~素通り廻り…~(『夢時代』より)
天川裕司
~素通り廻り…~(『夢時代』より)
~素通り廻り…~
…旧い〝彼方〟を幻見(ゆめみ)て居ながら孤独の遊慮(ゆうりょ)へ縋り付くのは固陋の進度(しんど)の割合から観て、現世(このよ)の見定(さだ)めに洗練され得る孤独の洋躯(ようく)に届いて在った。孤独を仕留めた宙(そら)の成果(はて)から身陰(かげ)の目下(ふもと)で貯蓄を成すのは淡い葦から許容を咎める漆黒(くろ)い砂面(すなも)の厚い白壁(かべ)にて、無言の気色に自由を留めた一人(ひと)の自主(あるじ)は独談(どくだん)して行く人間(ひと)の動作を射止めて在った。一女(おんな)の気色に緩みが逆巻(さかま)き固陋の準備は遠退き始める、旧い億尾に孤高を脱した司業(しぎょう)の主(あるじ)を後光(ひかり)に見ながら、紺(あお)い宙(そら)から宙返りをする脆(よわ)い音頭は滅法割かれて、陰府(よみ)の四肢(てあし)へ鈍(にぶ)りを射止める器用の歩陰(ほかげ)で男児を知った。一幻(ゆめ)の文言(ことば)に挨拶して生く気楼(きろう)の人陰(かげ)には逸話が拡がり、幸先(さき)の豊かな純心(こころ)が膨(ひろ)がる〝洋(よう)〟の所以(ありか)は精神(こころ)知らずも夢中に煽られ、漆黒(くろ)い気色に呆(ぼ)んやり灯れる身軽(かる)い鈍(くも)りに下肢(あし)を観るのは、夢遊の生果へ細々頼れる青い宙(そら)での出来事だった。男性(おとこ)の孤憶(こおく)が宙(ちゅう)へ舞うのは女性(おんな)の背に乗る夢中の華にて、手厚(あつ)い見守(まも)りに私見を酔わせる黄土が転がる黄泉の広さに夢中を識(し)りつつ、孤独の貌(かお)した宙(そら)の最中(さなか)は一人(ひと)の暴挙を鵜呑みに呑み干し、青い空から望遠するのは身陰(かげ)を呈(しめ)せぬ意固地でもある。女性(おんな)の独裁(ドグマ)に稚拙が頷き独り調べの有頂の果てには、男性(おとこ)と女性(おんな)の孤独の空間(すきま)へ滅法這入れる自由が袈裟懸け、自由を掌(て)にして孤独へ翻(かえ)れる人物(もの)の神秘は人陰(かげ)を見送り、手厚(あつ)い見守(まも)り自由を留(と)め置く涼風(かぜ)の進化を追々(ついつい)見て居た。一女(おんな)の一体(からだ)に余吟(よぎん)を呈(てい)せぬ空気(しとね)尽しの固陋の成果(はて)には、淡い感覚(いしき)が概(おお)きく返れる脆(よわ)い体裁(かたち)を内実(なかみ)に透させ、微温(ぬる)い葦から夢中が見送る孤高の主観(あるじ)が機嫌を問うのは、一人(ひと)に懐ける無頼の集体(シグマ)の〝黄泉〟に纏わる無意識だった。
男性(おとこ)の生果を一女(おんな)が掌(て)にする「硝子細工の不毛」の体(てい)には、「男性(おとこ)と女性(おんな)の孤独の起源(ルート)」が陰府(よみ)の理郷(くに)での理屈が佇み、旧い〝葦〟から生憶(きおく)に問われる夢中の孤独に脚力(ちから)を乞うのは、一女(おんな)だてらの古びた生気の夢遊に活き尽(き)る理由であった。母性(ははおや)から「母親(はは)」が成らない俗世(このよ)の定律(おきて)に活き尽(き)る幼婆(ようば)は、自分の子供の能力(ちから)だけ見て肝心(こころ)の奥底(そこ)では相(あい)し尽(き)れない不要の勇気を斬新(あらた)に遠避(とおざ)け、明日(あす)の目的(さかな)に自明を要する無理を信じぬ幼児(こども)の老婆は、俗世(このよ)の小敗地(アジト)に活きる老婆の硬い質(たち)から脱(ぬ)け出せずに在る。
