女子高生とコインロッカーベイビー
女子高生とコインロッカーベイビー
作者 葉羽
https://kakuyomu.jp/works/16817139554576894582
望まれずに生まれた女子高生は十七歳の誕生日にコインロッカーで赤ん坊を拾い、幸せになることを願って交番に届け、屋上から街を見下ろす。孤児院で育った赤ん坊はヒロと名づけられ、ある日職員と公園に訪れる。いつか『ふふ、かわいい』といってくれた人と会いたいと希望を抱く話。
前回に応募され感想を書いていたので加筆修正した。
現代ドラマ。
サブタイトルに「ああ生まれ損なった」とある。
それは女子高生のことか、コインロッカーに捨てられた赤ん坊のことなのか。どちらもかもしれない。
一九七三年前後、日本国内でコインロッカーに乳児遺棄されることが同時多発し、社会問題となったことがある。一九七三年だけでも四十六件の遺棄事件が発覚。
また本作のタイトルを見たとき、村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』が浮かんだ。現在は、以前ほど頻繁に起きていないがニュースがきかれる。
現在、コインロッカーへの乳児遺棄事件は以前ほど頻繁ではないが、事件自体はなくなったわけではなく。依然として怒っている問題である。
さらりと悲しくも重い話を書き、希望ある終わりにまとめている。読者を意識して書かれているのだろう。
実にいい話。
主人公は十七歳の女子高生、一人称私で書かれた文体。ラストは三人称ヒロ視点で書かれている。自分語りで実況中継、描写を必要最小限にとどめつつ、状況描写で主人公の心情を描いている。
女性神話の中心軌道に沿って書かれている。
二十歳の時にレイプされて生まれたせいで父親は家を出、母親からは望まれない子として育てられた主人公は、はじめてできた彼氏に「部活のミーティング」と嘘をつかれて十七歳の誕生日を迎えた。
二人でなら大丈夫だろうと頼んだ大きめのホールケーキ。初めてのデートだからお洒落をしようと、恥をしのんで店員さんにコーディネートをしてもらった全身の衣服。一緒に行こうと思い買ったテーマパークのチケットも無駄になるも、出かけると母親に伝えた手前家にいるわけにも行かず、する予定だったことを一人でしようと映画館に行こうと駅に向かう。
コインロッカーの中に泣いている赤ん坊を見つけ、幼い頃によく行った公園の木陰で赤ん坊をあやしながら、自分の不遇を話す。
そんなとき、公園で女の子とはしゃいで水遊びする彼氏の姿を見て、自分の人生はこんなものだと諦めて受け入れる。
母親に愛されたい主人公は、愛されて生まれた赤ん坊に嫉妬しつつも、赤ん坊の幸せを願って交番に届ける。その足で屋上に上がり、自分以外が幸せの街を見下ろした。
孤児院で暮らす、かつて赤ん坊だったヒロは大きくなり、施設の近くにある公園に来ていた。なぜか一本の木に見覚えがあり、昔「ふふ、かわいい」と言ってくれた人を母親だと思い、いつか「生んでくれてありがとう」と伝えたくて、大人になったら探しに行こうと誓うのだった。
四つの構造からなっている。
導入 主人公の女子高生は誕生日に彼氏にドタキャンされ、孤独と失望感を抱える。家庭内の不安定な関係も描かれる。
展開 主人公がコインロッカーで赤ん坊を見つけ、彼女の心に変化が訪れる。彼女に使命感を与え、自身の過去と向き合わせるきっかけとなり、赤ん坊を守りたい強い思いが描かれる。
クライマックス 主人公が赤ん坊を交番に預ける決断をする。
結末 赤ん坊を交番に預け、主人公は自らの孤独を再認識。
成長したヒロは優しく笑いかけてくれた彼女に再会を夢見、生んでくれてありがとうと伝えたい希望を抱く。
また、本作は四つの視点で書かれている。
一つは、主人公である女子高生の視点。
彼女の複雑な家庭環境や誕生日を迎える孤独感が描かれ、存在意義や家族の愛情を求めている。
