本心にスケルツォ
本心にスケルツォ
作者 千桐加蓮
https://kakuyomu.jp/works/16818093080194069765
両親から愛を得られなかった創史は、音楽を通じて水作穂真里と出会い、内面的葛藤の果てに人並みの愛を受け入れる話。
現代ドラマで、恋愛もの。
昨年書かれた『スケルツォと本心』に登場した、創史を主人公に描いた作品。
感情的で内面的葛藤と成長が描けている。
主人公は創史の一人称、「僕」で書かれた文体。自分語りの実況中継で綴られており、前半後半、それぞれ現在過去未来の順に書かれている。
恋愛ものでもあるので、出会い→深め合い→不安→トラブル→ライバル→別れ→結末の順に書かれている。本作には明確なライバルは描かれていないが、主人公自身が自分の内面的な闘争(自己否定、自己評価の低さなど)と戦っており、それらがライバルに該当するだろう。
また結末から、単なる恋愛ものではなく、人間の心理や感情を深く掘り下げた作品である
主人公は男性神話、物語は前半は女性神話と絡め取り話法の中心軌道にそって書かれている。
主人公である創史の両親は、オーケストラの業界では有名な人たち。母親は、小学校に入学したころから、ヨーロッパを中心に金管楽器の奏者として活躍しつつ、日本の名門大学の管楽器専攻に入学した後、パリに留学した。父親も幼い頃から様々な楽器に触れ、本番の演奏を幼少の頃から嗜み、いつしかパリで活躍する指揮者への道を歩んでいた。
だが、二人の入籍は明らかにされておらず、子供である主人公の存在も明らかにされていない。世間に知れ渡ると、これまでどおりの活躍ができなくなる。
主人公が生まれて一年も経たずに、戦後すぐに有名になった戯曲家でもあり、飲料メーカーの広報で地位のある祖父がなくなり、礼儀作法には厳しい祖母に面倒を見られ、義務教育を終える頃には、二人とも海外へ出ていった。
小中高校を通して成績が悪かった主人公は戦隊ヒーロー番組が好きで、祖母が続けさせてくれたおかげで、高校の時から作曲したものをネット投稿しはじめ、人気作曲クリエイターの「仮面S」として活動していく。
祖母が亡くなると家事の手伝いをさせてもらえなかったため、一人で生活を成すために必要な知識は兼ね備える機会を逃してしまった。音大に通いながら本屋のバイトを始めたのは、社会に馴染めないなりの訓練をするため。客として、ピアノの先生をしていた祖母や、ヨーロッパで活躍する叔母の旦那さんの影響で音楽の世界にのめり込んだ少女時代を送って専門学校のリペア科に所属している水作穂真里と知り合い、彼女の誕生日が近い三月上旬、カフェに誘う。
テーブルの上に置かれた誕生日プレートとホットショコラを交互に見ては、幸せそうに笑う彼女。店長が音大出身で、定期的に音楽イベントを開催しているらしい。また彼女は祖母のグランドピアノを一人で調律したと語り、彼女の調律したグランドピアノがあるという、祖父母の家にお邪魔することになった。
電車を使って二駅乗り継ぎ、彼女の祖父母の宅を訪ねる。二人は趣味の時間で留守だという。
主人公は、頭に浮かんだショパンのスケルツォ第一番を弾いた。調子良く二番を引いているつもりだったのに、涙がでてくる。「スケルツォ第二番まで弾いて、次に弾くのは第三番だと思うんですけど、軽快っていうよりは、重い弾き方をしていらっしゃったので」「でも、情熱的な演奏だったと思います」
「昔、父親だったか、母親だったか……どちらかが弾いていたのを覚えていたらしい。僕は、ピアノは向いてないな。汲み取れる弾き方ができていない」と答え、それにと続けるも、「感じる思いは人それぞれですから。楽しく弾くことを意識した方が、ピアノが喜ぶと思います」彼女は子犬のワルツのAパートをさらりと弾いていた。
音楽を作る過程と作業を見たい彼女と、誰かの手料理が食べたくなった主人公。二人の利害が一致したことがきっかけで、彼が住んでいる小さな一軒家に彼女がやってくるようになった。彼女は舵をすることが多く、一緒に過ごしていても苦ではない。