*
O教会でのキャンプ、詰り、改革派の学生修養会に参加した後で、E教会へ行って居た。E教会へはキャンプではなく、礼拝で行って居た。しかし、O教会でのキャンプは、確かに信者の学生達が居たかも知れないけれども、俺は何処(どこ)かの田舎染みた峠の付近へ行って居て、そこには初老に近いお婆さんが一人居り、他にも、そのお婆さんに関係した年老いた達人が居たかも知れない。
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無根の孤独が走馬(そうま)から降(お)り、女性(おんな)の体裁(かたち)を宙(そら)へ留めて自由を観る頃、無意識(いしき)の欠片(かけら)が孤独に在るのを男性(おとこ)の精神(こころ)は余程に観て居た…。手厚(あつ)い楼気(ろうき)に躰を遣りつつ夢限(むげん)の〝昼間〟に追従(ついしょう)するのは、一女(おんな)の許容(うち)からすっと跳び出る夢想の自主(あるじ)の呆(ぼ)んやり顔にて、白亜(しろ)い空間(すきま)にびっしり敷かれた沙羅双樹の実(み)は男性(おとこ)に近寄り体裁(かたち)を化(か)えない。女性(おんな)の精神(こころ)に私欲(よく)が降(お)り立つ不審の正義の身重の陰には、未知の御力(ちから)が充分息衝き身軽(かる)い宙(そら)から女性(おんな)を呼んだが、明日(あす)の旧巣(ふるす)が一男(おとこ)の身寄りを心中(こころのどこか)で朗(あか)るく見遣れば、苦労に逆巻く自体(おのれ)の精気は孤高に富み生く矛盾を詠んだ。明日(あす)の界(かぎり)に人間(ひと)が寄り付く未屈(みくつ)の空気(くうき)は呆(ぼ)んやりしながら、一気に仕上がる理屈の緩みは〝歪み〟を呈せぬ不満を保(も)ち出し、我欲に導く奇想の従者の先駆け等には、個人(ひと)の〝両手〟が多分に盛(も)り寄る〝故郷の調べ〟に矛盾を識(し)った。個人(ひと)の正義へ凡気(ぼんき)が仕上がり余命の周期が未算(みさん)に在るのは孤独と〝孤独〟が一女(おんな)に突き出す一男(おとこ)の徳(とく)へと身乗りを決め込み、「明日(あした)ばかり…」を司業(しぎょう)へ固める一人(ひと)の体に純心(こころ)を打つのは、明日(あす)の牢(ろう)へと自分を誘(いざな)う古びた精気の葛藤だった…。「面白(おもしろ)」ばかりで〝奈落〟を識(し)らない事始(こと)への運起(うんき)は翻弄されつつ、無業の門(かど)から一人(ひと)を養う華麗な生気が一瞬宿り、無知の瞳(め)をして無刻(むこく)を過せる緊(きつ)い老気(ろうき)は耄碌しながら、「独房(ひとりべや)から明日(あす)」を幻見(ゆめみ)る夢中の主宴(うたげ)は俺の前方(まえ)から盛(さか)って行った…。
自己(おのれ)の無憶(むおく)に起死が寝る頃〝幻(ゆめ)の宙(そら)〟では身近が頷き、広い星へと独人(ひと)を翻(かえ)せる「二人の立場」は孤高に魘され暗黙(やみ)へと零れ、男性(おとこ)の活気に夢中を見て取る白亜(しろ)い気色は提灯(あかり)を見ながら、生臭雄(なまぐさおとこ)を妙に毛嫌う自身(おのれ)の化身(かわり)を妄想して居た。体躯(かたち)を相(あい)せぬ一女(おんな)の可能(かぎり)は無限に務まる独裁(ドグマ)に訴え、明日(あす)の〝旧巣(ふるす)〟を自由に幻見(ゆめみ)る滑稽(おかし)な一体(かたち)の鼓動を識(し)った。