第3話

びっちりと腹に張り付くルーアリアをひっぺがした後。

長い移動を経て、いつもの場所に到着した。


あの子ルーアリアもういない?』

「いないよ」

『よ〜し久しぶりに羽を伸ばせるぞ〜』


気だるげな声と共に、水飛沫を上げて現れる小さな妖精ヴェーチェ


『いやーすごいよねあの子。察知されかけた時こんな顔になっちゃったよ』


宙に浮きながら自身を指差しているが、ふわふわとした長髪に囲まれた顔の全面には、白いフェイスヴェールが掛けられており、その表情を読み取ることはできない。


『…ってえぇ〜?またこの場所?』

「うん…ごめん」

『せっかくのびのび出来るのになー』


ヴェーチェが呆れるのにも理由がある。


冒険者協会極東支部から森へ向かって3時間程歩いた先にある、向こう岸が霞む程に大きい一筋の川。


サポート任務がある日を除いて、僕はこの場所を毎日訪れているからだ。


消息を絶った幼馴染を探すために。








18年前。僕は一個下の幼馴染と組んで、S級冒険者をしていた。

だけど。僕の未熟な言葉のせいで、彼女は失踪してしまった。この大きな川だけを残して。


それから5年間、1人でS級をやり続けた。理由はいつでも彼女が帰って来れるように、とかそんな感じだった気がする。1人で戦うのが辛くて、さみしくて、あの時期のことはもうほとんど覚えていない。


やっぱり、あの子と一緒じゃなきゃダメで。ある日突然、自室から出られなくなった。


その頃だった。僕の周りをヴェーチェが飛ぶようになったのは。

最初は頭がおかしくなったのかと思った。妖精なんて、一部の伝承本にしか記載されてない代物だったし。

でも、家に無理矢理遊びに来た友人が「なにこの子!?」って驚いたことで、幻覚ではないことを知った。


そこから少しずつ、色々なものが動き始めたように思う。


一日がベッドで終わるのが当たり前だったのに、ヴェーチェの『氷を炒めたのが食べたい』という要求に応える為に、少しだけ起き上がったり。

水でいいじゃんって思った。


友人に「熊に勝ったカブトムシ見に行こうぜ!!!!!」って誘い出されたり。

見たくなるに決まってるだろって思った。


少しずつ少しずつ、ベッドから離れる時間が増えていった。


そして今から10年前。友人が、出来たばかりの特派員制度の派遣者にならないかと勧めてくれた。


3年間自室にこもっていたせいでS級冒険者の資格を剥奪されていた僕にとっては、うってつけの制度だった。


何より、情けないことに。C級B級を頑張っていた頃の僕と彼女を重ねてのことだったけど、新人冒険者の手助けをしたいという気持ちがあった。


だけど、僕は能力を使えなくなっていた。『幼馴染と僕で一つだった能力を使いたくない』という深層の気持ちが表れたせいらしく、どう克服しようと訓練を重ねても、いざ行使する瞬間に指が震えてしまって…無理だった。


