魂の自由を取り戻して

魂の自由を取り戻して

作者 福田

https://kakuyomu.jp/works/16818093081758990869


 藤村は、中学時代の同級生である佐々木が焼身自殺を図り、死亡したと知る。佐々木とは同窓会の二次会で再会、その後、酔いつぶれた佐々木を家まで送り届ける。佐々木は哲学に救いを求めていたが、真理に辿り着けないことに絶望し、自ら命を絶つことを決意する。藤村は佐々木の死を通じて、内心の自由や真理について考えさせられる話。


 現代ドラマ。

 自由や真理についての深いテーマを扱っており、キャラクターの内面描写が非常に優れている。哲学の部分は、好みが分かれるかもしれない。


 主人公は藤村。一人称、僕で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られている。現在、過去、未来の順に書かれている。


 女性神話と、それぞれの人物の想いを知りながら、結ばれない状況にもどかしさを感じることで共感するタイプの中心軌道に沿って書かれている。

 藤村は中学時代の同級生である佐々木が焼身自殺を図り、死亡したことを知る。前夜、同窓会の二次会で再会した佐々木は、居酒屋で唐揚げを食べるだけで誰とも話さず、帰り道で酔いつぶれてしまう。藤村と白川は佐々木を家まで送り届けるが、佐々木は「ごめんなさい」と泣き続ける。

 佐々木は中学時代から内心の自由を求めており、体育の時間に「囚人や奴隷になるくらいなら死人の方が自由だ」と語っていた。彼は哲学に救いを求めていたが、真理に辿り着けないことに絶望し、最終的に自らの命を絶つことを決意する。

 夢の中で藤村は佐々木と再会し、佐々木は自分の解釈が他人と混ざることを恐れていたことを告白する。佐々木は哲学が賢い人たちのものであり、自分のような弱者を救ってくれないと感じていた。彼は自分の意思で確信した結果として、世界への抗議として自殺を選ぶ。

 藤村は佐々木の死を通じて、内心の自由や真理について考えさせられるが、佐々木を救えなかったことへの無力感に苛まれる。


 三幕八場の構成

 一幕一場 状況の説明、はじまり

 佐々木が電話に出ないことを心配する友人たち。ニュースでX大学構内での焼身自殺の報道。佐々木が自殺したことが判明。

 二場 目的の説明

 佐々木との再会、中高の同窓会での出来事。佐々木の様子や行動、友人たちとのやり取り。

 二幕三場 最初の課題

 佐々木が居酒屋で飲みすぎて動けなくなる。友人たちが佐々木を家まで送ることを決意。

 四場 重い課題

 佐々木の家での出来事、彼の嘔吐と謝罪。佐々木の哲学書『嘔吐』への執着とその意味。

 五場 状況の再整備、転換点

 佐々木の哲学への思いとその葛藤。友人たちの佐々木への理解と共感。

 六場 最大の課題

 佐々木の哲学や世界への抗議の決意。友人たちの説得と佐々木の確信。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 佐々木の夢の中での対話、彼の内心の自由への渇望。佐々木の最終的な決断とその理由。

 八場 結末、エピローグ

 佐々木が海に入っていく。友人の涙と佐々木の本の破れたページ。


 佐々木の死の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に至るのか気になる。

 メッセージのやり取りからはじまる書き出しは、客観的な状況の導入から、本編は主人公の主観へと、カメラワークのズームのごとく深まっていくことで、読み手を物語へ誘っていくところがH上に上手い。