一女(おんな)の揺蕩(ゆらぎ)に孤奏(こそう)を従え未完(みじゅく)に務まる試練の内では、男性(おとこ)の背中が自在に究(きわ)まる司労(しろう)の阿漕に「常(つね)」を訴え、白体(からだ)の上気を真横へ這わせる夢遊の心機へ孤高を這うのは、一人(ひと)の邪心(こころ)に未完(みじゅく)が努(つと)まる夢遊の正義が滑稽(おかし)く在った。転々々々(ころころころころ)、夢中の雅(みやび)に巨躯を識(し)る内「明日(あす)」の要局(かなめ)が御託を問うのは烏有の信者の暗黙(やみ)の許容(うち)から身陰(みかげ)を想わす譲渡として識(し)り、男性(おとこ)と女性(おんな)の個動(こどう)の許容(うち)から試算が立つのは、旧い生茂(せいも)に打診が届かぬ未有(みゆう)の〝正気〟の相乗りだった。一男(おとこ)の孤独へ女性(おんな)が表れ速水を知るうち無断を成すのは事始(こと)へ棚引く「自活の進理(しんり)」の融通付かずの妖気であって、凡庸(ふつう)に始まり凡庸(ふつう)に終れる田舎人(いなかびと)から活気が得られず、俺の網羅は俗世(このよ)で失くせる現行人(ひと)の固陋(くせ)など容易く棄てた。自己(おのれ)の白亜(はくあ)が一幻(ゆめ)に迫れる快活気取りが未活(みかつ)を見出し、手厚(あつ)い看護の意気地の成果(はて)には未有(みゆう)に仰け反る不満さえ在り、自体(おのれ)の純白(しろ)さに他(ひと)を見て取る不自由から観た凡気(ぼんき)の外れは、温厚(あつ)い空間(すきま)に貪欲(よく)を掌(て)にする男性(おとこ)の調子へ相乗りして居た…。一女(おんな)の可能(かぎり)が一男(おとこ)を識(し)るとき自己(おのれ)の仕種が真面に向くのは厚い不乗(ふの)りが「坂」を壊せる有頂(うちょう)の一滴(しずく)の網羅と認(みと)めて、手厚(てあつ)い信義にその実(み)を過らす億尾に掲げた「自由」の生果(さき)には、明日(あす)の誠実(まこと)が現代人(ひと)を蹴散らす〝向日峠(むこうとうげ)〟の主観(あるじ)と識(し)った…。一女(おんな)の験(げん)から無想に降(お)り立つ幾つの「周期」は無戒(むかい)の音頭を暫く取り止め、厚い空壁(かべ)から熱情(なさけ)を気取れる脆弱(よわ)い暗転(まろみ)は寝屋を従え、挨拶だけして無言を削れる幻想(ゆめ)の文句(ことば)に鼓動を観る内、自体(おのれ)の身近に結託して行く夢想(むそう)の酒乱(みだれ)に傅き入(い)った。苦労知らずの〝夜半(よわ)〟の許容(うち)から事始(こと)への未活(みかつ)を巧く詠む内、弄(あそ)び上手な一女(おんな)の〝小窓(まど)〟から孤奏(こそう)の逆生(もどり)を逆さに報され、自体(おのれ)の白亜(はくあ)が夢限(むげん)を採るのは孤独の王佐で仄(ほ)んのり発(た)ちつつ、幻覚(ゆめ)の揺蕩(ゆらぎ)へ孤奏を保(たも)てる理進(りしん)の蜷局に感覚(いしき)を観て居た。未完(みじゅく)の体裁(かたち)が表面(おもて)に湧き出て男性(おとこ)の孤独は心変わりを微妙に気取れず、旧い仕掛けの樞(ひみつ)を根差せる〝幸先気取り〟の賜(たま)の上では、一幻(ゆめ)の未完(みじゅく)に概(おお)く募れる矛盾の自然(あるじ)を寝ながらにて観て、気楼の一滴(しずく)と交互に具わる無性(むしょう)の生絆(きずな)を牧歌に識(し)った。一女(おんな)の叫(たけ)びが自在に仕上がり不毛の長(ちょう)には微塵が尽きねど、晴嵐(あらし)の目前(まえ)から私用(しよう)が片付く扶養の緩みは無地に通(かよ)って、当り障りの酷く優しい旧(ふる)びた生茂(せいも)の美声の許容(うち)では、独創(こごと)の概(おお)くが一切適わぬ小さい絆がぽっつり発(た)った。