二つめは赤ん坊の視点。
赤ん坊の存在が、無邪気さと愛らしさをもって女子高生の心を癒やし、彼女に「守らなければならない」という使命感を芽生えさせる。
三つ目は母親の視点。
主人公の母親の不安定な精神状態や、娘に対する愛情の欠如が描かれ、主人公の孤独感がより一層強調されている。
成長した子供の視点。
物語の最後では、赤ん坊が成長し、彼自身の視点で過去を振り返る。捨てられた経験を持つ彼は、女子高生との出会いがどのように自分の人生に影響を与えたのかを理解し、感謝の気持ちを抱く。
多層的に描くことで、過去の出来事が未来にどのような影響を及ぼすのかを感じ取れる。
書き出しで彼氏が「ごめん!」「今度埋め合わせするから、ほんと、ごめん!」と謝り、「ううん、大丈夫。こっちこそ忙しいのにデートなんか誘ってごめんね」と答える主人公。
これほど謝るということは、以前からデートは約束していたのだろう。
しかも彼氏なので、彼女である主人公の誕生日も聞いて知っていた可能性がある。
結果、公園で他の女と水場ではしゃいでいるのを目撃する。
最低な男である。
本作は主人公と母親、主人公と赤ん坊が対になって書かれている。
母親はレイプされ、望まない子供を生み、父親は家を出ていった。
つまり離婚、結婚前なら別れたのだろう。
主人公は母親にネグレクトのような扱いをされ、同じ十七歳の女子高生にくらべたら元気や明るさが足らず、つき合っていた男は誕生日に他の女とデートするために「用事がある」と嘘をつかれた。
コインロッカーにいた赤ん坊は、産んだ母親は育てたいと思ったかもしれないけれど、相手の男が逃げるか断るか、経済的理由からも困ってコインロッカーに入れたのだろう。
愛されたい三者は、愛されずに捨てられたのだ。
「まーま」と言葉を発しているので、「約一年も甲斐甲斐しく世話なんてしない」「この子は、実の家族に望まれて生まれてきた。だけど、第三者の手によってコインロッカーに置き去りにされた」と主人公は考えた。
「コインロッカーに赤ん坊を捨てるなら、普通は鍵をかける」「この子を捨てた人は計画性のない人だったのだろう、どうやって捨てるか考えておらず、たまたま道に転がっていた黒のビニール袋に入れ、急いでコインロッカーに押し込んだ」と想像しているけれども、わからない。
動揺して慌てて、鍵を駆け忘れたのかもしれない。
なかなか道に黒のビニール袋が転がっているとは考えにくい。
ビニール袋に入れてせまいロッカーに放り込んだら、口が塞がれて窒息する可能性もある。
それこそゴミを捨てるように扱っているので、「この子は疎まれて捨てられたのではない。この子を邪魔だと思う一人が独断で捨てたのだ」というのは半分くらいは正しくて、ネグレクトの両親が共謀でロッカーに捨てた可能性も考えられる。
主人公の想像だから、本当のところはわからない。
ただ、愛されていない赤ん坊を前にして、赤ん坊を羨ましがるほどに主人公は愛に飢えていたのだろう。
赤ん坊は純粋に欲しい物を求めて声を上げるし、眠りにつく。でも十七歳の主人公は内に秘めてしまっている。
この差が、赤ん坊が羨ましく、自分よりも愛されていると思えたのではと想像する。
不幸のとき、周りの人が楽しく見えるときの気持ちと同じだ。
それほどまでに、主人公の心は寂しくて悲しくて、愛に飢えていたに違いない。
だから、自分よりも愛されている赤ん坊を抱いていると幸せになって、手放すと幸せもなくなってしまう。
「最後だけ目覚めて私にぷくぷくした手を伸ばした。握られた指を見つめて、やっと決心がついた」
赤ん坊が指を握ったことを主人公はどう捉えたのか。
「行かないで」と捉えたのならば、生きる決心にしたのかと思えるのけれど、「ありがとう」と赤ん坊が礼を言ったとおもったのなら、もう自分がこの世でできることは終わったんだ、最後に欲しかったお礼をもらえて満足したから、屋上へと上がろうと思えたのかしらん。
