~愚問の柊~(『夢時代』より)
天川裕司
~愚問の柊~(『夢時代』より)
~愚問の柊~
微睡む呼笛(あいず)を空(くう)に識(し)りつつ俺の自体(からだ)は「電車」に乗っては降車(こうしゃ)をし続け、見知らぬ間(あいだ)に見知らぬ「駅」にて、家族を見送る手段を採った。斬新(あらた)の空虚が宙(そら)へと蹴上(けあ)がり、未知を訪ねる空気(しとね)に触れつつ暗夜(やみよ)の夜目(よめ)には未活(みかつ)に相(あい)せる無我など顕れ、一幻(ゆめ)を組め得る未順(みじゅん)の心理に聡明(あかり)を究(もと)めて一女(おんな)を抱き寄せ、幻(ゆめ)の信仰(めいろ)を終(つい)とも進めぬ脆(よわ)い化身(かわり)を自身(おのれ)に観て居た。気性の烈しいmonkの列(ならび)は白亜(しろ)い気色に透明ながらに、一幻(ゆめ)の真理を両掌(りょうて)に招ける明日(あす)の微動(うごき)を揚々観る儘、孤踏(ことう)の活気に生気を看破(みやぶ)る熱い奮起を既視(おおめ)に観たのは、白亜(しろ)い吐息に悶えを識(し)らない未活(みかつ)の自治(おさめ)に射止めた身である。一女(おんな)の正体(からだ)が堕落の盲者(もうじゃ)を延々繋げる無垢の自主(あるじ)に阿り続けて、正しい生果を未順(みじゅん)に知らない不透(ふとう)の主観(あるじ)に段々観たのは、自体(おのれ)の没我を感覚(いしき)に手向ける未動(みどう)の自主(あるじ)に相違(ちがい)さえ無く、自体(おのれのからだ)が白衣を纏える白体(からだ)と成るのは、未知に息衝く恋に究(もと)めた恐らく清閑(しずか)な双童(わらべ)であった。神の眼(め)に生く双(ふた)つ歪(まが)りの概(おお)きな〝巨躯〟には文言(ことば)の重味(おもみ)が世間に問えない一人(ひと)の労苦を相(あい)するからにて、醒めた瞳(め)をした無党(むとう)の同心(シンパ)は無己(おのれ)を失くせる術(すべ)を識(し)りつつ、白亜(しろ)い気色に悶々活き出す未来(さき)の下僕(しもべ)を操り出した。純白(しろ)い小敗地(アジト)が幻(ゆめ)を火照らす真逆(まさか)の〝一連(ドラマ)〟に自分を観る内、空気(しとね)に紛れた旧い信途(しんと)は未憶(みおく)の髄まで栄養(かて)を頬張り、白亜(しろ)い気色に共鳴(なげき)を図れる人間(ひと)の前途に掲げて見たのは、悶々振々(もんもんぶるぶる)、現代人(ひと)が死に往(ゆ)く旧来独白(むかしがたり)の内実(なかみ)であった。
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大学へ電車で向かって居るようだった。何人か友人、知人が乗って居たようだったが、内はっきりしていたのは二、三人程度。でも、その二、三人程度も誰なのか良く判らない。唯、(この二、三人の人達の事を)知っている、と言う気持ちだけが先行するのだ。
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無人の日(ひ)の掌(て)を行進するうち未知の伴(とも)など付き添いながら、電車の連窓(まど)から俺を観るのは俗悪ばかりの現代人(ひと)の悪気(あくぎ)で、一人(ひと)の目下(ふもと)に概(おお)きく見立てて自己(おのれ)の生果と活気を識(し)るのは、現行(いま)も未活(みかつ)に紐解き続ける夢限(むげん)の八頭(おろち)の虐待だった。容易(やす)い神秘(ふしぎ)を概(おお)きく観たのち旧い軒端は〝神秘(しんぴ)〟に埋(うず)もれ、明日(あす)と現行(いま)との恰好(かたち)の要局(あなめ)は未感(みかん)に覚(さと)れる臭味(しゅうみ)に在りつつ、自体(おのれ)の正味(あじ)から無言を統(たば)ねる諸刃の業(ぎょう)への対峙の一途(いっと)は、他(ひと)の思惑(こころ)に決して見定(さだ)めぬ希薄(うす)い文言(ことば)の問答だった。無理を通せず日々の景色に幻(ゆめ)の移りは比較を忘れて、どんどんどんどん未知へ跳び生く元気の姿勢(すがた)を構築しながら無駄を醒ませる無機の柔らに〝無重〟を見送る私算(しざん)を採った。俺の外観(かたち)は一光(ひかり)を忘れて無答(むとう)の感覚(いしき)へその実(み)を任され、明日(あす)の「無(む)」に咲く未知の自然(あるじ)を自主(あるじ)に見立てて矮小(ちいさき)を棄て、自然(しぜん)に即した能力(ちから)の矛先(さき)から一幻(ゆめ)に静まる未憶(みおく)を識(し)った。事始(こと)に対する生憶(きおく)の通底(そこ)から事始(こと)への集成(シグマ)は具体(からだ)を見せ付け、旧来独白(むかしがたり)の思惟の水面(みなも)に自体(おのれ)の光観(かたち)は透って映らず、事始(こと)の重点(おもき)が「自由」を腐らす真理(しんり)を決する人間(ひと)の所以(ありか)は、鍵を忘れた孤独の独人(ひとり)の壁に対する無行(むぎょう)を呼んだ。俺の背中はこれまで観て来た〝併せ鏡〟の映りに照り映え、微妙に呼吸(いき)する無言の所以(ありか)を宙(そら)に届ける白紙(こころ)に打ち据え、自分の周囲(まわり)の「自由」の形態(かたち)は未来(さき)へ運べる〝私運(しうん)〟を識(し)った…。漆黒(くろ)い宙(そら)から白壁(かべ)が壊れる神秘(ふしぎ)を取り添え旧来独白(むかしがたり)の迷盲(まよい)の内から〝女性(おんな)〟に見立てた自由を解(と)いては、白亜(しろ)い美体(からだ)を過程(ながれ)に弄(あそ)べる身塵(みじん)の還りを大手に突き立て、両脚(あし)の向くまま気持ちの向く儘、思惑(こころ)の流行(ながれ)に自然(じねん)を添わせる自己(おのれ)の所以(ありか)を本能(ちから)に識(し)った。若い男・女が人間(ひと)の流行(ながれ)を構築するうち未憶(みおく)の信理(しんり)は翌朝(あさ)を乱さぬ一幻(ゆめ)の憂慮へ徒歩徒歩(とぼとぼ)誘(さそ)われ、浅い眠りに不眠を見定(さだ)める俗世(このよ)の脆気(よわき)は一人(ひと)の臭味(しゅうみ)を良く良く発し、暗い果実にその実(み)を萎えさす女性(おんな)の活力(ちから)の成果(ゆくさき)等には、矮小(ちいさ)な自主(あるじ)が快楽(らく)を欲しがる無憶(むおく)の信義(しんぎ)が充満していた。女性(おんな)の罠には〝網目〟を抱(いだ)ける無数の四肢(てあし)が安在(あんざい)して居り、一男(おとこ)を捕まえ一幻(ゆめ)の餌食へ化身を観るのも、男性(おとこ)と一女(おんな)の遠い昔に嫌と言う程散々成されて、発狂(くる)う女性(おんな)に孤独な男性(おとこ)は自然(おのれ)を騙され発狂(はっきょう)して活き、俗世(このよ)に於いては何にも失くなる無粋の礼儀に無頼さえ観る…。過去の集体(シグマ)が俺を化(か)え行く強靭(つよ)い独義(ドグマ)を真っ向から観て、俺の周囲(まわり)は現代人(ひと)の寄らない〝旧い社(やしろ)〟が生茂(せいも)を儲けて、飽くまで俗世(このよ)が暗夜(やみよ)に咲き行く〝暗中模索の根城〟で在る等、…孤独の自然(おのれ)は現代人(ひと)を擁せぬ未知の領土を安泰にした。安泰して生く〝旧差(ふるさ)〟を講じる自己(おのれ)の幻想(ゆめ)には一個の化石が幻視(ゆめ)に逝くなど仮想の技術に安穏さえ識(し)り、自然(おのれ)の無垢から剛気(ごうき)を蹴散らす脆(よわ)い私算(さん)にて野獣(けもの)を飼った…。
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…そんなこんなで駅に着く。又、何処(どこ)の駅なのかはっきり分らず、夢の中の俺達だけはしっかり、はっきりと分って居る。改札口にて、切符を回収する駅員が居り、可成りの量の乗客がそこを通(とお)って行くのだ。改札口(そこ)を通る時、俺は真面々々(まじまじ)と自分が入った改札口に立って居た駅員を見た。その駅員の背は百七十五から百八十センチ在り、俺はその駅員がムカついた。皆、唯黙々と、同じ方向へ向けて歩いて行く。そう、東京駅の様(よう)でもあった。屋内の、駅と駅とを繋ぐ通路のような所を歩いて居た。