一女(おんな)の感覚(いしき)に孤独が仕上がり男性(おとこ)の躯(からだ)に自由が滅気(めげ)ても無重に降り立つ美容を貪り、皮肉を講じて脆(よわ)みを崩せる無言の主観(あるじ)を生活(かて)に見て取る。白亜(しろ)い両脚(あし)から女性(おんな)が嗾け、男性(おとこ)の脆味(よわみ)をひっそり保(たも)てる無心の相図(あいず)を事始(こと)に帰(き)すのは、幻想(ゆめ)の自然(あるじ)の独走から観て居れの自活(かて)へと充分仕上がり、端正(きれい)な瞳(め)をした一夜(とばり)だけ識(し)る無言の自主(あるじ)は、一男(おとこ)の自主(あるじ)に生還し得ない女性(おんな)の身欲(みよく)を充分象(と)った。端正(きれい)な眼(め)をした幼女の生気が無言の合図に羽(は)ためく一姿(すがた)に、文句(ことば)の独歩が概(おお)きく幻見(ゆめみ)る無駄の利益を良く良く識(し)りつつ、概(おお)きな体躯(たいく)の血流(ながれ)の生果(はて)では、自体(おのれ)の豪華を良く良く睨(ね)めた。一幻(ゆめ)に堕(おと)せる無想の遥かを幼女(おんな)の仕種に都度々々観ながら、一人(ひと)の廻りに独裁(ドグマ)が見得ない無想の日蓋(ひぶた)が紅(あか)く成り行き、一人(ひと)の正義に無心を侍らす京都の暖気に冷風(かぜ)を知りつつ、二性(ふたつ)の自主(あるじ)を同位に識(し)るのは夢想を外れた相図(あいず)であった。俺の孤独は自体(からだ)を知り貫(ぬ)き〝向日仕立ての過度の信仰(めいろ)〟は、温厚(あつ)い揺蕩(ゆらぎ)を上手(じょうず)に観て取る嫉妬(ほのお)の魅惑にうっとり呼ばれて、昨日と今日との脆(よわ)い変化(へんか)に二性(ふたつ)お識(し)り貫(ぬ)く無言の主観(あるじ)は、独人(ひと)の精神(こころ)を固く信じる夢遊の暴嵐(あらし)に結託して居た…。
一女(おんな)の御託を〝蝶〟に見立てる〝快楽仕立ての不問の暗黙(やみ)〟には、意味を解(かい)さず感覚(いしき)を介さぬ無論の厚味(あつみ)が交互に揺られて、俗世(このよ)を認める〝併せ鏡〟に無重を報せる独人(ひと)を織り成せ、孤独へ繋がる枯渇の許容(うち)では私闘に高鳴る無益を知った。Europeanから無憶(むおく)を掲げる空気(しとね)に見上げた思春(はる)の感覚(いしき)は孤踏(ことう)に巡り、紺(あお)い景色へ自体(おのれ)を捧げる無遊(むゆう)の気色は堂々立ちつつ、幻想(ゆめ)の内実(なかみ)へ幻(ゆめ)を観るのを俺の〝遊戯〟は平和に採った。
緊(きつ)い締まりの小春(はる)の空気(くうき)は夜風を寝かせて〝社員〟を侍らせ、幻想(ゆめ)の未活(みかつ)へ一体(からだ)を発(た)たせる余計の〝王佐〟へその実(み)を惑わせ、あべこべから成る気楼の臭味を夢中に置くのは、陰府(よみ)の空気(しとね)へその〝個(こ)〟を巡らす至当の相図(あいず)に相異を保(も)たない。過去(これまで)から観た詩人の葦から無根の連歌が、清閑(しずか)に降り立つ延命(いのち)を取り次ぎ、無難に沈める幻路(ゆめぢ)の形跡(あと)へは男性(おとこ)の色香(いろか)が仄(ほ)んのり浮き立ち、事始(こと)の記憶に夢遊が浮き立つ小春(はる)の気色の盲者(もうじゃ)の果(さ)きには、幻想(ゆめ)の形が一切気取れぬ脆(よわ)い小敗地(アジト)が劈き入(い)った…。
