北へ

 ツーリングするのにネックになるのは実はマナミの方なんだ。というのも瞬さんはある種の自由業みたいなものだから時間に融通が利くし、ツーリングすることが作品の取材にもなるのよね。


「経費で落とせるからね」


 らしい。一方のマナミは会社勤めだから休もうと思えば有給休暇を取らないといけない。有給休暇は労働者の権利で自由に好きな時に取れるとはなってるけど、現実的にはそうはいかないところが多々ある。


 あくまでもたとえばだけど、職場の全員が一斉に同じ日に有給休暇を取ったりすれば業務が麻痺するじゃない。職場によっては何人か抜けるだけで回らなくなるところは幾らでもある。


 だから他の人とのバランスを調整しながらになるし、職場によっては有給休暇を取ること自体を敵視しているところさえある。だって両親の忌引きでさえ渋い顔をされまくったなんて話もあるぐらい。マナミのとこはそこまでじゃないけど、少なくとも、


『明日からツーリングに出かけますから有給休暇下さい』


 これは通じないぐらいかな。それでも温泉ツーリングのためだ。なんとか有給休暇を奪取した。なにがなんでも行きたかったんだもの。瞬さんとは同棲まで進んでるし、同棲になってるから関係は深めまくってる。


 やるために同棲している訳じゃないけど、やりやすくするために同棲している面はあるじゃない。ここを深めないと再婚なんて無理だし、ここの相性が悪ければ再婚なんか夢のまた夢だ。


 もっと言えばブサイクチビが気に入ってもらうためには必要にして不可欠なものだ。それぐらい他にアピールポイントが無いのがマナミなんだ。そりゃ、女なら男相手に誰だって出来るし、やるものだけど、なにがなんでも死守しなければならない生命線だよ。


「あれも知らなかった」


 マナミは子宮レスになってしまっている。だから子どもは二度と望めなくなってる。だけどそれは割り切った。割り切らないと次に進めないからね。けどね、子宮レス女にもメリットはある。


 避妊を考える必要も無くなったのもあるけど、なんとなんと生理から解放されたんだ。マナミのはかなり重かったんだよ。女の宿命ではあるけど、それでも辛いものは辛かった。こんなものが閉経まで延々と続くと思うと憂鬱になるぐらい、だって毎月あるもの。


 これが子宮レスになると消えてなくなる。マナミの場合は子宮全摘にはなったけど卵巣は残ってくれたのもラッキーだった。これも術後に言われた時はなんのことやらわからなかったけど、卵巣も失うと女らしさを維持するためにホルモン剤の注射が必要だとかなんとか。


 生理なんて殆どデメリットの塊みたいなもので、あれだって生理中は出来なくなる。これは元クソ夫に対してだけはメリットになった。とにかく性欲マシーンだったから、生理中だってどれだけやりたがったか。


 生理中でもやる女はいるらしいけど、やれば血まみれになっちゃうじゃない。それにこっちだって腹が痛いのよ。あんな不快な状態で誰がやりたいものか。衛生上だって絶対に良くないはず。さすがに断固拒否した。だから生理中は休憩期間になっていた。


 もっとも途中からピルにした。だってあんだけやられたらゴムじゃ不安過ぎた。破れたり外れたりしたらアウトなのがゴムだからね。ピルで生理が止まるからあの苦しみから解放はされるのだけど、今度は性欲マシーンに対する休憩期間が無くなってしまったんだ。あれはあれで参ったけどね。今から思い返してもトンデモないクソ野郎だった。


 トンデモない性欲マシーン相手は置いといて、生理から解放されればいつでもOKってこと。瞬さんは間違っても性欲マシーンじゃない。ここも誤解されたらいけないから付け加えておくけど、通常レベルの性欲は余裕である。


 二人しか知らないから最後のところはわかんないけど、むしろ強いぐらいの気もしてる。だからと言って連日連夜励んでるわけじゃないからね。瞬さんはそこまでの性欲マシーンじゃないけど、瞬さんが望む時には生理を理由に拒否しなくて済む。これは二人の関係を深めるには大きな武器になるはずだ。


 とにかく女の生理はメンドクサイけどあれは男には絶対わかってもらえないと思ってる。たとえばさ、今回みたいな旅行もそうだ。モロに当たったら悲劇にしかならないじゃない。もちろん生理をコントロールする方法はある。言うまでもなくピルだ。


 だけどね、あれだってメンドクサイのよ。ピルだってドラッグストアでホイホイ買えるものじゃない。産婦人科を受診しないといけないし、そのために仕事だって休む必要が出て来るじゃない。


 これが生理から解放されたら生理周期も考えなくて良くなるし、生理痛からも解放されるし、避妊も不要になり、その上いつでもウェルカムだ。この素晴らしさは子宮レス女の特権ぐらいに考えてる。それぐらいのメリットがないと子宮レス女の値打ちが無いじゃないの。


「そうは言うけど、失ったものは・・・」


 大きいに決まってるじゃない。だからマナミはメリットだけ見て生きてるんだ。ここまで来るのにさすがに時間がかかったけど、それだけの話ってこと。失ったものは二度と取り戻せないんだよ。