彼女と過ごした日の深夜。
コンビニ前で、彼女と同じ専門学校生数名が毒を吐いていたのw盗み聞きしてしまい、彼女を悪く言う人に我慢ができず、暴力事件を起こす。朝のニュースで、暴行罪で人気作曲クリエイターの「仮面S」が逮捕されたことを報じられた。
数カ月後。彼女と疎遠になった。
彼女の祖父母の家を訪ねるも、幼稚園児を育てている夫婦がいるだけで、彼女の姿はなかった。彼女と距離が離れ、喪失感と、悲しみが徐々に胸を締め付けていた。
次第に食べることもやめ、部屋には乱雑に写譜した用紙が床に散らかっている。一番のヒーローになりたかった人の英雄になれず、挑んですらいないことに涙する。
「創史さん!」
右頬を叩きながら、現れた彼女は激しく泣いていた。なぜ相談してくれなかったのか、距離を置かないで、独りは嫌でしょと彼女に抱きしめられ、意識を失った。
ベッドで目を覚まし、彼女に微笑みかけられる。栄養失調で三日ほど眠っていたらしい。
ずっと側にいてくれるか尋ねると、彼女は悲しさと嬉しさの入り混じった笑顔でうなずき、「また今度、スケルツォ、弾いてください。私、創史さんと初めてデートしたカフェに新しく置かれたグランドピアノ、調律したんです」手が触れた。
「今度は、四番まで。ちゃんと最後まで弾いてほしいです」
「うん、弾く。曲も、一番に君のもとへ届くのを書く」
創史は、彼女の温かい手をずっと握り続けるのだった。
三幕八場構成にもなっている。
一幕一場の状況の説明では、主人公と彼女の関係が描かれ、彼女が主人公の家に来る理由が説明される。彼女は主人公の音楽を愛し、彼の生活を支える存在である。
二場の目的の説明では、主人公の一方的な想いが強まり、彼女に対する深い感情が明らかになる。しかし、彼はその感情を表現する勇気がない。
二幕三場の最初の課題では、主人公が彼女に対する自身の感情を認識し、どう扱うべきかに悩む。彼女が褒める一方、彼は自分の能力を自己満足と見なす。
四場の重い課題では、主人公が自分自身と彼女の間に存在する隔たりを認識する。彼女が自分の音楽以外の部分を理解していないと感じ、自己否定に陥る。
五場の状況の再整備、転換点では、主人公が両親との関係、彼らが自分を見捨てた理由を理解する。両親にとっての障害であると感じ、自己否定が深まる。
六場の最大の課題では、主人公が自分の両親に対する怒りと失望を語る。自分が両親にとっての失敗であると感じ、自己否定が頂点に達する。
三幕七場の最後の課題、どんでん返しでは、主人公が彼女に対する感情を爆発させ、彼女を守ろうと暴力事件を起こす。でも、彼は自分の感情を制御できず、結果として彼女を傷つける。
八場の結末、エピローグでは、主人公が行動の結果を受け入れ、彼女に対する感情を認める。眼の前に現れた彼女に謝罪し、側にいてくれることを願う。彼女は彼を許し、彼の音楽を再び聴くことを望む。彼女のために曲を書くことを約束して、二人の関係は新たな段階に進んでいく。
彼女との関係を言葉で表現しようとする時、息が少しずつ詰まっていく謎と、主人公自身に訪れる様々な謎が、この先どういう関わりを持っていくのか、興味を抱かせている。
本作は、昨年書かれた『スケルツォと本心』を元にした作品といっていい。
ちなみにどのような話かといえば、「暴行罪で逮捕された、動画サイトで人気クリエイターの仮面Sである染森創史と付き合っていた専門学生の水作穂真里は、Webメディア記者の岡中からどんな人だったか聞かれ、『素敵な人です。彼が好きです』『逮捕前に私をどう思っていたか知りたかった』と答えた夜、彼の不器用さに涙し、恋しい気持ちを抑えきれなくなる話」であり、水作穂真里視点で書かれている。
今回、創史の立場で書かれた物語である。
前作では、どうして夜中に暴行罪で現行犯逮捕されたのかがわからなかった点が、明らかになっている。