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…しかし、覚えて居ない。O教会での(改革派の修養会での)キャンプの内容もどんなだったか、殆ど覚えちゃ居ないのである。しかし唯、何か感動的で、周りに集った彼ら(やはり特に男子信者だったかも知れない)が優しく礼儀を知って居り、E教会での彼らよりも身構えないで済む、といった状況が在った。とにかく俺は、O教会での学生修養会が感動的で好きで、その感動覚めやらぬ内にE教会へ行き、「あ~O教会でのキャンプは良かったなぁ」とか言う心残りが在ったのである。だから俺は中々E教会での礼拝(もう始まっている)に出席出来ないで居たのだ。
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精神(こころ)に落ち着く無音の動作が一女(おんな)の側(そば)から無益に立ち寄り、御所の近くで退屈して居る田舎人から無言を聴き付け、五月蠅(あわ)い静寂(しじま)へ感覚(いしき)を介せる夢遊の葦には男性(おとこ)が企み、女性(おんな)の勝手を脆(よわ)さへ囲める未想(みそう)の揺蕩(ゆらぎ)に雑記を見て居た。俺の旧巣(ふるす)と今日の退屈(ひま)とが併せ独語(がたり)に〝未完(みじゅく)〟を詠むうち幻(ゆめ)の想起に勝手知らずの〝毛唐(けとう)〟に間違う幼女が現れ、明日(あす)の要局(かなめ)が独義(ドグマ)を知り貫(ぬ)く無尽の生果は両脚(あし)に操(と)られて、女性(おんな)の脳裏に苦悩を静めぬ男性(おとこ)の律儀は柔軟にも在る。俺の躰に未完(みじゅく)が拡がる宇宙の構図はどんどん大きく、一女(おんな)の四肢(てあし)に夢中を気取れた従順(すなお)の気色が横に亘った。純白(しろ)い孤独が宙(そら)を見忘れ、人間(ひと)の温(ぬく)みを微妙に忘れる物の憂さから活力(ちから)が仕上がり、明日(あす)の行方は何処(どこ)へも向かえぬ〝巷〟の構図を敢え無く描(か)いた。真白(しろ)い一姿(すがた)が独創(こごと)に忘れる小人(こびと)の傘下が器用に立ち退き、女性(おんな)の内実(なかみ)が幼女に手向ける幼い遊戯が微妙に許され、俺の一体(からだ)は温度を忘れた〝気球〟の体(てい)して未完(みじゅく)を寄り添え、厚い白壁(かべ)から「明日(あす)」が見え生く独人(ひと)の真理(しんり)が矢庭に咲いた。孤高の華から理屈が仕上がり遠い宙(そら)から夜風が吹くのは、自由に呼吸(いき)した小人(こども)の手数(かず)から微妙に仕上がる老気(ろうき)の頭数(かず)にて、黄泉の数から現行人(ひと)が跳び出る無適(むてき)の進理(しんり)は奇妙に烈しく、畦(あぜ)の許容(うち)から輪廻(ロンド)が撓(たわ)める無痛の主観(あるじ)を少なくして居た。女性(おんな)の勝手に自然(あるじ)が幻見(ゆめみ)る個録(ころく)の成就が器用に無様で、現行人(ひと)の許容(うち)から現代人(ひと)が跳び出る無想の記述が人群(むれ)を借りつつ、旧来独語(むかしがたり)の温味(ぬくみ)の〝葦〟から人間(ひと)の自主(あるじ)が零れて生くのは、〝旧来独語(むかしがたり)〟に意味を介せぬ不貞の素振(そぶ)りに翻(かえ)って行った。一女(おんな)の体裁(かたち)が体裁(かたち)付かずで男性(おとこ)の傀儡(どうぐ)がどうで在っても、幻(ゆめ)の自然(あるじ)に転々(ころころ)暗転(ころ)がる旧(むかし)に良く見た固陋の悪事は、幻想(ゆめ)の信仰(まよい)に惑(まよ)いを尽せぬ未解の信途(しんと)が呆(ぼ)んやりして居た…。男性(おとこ)の孤独が宙(そら)に岐(わか)れて一女(おんな)の狂句と一緒に鳴る時、淡路に見詰めた幻想(ゆめ)の独創(こごと)が俺の背中でどんどん膨らみ、初めて呼吸(いき)した夢想の概(おお)くは立派に紡がれ未来(さき)へと入(い)った。
