三木屋
とにもかくにも、これだけの超が付く高級旅館の常連さんとはまさに恐るべしだ。部屋に案内されたけど、これって次の間ってやつじゃないの。これは客室と言うより、御殿のお座敷だろ。縁側からはこれまた綺麗なお庭が見えるのよ。この宿は三木屋ってなってたけど、
「マナミさんに合わせて見ました」
どこがだ! マナミは純粋培養の庶民の娘だ。こんなセレブ感が溢れてシック過ぎる宿から、もっとも縁が遠いぐらい見たらわかるだろうが。服装だってそうだろう。これはツーリングしてるからなおさらの部分はあるけど、どこをどう見たって合ってないじゃないの。
「この宿は三百年前の元禄時代から始まってるですが・・・」
三木城籠城戦は地元だから良く知ってるけど、その時に生き残った城兵の子孫が三木での籠城戦を偲んで三木屋ってしたのか。三木落城から元禄時代まで二百年ぐらいあるのだけど、可能性はあるのよね。
三木城籠城戦は三木城で行われたのだけど、立て籠もった城兵に三木姓の者は一人もいなかったのよ。これは今だってそうで、三木で三木姓は珍しいもの。ゼロとは言わないけどマナミも一人も知らないぐらい。
もっとも三木って苗字だけど全国ランキングで三百三十七位ぐらいしかそもそもいないのよね。これじゃ、わかりにくいか、全部で六万二千人ぐらいらしい。でもって、そのうちの一万五千人ぐらいが兵庫県なのよ。つまり三木姓の四人に一人が兵庫県民だってこと。
兵庫県で三木姓が多い理由とされてるのが三木城籠城戦で、三木の干殺しとまで呼ばれた苛烈な戦いを生き延びた城兵たちが、故郷に生きて戻れた時に、籠城戦の話を繰り返し語り、その子孫たちも語り継いだってなってるの。
明治になり姓を誰もが付けるとなった時に、城兵の子孫たちの中でご先祖様が命を懸けて戦った三木城籠城戦を誇りにし、それに因んで三木の姓を名乗ったものが多いって話なのよね。
「だから三木には三木姓が少ないのか」
たぶんね。落城後の城兵たちは城主であった別所長治の切腹で命を助けられたものの、そもそも餓死寸前の状態じゃない。落ち武者狩りは秀吉との約束で表立ってはなかったとなってるけど、二年近くも戦ってるからそれなりにあったとはされてる。
「落ち武者狩りは秀吉軍以外もするだろうし」
とにかく落城後は三木の地に留まれた城兵はゼロに近かったはずなんだ。いくら秀吉と長治との約束があっても、こっちは敗兵だから、気まぐれとか座興でいつ殺されるかわかったもんじゃないはずだもの。
「三木籠城戦って、なんかホメロスのイーリアスみたいですね」
ありゃまあ、えらい高尚な喩えを出して来るな。ホメロスのイーリアスは読んだことはないけど、ごくシンプルにはギリシャ連合軍がトロイ城を攻める話で良いはずだ。だけどトロイ城の守りは固く、なかなか落ちないから、
「木馬の計で落としてしまった」
そんな話だったはず。三木城では木馬の計なんかなくて、ひたすら兵糧攻めで落とされてる。ところでだけど、トロイ城攻めがあってからすぐにホメロスはイーリアスを書いたの?