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純白(しろ)い身欲(みよく)が俺の目前(まえ)へと小躍(おど)り出し活き、未知を連れ添う乗客(きゃく)の姿勢(すがた)を人間(ひと)の流行(ながれ)に揚々組み込み、感覚(いしき)の断片(かけら)を無用の四肢(てあし)で散々廻して自信を抉(えぐ)れば、苦労の識(し)れない文言(ことば)の成果は〝社(やしろ)〟を見忘れ現行(いま)を逆上(のぼ)って、明日(あす)の〝宮(みやこ)〟へその芽を入(い)らせる不従(ふじゅう)の自主(あるじ)に心拍(ひびき)を識(し)った。女性(おんな)の塊(たまり)に自重を促す悪魔が隠れて、現代人(ひと)の衝動(うごき)に〝化身〟を欲しがる強靭(つよ)い身欲が常識(かたち)から抜け、五月蠅(あわ)い真昼(ひる)から化身(かわり)が跳び出す無音の従者をその実(み)に添えれば、一女(おんな)の〝掴み〟は宙(ちゅう)を漂う空気(もぬけ)の音頭を器用に承け取り、明日(あす)の活気を狂(きょう)に見送る無染(むせん)の仕種が興(きょう)を翻(ほん)じて、明日(あす)の鎖醒(さざ)めが肉体(からだ)を欲しがる無教(むきょう)の主観(あるじ)を凡庸(ふつう)にさえ観る…。無機の瞳(め)をした無効の一路(いちろ)に自己(おのれ)の両刃(やいば)は四肢(てあし)を連れ添い、男性(おとこ)と女性(おんな)の深い哀れに冒涜(あそび)を揮わせ小唄を嗜み、両足(あし)を揃えて自体(おのれ)の無様を嘲笑(わら)って生くのは、無刻(むこく)の一頂(とうげ)に自覚(おのれ)を与(あず)ける〝向き〟の諸刃(やいば)に相異(ちがい)が見得ない。無視の火照りは女人の〝名(な)〟を保(も)つ未知の道標(しるべ)に同情した儘、漂白(しろ)い畔(ほとり)にその実(み)を挙げ生く〝現代人(ひと)の生果〟に微塵の異(い)も無し、身憶(みおく)に尋ねる愚かな童児(どうじ)は事始(こと)を弁え腐乱して活き、不乱に競走(はし)れる双頭(ふたつのあたま)は未憶(みおく)に囀り事始(こと)へと死んだ…―――昨日の暗間(やみま)に器用が呼気(いき)する未完(みじゅく)の愚者には正義が寄らずに事始(こと)を見抜ける独人(ひと)の偏見(せいぎ)に一幻(ゆめ)を看破(みやぶ)る正規も保(たも)てず、青春(はる)の晴嵐(あらし)に愚解(ぐかい)を保(たも)てる未信(みしん)の凝(こご)りは具昧(ぐまい)を覚(さと)らせ、悪しき現世(このよ)を終(つい)まで観得ない奇妙な誉れを要途(ようと)に識(し)った…。
俺の感覚(いしき)はするする解(ほど)けて黄泉の理郷(くに)からふらふら還り、腹の空かない退屈(ひま)な日々へと生気を燃やして進んで入(い)った。女性(おんな)の気配は気色の許容(うち)にて降参して活き、両親(おや)が生き行く自然(しぜん)の経過(ながれ)を端正(きれい)に紐解き独歩(あゆ)んで行って、孤独と現代人(ひと)との針の筵に自覚(すべて)を巻き込み巣立って入(い)った。豪雨(あめ)の降(ふ)る中有頂(うちょう)へ懐ける俺の干物(ミイラ)は一幻(ゆめ)の輪舞曲(ロンド)を奏でながらに白体(しろいからだ)を夢遊に突き出す悪魔の個録(ころく)に孤独を感じ、昨日の感覚(いしき)に没頭して生く旧い一幻(ゆめ)から幻視(げんし)を観た後(のち)、幻想(ゆめ)の逆走(もどり)は徹頭徹尾の悪夢の同調(シンパ)へ張暮(ばっく)れ出した。余裕を培う寝屋の空間(すきま)に自己(おのれ)の言語(ことば)を総て洩らせる物憂い現世(げんせ)の美容の代(しろ)には、奇怪に蠢く未知の亡骸(がら)など現代人(ひと)の独義(ドグマ)の器用を発(た)たせて、罪を重ねる俺の姿勢(すがた)に釘を突き刺す哀れを睨(ね)めた。孤高に繋がる俺の覇気には未完(みじゅく)の残骸(むくろ)が塩水(みず)を欲しがり暑い日中(ひなか)を行方知らずの希薄(うす)い肉体(からだ)が未然を設けて、厚味(あつみ)を織り成す無言の私地(しち)には一端(はし)から返れる矛盾を見出せ、幻(ゆめ)の夜半(よわ)から無戒(むかい)を採り出す独人(ひとり)の〝勇者〟を思惑(こころ)に灯(も)った。身軽(かる)い気持ちに無垢が寄り着き日帰りにも成る童心(こころ)の共鳴(さけび)を独り清閑(しずか)に動悸を鈍(くも)らす未活(みかつ)の自主(あるじ)に快感さえ知り、断り続ける女性(おんな)の肉体(からだ)を宙(そら)に殺して干物(ひもの)にした後(あと)、俗世(このよ)の未完(みじゅく)が事始(こと)を騙せる余裕(ゆとり)の暴途(ぼうと)は完遂など観た…。奇妙に仰け反る女性(おんな)の精神(こころ)は汚(よご)れを着た儘、女性(おんな)に対して過保護に成り得た悪の主観(あるじ)は一男(おとこ)を自滅(ほろ)ぼし、男性(おとこ)の人群(むれ)から一女(おんな)を生殺(ころ)せる憂き世の習癖(ならい)は身塵(みじん)を堰き止め、哀れに過せる現世(このよ)の幻想(ゆめ)には不活(ふかつ)に仕舞(おわ)れる二性(ふたつ)が先立(さきだ)ち、感覚(いしき)を透して美識(いしき)を殺せる不毛の長者が先進して生く…。孤高の長者は短所を究(きわ)めて長所として活き、孤独と相(あい)する無機の自覚(あるじ)を自体(おのれ)の頼みに俯瞰する内、一幻(ゆめ)の脆(もろ)さに騙され始める不倖の自主(あるじ)の生果を儲けて、一幻(ゆめ)の感覚(いしき)の四肢(てあし)を縛れる無形(むけい)の肉体(からだ)を上手(じょうず)に象(と)った。純白(しろ)い小敗地(アジト)に灰雲(くも)が行くうち四季(きせつ)の経過(ながれ)は現代人(ひと)を見下ろし、無憶(むおく)の長者を伽藍に見送る発破の交響(ひびき)を成果(さき)に見送り、「明日(あす)」の形成(かたち)に習慣(ならい)を紐解く無為の主観(あるじ)に引き連れられた。
男性(おとこ)と女性(おんな)の事始(こと)の暗黙(やみ)には自覚(じかく)が放たれ、無効の景色にその実(み)を発狂(くる)わす浅い眠りに男性(おとこ)は流行(なが)れて、一女(おんな)の肢体(からだ)を分身(かわり)に誤魔化す二次の主観(あるじ)に幻視(ゆめ)を観た儘、明日(あす)の身欲(よく)から彷徨う呼笛(あいず)は現代人(ひと)の商魂(こころ)を激しく殺(や)った。漂白(しろ)い着流(ころも)は人を侮る手腕を講じて、自分の主張(はり)から本音の主張(はり)まで事細かに観る剣幕さえ立て、他(ひと)の主観(あるじ)が自分の主観(あるじ)に細かに沿(そぐ)わぬ自然(しぜん)を切っては、幻視(ゆめ)の逆走(もどり)に肉体(からだ)を火照らす無業の煩悶(なやみ)に疾走(はし)り始める…。〝無想の臣人(おみと)〟が行方を晦ます初夏(なつ)の震えは意気地を失くさせ、一娘(むすめ)の体躯(からだ)を然(しか)と数える暗黙(やみ)の手配に憤怒(いかり)を説いては、明日(あす)の空城(くるわ)が現代人(ひと)に懐けぬ〝斬新(あらた)な寝床(ねどこ)〟と代わって行った。
向きを覚(さと)らす主観(あるじ)の両眼(まなこ)は自己(おのれ)の思惑(こころ)を他(ひと)に覚(さと)せぬ不通の感覚(いしき)を傍(そば)へ遣っては、未解(みかい)の目下(ふもと)へ独人(ひと)を迷行(まよ)わす不理(ふり)の自然(あるじ)を経過(ながれ)に従え、独人(ひとり)の試(たの)みが相手を失(うしな)う純白(しろ)い宙(そら)には「自分」が浮き立ち、明日(あす)を跳べない他(ひと)との生絆(きずな)は希薄(うす)い文言(ことば)に臆する事無く、他(ひと)と他(ひと)とが私運(さだめ)に別れる無意(むい)の独歩(どくほ)を愛して在った。邪魅の威力が俺の目前(まえ)にて感覚(いしき)を保(たも)てぬ魅惑を誇り、一幻(ゆめ)の主観(あるじ)に一頂(とうげ)を波(わた)らす無応(むおう)の快無(オルガ)を優雅に棄(な)げれば、俺の美体(からだ)は意図(いしき)の前方(まえ)にて崩され始めて、一女(おんな)の肉肢(からだ)が望遠(なが)め始める男性(おとこ)の労苦は〝女難〟を見て採り、〝併せ鏡〟の旧い式には「悪魔が来たりて」涼風(かぜ)を起(おこ)せる。白体(しろいからだ)の一幻(ゆめ)に浮べる凡庸(ふつう)の根城は、幻視(ゆめ)を加味(かま)せて曖昧差を識(し)り、抑揚(あがりさがり)の烈しい不貞の快無(オルガ)に美識(びしき)を透して、古い根城の主観(あるじ)の目的(あて)には男・女(だんじょ)の煩悩(なやみ)が快活にも成る…。快活過ぎては二性(ふたつ)の画餅(もち)など空(くう)へ返され、寂れて滅気(めげ)ない気楼の美酒には〝勝敗〟付かずの真言(しんごん)さえ在る。不倖(ふこう)の音色(ねいろ)に美酒を注(つ)ぎ行く不覚が生じて、注(つ)ぐ水音(おと)には首(こうべ)を吟味(あじ)わう一興さえ止み、明日(あす)の二性(ふたり)に神童(こども)を儲ける無垢の過程(ながれ)の無開(むかい)の呼笛(あいず)は、死地に纏わる一幻(ゆめ)の許容(なか)から小躍(おどり)に発狂(くる)える〝若さ〟を観て居た。