 遠景で、電話に出ないことを夕方メッセージを送り、近景で相手から九時半頃、事件記事と死亡が確認されあのが佐々木だと知らされ、心情で佐々木が死んだとなる。

 主人公は、友達を失った状況であり、しかも前夜に同窓会であったばかり。突然の訃報に驚いただろう。共感を抱く。


 中高の同窓会後、十人ほどを集めた二次会が安い居酒屋で行われ、仲の良かった白川が誘い、佐々木は二次会から合流。

「佐々木は大学も行かず、フリーターをし」「なかなか大胆な食べ方をしていたが」「誰かと話すということをしなかった」

 佐々木が飲みすぎ、帰り道で座り込んでしまう。

 そんな彼に主人公は接しており、人間味を感じる。

 佐々木は「生気のない顔」で「人間のふりをした屍のよう」であり、「屍が喋り、屍が歩き、屍が鶏の揚げ物を喰らっているにすぎなかった。思えば中学の頃から彼は死人だった」と思い出していく。

 

 全校集会に限って、彼は気力なく体育座りをする。それについて

「体育座りってさ、こんなのまるで奴隷とか囚人みたいな座り方だよね」「囚人というか、まるで死体を埋める時の姿勢みたいな」と語り、死人のほうが自由だという。

「不自由の中で一番辛いのは、内心を侵されることだと思っててさ。これは多分、死ぬよりも辛い。自分の一番大事なものが、自分の外部から強制されてしまうんだよ? 道徳とか、頑張る意味とか、正しさとか。囚人や奴隷はそういったことも強制される。そんなの、僕は絶対耐えられないね」

 死人にはなにものにも縛られない自由な魂があるという。

 もちろん、彼も死人に魂がないことはわかっているが、「ないものを信じるのもロマンあると思うんだ。それで幸せならね。きっと、事実や正しさだけの世界では、僕は窒息してしまう」と語り、主人公は佐々木が黄泉の国からきた異邦人に思えたという。

 非常に引き込まれる内容である。


 長い文は、十五行くらい続いて改行されているところもある。句読点を用いた一文はンGすぎない。短文と長文を組み合わせてテンポよくし、感情を揺さぶるところもある。内心の自由や真理についての深い考察しており、佐々木の複雑な内面が丁寧に描かれているところが良い。

 五感の描写として、視覚は居酒屋の明かりに照らされた地面のアスファルト、佐々木の生気のない顔、星が見える海辺などが描かれている。

 聴覚は、佐々木のため息、白川の声、佐々木のいびきなど。

 触覚は、佐々木の湿った髪の毛、砂など。

 嗅覚と味覚は特にないが、居酒屋の匂い、唐揚げとビールの味が間接的に感じられる。


 主人公の弱みは、内心の葛藤。自分の内心の自由や真理についての迷い。佐々木を救えなかったことへの無力感がある。

 主人公は幹事であり、白川といっしょに佐々木の家に送り届ける。

 彼の家には哲学や文学の本が大量に積まれ、寝ている彼の側にあった『嘔吐』を手にすると、「触れないで」と声を発し寝てしまう。

 帰ろうとすると、白川が「このままここで寝ちゃわない?」「嫌だなあ。せっかく佐々木の顔を拝めたのに。俺、ほんと心配だったんだよ、佐々木が。だから、会えただけでもよかったんだけどさあ」「お願いだよ。明日また佐々木と何か話せるかもしれないでしょう? こんなチャンスもうないよ」といい、酔ったふりして寝たことにするといって二人して寝ることに。

 

 主人公は基本、哲学的な考え方をしている。

 酔ってるから正常は判断を下せないのではなく、酔っているからこそみえる真理もあると語る。伏線かしらん。

 古代の人々は儀式でトランス状態に陥ることで神のお告げを得ていたともいうので、考え方としては突飛ではないと思う。

 

