるし、そのために松江藩がわざわざ鳥取藩の領内で街道整備事業を行ってるぐらいまではね。


 そこまで松江藩が出雲街道にこだわったのは、単純に考えると江戸までの日数、つまり旅費の問題で説明できそうだけど、因幡街道を使えばどうだったかの説明がないのよね。松江から鳥取だって古代から街道はあり、江戸時代にも丹波路とか、丹波街道とか、山陰道と呼ばれてた。


「そうなんだけど山陰道もわからないところがあって、鳥取藩は山陰道で京都に出ず、因幡街道で西国街道に南下してから京都を目指す参勤交代ルートを選んでるんだ」


 あっ、そうだった。鳥取藩が因幡街道を使って西国街道を使ってるのを当然みたいに思ってたけど、よく考えるとかなり遠回りしているじゃない。ここまでになるとわかんないな。山陰道ってよっぽど使いにくい道だったとか。


「出雲街道を走ったけど、この道が使いやすいとは思えなかったけど」


 まあね。西国街道まで行けば平坦なのはわかるけど、そこまで西国街道って通りたい道だったのだろうか。とにかく参勤交代は毎年のように江戸まで行ったり帰ったりしてるから、どのルートが良いかはわかるはずなんだどな。


「そうなりそうなものだけど、組織、それも官僚的な組織なればなるほどそうならない事が多いんだよ」


 個人だって、いつものとか、慣れてるとかは出るし、ツーリングだってナビが示す最短ルートより、遠回りでも良く知ってる道とか、現地での道路案内を優先することはよくあるものね。だけど、これが組織になると先例とか慣例となって暗黙のルール化しやすいのぐらいはわかる。会社でだってごく普通にあるものね。


「先例主義だって悪い事ばかりじゃないよ。参勤交代なら毎年同じことをするから、やり方に慣れて来るから運用がスムーズになる面はある」


 経験の蓄積ってやつだな。


「一方でそこに利権が絡んでも来る」


 それありそう。そうなると一度決めたルートを変更したりすれば、それによって利権を失ったり、


「新たな利権が発生したり、利権を失った者からの巻き返しがあるのが世の常だ」


 松江藩が出雲街道を参勤交代ルートに選んだのは、西国街道へ一番近いルートだったからで良いと思う。山陰道を選ばなかったのは鳥取藩領通過の問題もあったかもしれないし、山陰道が通るには問題が大きかったのもあるかもしれない、雪の問題とかね。


 そこで起こったのが日野川の渡河問題で、想像だけど担当者が責任を取らされるぐらいの大問題になったんだろうな。そこまでになったから新出雲街道にルート変更が行われたんだろうけど、


「そっちはあるかもしれないよ。本陣まで整備してるから、出雲街道から因幡街道への変更は考えもしなかったんじゃないかな」


 勝間田宿の本陣から考えると、因幡街道にルート変更したら、そっちはそっちで新たな松江藩用の本陣設置費用の問題も出るだろうし、出雲街道側からしたら本陣が廃止になることで諸々の利権が失われるよな。ところでだけど本陣って儲かったのよね。


「そうじゃなかったらしい・・・」


 へぇ、本陣は宿代を取らなかったのか。その代わりに謝礼みたいなものを出してたそうだけど、宿屋経営的には赤字だったそうなんだ。だったら大名行列が宿場に泊まられるのは迷惑行為だったの。


「そうとも言えなくて・・・」


 大名行列は江戸時代の団体旅行みたいなものだから、これを誘致する運動まであったとか。えっとえっと、


「悪い。最後の収支がどうなってたかまで調べてないのだけど、大名行列が宿泊で落としたカネは宿場町を潤したともされてるんだよ」


 本陣が赤字で宿場町は黒字か。どういうカネの回り方をしてたんだろ。


「そこなんだけど本陣は宿屋専業じゃなくて、本業のかたわらと言うか、臨時営業的なところもあったから・・・」


 そこか! 本陣は赤字でも回り回ったカネで本業が黒字になるのかも。そういう旨味でもなければ赤字にしかならない本陣なんて誰がやるかだものな。

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