文言(ことば)の白壁(かべ)から希薄が生れて幻(ゆめ)の最中(なか)では純白(しろ)い大器(うつわ)に事始(こと)の陽気が清閑(しずか)に経過(なが)れ、明日(あす)の晴嵐(あらし)を孤独に訓(おし)える幻視(ゆめ)の諸刃を自明(じめい)に強いた。自己(おのれ)の孤独が暗夜(やみよ)の感覚(いしき)を凡庸(いしき)を微妙に気遣い今日の信仰(めいろ)に自主(あるじ)を養う純白(しろ)い高貴は段々気流(きなが)れ、脆(よわ)い温度が未完(みじゅく)に心構(かま)える無機の白体(からだ)は未用(みよう)に連れ添い、決まり切らない易い信仰(めいろ)に明日(あす)を信じて白砂を安(やす)める…。幻(ゆめ)を壊して暫くしたのち俺の文句(ことば)は孤踏(ことう)を尊(とうと)び、幻惑(まどい)の最中(うち)にて器用を相(あい)する無理の審理は絶対成らずも、自己(おのれ)の感覚(いしき)に苦業(くぎょう)を二重(かさ)ねる尊(とうと)い「明日(あす)」には自分が発(た)った。孤独の信理(しんり)が黄泉の範囲(うち)まで感覚(いしき)を通して、白体(しろいからだ)を吟味して行く無棒の自主(あるじ)は孤高に在らずも、黄泉の経過(ながれ)を宙(そら)に捉える無応(むおう)の気色は順風にも活き、男性(おとこ)と女性(おんな)の易い二性(ふたつ)の独歩(あゆみ)の成果(さき)には、何時(いつ)か観て来た厚い空気(しとね)の閏(うるう)に発(た)ち得る真実(まこと)が在った。
未知の夕べに未完(みじゅく)が冴え活き無数の主観(あるじ)の両腕(かいな)の側(そば)では、明日(あす)の形成(かたち)が俗に失(け)せ得る広い思惑(こころ)の〝偏見(せいぎ)〟が先行き、暗い夜から真横に流行(なが)れる幻想(ゆめ)の日元(ひもと)が牧歌を識(し)った。壊れて間も無い一幻(ゆめ)の初夜(よる)には文言(ことば)が気流(きなが)れ明日(あす)の傀儡(どうぐ)にふらふら成り着く主観(あるじ)の所以(ありか)は男性(おとこ)に気取れず、幻想(ゆめ)と現(うつつ)を静かに併せる目下(もっか)の作業(しごと)は、幻(ゆめ)の旧巣(ふるす)へ無礼に落ち着く不意の仕種に白紙(こころ)を割かれる、苦労の考図(こうず)に違(ちが)わないのだ。成人(おとな)の両脚(あし)にて意味を解(かい)せずとぼとぼ往くのは未覚(みかく)に寄らずに孤独を相(あい)せる古い形成(かたち)の孤独の自主(あるじ)で、昨日の寝室(ねむろ)に〝未順(みじゅん)〟を翻(かえ)せる自体(おのれ)の所以(ありか)はどんどん遠退く、奇怪な仕種を今日(きょう)へと識(し)った。一女(おんな)の自覚(かくご)が孤踏(ことう)を牛耳る初春(はる)の晴嵐(あらし)の独創(こごと)の問いへは、自己(おのれ)の全身(すべて)が端正(きれい)に片付く暗間(やみま)の仕切りが器用に経ち活き、初夏(なつ)の孤独に微妙を識(し)るうち一幻(ゆめ)の軌跡(はば)など素直に識(し)るのは、俺の小敗地(アジト)が空(くう)を引き裂く見様(みよう)の文句(ことば)を総理(そうり)に見て居た。幻(ゆめ)の総理は俺の肉体(からだ)を競歩(ある)く間際にくどくど保(たも)てる無用の信理(しんり)を偶像(かたち)に嵌め得る未想(みそう)を呈して、白体(しろいからだ)に一女(おんな)が活き着く無謀の暗黙(やみ)へと感覚(いしき)を見る内、宙(そら)の目下(ふもと)へ段々気化する幻夢(ゆめ)の道理を未潤(みじゅん)に観て居た。事始(こと)の概(おお)くを感覚(いしき)を解(かい)さず見送り生くのは幻視(ゆめ)の独義(ドグマ)が嗣業を遺棄する無踏(むとう)の自主(あるじ)の暗夜(あんや)の最中(うち)にて、孤高の目下(ふもと)が一幻(ゆめ)に喰われる一女(おんな)の偏見(せいぎ)の活力(ちから)の源(もと)には、俺に相(あい)せる白体(しろいからだ)が文言限(ことばかぎ)りの苦労をする内、幻想(ゆめ)の未憶(みおく)に空転(ころ)がり続ける夜半(よわ)の小敗地(アジト)を既視(おおめ)に象(と)った。無根の事実に幻惑(とまど)いながらに俺の精神(こころ)は一女(おんな)を見捨てて飽き性とも成り、我儘ばかりが無断に絶え得る未刻(みこく)の憂慮を詮索して居た。白亜(しろ)い暗転(まろび)に急所を得ながら束の間ながらの脆差(ぼろさ)を培い、〝あの日この日〟を一幻(ゆめ)では今日の孤独が静味(しずみ)を吟味(あじ)わう漆黒(くろ)い帳を噴笑(ふんしょう)して居た。女性(おんな)の体裁(かたち)が未覚(みかく)を臭わす旧い落ち度を俺に絶やす時、胸裏(むね)の真理(しんり)は心理を宿して孤高の渦中(うず)を体格(かたち)を取り付け、明日(あす)の両眼(まなこ)に夜目(よめ)を咲かせる残像(のこりのかた)から憤怒を失(け)せた…。
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…何時(いつ)の間にか、俺と母さんととっぽい天然の男とが、韓国へ行って居り、何処(どこ)か目的地へ向けて、天然の男と母さんは自転車で、俺は歩いて、向かって居た。まるであの「東京駅」を降りたら韓国(ここ)へ着いた、そんな感じだった。俺はその「韓国駅」に下りた時、周りの人・建物・看板のロゴや人々を取り巻いている生活の匂いが、全て韓国人、韓国人用に用意された物に見えて、これ等の環境が皆、今、自分達の横で色々歩いたり走ったりして居る韓国人用に用意された物に見えて、給仕淋しく感じて、先々(さきさき)行く天然の男と母さんに付いて行くのがやっとだった。
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無応(むおう)の両眼(まなこ)に蹂躙して往く現代人(ひと)の気色は俺から遠退き、白亜(しろ)い脆さに肢体(からだ)を火照らす俗人(ひと)の愚行(おろか)は罰を観ながら、器用に差し向く見様(みよう)の仕種は他(ひと)を蹴外(けはず)れ、旧来独白(むかしがたり)の自主(あるじ)に背ける「明日(あす)の文言(ことば)」に遠慮をして居た。児童(こども)の頃から宙(そら)に観て居た幻想(ゆめ)の塊(たまり)は微温差(ぬるさ)を従え、一幻(ゆめ)の火照りへ温度を手招く〝才色兼備の相(そう)〟を愛でつつ、一幻(ゆめ)の微温味(ぬるみ)が自重を識(し)るのを自体(おのれ)の理性(はどめ)にこっそり見て居た…。幻夢(ゆめ)の火照りへ自体(おのれ)を幻惑(まど)わす温度を従え未知の空気(しとね)に延命(いのち)を象る現行人(ひと)の一通(とおり)の流行(ながれ)の果(さ)きには、俗世(このよ)の一女(おんな)が希薄を相(あい)する黄泉の魅惑を充分従え、事始(こと)の行方に奇問を紛らす無垢の気色を揚々識(し)った。若い肢体(からだ)を陽気に火照らせ魅惑の体裁(かたち)に内実(なかみ)を象る「無頼」の目をした曲(きょく)の呼笛(あいず)の鼓舞に傅く既様(きよう)の美味には、無理を透せぬ無用の音頭の執拗(しつこ)い主観(あるじ)の気色を装い、無関(むかん)の〝日(ひ)〟を観る私欲(よく)を相(あい)した白亜(はくあ)の肢体(からだ)に、幻想(ゆめ)の衝動(うごき)を細(こま)かに観て取る武骨の進度(しんど)を平らにして居た…。白壁(かべ)の目前(まえ)での吐息の総てが俺の人陰(かげ)への聡明(かしこ)さまで知り、一幻(ゆめ)の幻惑(まどい)の柔らな範囲(うち)にも生気の断片(かけら)と有頂が在った。無名の自主(あるじ)が一幻(ゆめ)を頬張り理性(はどめ)の範囲(うち)から無言を掌(て)にして、朝な夕なに残香(におい)の漂う無為の許容(うち)にて独歩(ある)く間際に、俗世(このよ)の温度に意味を識(し)らない無臭の景色を何度も見詰めた。白亜(しろ)い人煙(けむり)が一幻(ゆめ)の目下(ふもと)で悪義を垂らして文言(ことば)を添え得る〝真っ向勝負〟の愚鈍の最中(うち)では「明日(あす)」の文句(ことば)が奥行(しげき)を欲しがり、昨日と今日とで意味を保(も)たない旧い気色の〝億万長者〟は、幻夢(ゆめ)の逆行(もどり)を端正(きれい)に呟く人群(むれ)の細(こま)かを希望(ひかり)へ問うた。俗世(このよ)に並べる無機に転じた女性(おんな)の群像(むれ)には余裕(ゆとり)の無いまま生気を欲しがる人間(ひと)の空気(しとね)が自由を見限り、自体(おのれ)の生気に暴れ始める無為の流行(ながれ)は奇妙を欲しがり、賭場の迷路を〝併鏡(かがみ)〟に突き出す幻想(ゆめ)の脆さを自戒に問う内、再び初めに神秘(しんぴ)を通せる無論の道化を律儀に採った。