「それも良くわかっていません。ホメロスは生没年がわからないだけでなく、実在さえ疑問視する意見もあるぐらいです」
誰が書いたにせよイーリアスが実在してるのは間違いないもの。だからここはホメロスが書いたにしとく。あそこに書かれている事がどれぐらい史実を反映しているか確かめようもないと思うけど、まず完全な創作じゃないよね。
だから作者はなんらかの元の話に基づいて書いたはず。その元の話はやっぱりトロイ城攻防戦に参加した兵士たちのはずなんだ。さらに言えば勝ったギリシャ兵より負けたトロイ兵の気がするんだ。
勝った方だって手柄話はするだろうけど、勝った方って勝ってるから次の戦いもあるじゃない。わかりにくいかな。三木城を落とした秀吉軍の兵士なら、三木城の後に鳥取城とか、備中高松城とか、中国大返しから天王山の決戦とか、
「そうですよね。賤ケ岳から小牧長久手、九州攻めから小田原まで延々と続きます」
だけど負けた方ってその戦いだけになりそうな気がする。三木城はそうなのよ。トロイ城の敗兵たちもそうやって語り継がれた話が伝承としてあったはずなんだ。ホメロスはそんな伝承を子どもの時から繰り返し聞かされて育った一人だったんじゃないかと思ってる。
「なるほど、当時の情報の伝達からすれば、トロイの遺民でもないと、そういう伝承は聞くことも難しそうです」
そこよそこ。情報は知らないと無いのと同じなんだよ。そういう記録だとか情報は長い間、紙が主力だったけどその紙さえない時代じゃない。でも紙がない時代でも情報は伝えられ受け継がれてた。語り部ってやつで良い気がする。
ただし語り部がいても誰でもそれを聞くことはできないのよ。それこそ語り部本人に直接聞くか、語り部から聞いた人の又聞きしかない。それでも広がる時は広がるけど、
「ですよね。平家の悲劇は平家物語になったからこそ広がっています」
三木城の不運はそういう人が現れなかったからだと思うんだ。マナミはイーリアスとは平家物語ぐらいに思ってる。話を広げるのはそれぐらいにして、元禄時代に三木屋を始めた人の家には三木城籠城戦が語り継がれていたはず。
元禄時代に三木城籠城戦がどれぐらい知れ渡っていたかはわからない。元禄時代には太閤記はあったはずだから、そこに出て来るぐらいは知ってたかもしれないけど、どうなんだろ、太閤記だって誰もが読んで知っているには遠かった気さえする。
三木屋の御先祖は知っていたし、参加したことを誇りにしていたはずなんだ。伝承って語り継がれれば美化されるし、美化されるから語り継がれるもんだろ。だけどそこまで知っているのは城兵の子孫じゃないと無理な気がする。
「三木を使っても問題ない時代になってますよね」
そこもわからないよね。秀吉政権を滅ぼしたのが江戸幕府だから、秀吉の侵略に抵抗したって意味で褒められるかもしれないけど、そこまであの時代は単純じゃないもの。だから三木城籠城戦から三木屋にしたのは身内の話だけで、表向きは単に三木出身ぐらいにしてた気がするな。
それを言えばマナミだって三木城籠城戦にどれだけ関係しているかわからないところがある。マナミの家は吹けば飛ぶような家ではあったけど、ひい爺さんぐらいからは三木に住んでたとはなってる。けどね、その先なるとわからないのよ。先祖伝説を語り継ぐような由緒ある家じゃないものね。
ひい爺さんが三木で生まれ育ったらしいのがわかっているのも、親父にとって爺さんだから知っていただけ。マナミの先祖がいつ三木に住み始めたなんてサッパリわからないってことだ。
ひょっとしたら江戸時代から戦国時代まで遡るかもしれないけど、ありそうなのは第二次大戦の時に神戸ぐらいから疎開して来て住み着いたの十分にあるものね。
「それでも三木の人間なら誇りに思ってるんだろ」
それはある。全員とは言わないけど、多かれ少なかれ程度ならあると思う。郷土愛ってやつで良いと思う。だってそれぐらいしか地元で誇れるものがないじゃない。三木なりに栄えてた時代もあったけど、しょせんは田舎の地方都市だし、有名人とか、著名人だって殆ど出ていない。
ゼロとは言わないけど、そういうものを集めたリストを見ても、ここまでかき集めないとリストが作れないのかって思ったぐらい。そんな田舎の小都市だけど、ここで秀吉の大軍を迎え撃ったのは叙事詩なんだ。イーリアスでも良いけど気分だけはトルストイの戦争と平和だ。読んだことないけどね。
「別所氏も大きかったよね」
地元では二十七万石の大名だったしてるけど、半分ぐらいはふかしだろ。二十七万石は東播磨守護代としての統治範囲であって、別所氏の所領じゃないはずなんだ。戦国大名というより室町時代の守護大名に近い感じかな。
だけど求心力は高かったぐらいは言っても良いと思う。そうじゃなければあんな長期の籠城戦を戦えるものか。
「それはそうだと思う。籠城戦が難しいのは色々あるけど、戦国時代に限らず不利になれば裏切り者が出るかからね」
それも相手は秀吉だ。そういう謀略戦は得意中の得意のはず。太閤記をどこまで信用するかはあるだろうけど、秀吉がのし上がったのは武勇じゃない。知略であり、知略を駆使した謀略だ。
「小田原城もそうです」
あれか。あんなもの三木の人間に言わせれば、どれだけ根性無しとしか思えないよ。だってまだ食い物あるじゃないか。まあ、餓死寸前になっても求心力を保ち続けたからこそ、今でも別所長治は地元の英雄なんだけどね。
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