長い文は数行で改行。句読点を用いた一文は長過ぎることはない。短文と長文を組み合わせてリズム良くし、過剰を揺さぶるところがある。ときに口語的。内面描写が豊富で主人公の思考や感情の流れが詳細に描かれ、強く共感させる。
幸せそうな周囲と、主人公の孤独感が鮮明に対比されている。
主人公の不幸や葛藤が丁寧に描かれており、感情移入しやすい。「捨てられた命」と「家族の愛」が深く絡んでおり、重層的なテーマが描かれているところがいい。
五感の描写では、視覚と触覚の豊かさに描かれている。
視覚では、赤ん坊の存在、公園の風景、料理の食材など。
聴覚は駅の喧騒、赤ん坊の声など。
嗅覚は料理の匂い、過程の香り。
触覚は赤ん坊の肌や毛布の暖かさなど。
味覚は料理の味。
感情や状況を深く理解させる役割を果たし、とくに赤ん坊や家庭の描写が感情につながっており、主人公の内面を豊かに表現している。
主人公の弱みは、自己評価の低さ。
主人公は自分が愛されていないことを強く感じており、それが彼女の選択に影響を与えている。だから孤独感を抱き、家族との関係が疎遠で、愛情を求めながらも受け入れられないという葛藤がある。
主人公の女子高生が、屋上から飛び降りた描写はない。
でも、「反抗期は幸せな家庭に産まれた恵まれた子にしか訪れない。だって、私が反抗する相手なんていないのだから」「私、もう諦めていいのかな。本当に生まれなければよかったのかな。なんか、疲れちゃった」「どう足掻いても私は幸せになれないし、なろうとも思えない。誰にも望まれない人生は、なにをしたって楽しくない」と、生きることを諦めてしまっている。
おまけに、赤ん坊を交番に預けるときも「腕を離れていく体温は、私の幸せも一緒に奪っていくようだった」とある。彼女にはもう、幸せは残っていないのだ。
その足で屋上に上がって「家に帰れば美味しいご飯とふかふかの毛布がある。優しい家族に囲まれて、みんなでしょうもないテレビを見たりして。ああ、幸せだ。私以外の人間は」と街を見る。
このときに「いつもより綺麗に見えた」のは、幸せではない自分が屋上にいて、これからこの街からいなくなるからに他ならない。
主人公が飛び降りて死んでいるなら、ヒロ(拾われた赤ん坊が大きくなった子だと思われる)が「一度でいいから彼女と話をしたい」と再会を夢見て終わっても、叶わないので、きれいに終わっているのにモヤッとした物が残ってしまう。
そもそも、本当に産んでくれた母親がいるはずなので、その母親に「生んでくれてありがとう」と伝えることができるので、問題はないのだけど、だったら主人公がかわいそうに思えてならない。
なので「握られた指を見つめて、やっと決心がついた」とき主人公は、この赤ん坊の親になろうと思ったのだろう。
親といっても本当の親ではない。
そのあとの屋上から街を見て「いつもより綺麗に見えた」のは言葉どおり、いま街に自分はいないからきれいに見える。幸せではない自分は街から離れた屋上にいるから。
ということを、ただ単に確認した。
その後、ヒロは「今日は孤児院の職員に、広いこの公園に連れてきてもらった」「近くと言っても、ここから車で三十分ほどかかる場所」にある。
そもそも、車で三十分だと高速を使えばかなりの距離を移動できるし、三十キロくらい離れたところにまで行けるので、それなりの遠出のはず。主人公が住んでいた地域よりも別の町に、施設はあるかもしれない。
つまり、この公園につれてきた孤児院の職員が主人公である。
彼女は自分が拾った赤ん坊が預けられた孤児院に、高校卒業と同時に家を出て就職し、世話をしてきたのだろう。
そんなふうに読んだら読後、よかったなと思えた。
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