俗世(このよ)の労苦を相(あい)し続ける人間(ひと)の見定(さだ)めは純心(こころ)に生え発(た)ち、幻夢(ゆめ)の感覚(いしき)の透る最中(さなか)に男女(ひと)の見定(さだ)めは呆(ぼ)んやりしながら、漆黒(くろ)い宙(そら)から自由を保(も)ち出す孤踏(ことう)の足元(ふもと)は〝哀れ〟を乞い出し、一幻(ゆめ)の未完(みじゅく)を呪う時期(ころ)には俺の心理が開花を棄てた。他(ひと)の肢体(からだ)が無告(むこく)を聴き付け翌朝(あさ)の静味(しずみ)に実(み)を寄せ得る頃、所々で機先を牛耳る私欲(よく)の純度にその身を押し遣り、「明日」の旧巣(ふるす)へ無刻(むこく)を噴(ふん)する個人(ひと)の粗野から無限を引いた。漆黒(くろ)い経過(ながれ)は自己(おのれ)の未完(みじゅく)を逆昇(のぼ)れる内にて鈍(くも)った夜宙(よぞら)に一幻(ゆめ)を放れる無期の柔らをそのまま観て採り、〝併鏡(あわせかがみ)〟の映りの最中(なか)にて一女(おんな)の稚拙を揚々表し、一男(おとこ)と一幻(ゆめ)との未完(みじゅく)を蹴散らす煩悶(なやみ)の内(なか)にて、俗世(このよ)の限界(かぎり)を「黄泉」に映(は)やせる「真面の景色」を一幻(ゆめ)へと遣った。
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少しだけ嬉しいぞくぞく感。この「感じ」は後からやって来た。韓国駅を下りてすぐ右手にケーキ屋が日用品屋か、萬屋(よろづや)が、結構(かなり)大きな看板を掛けた店が在り、その洒落た黄色い看板には男と女が戯れ合うように付き合いながら、笑顔で居た。その男女も恐らく韓国人だった。それから四方(しほう)を見渡し、見える人・物・匂いが全て韓国用の物に見えたので、俺はまるでホームシックに掛かり、日本へ帰りたいという衝動に早くも駆られ始めて居た。不意に火病の男の事を思い出し、彼は良く中国や韓国、また北朝鮮の国境近くにまで行くが、こんな、今の自分みたいな気持ちに成らないのか?と不思議も在り、「凄いなぁ…」なんて感心もして居た。
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明日(あす)の文句(ことば)に「自由」を拵え、未覚(みかく)に萎え発(た)つ旧来(むかし)の自主(あるじ)は黄泉への一連(ドラマ)に一役買い出し、憂き世の一幻(ゆめ)へと自体(おのれ)を頼れる無期の主観(あるじ)に他(ひと)を見て取り、明日(あす)への孤独が何も産めない鼓舞の進化を鈍化に観て居た。小雨(あめ)の範囲(なか)まで機先の通れる孤高の晴嵐(あらし)は思春(はる)に訴え、幻(ゆめ)の自主(あるじ)に信仰(まよい)を保てる「黄泉」への進化は延命(いのち)は〝個人(ひと)〟を浮き彫り、「明日(あす)」の頃から形成(かたち)に成らない白亜(はくあ)の孤独は個室に萎え発(た)ち、漆黒(くろ)い一幻(ゆめ)には桎梏(かせ)を注ぎ込む自体(おのれのからだ)が白味(しらみ)を帯びた。自主(おのれ)の宙(そら)へと萎え始めて往く無垢の〝気質〟は無言を訴え、未知の掌(て)を取り〝無応(むおう)に倣える人身(ひとみ)の所以(ありか)は恥を訴え、自体(おのれ)を取り巻く初春(はる)の陽気は矛盾に満ち生く魅力(ちから)を紐解き、暗夜(よる)の空気(しとね)に呆(ぼ)んやり灯れる一幻(ゆめ)の火照りに感覚(いしき)を観て居た…。孤独の信仰(めいろ)は狭庭(にわ)に囁く宙夜(よる)の体裁(かたち)に、自体(おのれ)の早見(はやみ)を総身へ気取らす思春(はる)の文句(ことば)に募らせながらも、一幻(ゆめ)の感覚(いしき)にその身を沈める無垢の汗水(しずく)に呆(ぼう)っとして居り、逸りの気色に意図(はかり)を掛け得る未完(みじゅく)の行事に精通して居た…。
早い白雲(くも)には現実人(ひと)の自主(あるじ)が結託し始め、脆(よわ)い総身(すべて)を暗(やみ)へ募らす未知の知覚へ翻弄(かえり)を観たまま一人(ひと)の文言(ことば)を矢庭に信じる把握の坩堝に脆差(よわさ)を識(し)り付け、俺の白紙(こころ)に「未完(みかん)」を点(とも)らす無意(むい)の主観(あるじ)は未知を識(し)りつつ、未言(みごん)に懐ける滑稽(おかし)な一連(ドラマ)を宙(そら)へ呆(ぼ)んやり揃(なら)べて行った…。一幻(ゆめ)の宮(みやこ)を空想(おもい)に仕留める淡い自主(あるじ)の脱走等には、一人(ひと)の気色が漆黒差(くろさ)を纏える女人(ひと)の孤独を真面に観た儘、広い額(がく)から自己(おのれ)を観て生く五月蠅(あわ)い半月(つき)には性差を撰(え)り見て、一幻(ゆめ)の感覚(いしき)が自体(おのれ)を透せる空気(しとね)の軟裸(やわら)を端正(きれい)に識(し)った。一人前から十人前まで一幻(ゆめ)の大器(うつわ)を架空(そら)へ象(と)るうち幻(ゆめ)の断片(かけら)が地中へ埋れる夜半(よわ)の未完(みじゅく)を抑えながらも、事始(ことのはじめ)に〝倣い〟が纏める無用の気憶(きおく)は哀れを見出せ、信仰(まよい)の目下(ふもと)で感覚(いしき)が片付く不順な未来(さき)へと〝出方〟を見て居た。天声(こえ)に成らない理性(はどめ)の一声(こえ)には俺の〝自体(おのれ)〟が自来(じらい)に与(く)みする夜半(よわ)の仕組みに矛盾を見て取り、「明日(あす)」への経過(ながれ)が無用に長引く夢想(むそう)の辛苦は血相(かお)を化(か)え活き、空気(しとね)の〝思春(はる)〟から模造を蹴散らす〝散切(ざんぎ)り頭〟を無動(むどう)に据え置き、孤踏(ことう)の静味(しずみ)が身辺(あたり)を鈍(くも)らす識(しき)の所以(ありか)を既視(おおめ)に観て居た…。現代人(ひと)の密集地(アジト)が暗転(ころ)がる間際に「黄泉」への空気(しとね)は母性(はは)を呼び止め、〝火病〟を称する〝行方知らず〟を不毛の思惑(こころ)へすっと引き込み、明日(あす)の景色を異国へ観て生く「看板文句」を思惑(こころ)へ据え置き、理郷(さと)の旧差(ふるさ)に自体(おのれ)を培う微量の主観(あるじ)を通感(つうかん)して居る…。淡白(しろ)い孤独に浮橋から成る微量の狭筵(むしろ)は概(おお)きく開かれ、明日(あす)の孤独を「自由」に把(つか)める白亜(しろ)い主観(あるじ)は未知の憤怒に魂(たまり)を訴え、一幻(ゆめ)の伽藍(ほこら)に辛気を統(たば)ねる未知の体臭(かおり)は未順(みじゅん)に成り立ち、紺(あお)い瞳(め)をした目白(めじろ)の〝主観(あるじ)〟は一幻(ゆめ)の逆行(もどり)に自体(からだ)を合され、暗(やみ)の寝間へと未完(みじゅく)を仕留める幻夢(ゆめ)の猛火を自己(おのれ)に観て居た。幻(ゆめ)の業(ぎょう)へと嗣業を観るまま明日(あす)と現行(いま)との境界(はざま)は揺るがす自己(おのれ)の寝室(ねむろ)の無己(むこ)を翻(かえ)せる魅力(ちから)の所以(ありか)は憤怒の衝動(うごき)に微量に従い、肉体(からだ)の内(なか)から実力(ちから)を報せる無意(むい)の褒美の温味(ぬくみ)の初端(すそ)には、初めから無い憂き世の魂(たまり)が現代人(ひと)を葬り伸びをして居た。