 夢の中で佐々木が「夢と現実の境界がわからなくなることがあるでしょう。僕は、正気と狂気の境界がずっとわからないままなんですよ」と語る。

 星と水平線の見える海辺で、体育座りをする佐々木と二人で。

 白川夢に出てこない。どうして主人公だけなのだろう。

 仲の良かった白川がどうしてもと言って頼み込んだのに。

 酔いつぶれた佐々木を家まで送ろうと言い出したし、中学時代に自分の話を否定せずに聞いてくれたのは主人公だったから、かもしれない。

「僕は小さい頃からずっと、正常とか、異常とか、まともとか、狂ってるとか、そういう判断を下されないためにはどうすればいいんだろうって考えて生きてきました。『正しいこと』とか『まともなこと』とかがすごく気持ち悪かったんです。だから、藤村くんが言ってくれたでしょう? 『酔っている人間が正常な判断を下せないとは思わない』『酔っているからこそ見える真理がある』って。僕、あの言葉がすごく嬉しかったんですよ」

 夢の中で出会えたのは、やはり主人公のこの言葉だった。

『嘔吐』の内容を知らなかったことも関係していると邪推する。

 

『嘔吐』(La Nausée)は、ジャン=ポール・サルトルが一九三八年に発表した小説。実存主義の代表作の一つ。

 物語は、主人公アントワーヌ・ロカンタンが、自分の存在に対する嫌悪感や不安を感じる様子を描いている。

 舞台は、フランスの架空の町ブーヴィル。

 主人公のアントワーヌ・ロカンタンは、日常生活の中で次第に自分の存在に対する嫌悪感(嘔吐)を感じ始める。彼は、自分の存在が無意味であることに気づき、自己の存在と自由について深く考えるようになる話。

 サルトルは『嘔吐』を通じて実存主義の核心である、存在の不安、自由と責任、不条理と孤独、主観性と内面性を探求している。

 佐々木が『嘔吐』に触れたのは、彼自身の存在に対する不安や孤独、自由と責任についての悩みを反映しているからと考えられる。

 彼は、自分の内面の自由を求めており、外部からの強制や制約に対する抵抗を示している。佐々木にとって、哲学は自分の存在意義を見つけるための手段であり、内面の葛藤を表現するための道具だったのかもしれない。

 その哲学は「結局は賢い人たちのものなんじゃないか」「哲学はこういう弱者を救ってはくれない」『こんなのは知識人たちの特権的地位を守るための知的ゲームでしかないからなんだ。きっとそうに違いない』と確信し、「やっと自由に、自分の意思で確信できた結果」として、「人生で最初で最後の世界への抗議」をする。


 簡単にいえば、内心の自由を求めていた佐々木は、囚人や奴隷になるくらいなら死人の方が自由だと考え、哲学に救いを求めたが、真理に辿り着けないことに絶望。自分の意思で確信した結果として、世界への抗議として自殺を選んだのだ。


 佐々木が入水し、夢から覚めた後、佐々木の姿がない。

 起きた彼はサルトルの『嘔吐』を破り、X大学構内で焼身自殺を図ってしまう。

 

 読後。佐々木の葛藤や主人公の無力感に共感できる部分が多いと思う。でも、哲学的な対話が難解で、理解しづらい部分があるため、もう少し読みやすくし、テンポよくしてほしいと感じる読者もいるかもしれない。

 損得で考えると、なにが正しいかわからなくなる。

 善悪で物事を見ると視野が狭まる。

 すべてを見ることはできないため、いま見えている範囲でしか物事をみていないことを忘れないよう謙虚さをもつことが、傲慢にならないための最低限の優しさなのだ。

 この世に真理と呼べるものは、いまのところ愛しかない。

 悩みとは、人間として歩く道だと考えたとしたら、悩みから開放されることは、人として生きる道を外れることを意味する。

 人の道を歩くための足の痛みが悩みとすれば、安心を求めるほど不安を感じ

 生きることは不安であり、安心など死ぬまでできない。

 だから上手くいったときは喜び、楽しいときは大いに笑う。

 それが人間というものである。

 主人公は「『目の前の真理に飛びついてはいけない。苦しくても、考え続けなければならない。真理に到達しなくても、考え続けなければならない』と。しかし、そんなことは佐々木が一番わかっていた」として言わなかったが、大事なことだからこそ、黙り込んではいけなかった。

 言うべきだったのだ。

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