代わりにヴェーチェが水を出す能力を使わせてあげると言ってくれたので、申し訳ないけど拝借することにした。

攻撃しか出来ない僕の能力より、人を助けるにはヴェーチェの清い物の方がずっといい。


なんならヴェーチェを面に出して、僕がそのサポートという形にしてみてはどうか、と提案したけど『めんどいからバーツの能力ってことでいーよー』と断られてしまった。


ただ、ヴェーチェの能力は強大の一言に尽きる。やりすぎたら、またS級にならないかと声がかかってしまうだろう。


でも、他人の力で昇進なんてしたら、僕は本当に終わってしまう。

だから、少しの水を出して、あとはこれまで蓄えた知識で新人冒険者の手助けをすることに決めた。


こうして。綺麗な水を出すことしかできない『派遣者最弱』が誕生することになる。









『ねえ、もうさあ。いいんじゃない?』


水の底をさらう僕に、ヴェーチェの声が届く。

いい訳がない。やっと、幼馴染が失踪した地に向き合えるようになったんだ。痕跡の一つだけでも見つけ出さないと。


「ごめん、あと数時間だけ…」

『違くって』


いつもとは違う妖精の真剣な口調。そして。


『もういいでしょ。死んでるよ、幼馴染ちゃん』


現実で刺してきた。


それから目を逸らしたくて、僕は水を掬う作業を続ける。


そんなこと…とっくに分かってる。でもまだ生きているんじゃないか、失踪したんじゃないか、という気持ちも同時に抱えている。


それに。死を認めてしまえばもう2度と立ち上がれなくなる気がして。


『それよりさあ、その分ルーアリアちゃんに優しくしたげたらいいんじゃないの』

「…………」


自分でも触れたく無い場所にズケズケと踏み入ってくるヴェーチェ。


それも当然分かっている。心あるあの子に、辛辣な言葉をぶつけることがどれ程に惨い所業かというのも。


でもある冒険者に言わせると、幼馴染の死を受け入れられず痕跡を探し続けている今の僕は『停滞』らしい。

当然だ。幼馴染もなしに、進む気持ちなんて起きないのだから。


そんな僕に構って、才能と未来に溢れるルーアリアまで停まっていいわけがない。


だから無理にでも突き放して、嫌われて。そして次の場所に向かってもらわなければならないんだ。


『ま、言って聞いてるなら何年も探してないよね』


ヴェーチェの呆れ声の通り。明日も明後日も幼馴染を探し続けるだろう。

これは停滞に他ならないんだろうなと僕自身も思った。

水だってずっと、こうやって流れているのに。









何の収穫もなく日が暮れて、宿舎の玄関に帰り着いた瞬間。

廊下の奥の方から、揉み合うような音と共に大きな怒声が聞こえてきた。


何事かと声の出所を辿ると。


「いい加減分かれよ!」


派遣者が取り巻く食堂の中心で、頬を赤く腫らしたルーアリアが男に詰められていた。辺りの床には、朝と同じようなご馳走が一面にぶち撒けられている。


「天才は天才といればいいんだよ!俺と組めよ!」


尚も激昂を続ける男。彼のことは当然知っている。

ドムル・オーナント19歳。

極東支部内のA級冒険者一の実力者で、S級昇格も間近と噂されている有名人。


その彼がなぜ宿舎で揉めているのかさっぱり分からないけど、ドムルの腹にルーアリアの重い拳が迫っていることだけははっきりと視認出来た。


咄嗟に両者の間に入り、ルーアリアの拳を止める。

そして「ルーアリア、支部局長が呼んでたぞ」と嘘を吐く。


S級試験には、S級冒険者か局長の推薦が必要。こう言っておけばドムルも強く出れないだろう。

そして、「なんでそんな雑魚に構うんだよ…!」というドムルの叫びを浴びながら、彼女の背中を押して外に連れ出した。


宿舎の裏庭まで出たところでルーアリアに「なんで止めたんですか!?」と怒られる。


「いや、何があったかは知らないけどさぁ、殴ったら何かしら時間食う問題になっちゃうでしょ!こんなつまらない所で停まって欲しく無…」


とまで言ったところで、自分が素で話してしまっていることに気が付いて。


「…いや、お前の生っちょろい拳を受け止めたくてな…」


慌てて方向転換したけど拳大好きな人になってしまった。

その後なんとか立て直し、なるべく無骨を装って事のあらましを聞いた。


なんでも、ルーアリアはドムルの『仲間になれ』という勧誘を日常的に断り続けていたらしい。

それが積もって爆発したのか、夜ごはんが完成したタイミングで宿舎にドムルが乗り込んで来て、ルーアリアの頬を引っ叩いたあと、料理を床にぶち撒けながら怒鳴り始めたらしい。


「朝に食べ物を粗末にするなって言われたので…。私、今度はちゃんとしたごはんを作ったんですけど…それが全部…」


怒りから一転、悲しそうな顔を見せるルーアリア。


彼女なりに言葉を噛み砕いて、示してくれたのに。それを全部踏み躙ったドムルに少し怒りが湧いてくる。

彼女の勧誘を踏み躙っている以上僕も同類だというのに。


だけど、僕自身が手を出すのは筋違い。とりあえず、局長に話を通すことを約束した。

許可の下りてない宿舎に無断に侵入した上、ルーアリアに危害を加えたのだ。その上、食べ物まで粗末に。

ドムルには確実に罰が与えられるだろう。


「よし、じゃあ叩かれた方のほっぺ出してみろ」

「ちゅ、ちゅー!?」

「違う!」


ルーアリアをベンチに座らせ、赤く腫れた頬にヴェーチェの清水を流し当てる。

水の流れる音と、草むらから響く虫の声以外何も聞こえない静かな時間。

言うなら今か、と僕の考えを口に出す。


「…ドムルはありえないにせよ、若い冒険者と組んだ方がいいっていうのは正しいんじゃないのか?」

「嫌ですよ!バーツさんがいいので!」


即答だった。「なんで僕なんかを…」と言いかけたけど、以前この返しをした時に2時間に渡って僕の魅力を語られた(資料付き)のを思い出してやめた。


やっぱり道は、なるべく突き放して嫌われる以外にない。


「僕は君のことが嫌いなんだぞ」

「そうですか!私は好きですよ!」


ただ、相手が悪すぎる。

「またこんなことがあるかも知れないから、もう宿舎には来ない方がいい」とも言ったけど、見るからに効果薄だったし。


困り果てる僕をよそに、ルーアリアは一応医者に見せてくるので!と協会の医務室の方へと走り去って行った。


元気いっぱいな「また明日!」という言葉を残して。


「…本当にどうやったら嫌われるんだ」


1人、頭を抱える僕にヴェーチェの声が姿なく響く。


『ねえ…バーツさぁ、あんないい子弄んで良心とか痛まないの?』

「大激痛だよ!」


そして、痛いついでにヴェーチェに謝罪をする。


「…ごめん、明日腹痛でベッドから動けなくなるかも」

『なんで?』

「床に散らばった料理、食べないと」

『………………あのさ、そんなことするから嫌われないんじゃない?』

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