現行人(ひと)の信義を厳格(ゆめ)に吃(ども)らす未滴(みてき)の心理は一向(むき)に変らず、自己(おのれ)の葦から我夢(がむ)を噛み生く向きの一進(すすみ)を無己(あるじ)に睨(ね)め付け、幻(ゆめ)の葦へと四肢(てあし)を伸ばせる俗の憂慮は伽藍(がらん)を観た儘、文言(ことば)を換え行く無意(むい)の自主(あるじ)は旧来独白(むかしがたり)の華厳に在った。白亜(しろ)い人煙(けむり)に未来(みらい)が残され曖昧ながらの儚い感覚(いしき)が黄泉の許容(うち)より飛散して活き、純白(しろ)い傾心(こころ)が敬愛して行く無垢の屍人(ゾンビ)は俺の背後へふらりと失(き)えた。厚い清閑(しじま)に美識(びしき)を発する無垢の希望(ひかり)は苛々しながら、編集(あつまり)さえ無い黄泉の彼方に有夢(ゆめ)の翻(かえ)りは怒涛を識(し)らずに、何の役にも立てない疎らが俺の巷に無造に残され、〝自己中〟ばかりが勝利を収める堕落の田舎が屹立(たちつく)して居る。確立(たしかにた)ち生く無毛の多さに覇気が燃やされ、破れ被(かぶ)れの凡庸(ふつう)の現代人(ひと)から一幻(ゆめ)を皆殺(ころ)せる悪夢が発(た)っては明日(あす)の目的(さかな)を自由に捜せる個人(ひと)の四肢(てあし)は生気を得られず、元在るべき人生(みち)―即ち根城は他(ひと)の身欲(よく)から不要に覆われ、在る事無い事ごちゃごちゃ言い合う愚行(おろか)な進歩へ邁進して生く。稀有の零れが夢想(むそう)の温度を懐(おく)へ遣る頃、一幻(ゆめ)の「目醒(めざ)め」は直近(ちか)い生憶(きおく)へ埋没させられ、幻想(ゆめ)と両肢(りょうし)の無憶(むおく)を識(し)るのについとも成し得ぬ未来(みらい)を識(し)った…。鈍(くも)る夜宙(よぞら)に羽虫(はむし)が跳ぶうち未憶(みおく)の憂慮はごまんに拡がり、一幻(ゆめ)を先象(さきど)る〝鉄砲水〟から斑(むら)の境界(はざま)を〝感性(さが)〟を象(かたど)り色付き生くのだ。淡麗(きれい)な夜目(よめ)から未言(みごん)を語らう未知の僕(しもべ)の連立面では、幻夢(ゆめ)の逆走(もどり)が終る間も無く感覚(いしき)を跳び発(た)ち、無言の許容(うち)にて感性(さが)を翻(かえ)せる身欲(よく)の従順(すなお)を自然(あるじ)に彩(と)った。純白(しろ)い夜宙(よぞら)を羽ばたく頃にて未覚(みかく)の憤怒は徒党に在りつつ、思惟の延びにて成果(さき)を彩る無機な一男(おとこ)を認識した儘、夜宙(そら)を漂う無垢の一瞳(ひとみ)は感覚(いしき)に騙され無意(むい)まで観て居た。「臆する者には悔いのみ残る…」と、活きる屍(かばね)へ連立しながら俗世(このよ)と現世(うきよ)の境界(はざま)で浮き発(た)つ白亜(しろ)い理性(はどめ)が女性(おんな)を知り寄せ、自体(おのれ)の無意味に指導を損なう一幻(ゆめ)の自主(あるじ)は鼓動に従い、一服して生く二性(ふたつ)の双頭(おろち)を無意(むい)に任せて顧みるのは、俺の白紙(こころ)を器用に擡げる常の晴嵐(あらし)の活力(ちから)であった。活力(ちから)の水面(みなも)に魅力(ちから)が湧き立ち、不意に翻(かえ)れる私欲(よく)の独義(ドグマ)は見様(みよう)に識(し)り生く伽藍の実力(ちから)を自体(おのれのからだ)へ惚(ぽ)んと示せる無為の所以(ありか)を良く良く拵え、明日(あす)の旧巣(ふるす)を初夏(なつ)に導く少年(としのはなれたじぶん)を彩(と)っては、無散(むさん)に散らばる酸味の総てが白紙を拡げる「明日(あす)の信仰(めいろ)」へ靡いて入(い)った。苦労性にはほとほと保(も)てない〝意味〟の成る実(み)は宙(そら)を仰いで、自己(おのれ)の偏見(せいぎ)を我執(つつみ)へ鈍(くも)らす無覚(むかく)の所以(ありか)は罵倒に耐え貫(ぬ)き、旧い空気(しとね)に灰汁を識(し)るのは無残に飛び散る勇気の華にて、空気(しとね)ばかりが匂(かおり)に名高い無知の空城(くるわ)に密接して居た。
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しかし、自分も同じ様(よう)に旅をして廻りたい、と矢張り思って居り、そうする事に決めて居た。夕方を思わす昼過ぎの十四時頃で、町並みは橙色したセピアに少し変わって行く様子が見えて、天然の男と母はてくてく何処(どこ)か田舎の郊外へと行く様子で、俺は付いて行くのがやっとという所であった。俺達が始め着いた駅から見た韓国の街中とは、都会である。
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無言に息衝く旧い哀れの進化と一緒に、俺の精神(こころ)へ辿り着き生く滑稽(おかし)な〝魔除け〟は邪魅を寄せ生く無徹(むてつ)を庇い、初めから無い無機の活気は白亜差(しろさ)に跨る空気(しとね)に遣られて、一幻(ゆめ)の文言(ことば)に尽きぬ本音を事始(こと)の終りに充分観て居た。現代人(ひと)の信仰(まよい)が邪悪を引き連れ無音に果てれば幻夢(ゆめ)に間近い思春(はる)の活気が暴走して生く高貴を見せ付け、苦労の形跡(あと)から無用を省ける一幻(ゆめ)の音頭は落調(らくちょう)しながら、〝一瞳(ひとみ)〟を保(も)て得る暗黙(やみ)の信仰(めいろ)を電子に基づけ真実味(しんじつみ)を観た…。吟味(あじ)を占め得る無用の活気は俺の肉まで脚色して活き、昨日と今日とで事始(こと)を成せない未用(みよう)の自主(あるじ)を宙夜(ちゅうや)に観たが、透明色した〝現代人(ひと)の主義〟には悪魔に満ち生く我欲が満ち足り、自分の完璧(かべ)には「不足」を識(し)れない拙い自主(あるじ)の個体の渦など、意味を欲しがり徹する人輩(やから)は不満を盾へと馴らして行った…。
夢我(むが)の経路(みち)にて自己(おのれ)の生気を生活から観て、一重(ひとえ)の温度を「厚み」に見て取る白壁(かべ)の古差(ふるさ)をその掌(て)に採っては、無垢の帽子を深々被(かぶ)れる夢想(ゆめ)の自主(あるじ)へ謙遜して生く荒野の順路を既視(おおめ)に観て居る…。器用に蔓延る旧来(むかしながら)の孤踏(ことう)の音頭は、無知に棚引く自活(かて)に読み取る不乱の上気に伸展して居り、明日(あす)の一幻(ゆめ)から現行(ゆめ)を遮る無謀の〝自主(あるじ)〟を遠方(とおく)に観て立ち、昨日ばかりの概(おお)きな幻夢(ゆめ)には再起を装う至順(しじゅん)が在った。旧(ふる)びた背中に他(ひと)の哀れをずっと引いては、可成りの人目(め)が在る無造の都(まち)にて青白(しろ)い孤独が連綿(れんめん)して在り、明日(あす)の自体(からだ)を大器(うつわ)に自在が合さり、人群(むれ)を養い構築して生く透った残骸(むくろ)は釣れない儘にて筵と筵を相違に採れない強靭(つよ)い寒気(さむけ)が挽歌を識(し)った。「当てが無い」のを当てと呼び付け、純白(しろ)い性器(うつわ)へ真横に通れる男女(ひと)の脆差(もろさ)は俗世(このよ)に蔓延り、無視を通して結託し得ない俺と女性(おんな)の不動の地位には、無解(むかい)の独義(ドグマ)が自活(かて)を窄める不屈の主観(あるじ)を解体した儘、幻視為体(ゆめたらく)に恋を見付ける脆(よわ)い実力(ちから)が半明(はんめい)して活き、孤高の自主(あるじ)を自分に見付ける〝向きの主観(あるじ)〟は四肢(からだ)を保(も)たずに今日と明日(あす)とを迷走(はし)り続ける不問の自然(あるじ)を揚々採った。人群(むれ)の自主(あるじ)を揚々採った。人群(むれ)の自主(あるじ)が宙(そら)を飛びつつ滑稽(おかし)な妄想(おもい)に利己を見たのは旧来(むかしながら)の打算の渦中(うず)から一端(はし)に纏わる無様(むよう)で在って、片時から成る一幻(ゆめ)の重点(おもき)に常を観たのは、旧来(むかしながら)の独白(かたり)の縁(ふち)への未言(ことば)の呼笛(あいず)の揺蕩(ゆらぎ)であった。未知の清閑(しじま)に愛想を尽かせる無用の事始(こと)には「明日(あす)」に活き得る心理の像(ぞう)から無言で翻(かえ)れる八頭(おろち)が根光(ねびか)り、漆黒(くろ)い八頭(あたま)と紺(あお)い一頭(あたま)が宙(そら)へ留(と)まれる無造を介し、幻想(ゆめ)への火照りを虚無に任せる無幻(むげん)の自主(あるじ)が尊く成った…。貴重の瞳(め)をした幻(ゆめ)を見定(さだ)める脆差(もろさ)の体(てい)には、一幻(ゆめ)の自覚(かくご)を自己(おのれ)へ見詰める夢目(むめ)の境界(はざま)を概(おお)きく象(と)り出し、厚い白壁(かべ)から身重を引き出す一幻(ゆめ)の一通(とおり)は〝挽歌〟を練り出し、明日(あす)の目下(ふもと)へきちんと羽ばたく孤高の漆黒差(くろさ)を翳した信仰(めいろ)は、暗黙(やみ)の間(ま)に間(ま)に過せる禿(かむろ)を奥義(おく)へ幻見(ゆめみ)て延ばされ始める…。〝未憶(みおく)の眼(め)〟を識(し)る無音(おと)の背後の苦労の末路(みち)には、都会と田舎の音頭を見紛う現行人(ひと)の感覚(いしき)が常時現れ、無知の柔裸(やわら)に終ぞ遺れる〝意味〟の感覚(いしき)が美しかった…。
*
…可成りの人が俺達の周りに居た。自転車に乗る者、歩く者、車に乗る者、店で物を売る者、露天商、老若男女、様々な韓国人が居た。その時の俺にはそう見えた。俺はそれ等の人・後継・情景を観ながら「やっぱり全部、皆、韓国人やろなぁ…」なんて当り前だがその時の〝ホームシックに罹った俺〟には結構ダメージが在る思いであって、そう思うと、又淋しく成った。天然の男と女とが唯一の自分の拠り所として認(みと)め、この唯一から絶対離れたくないとしながら黙って付いて行く。そんな時に周りの韓国人の表情(かお)を見ると、一見、優しそうであるが、気味の悪い(鼻の下を伸ばしたような)笑顔で微妙に笑って居たのだ。