女性(おんな)の孤独に男が居るとき無言の集成(シグマ)は概(おお)きく成りつつ、幻想(ゆめ)の一夜(とばり)が無想に死んでも夜半(よわ)の人陰(かげ)から未想(みそう)が仕上がり、漆黒(くろ)い八頭(おろち)が白蛇に勝つのは無音の経過へほとほと繋がれ、五月蠅(あわ)い流行(ながれ)が現代人(ひと)に操(と)われる実に拙い最期を逃げた…。一人(ひと)の一体(からだ)が夜に咲き生く事始(こと)の律儀を無法に知る時、夜半(よわ)の許容(うち)から〝礼儀知らず〟が平気顔して暗夜(よる)に死に逝き、二度と現世(このよ)に戻れぬ旧い生果を夢中に仕上げて自体(おのれ)を込めた。一男(おとこ)の人数(かず)から周囲(まわり)が騒めき、未知への気憶(きおく)が黄泉へ偽り美声(こえ)を出しても、漆黒(くろ)い身軽(かる)さは暗夜(あんや)へ暗転(ころ)がり緩々縛られ、現世(このよ)の仕打ちに一層怒(いか)れる拙い生茂(せいも)を振(ふ)らりと挙げた…。女性(おんな)の一体(からだ)が理屈に似合わず宙(そら)の許容(うち)から暫く失(き)えても、孤高の一灯(あかり)が幻想(ゆめ)に絶やせぬ無為の凄みは杜撰に腰掛け、淡い夜空(そら)から一人(ひと)を見送る見定(さだ)めの深化は見様(みよう)を足らしめ、明日(あす)の不意へと自主(あるじ)を追い込む夢中の様子を暫く識(し)った…。暗黙(やみ)の一宙(そら)から凝(こご)りを灯(とも)らす無残の様子は人途(じんと)に仕上がり、人間(ひと)の汗(しお)から精華(はな)を鈍(くも)らす夜半(よわ)の辺りは有情(うじょう)の網羅を暗(あん)に気に掛け、旧い疾走(はしり)を丈夫に生育(そだ)てる拙い〝旧巣(ふるす)〟を自在に見たが、男性(おとこ)と女性(おんな)の脆(よわ)い小敗地(アジト)は小宙(そら)の許容(うち)より呆(ぼ)んやり片付き、明日(あす)の身欲(よく)から今朝へ棚引く男・女(だんじょ)の弛(たゆ)みは夢想の界(かぎり)に概(おお)きく延びた。夢幻(むげん)に識(し)れ得る拙い男・女(だんじょ)の遊戯の四隅(すみ)には、自体(おのれ)の孤憶(こおく)が宙(そら)に射止める旧い児(こども)の進理(しんり)が基づき、厚い白壁(かげ)から白昼夢が成る脆(よわ)い人体(からだ)の温存等には、幻(ゆめ)の主観(あるじ)が減退して生く紺(あお)い感覚(いしき)が真顔で在った。
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E教会での礼拝堂から賛美歌が聞こえて来、何時(いつ)ものE教会での、あの多過ぎる人数が礼拝堂(そこ)には居り、内には、栄子、中山など、又他の連中が居た。幹夫、Kも居たかも知れない。又、そのE教会に来た学生風(学生の年齢)の若者も、E教会に可成り多く来て居た。俺はE教会でのわんさかがやがやしたあの雑踏・雑音が大嫌いで、身構えなくては行けなく、俺の心身(からだ)は確か一階から二階をうろうろしながら、ただ落ち着ける場所(スペース)を探して居た。