風景や人物描写は少ないものの、主人公の内面的な葛藤や感情の変化が詳細に描かれており、読者は主人公の心情に共感しやすい。また、主人公と穂真里の関係性が丁寧に描かれているので、彼らの感情や動機を理解しやすい。
とくに主人公は、両親から愛されていない境遇から可哀想に思え、祖母に大事にされていたり、穂真里を愛していたり、独りでいるときにみせる人間味あふれているところ、作曲の才能があって人気作曲クリエイターの「仮面S」というカリスマ性もあって憧れを持たれる存在であり、共感を抱きやすい。
五感を意識した表現が用いられているのも、共感しやすい。
視覚以外の情報は意識しなければ書けないので、音楽を扱った作品だから聴覚情報はもちろん、味覚、触覚、嗅覚の描写を入れているおかげで、物語の世界へ引き込まれる。
文章の書き方にも、工夫が見られる。長い文章だったり、丁寧に正しくすると堅苦しさを生んでしまう。でも、ときに口語的にすると、柔らかさが生まれ、リズムよく読みやすくなるよう心がけているところがいい。
主人公語りのモノローグでもあるので、主人公以外の気持ちはわからない。それでも、主人公の立場から読者は気持ちを想像するため、自然と感情移入できていく。
大まかな描写をして、話が進めば密になり、終わりは粗くするというかき分けもできているし、会話文で、人物の性格もでている。
主人公に弱みがあるのがいい。
祖母が手伝わせなかったため、生活に必要な家事が苦手という弱みがあるからこそ、水作穂真里が家事をしに訪ね、面白いドラマへとつながっていく。
そもそも穂真里のような人並みの人間になろうという思いは、彼女と出会う前からあったからこそ、音大に通いながら本屋でバイトして、社会に馴染もうと訓練するためにはじめたこととある。
また、親に愛されてなかったり、勉強が苦手だったり、ヒーローに憧れていたり掃除や調理、家事が苦手だったりするところは、読者との共通点になりうると考えられる。
だからこそ、主人公に興味を持てるだろう。
カフェに誘ったり、彼女の誘いを受けてピアノを引いたり、主人公が彼女に対して好きになってもらうまでの過程を描かれているので、二人の関係はどうなっていくのかと感情移入できる。こういうところもいい。
なにより本作のいいところは、音楽と作曲への愛が物語全体を通して強く感じられるところ。主人公と穂真里の共通点であり、彼らの絆を強化する要素となっている。
本作に登場するスケルツォとは、ショパンの作曲。イタリア語で「冗談」を意味し、日本語では諧謔曲と訳されている。
ショパンは「スケルツォ」を四曲作曲し、四曲とも大規模に発展させた三部形式で作られている。
ショパンより前の時代、ベートーヴェンによって多楽章形式の作品にメヌエットに代わって使われるようになったスケルツォは本来、楽しく軽やかでユーモラスな曲である。
だが、ショパンの時代には曲のジャンル名として確立。「自由に、すばしっこく演奏する曲」を「スケルツォ」と呼ぶようになり、超絶技巧でファンタジックな描写が入る、ユーモアのある曲のジャンル名として昇華されたため、ショパンのスケルツォには、凶暴なまでの激情が発露されている。
シューマンは「これが『冗談』なら『厳粛』はどのような衣装をまとえば良いのか」と述べたほど。
ショパンの「スケルツォ」は穏やかな中間部を持つ三部形式という本来の様式を踏襲しているが、ソナタ形式に近い様式となっている。四曲すべてがテンポの速い四分の三拍子で書かれ、二小節で一楽句を形成し、複合二拍子のよう。「バラード」と共通点が多いことから、ショパンの代表作として「バラード」と同等の評価を受けているという。
本作で主人公の感情や心情を表現する手段として使用されているスケルツォは通常、軽快でユーモラスな音楽形式。
だが、作品内では逆転しており、主人公の内面的な葛藤や苦悩を表現するのに用いられている。
最初に弾くスケルツォ第一番は、「頭にパッと浮かんだため」とあるが、親が弾いていたのを思い出したとあり、「極めて重く深刻な情緒を内包している音色を奏で」ていたとあることから、