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孤踏(ことう)の揺蕩(ゆらぎ)に未知を及ぼし無毛の所以(ありか)を生憶(きおく)に延ばせる「雲母」の間延びを認(みと)めて居ながら、一幻(ゆめ)の両腕(かいな)は密かな静味(しずみ)に自体(おのれ)を相(あい)し、翌朝(あさ)の寝床に揺蕩(ゆらぎ)を相(あい)せる微温(ぬる)い〝果実〟にその実(み)を観て居た。俺の純情(こころ)が現行人(ひと)に惹かれて無欲を識(し)るうち一幻(ゆめ)に集まる無頼の目的(さかな)は〝決め手〟を得られず迷走して居り、行く行く萎え生く〝一重(ひとえ)の笠〟には未有(みう)の気色が逆行(もどり)を識(し)らずに、逸る純心(こころ)を自体(からだ)に餌付ける無様(むよう)の大器(うつわ)を概(おお)きく知った。既往(きおう)の漆黒差(くろさ)に心身(からだ)を入(い)らせる始終の〝哀れ〟は俗世(このよ)へ向かわず、一幻(ゆめ)の景色に無聊を一重(かさ)ねる稀有の感覚(いしき)はほとほと解(ほぐ)され、意味を解(かい)する感覚(いしき)の側(そば)では〝見様(みよう)〟の偏見(せいぎ)が他(ひと)に零れる自然(あるじ)の感覚(いしき)が通せんぼをした。一幻(ゆめ)に片付く見様(みよう)の自主(あるじ)は一明(あかり)に近付く自明(じめい)を得たのち不意の司業(しごと)に精(せい)を落さぬ不要の自然(あるじ)が文句(もんく)を引き連れ、明日(あす)の垂(た)るみに自重を重ねる現代人(ひと)の希薄の矮小(ちいさ)な生気は、俺の文言(ことば)を鵜呑みに出来ない僅かな気迫を人群(むれ)の自覚(かくご)へ葬り始めた。牛歩の態(てい)した女性(おんな)の不埒は俺の夜目(よめ)から逃れ始めて、一角(かど)の立たない脆(よわ)い音波を人生(みち)に携え自然(あるじ)と化した。自然(しぜん)の気運(はこび)に転倒(まろび)を配(あやつ)る不適(ふてき)の独義(ドグマ)は郷里を乖離(はな)れて児(こども)に紛れて、白亜(しろ)い空城(くるわ)に徒党を組ませる神秘(ふしぎ)の八頭(おろち)を棒立ちにもした。惨い自覚(おぼえ)を夜宙(そら)へ突き差す〝小さな日傘(かさ)〟には連呼が先立ち、無名の広場に自明を配(あやつ)る無理の輪舞曲(ロンド)は欠伸した儘、奇妙の間近に「対(つい)」を成せない空気(しとね)の初春(はる)から導き出すのは、黄泉に片付く現代人(ひと)の信義の灰汁の両刃(やいば)の理(り)である。白亜(しろ)い気色が文句(ことば)を忘れる故意の主観(あるじ)は「堀」を観た儘、人体(ひとのからだ)を劈き配(あやつ)る労苦の小敗地(アジト)に理想を掲げて、幻(ゆめ)の畔へ自明を重ねる神秘(ふしぎ)を灯せる滑稽(おかし)な演技は、不意の夜宙(よぞら)へ〝感覚(いしき)〟を画せる理郷(りきょう)の一敗地(アジト)の狂言だった。〝孤狼(ころう)〟の還りは概(おお)きく延びない…。自明の思惑(こころ)が夜霧に畳まれ暴力(ちから)の所以(ありか)を終(つい)とも見せない未覚(みかく)に揃えた寝間(ねま)の内(なか)でも、奇妙に羽ばたく旧来(むかし)の独裁(ドグマ)は寝屋の限度(かぎり)に幸福(しあわせ)だった。純白(しろ)い気色が一人(ひと)の思惑(こころ)に微妙と訪れ自己(おのれ)の葦から無言に羽ばたく旧来独白(むかしがたり)の連立(たて)の許容(なか)では〝意味〟を解(かい)さぬ一幻(ゆめ)の自主(あるじ)が〝黙示録〟を観て、空腹ながらに男・女(だんじょ)を弔う「白壁(かべ)」の強靭差(つよさ)を真面に識(し)った。蹂躙され生く独人(ひと)の偏見(せいぎ)は真向(まとも)に失(き)え活き未知と現(うつつ)の幻(ゆめ)の最中(なか)にて孤島(ことう)を蝕む人群(むれ)を観て居り、空気(しとね)の思春(はる)へと自体(おのれ)を失(け)し得る無根の小敗地(アジト)は無口を切り裂き、一幻(ゆめ)の事始(はじめ)に見境無くせる白体(からだ)の統(すべ)てを野晒(のざら)しにもした…。人間(ひと)の概(おお)くが焦がれ続ける〝孤独の王者〟の貫禄等には、幻視(ゆめ)の行方を器用に紛らす一男(ひと)の見定(さだ)めを演じて焚き付け、〝併鏡(あわせかがみ)〟に〝曖昧(びみょう)〟を気取らす旧来(むかしながら)の「微妙」の寸法(サイズ)は、二次の絵図から旧(むかし)を弄(あそ)べる空気(しとね)の如くに淡麗(きれい)で在った。黄泉の旧(むかし)へ自分の自明(あかり)を概(おお)きく貫く幻視(ゆめ)の震度は端正(きれい)を着飾り、事始(ことのはじめ)に〝見境〟失(な)くせる思春(はる)の強靭味(つよみ)の一連(ドラマ)の経過(ながれ)は〝器用〟の教句(きょうく)に諭されながらも、初めから無い無知に観え生く〝信徒〟の内には、俺の背後(うしろ)へ隠れ続ける五月蠅(あわ)い清閑(しずか)を憶えながらも無言の〝華〟にて自体(おのれ)を失くせる、世渡り不得手の未完(みじゅく)を観て居た…。一幻(ゆめ)への自覚(かくご)は腰が砕ける孤独の晴嵐(あらし)に一幻(ゆめ)の未完(みじゅく)が大宙(そら)を見上げる空気(しとね)の強靭差(つよさ)を墓に化けさせ、一通(とおり)に咲けない神秘(ふしぎ)の分岐(えだ)には誰も識(し)れない柘榴が蠢き、紅(あか)い気色は自体(おのれ)を劈く歯軋(きしり)の振動(うごき)に連動(うごき)を観た儘、清閑(しずか)な墓地にて俗世(このよ)を葬る〝乖離(はず)れた吐息(といき)〟を密かに保(も)ち得た…。
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…男も女も、笑う奴は笑って居た。しかし決して全員では無かったように記憶する。店を見ても「これも全部韓国人用なんやろなぁ」等と思い淋しく心細く思って居た。街中の至る所から男女が発する韓国語が聞えて居た。
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無形(かたち)の静(しず)みに幻視(ゆめ)を統(たば)ねる無名の自主(あるじ)は擬音を培(やしな)い、未知と現(うつつ)の端正(きれい)の夕べに曰くを付け得る衝動(はたらき)さえ見て、幻視(め)の脆差(もろさ)を器用に畳める旧来独白(むかしがたり)の真理(しんり)の範囲(うち)から、途切れ途切れに自我を含める未闘(みとう)の暴嵐(あらし)が嘲笑(わら)って在った。事始(こと)への審理が丁度好いまま幻視(ゆめ)の無形(かたち)を採取する内、幻(ゆめ)の空気(しとね)に纏い付き得る未覚(みかく)の進理(しんり)が浸酔(しんすい)して活き、苦労を片手にな直治(なおじ)を働く孤軍の憂慮は未踏(みとう)に赴き、真昼(ひる)にも真夜(よる)にも白体(からだ)を観(み)せない不利な理屈を一杯採った…。無幻(むげん)の自主(あるじ)が身軽を連ねて幻(ゆめ)の縁(ふち)へと連立して生く〝monkの姿勢(すがた)〟を空気(そら)に見て取り、軟い体裁(かたち)が内実(なかみ)を連れ添う暗夜(よる)の景色がぐら付き始めて、幻物語(ゆめがた)りで文言(ことば)を解(かい)する無音の空間(すきま)に「自由」を観て象(と)り、俺の分身(かわり)は恰好(かたち)を突き出す一幻(ゆめ)の主観(あるじ)を沸騰させ得た。明日(あす)の日下(ひもと)へ概(おお)きく語れる無幻(むげん)の共鳴(さけび)は無知を頬張り、新規に基づく黄泉の景色は黄金色した蜃気に巻かれて、無意(むい)に運べる私運(しうん)の流行(ながれ)は瞬間(とき)に雪崩(なだれ)て未覚(みかく)を蹴忘(けわす)れ、厚い静寂(しじま)の〝白壁(かべ)〟に汚れる神秘(ふしぎ)の魅力(ちから)を概(おお)きく魅せ得る輪舞曲(ロンド)を識(し)った。個体(からだ)の大きな宙(そら)の一舟(ふね)には初めから無い無為の理性(はどめ)が機転を従え他(ひと)を振り分け、未完(みじゅく)の日下(ひもと)に捏造して生く孤独の主観(あるじ)は現代人(ひと)に紛れて現代人(ひと)を葬り、慌て眼(まなこ)に漆黒差(くろさ)を緩める孤踏(ことう)の僕(てした)が音頭を執った。無駄な感覚(いしき)を夢遊に弄(あそ)べる蜃気の弾みは陽(よう)に概(おお)きく、結局身欲(よく)から暴力(ちから)が成り生く若い獅子には理性(はどめ)が利かずに、若い奴等が余裕を幻見(ゆめみ)る無人(ぶじん)の日の掌(て)に奈落を表す一幻(ゆめ)の主観(あるじ)は無心を掌(て)に採り、哀れな俗世(このよ)を堂々巡れる旧い貴志(きし)から宙(そら)へ溺れた…。