街道の謎
旅先ってなんかテンション上があがるのよね。マナミだって、瞬だって、昼間のツーリングの疲れがあるはずなのに、今日は休んでおくって選択は頭から無かったもの。しっかり愛し合って関係をより深めたよ。
朝は部屋の露天風呂だ。ここも良かった。マンションだって二人で入ることはあるけど、当然と言えば当然だけど、家のお風呂は基本的に一人用なのよね。二人で湯船につかるなんてしたらパンパンになるもの。
まあ、朝の光の中で子豚体型の手術痕付きを見られるのは嬉しいとは言いにくいけど、それさえ認めてくれてるのは、もう知ってるからゆったり楽しめた。それから朝食を頂いて出発になるのだけど、今日の予定は、
「今日は勝山宿、美甘宿、新庄宿、板井原宿、根雨宿・・・」
出雲街道は二十宿らしいけど、先は長いな。とはいえこれは何が何でも夫にしたい人のお仕事なんだ。妻に石にしがみついてもなりたいマナミがウンザリしてどうするのよ。これを支え助けるのが妻になりたい者の勤めだ。テンション上げて張り切って行こう。
まずは津山だ。加茂川の手前で国道四二九号から降りて兼田橋を渡った。この道が出雲街道だそう。マナミも昨日から宿場町を見てるから、道幅だけでそれっぽい感じぐらいわかってきた。出雲街道は小街道のはずだから三間ぐらいなんだろうな。
大街道の東海道は六間とは決められてたらしいけど、実際は三間ぐらいだったらしいから江戸時代の街道ってこんな感じだった気がする。人と大八車が通るぐらいならこれで十分だもの。ただね、時々クランクみたいに曲がるのよ。
「それは城下町とかで多いのだけど、鍵曲がりと言って、わざとそうしてるんだよ」
敵国の軍勢が侵入した時に見通しが悪くなるようにした防御施設らしいけど、そんなもの意味があったの?
「あるから、そうしてるはずなんだけど」
頼んないな。そんな事を話しているうちに街並みが変わったぞ、これって、
「保存地区になってるそうだ」
津山にもこれだけの街並みがあるのにちょっと驚いた。時々バイクを停めながら写真も撮って通り抜けたんだけど、
「マナミ。悪いけど津山城はパスにするよ」
えっ、ここまで来てるのにと思ったけど、先も長いし、これは瞬の仕事なんだ。嫌も応もあるものか。本音は見たかったけど。
「また必ず来るから」
約束だぞ。忘れないからな。津山から国道一八一号を走ったのだけど、これは結構かかるな。一時間ぐらいかかって、
「勝山宿だ」
距離にして三十キロぐらいだけど、ここでふと疑問が。津山藩はともかく、松江藩は勝間田宿に本陣を置いてたはず。この距離なら勝山宿の次は津山宿じゃないの。
「実際のところがどうなっていたかはわからないけど、津山藩の城下町を避けたぐらいしか言いようがないよ」
それを言えば勝山宿だって城下町なんだよね。仲が良いとか悪いとかあったのかな。それともう一つ疑問が。三日月宿から津山宿までは小刻みに宿場町があったのに、津山宿から勝山宿までどうしてこんなに遠いの。
「マナミもなかなか手厳しいな。宿場町に出来そうなところがなかったぐらいしか思いつかないよ」
勝山宿の街並み保存地区を走り抜けて、二十分ほどで美甘宿に。山道だな。ここにも松江藩が本陣を置いていたのか。ここも小さいけど昔の街並みが残されてるじゃないの。美甘宿から十分ほどで新庄宿に到着。えらい近いな。でもここには脇本陣が残っているのか。だけど日曜だけ営業とは残念無念また明日だ。
「ここから四十曲峠と言って出雲街道の最大の難所とされるところなんだ」
聞くからに難所そうな峠道じゃないの。
「今はトンネルが出来てるよ」
助かった。トンネルを潜って下ると板井原宿だ。板井原宿って驚いたらいけないけど鳥取県なのよ。昨日の岡山県に続いて鳥取県にもモンキーで来れた女になれたぞ。次は根雨宿になり、その次が二部宿のはずなんだけど、
「出雲街道の付け替えがあって遠回りになり過ぎるから、今回はパスさせてもらう」
だから二部宿に行かずに溝口宿に行った。もういくつ目だったっけ。瞬もタフだね。それはそうと腹減ったぞ。
「ですよね。米子までもう少しですから我慢してください」
もう米子なのか。と言われても米子の名前は知っていてもどこら辺にあるのかわかんないな。そしたら溝口から三十分ほどで目の眩むような大都会に到着。そこまでの大都会じゃないはずなんだけど、津山から後は田舎町ばっかりだったからどうしてもね。
ランチはバイク乗りらしくファミレスだ。サービスランチを頼んで空腹を満たした。ツーリングはお腹が空くものね。食後のコーヒーを楽しみながら二部宿をパスした理由を聞いてみた。というのも出雲街道はおおよそ国道一八一号のはずなんだ。
もちろん市街地を避けるためにバイパス的なルート変更はあるけど、それでも根雨宿から溝口宿へは道なりにしか思えなかったんだ。
「出雲街道が付け替えられた時期があったと言ったよね」
松江藩が参勤交代に出雲街道を使っていたのはよくわかった。だって松江藩が作った本陣があれだけあったもの。この出雲街道は米子宿から根雨宿まで日野川沿いに通っている。それは見えてた。ずっと川沿いだったからね。
「米子宿から根雨宿に行くには日野川を三回渡らないといけなかったんだ」
日野川は大河とまで言えないけど、江戸時代なら川を渡るのは大変だったのか。大名行列だし、言うまでもないけどお殿様もいるから準備も大変だし、
「天候と言う不確定要素が常につきまとう」
雨か! 小さな川でも雨が降って増水すれば渡れなくものね。どうも松江藩は日野川の川渡りに難儀させられたみたいで、川渡りを回避するルートを求めたぐらいで良さそうだ。そのために米子宿から溝口宿に進ます二部宿に進むルートに変更したのか。
「これを新出雲街道とも呼ぶそうだけど、そうするのはかなり大変だったようなんだ」
大変なのは日野川を避けるために山越えにしたから険しかったのもあるそうだけど、
「米子宿からは鳥取県になるんだよ。旧国名なら伯耆で、ここは鳥取藩の領地なんだ」
ルート変更は単に道を変えるだけじゃなく、大名行列が通れる道にする整備もセットだよな。それを他所の大名の領地で行うとなれば・・・折衝とか考えただけでウンザリしそうな事務作業がテンコモリだ。
それをやらざるを得ないぐらい松江藩は難儀してたのだろうけど、そうなると溝口宿は街道から外れるから衰えたよね。
「どうしてもね。それでも溝口宿は大山参詣の起点みたいな宿場だから生き残っている」
大山があったか。あそこも信仰の対象で参詣者が多そうだものな。この松江藩が設置した新出雲街道だけど、明治に入り元の出雲街道に戻されたで良さそうだ。その証拠が国道一八一号で良いと思う。橋さえ架ければ川渡りの問題は無くなるものね。
でもさぁ、でもさぁ、日野川の川渡りに難儀したのなら、参勤交代に出雲街道なんて使わずに鳥取まで回って因幡街道を使ったら良かったんじゃないのかな。
「マナミがそう考えるのはわかるけど、最後のところはボクにもわからないよ」
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