穂真里に対する一方的な想いや彼女との関係の複雑さ、主人公が抱える深刻な感情や内面的な葛藤を表現しているものと考えられる。
次に弾くスケルツォ第二番では、本来は軽快でユーモラスなので、彼の感情がさらに深まって穂真里に対する愛情をより強く感じるように表現されていくはず。でも彼の演奏は重く、情熱的ではあったものの、涙を流すほど、自分の感情にどれだけ苦しんでいるかを示している。
スケルツォ第三番は、弾いた描写はない。曲の進行に従えば、主人公の感情の変化や成長を示す可能性がある。
物語の終わりに向けて主人公が弾くことを約束するスケルツォ第四番。穂真里との関係を修復し、自分自身を改善するための新たな決意を示している。四番を弾くということは、必然的に三番も弾くこととなるので、変化を経て成長し、新たな決意へとつながっていくことを予感させている。
よって、各スケルツォは物語の異なる段階を表現し、音楽を通じて主人公の感情の変化を描写していると考えられる。
また、主人公がスケルツォを選んだ理由は、彼が自分の感情を最もよく表現できると感じたからかもしれない。
その曲は、両親のどちらかが弾いていたものであり、思い出したということは、まだ両親の愛を信じていた幼いころの気持ちを取り戻そうとした現れかもしれない。
つまり、彼女の愛を信じようと無意識に思ったから、スケルツォを選んで弾きはじめたのだ。
彼にとっては、ピアノを弾いていた場面は、告白そのものだったと考えたい。
また、彼女が弾いたのは、「子犬のワルツのAパート」である。
「子犬のワルツ」も、フレデリック・ショパンによって作曲された。
この曲は、ショパンの恋人であったジョルジュ・サンドが飼っていた子犬が尻尾を追ってぐるぐる回る様子を音楽にするようショパンに頼み、即興的に作曲されたと言われている。
作中で「子犬のワルツ」のAパートが弾かれる場面では、穂真里が創史さんに「感じる思いは人それぞれですから。楽しく弾くことを意識した方が、ピアノが喜ぶと思います」と言い、主人公に対して音楽を楽しむことの大切さを伝えている。
そもそも「子犬のワルツ」のAパートは、主和音(トニック)と属和音(ドミナント)のみで構成され、非常にシンプルであるものの、右手は絶え間なく動いているので演奏は容易ではない。
このことから、彼女が音楽に対する深い情熱を持っていることが伺える。また、彼女自身の感情を音楽を通じて表現する手段として「子犬のワルツ」を選んだとするなら、彼女の内面でも、葛藤や感情の複雑さがあったと推測できる。
そう考えると、音楽を物語にうまく使って描かれているなと感じてくる。
全体として、非常に感情的で、主人公の内面的葛藤と成長がよく描けている。
気になるのは、前作『スケルツォと本心』を読んでいないとわかりにくい点。とくに、物語は現在、過去、未来を行き来して描かれており、それぞれの時間軸が明確になっていたいため、わかりにくさを生んでいる可能性がある。
彼女が、専門学校の同級生たちにからまれていたのを、コンビニ前で盗み聞いて殴った場面は、そういうことがあったんだと読者は淡々と受け止める感じになってしまう。
疎遠になってしまったのはどうしてなのか。
主人公の両親や祖母について、詳しく書かれているものの、主人公と彼女との関係性にどのように関わっているのか。
ろくに食事を取らず死にかけていた主人公のもとに、彼女が現れたのはどうしてか。もっとはやく来れなかったのか。
主人公視点で描かれているので、主人公が知り得ないことは書かれないのは当然なのだけれども、本作は前作のスピンオフ的な印象を受ける。
スピンオフではなく、二作そろって読むことで、より深く味わえる作品だと、読後にタイトルを読みながら思った。
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