孤独と未知とが音波を外れて遠い死地より無言の彼方へ理知を運んで呑々(のうのう)居ながら、文言(ことば)の限界(かぎり)に無欲が漂う個体(こたい)の意味から無音を取り去り、漆黒(くろ)い自覚(かくご)が宙(ちゅう)を飛び交う一幻(ゆめ)の一通(とおり)に失墜して居た。失調して生く幻覚(ゆめ)に溺れた無欲の大泣(なみだ)は、過去(かこ)の涼風(かぜ)から悶絶したまま純白(しろ)い孤独に我が実(み)を添え得る真白(しろ)い闘気(とうき)を凡庸(ふつう)に観て居り、無駄に燥げる無知を兆した一局(ひとつ)の事始(こと)には、「明日(あす)」への進化が煩悩(なやみ)を告げ行く無類の鈍化を袖にする内、密かに概(おお)きく羽ばたく人渦(うず)には一幻(ゆめ)の孟夏が晩夏を識(し)った。手提げ袋が鞄と成りつつ不意の「明日(あす)」には過去(きおく)が活き着け、旧い空虚に責められ続ける不敵の笑みには転倒(まろび)が遠退き、瞬間(あいだ)に陥得(おちう)る一重(ひとえ)に捌ける二性(ふたつ)の人影(かげ)には、最初から無い孤独の規定(ルール)が狭筵(むしろ)に運ばれ短く跳んだ。他(ひと)の貌(かお)から黄泉へ傾く一閃(ひかり)が差し込み、斬新(あらた)な要局(かなめ)を未完(みじゅく)に観て採る神秘(ふしぎ)の独裁(ドグマ)は器用に成り立ち、一通(とおり)の頭角(つの)へと幻(ゆめ)を観るまま旧(むかし)に阿る生憶(きおく)の性(さが)には、現行(いま)の姿勢(すがた)に自己(おのれ)を見て象(と)る模造の遊(すさ)みが透って行った。暗夜(くらいよる)から確実(たしか)な一閃(ひかり)が真横に遠退き、宮(みやこ)の許容(うち)から流言(ことば)を集める無知の要素は無音を廃(はい)され、自体(おのれ)の感覚(いしき)を路宙(ろちゅう)へ束ねる不意の音頭は一女(おんな)に等無く、女性(おんな)の自主(あるじ)は肉体(からだ)を丸めて俺から遠退く不通の衝動(うごき)を四肢(てあし)に採った。無音の一瞳(ひとみ)は自主(あるじ)を透して文言(ことば)を慎み、可能の限りで身欲(よく)を操る一女(おんな)の気色は軟裸(やわら)に寝て在り、信仰(まよい)に飽き足り気付かぬ振りして四肢(てあし)を牛耳り、自体(おのれ)の匣から煩悩(なやみ)を引き取り主観(あるじ)に発(た)つのは、無心を眼(め)にして教会(かい)を計れる無信(むしん)の聖者の生贄だった…。俺の幻覚(ゆめ)から透明色した肉体(からだ)が仕上がり一幻(ゆめ)の呼笛(あいず)に暗転(ころ)げ始める「無活(むかつ)の眼(め)」をした暗夜(くらいよる)には、白体(しろいからだ)が美容の肢(し)を操(と)る哀れの瞳(め)をした一女(おんな)が突き出て、場末の一敗地(アジト)で肉体(からだ)を廻(まわ)せる最期の景色を楽しみ出した…。
女性(おんな)の一体(からだ)は黒く汚(よご)れる俗世(このよ)の残香(におい)で充満して在り、一男(おとこ)の手数(かず)から男性(おとこ)を講じる紅(あか)い果実の不貞の実(み)を採り、蛇(あくま)の標(しるべ)に大空(そら)を観る儘〝色欲流者(しきよくりゅうじゃ)〟にその実(み)を染め行く〝無人(むじん)の伽藍(はいきょ)〟へ女体(からだ)を与(あず)けて、旧い野菊にその芽を観て取る「黄泉」の一通(とおり)を俯瞰した儘、孤高の一打(いちだ)を宙(そら)へ相(あい)せる無己(むこ)の童女(あくま)を拝して在った。電子の〝繋ぎ〟に黒体(からだ)を失(な)くせる少女の幻視(ゆめ)には、明日(あす)の孤独が身欲(よく)へ突き出す不穏の深化の哀れであって、暴力(ちから)と我欲(よく)とが一男(ひと)を幻惑(まど)わせ活き続けるのは、俗世(このよ)の目下(ふもと)で月光(ひかり)を保(たも)てる〝日陰(かげ)の主観(あるじ)〟の残悔(ざんかい)でもある。無数の日(ひ)の粉(こ)に一幻(ゆめ)を疎まれ最初(はじめ)に相(あい)した異性(さが)の温味(ぬくみ)は現(うつつ)に清める微温(ぬる)い粗末に肉体(からだ)を透して心機に頷き、暗い路地への幻夢(ゆめ)の一角(かど)から無機を照らせる紫陽(しよう)が拡がり、一幻(ゆめ)の一通(とおり)へ信仰(まよい)を観るのは常に独りの俺でもあって、文言(ことば)の遅延(のろさ)に自由を頬張る現行人(ひと)の小敗地(アジト)に自活が発(た)った。瞬間(とき)の揺蕩(ゆらぎ)に信理(しんり)を紐解き野生の塒を襲って生くのは時刻(とき)に対する自己(おのれ)の暴嵐(あらし)が身欲(よく)を見定め乱畜騒乱(らんちきさわぎ)に、幻(ゆめ)の目下(ふもと)を同行して生く無味の自明(あかり)が端正(きれい)に在った。昼下がりの瞬間(とき)、俺の頭上(うえ)には漆黒(くろ)い人煙(のろし)が宙(ちゅう)を漂い景色を煩い、如何(どう)でも良く成る俗世(このよ)の交響(ひびき)に延命(いのち)が削られ蒙昧足る儘、純白(しろ)い精神(こころ)に象り始める無縁の教句(きょうく)を暗夜(よる)に観て居た。精神(こころ)の共鳴(なげき)が身塵(みじん)を引き連れ病み生く最中(さなか)に俺の背後で概(おお)きく伸び生く不毛の景色は老衰して活き、老衰したまま男女(だんじょ)が蔓延る軟い荒野(こうや)は浪漫を観た儘、旧い論議に白雲(くも)を隠せる空気(しとね)の未憶(みおく)に矛盾を識(し)る後(のち)、上手く盗(が)め生く無数の日(ひ)の掌(て)を無刻(むこく)に識(し)った…。
*
…そんな中、結構大きな交差点を天然の男、母、俺で渡る事に成った。対岸迄の距離が可成り遠いのである。夥しい量の車が赤信号で止まって居た。今渡って居る歩行者用信号が赤に成れば、車は皆、一斉に動き出すだろう。矢張り、車に乗って居る男女も鼻の下伸ばしてあのニンマリとした、少々優しく見えるが少々不快な笑みを浮べて居る。俺達を出迎える余興の笑顔にも見えて居た。天然の男は以前に韓国へキムチを食べに来て居り、旅行も何度かして居た為、俺達二人(俺と母)よりは少慣(こな)れた様(よう)に街中を比較的すいすい泳ぐように先へ行き、少々「好いなぁ…」と思わせてくれたものだった。
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矛盾の空気(しとね)に大きく拡がる夜目(よめ)の大器は俺に仕上がり、男・女(だんじょ)の横手(よこで)で段々干上がる矛盾の景色を素手に据え保(も)ち私欲(よく)の未覚(みかく)を至順(しじゅん)に連れ添う虚無の挙句に無理をした儘、我欲を通せる男女(ひと)の明朗(あかり)は宙(そら)に運ばれその実(み)を劈く、無謀の概句(おおく)を心中(こころ)に留(と)めた。暗い路地から人目に出れない〝体裁悪(わる)し〟の俺の虚無には、無言の巨人(おみと)が空間(すきま)から漏れ一幻(ゆめ)の生憶(きおく)へ相(あい)して生くのを、孤独の砂地に悶々して居る〝矛盾〟を皆殺(ころ)せる俺の無欲は傍観した儘、漆黒(くろ)い黄泉から「無理」を退(しりぞ)け人へと差すのを安全足るまま静観(せいかん)して居る。安観(あんかん)して生く宙(そら)の高嶺に雪が降(ふ)り落ち、無機の空気(しとね)に男女が通るを自然の許容(うち)にて観測する後(のち)、明日(あす)の旧巣(ふるす)へ胴(どう)が飛び交う短い幻覚(ゆめ)からほろんと醒めた。目醒(めざ)めた俺には無効の温度が男・女(だんじょ)を象り俗世(このよ)の生気と自分の覇気とを終(つい)に透るも斡旋出来ない「無言の雰囲気(くうき)」を信じた儘にて、女性(おんな)の不足を孤独の不利にて充分識(し)り活き、自己(おのれ)の一幻(ゆめ)から論破を保(たも)てる未順(みじゅん)の道理を混波(こんぱ)に落せる。俗世(このよ)の共鳴(さけび)に人間(ひと)を観たまま一幻(ゆめ)の自覚(かくご)は現(うつつ)に気取られ、未知の独歩(どくほ)に暗嘆(あんたん)鳴り得る未覚(みかく)の四肢(てあし)が這い生くけれども、幻覚(ゆめ)の過程(なか)では俺の自覚(かくご)が堂々巡りの安堵へ凹込(おちこ)み、一幻(ゆめ)の脆差(もろさ)を現(うつつ)へ延ばせる無量の格差を凌いで在った。被害者意識の酷(こく)の〝夕日〟に一女(おんな)の柔裸(やわら)をずっと欲しがる不動の男性(おとこ)の一幻(ゆめ)の虚無には、未知の自覚(おのれ)がずっと溜め込む〝孤高の人煙(のろし)〟を空虚(そら)へ迷わせ、二度と現(うつつ)へ自覚(ゆめ)を逆生(もど)せぬ不動の憂いに暫く寝て居る…。