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孤独の概(おお)さに幻(ゆめ)が輝き一人(ひと)の心身(からだ)に律儀に見て行く旧い体裁(かたち)の自主(あるじ)を追うのは、俺の生憶(きおく)が不乱に暮野(ぼや)ける未知の温度にそうそう変らぬ。旧い家屋に雑音(おと)の交響(ひび)ける無重の空間(すきま)が久しく在るのを俺の孤独はすいすい見付けて一女(おんな)の代わりに相(あい)して在ったが、気楼の周囲(まわり)に人渦(じんか)を伴う漆黒(くろ)い話題(ねた)には自主(あるじ)が戯れ、孤独の縁(ふち)から微妙に蹴上がる扶養の文言(ことば)が良く良く遠退き、純白(しろ)い景色に「俺」が傾く暗夜(よる)の体裁(かたち)に内実(なかみ)を識(し)った。
自己(おのれ)の無垢から気丈に蹴散らす無様(むよう)仕立ての女性(おんな)が仕上がり、無垢の一幻(ゆめ)から精神(こころ)を差すのは孤独を撓(たわ)める理屈の進路で、暗夜(よる)の葦にて一女(おんな)を惑わす旧来(むかしながら)の概(おお)くの行儀は、無体を識(し)りつつ向日を見知らぬ夜話(やわ)の進理(しんり)を揚々説いた。家畜の振りした安い傀儡(どうぐ)は宙(そら)の目下(ふもと)で滅法煌(かがや)き、未知の頭上(うえ)から未憶(みおく)が佇む手厚(あつ)い〝文庫〟は調子を静めて、儚い自主(あるじ)の無己(むこ)の両立(たて)には純白(しろ)い自主(あるじ)が滔々流れて、緩い理性(はどめ)に異性を仕留める幻(ゆめ)の両腕(かいな)に万華(まんげ)を識(し)った。一男(おとこ)の労苦が女性(おんな)の暗(やみ)へとずんずん往く頃、男性(おとこ)の文言(ことば)が未来(さき)へ進める「牛歩」の葦にて調子を調(ととの)え、幻夢(ゆめ)の自然(あるじ)に調子を統(たば)ねる繊細(ほそ)い感覚(いしき)へ耄碌した儘、孤独を偽る無頼の盲者(もうじゃ)は忽ちお道化(どけ)て未来(みらい)を識(し)った…。苦悩の許容(うち)から労苦を掠める都会暮らしの一人(ひと)の所以(ありか)は、都会に住み生く愚かな現代人(ひと)への諸刃(やいば)を突き出し無言を着飾り、純白(しろ)い対岸(きし)から宙(そら)を欲張る一人(ひと)の余裕(ゆとり)は自然(あるじ)に気後れ、夜半(よわ)を講じる永久(とわ)の残骸(むくろ)は人間(ひと)の空間(すきま)にすんなり入(い)った。漂白(しろ)い気色に夢想(むそう)が輝く一人(ひと)の億土は毛相(けそう)に翻(かえ)り、何処(とこ)とも言えない幻(ゆめ)の空間(すきま)に人煙(けむり)を投げ付け八頭(おろち)を突き刺し、速い経過(ながれ)に人間(ひと)を見送る〝無理〟を脚色取(いろど)る未来(みらい)の弄図(ろうず)は、暗夜(よる)の小鳥(ことり)に独裁(ドグマ)を講じる無断の言霊(こだま)に行水して居た…。
手厚(あつ)い仕掛けに樞(ひみつ)を観たまま旧い自然(あるじ)は断行され行く…、ここうに見て取る人間(ひと)の感覚(いしき)の拙い遊戯に小路(みち)を報せて、俺の背後へ静かに成るのは人間(ひと)の自主(あるじ)の比喩の定型(かたち)で、現行人(ひと)の一夜(とばり)に一人(ひと)を観るのは無想に感けた抑鬱だった。文言(ことば)巧みに妙味を切り裂き、無言に囀る孤島の一羽が小鳥(とり)の姿で何か言おうとも、身欲(よく)を失くした有無の夜風は無審(むしん)の経過に取り残され得た。