 そんな事はともかく素直に温泉旅行は楽しい。もっとも関西と言うか近畿で温泉は少ない。兵庫県もそうだ。数だけはあるけど、温泉旅行って温泉にさえ入れれば満足じゃないはずなんだ。そっちが趣味のディープな人を非難している訳じゃないけど、マナミはそうなんだ。


 武田尾温泉は悪いところじゃなかったけど、あれは秘湯過ぎた気がする。なんだかんだと言っても二軒しかなかったし、なによりその他が乏しすぎた。だから城崎にはワクワクしてるんだ。



 気合を入れて朝の七時に出発。まだ薄暗いな。でもそれが必要なぐらい遠いし、時間だってかかるから文句などあるものか。どういうルートを瞬さんが選ぶかと思ってたけど新神戸トンネルを潜るか。


 そこから豊地に行って桃坂か。この道を進むとひまわりの丘公園の北側から国道一七五号バイパスに出られるものね。そこから北上するのだけど、


「ジョイフルでモーニングにするね」


 社のジョイフルは今どき珍しくなった二十四時間営業なんだ。お味は可も無し不可も無しぐらいだけど嬉しいのはドリンクバーも付いてること。まずはコーンポタージュを頂いて、食事が終わればコーヒーだ。


 今日は長丁場だからこの辺でしっかり休憩を入れとくのは大事なのよ。ついでに生理現象も解消させて出発だ。中国道を潜り、滝野を過ぎ、加古川を渡ったところで、


「次の信号を左に曲がります」


 この道も知ってるんだ。波賀のツーリングの時に逆から走った国道四二七号だ。ゴチャゴチャしてる西脇市内を抜けて多可町を目指す。多可町で、


「次の信号を左です」


 国道四二七号とお別れして県道八号だ。ところでだけど曲がる前にあった足立醸造ってお醤油屋さんだと思うけど美味しいの?


「どうだろう。気にはなってるけど醤油は重いし」


 お土産に買ったりすれば重いだけでなく嵩張るものね。そのうち通販で探してみるか。さて完全に田舎道だ。この先にあるのは高坂峠になる。一番高いところにトンネルがあるけど、それを下れば神崎だよね。


「神河町だ」


 神崎町と大河内町が合併したんでしょ。それぐらい波賀ツーリングの時に覚えたんだから。公立神崎病院の信号を右に曲がればついに国道三一二号だ。クルマならバイパスである播但道になるのだけど、小型バイクだから旧国道ってやつだな。


「でもこっちが生野街道だし銀の馬車道になるよ」


 銀の馬車道は銀張りの馬車が走っていたとか、ましてや銀張りの道路だったのじゃなく、生野銀山で採れた銀鉱石を飾磨まで運んでいた道だそうなんだ。それだけって言われそうだけど、当時としては画期的な道路だったとされてる。


 馬車道と言うぐらいだから馬車で銀鉱石を運んでいたのだけど、こんな山奥まで馬車が走れる道を整備したぐらいで良いはず。これは今の感覚なら高速道路を作ったぐらいのものなんだって。はて、江戸時代の道路の幅ってどれぐらいだったんだろう。


「たとえば代表的な街道である東海道は大街道として六間と定められていたみたいだけど、実際のところは川崎宿から保土ヶ谷宿までは三間ぐらいで、そこから西になると二間から三間半ぐらいだったらしいよ」


 あのね、二間とか三間って言われてもわかんないじゃないの。


「一間は六尺だから百八十センチぐらい。畳の縦幅と同じだよ」


 畳の長い方が一間か。それならイメージできるけど、三間って五メートルちょっとぐらいか。道路の車線幅は、


「三メートルだよ。高速で三・五メートル」


 だったら対抗二車線で六メートルぐらいか。三間でも人が歩くだけだった十分だろうけど、そこに馬車が走ると狭いよね。


「銀の馬車道は馬車専用だったらしいよ」


 そんな歴史街道を走ってると思うだけでテンションが上がってくる。山が近づいて来て登りになったけど。


「生野峠だよ」


 ここは但馬と播磨の国境ぐらいになるそうで、嘉吉の乱の時には但馬から攻め込んだ山名軍が赤松軍を突破してるし、


「赤松政則が大敗を喫したのもこの峠で、当時は真弓峠と呼んでたそうだ」


 ああここが真弓峠だったのか。あれから赤松政則とか、別所の則治の事を少し調べたりしてたのだけど、山名軍に赤松軍が大敗したのが真弓峠の合戦と書いてあったけど、それがどこかわかんなかったのよね。


 ちなみに赤松政則は嘉吉の乱で滅んだ赤松氏を播磨守護に復活させた人だけど、山名軍に敗れて亡命生活を送っていた時に頭角を現したのが別所則治。地元の英雄別所長治の四代前の先祖だよ。


 ただ峠道自体はラクチンだ。ヘアピンなんかないし、カーブもそれほどじゃない。だらだら登って下りるって感じかな。だから赤松軍は山名軍を支えきれなかったのかも。


「天険とか難所とは言えないよな」


 非力なモンキーにはありがたい峠だ。生野峠を下ると生野の町だ。銀山の遺跡はあるけど先を急ぐから今日はパス。その代わりにコンビニ休憩を取ったよ。ジュースを飲みながら思ったのだけど、ここって但馬だよね。ついにマナミのモンキーも但馬に足を踏み入れたんだ。ちょっと感動。

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