虚無の宮(みやこ)に不動に居座る白亜(しろ)い〝途切れ〟は白体(からだ)を途切らせ、幻(ゆめ)の男女が俗世(このよ)で儚い未覚(みかく)の安堵へ近寄る最中(さなか)に小躍(おど)る〝淘汰〟は自然(あるじ)を越え活き未信(みしん)の〝僕(しもべ)〟へ白体(からだ)を捧げて、自体(おのれ)の黄泉から夢想を蹴散らす「都会の一女(おんな)」は異国へ退(の)かされ、幻(ゆめ)の主観(あるじ)は自解(じかい)して生く無頼の応理(おうり)を通感(つうかん)して居た。自慰に寝床を敷かれた自覚は俺への応理(おうり)へ衰退して活き、児(こども)仕立ての現(うつつ)の一幻(ゆめ)から渡航の浪理(ろうり)を幻視(ゆめ)に携え、未知から未憶(みおく)へ端正(きれい)に預ける無駄を配(はい)せる空気(しとね)の脚色(いろ)へは、幻想(ゆめ)の論理が端正(きれい)に纏める他(ひと)との道理を清閑(しずか)に観て居た。
都会の喧騒(さわぎ)に現代人(ひと)を仕留めて、現代人(ひと)の脆差(よわさ)を通感(つうかん)するうち幻覚(ゆめ)に紛れる未憶(みおく)の信理(しんり)は「俺」に呑まれて詩吟して居り、初めて観て居た黄泉への信仰(めいろ)を自体(おのれ)の純白差(しろさ)に不純と観た儘、幻(ゆめ)の自理(じり)へと構築して生く一界(せかい)の相(そう)へと「自己(おのれ)」を跳んだ…。児(こども)の初期(ころ)から相対(あいたい)して来た無想に纏わる不義の条理は、幻想(ゆめ)の事始(こと)への空路を跳ばせる黄泉の審理を夢想に置く儘、無明(むめい)を敷き詰め無名を挙げ得る未知の自覚(かくご)を併せ持つのは、自体(おのれ)の正純差(しろさ)に未知を保(も)たない一女(おんな)の内実(なかみ)に変らなかった。無尽の〝日(ひ)の掌(て)〟に責められながらも私欲(よく)の眼(め)に突く無言の哀れは無知に道付(みちづ)く無用の側から瞬間(とき)を訪れ堕落を吟味(あじ)わい、未憶(みおく)に重なる〝矛盾の信仰(めいろ)〟は恥辱(はじ)を凌いで豪胆とも成り、現世(このよ)の異性(おんな)の内実(なかみ)の総体(すべて)を暗黙(やみ)に紛らす事始独歩(ことあるき)を観た。透明色した文句(もんく)の成果(はて)には理知に息衝く未信(みしん)が募り、俺の一幻(ゆめ)には無音には羽ばたく私輪(しりん)の歯車(くるま)がつかつか途切れて、幻(ゆめ)の寝床へ順々通れる幻視(ゆめ)の〝通り〟は未憶(みおく)に繋がる身憶(みおく)が表れ、初めて同士で紅(あか)く宿れる無音の足音(おと)から幻想(ゆめ)の雑音(おと)まで、利己に基づく他己(たこ)の元理(げんり)を幻(ゆめ)に皆殺(ころ)して億劫がった。漆黒(くろ)い吐息が四旬(しじゅん)を抜け出し幻(ゆめ)の信理(しんり)へ競歩(ある)いて生く頃、未知の音理(おんり)が素通りして生く無刻(むこく)の分業(ノルマ)を分散して行き、俺の背後へ落した一連(ドラマ)は無口(くち)の内(なか)まで褐色(いろ)を見出し、明日(あす)の信義(しんぎ)へ遠目を象る〝傅く酸媚(さんび)〟を乱心(こころ)に観て居る―――…。
幻想(ゆめ)の純白差(しろさ)に無垢を頬張り未知に究(きわ)める無刻の夕べは、俺の自覚(かくご)へ矛盾を頬張る〝異国の瞳(め)をした姑(ばんにん)〟にも似て、八頭(おろち)を八つに切り裂く無言の主観(あるじ)を豪語に観た後(のち)、一幻(ゆめ)の空城(くるわ)に寝転(ころ)んで見て居る孤高の自主(あるじ)の痩躯の内には、無信(むしん)の孤独に〝哀れ〟を灯せる孤独の応理(おうり)が沢山産れる。
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その天然の男が交差点を渡り切れず、信号が何時(いつ)の間にか赤になっていた。当然、母も、母の後ろから母を見守るようにして付いて来て居た俺も、まだ渡り切れて居ない。天然の男は七割程渡り切れて、俺と母は丁度半ばと言った所に居た。夥しい量の車が俺達に向かって来ようとした。信号が変わった瞬間・直後だからか、未(ま)だ誰もクラクションを鳴らしたり、怒ったりする韓国人は居なかった。俺は〝信号が赤〟なのを見た時にはかなり焦ったが、平常を取り戻して、〝仕方が無いなぁ〟と、もう殆ど渡り終えて居る天然の男はその儘にして、母の両脇を抱え上げて上空へ飛び上がり、下方で蠢く車両の韓国人達の雑踏を後目(しりめ)に交差点を飛んで渡り終えた。
*
清閑(しずか)な吃りに幻(ゆめ)の挿話(はなし)を延ばしながらも俺の目下(ふもと)で蠢き続ける人と車の幻(ゆめ)の論理は無音に共鳴(さけび)を相対(あいたい)させつつ、ふざけた心理に遅延(おくれ)を取らせる無効の一幻(ゆめ)での空き巣の衝動(うごき)は、事始(こと)への無憶(むおく)が骨身を削れる孤高の独義(ドグマ)に通底して居る。初めから無い日本人(ひと)の信理(しんり)は〝無応(むおう)の応理(おうり)〟へ幻(ゆめ)を保(たも)たせ、初めて孤独に相対(あいたい)出来得る至順(しじゅん)を呈した個人(ひと)の悼みに、無造を先取る痛快差(つうかいさ)を観て、事始(こと)の無音(おと)へは懺悔を灯せる不意の音波に追随する後(のち)、意味を解らず空虚に没する〝没我の念〟から迅草(じんそう)して居た。「無形」の形成(かたち)に軽走(けいそう)して生く不穏の〝没我〟の最成果(さいはて)等には、独創(こごと)の労苦へ尽力して生く旧い四肢(てあし)が不断に行き付け、不毛に属する俗の通快(らく)への現代人(ひと)に生れた緑(ろく)の心理が、「再び俗世(このよ)を活き抜く過程(さなか)の有頂の快楽(らく)だ」とその際識(し)った…。
*
…車道に居た車は皆、所狭しと並んで在って、二車線、三車線と普通は在るのに、十車線程在るくらいに見える大量の線を抱えた交差点であって、馬鹿みたいに思えた。
母は俺に抱えられる時、始め嫌がったが、いざ飛び立つと気持ち良く、それほど怖くも無かった為か、次第にリラックスして行き調子も出て来て、交差点を渡り切って俺が母を下ろそうとした時、母は俺に「もうちょっと持って飛んでくれんかね(にんまり微小)」とお願いして来て、俺は母の希望を喜んで受け入れ、〝ようし…!〟と、交差点を渡り終えた所から裏道へ入り、もう直ぐ夕暮れが下りてやって来そうな街中・家並みを遠くに見た儘、天然の男は自転車で、母は自転車を持ちながら俺に連れられて空を飛び、俺は何時(いつ)の間にか怪力自慢の超力(ちょうりょく)を手に入れ万能と成って居り、何とか取り付く島を見付けながら、三人一緒に、遠い家並みに見た田舎・郊外へと向かって行った。その時、人は殆ど居なかった。
心中(こころ)の奥義(おく)には旧(むかし)に名高い不応(ふおう)応理(おうり)が不断に息衝き、幻(ゆめ)の宙(そら)から自分に基づく〝不意〟を掌(て)にした幾つの論理は「遊離」を目的(さなか)に無尽に傾き、下肢(あし)の一長(ながさ)に自ず求める不穏の分理(ぶんり)の概(おお)きな思肢(しし)には、文句(ことば)の一端(はし)から白紙(こころ)を辿れる無穏(むおん)の当理(とうり)に垂直だった。翌朝(あさ)の歪(ひずみ)に臆する事無く幻想(ゆめ)の高さを宙(そら)に観たのは、純白(しろ)い己(こ)の派(は)に分散して生く気楼(きろう)の成果へ自ず活きつつ、無意(むい)の動作は矢庭に静める不理(ふり)の連動(うごき)へ傅きながらも、能面(めん)を想わす無刻の正義は偏見伝いに人間(ひと)を象り、次元(もと)を辿れず遊夢(ゆうむ)へ浸れる歯車(くるま)の概(おお)さに無機を果見(さきみ)て、自動(うご)く信仰(めいろ)に迷走して生く時刻(とき)の不利には感覚(いしき)を保(たも)てず、「不利」と「無理」との過去の柔裸(やわら)を幻(ゆめ)に届けて数理を識(し)った…。矛盾の正理(せいり)は過去に至れば息衝く程度に、自由を着飾り無垢を彩る生命(いのち)の神秘(ふしぎ)に自覚(おのれ)を見て取り、白亜(しろ)い吐息が何処(どこ)へも膨らむ得体知れずの無重(むじゅう)の白体(からだ)は、幻(ゆめ)の許容(うち)から実体(からだ)を抜き捨て至当(しとう)に根付ける偏見(せいぎ)の柔身(やわみ)に一心(こころ)と名体(からだ)を不当に見棄てる不起(ふき)に信じる弛(やわ)めが発(た)った。
~愚問の柊~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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