手厚(あつ)い孤独を白壁(かべ)に追っても自分の無意図を小判に翻(かえ)れる幻想(ゆめ)の自然(あるじ)の気色を追っては、夢中を遮る苦楽へ阿る人間(ひと)の一体(からだ)は堂々巡りで自然(あるじ)の呼び手に不毛を敷かない逸りの一姿(すがた)に早変わりをした。男性(おとこ)の輪廻(ロンド)へ白亜が乗るころ未有(みゆう)の一姿(すがた)は固陋を発狂(くる)わせ、暗黙(やみ)の内から許容(きょよう)を齎す〝有難見たさ〟の土偶(かたち)が崩れて、一女(おんな)の高貴が自慢を告げ生く旧い足場の網羅を識(し)った。祭壇ばかりを生(せい)へ置き遣る白亜(しろ)い人煙(けむり)が効果を足すのは一幻(ゆめ)の主観(あるじ)の孤独の人陰(かげ)から「自由」を蹴散らす産気(さんけ)を呼び込み、男性(おとこ)の記憶を黄泉へ伏せ得る自由の逆生(もどり)を背後(うしろ)へ引くのは、幻想(ゆめ)の間近に小春(はる)を弛(たゆ)ます孤高の自主(あるじ)の樞だった。一男(おとこ)の孤憶(こおく)が生(せい)を跳ぶうち厚い白壁(かべ)から〝空城(くるわ)〟が跳び出し、「昨日(きのう)の幻(ゆめ)」から未屈(みくつ)を臭わす旧い「併鏡(かがみ)〟の私様(しよう)が訴え、小宙(そら)の許容(うち)から呆(ぼ)んやり浮き出す脆い〝厚味(あつみ)〟は経過を乗り越え、人間(ひと)の初歩(はじめ)に感覚(いしき)を掲げる無憶(むおく)の進路へ追随して生く。明日(あす)と今日との空間(すきま)の自主(あるじ)は奇妙を留(とど)める倫理を呼び止め、人間(ひと)の胸苦(きょうく)を宙(そら)へ浮き彫る無用の晴嵐(あらし)を揚々留(とど)めて、一人(ひと)の進理(しんり)を都度々々(つどつど)語らう暗夜(やみよ)の論句(ろんく)を勧めて行った。
男性(おとこ)と女性(おんな)の器用を忘れた本能(ちから)の王手は、凡庸成るまま誠白(しろ)い両眼(まなこ)を思中(しちゅう)に絡めて揚々踏ん張り、男性(おとこ)と女性(おんな)の孤高に撒かれた人煙(けむり)の出頭(あたま)は、幻(ゆめ)の自然(あるじ)に決闘して生く「遥か遠くの侍」だった。現代人(ひと)の暗転(まろび)が自由を得るうち苦境の相野(そうや)に宙(そら)を象り、厚い要局(かなめ)に未純(みじゅん)を設ける旧(ふる)びた気後(おく)れは太陽など観て、現行人(ひと)の態度が端正(きれい)に羽(は)ためく無断の概(おお)くを名句にするのは、孤独を感じた無断の自主(あるじ)の宙(そら)に寝そべる未有(みゆう)を知った。女性(おんな)の体裁(かたち)へ漆黒(くろ)く成り生く無応(むおう)の理性(はどめ)を陽(よう)に識(し)っては、手厚(あつ)い経過(ながれ)が凡庸(ふつう)を装う幻想(ゆめ)の生果の端座(すわり)も観て取れ、旧い生気の活力(ちから)から観て暗黙(やみ)の活力(ちから)に人群(むれ)を識(し)るのは、幻(ゆめ)の夜風(かぜ)から電子を脚色取(いろど)る未有(みゆう)の明日(あす)への空気であった。緊(きつ)い空気(しとね)に下がる老気(ろうき)は青い空から遠慮を保(も)ち出し、一女(おんな)の躰を自由に操る無言の精気に追随して生く「旧(ふる)びた社(やしろ)」を崇拝して居る…。
独創(こごと)の連呼が陰府(よみ)を波(わた)れる本能(ちから)の可能(かぎり)が宙(そら)を観ながら、〝独り微温夜(ぬるよ)〟の枕の下(した)では一女(おんな)の精華(はな)へも自虐を足らしめ、手厚(あつ)い白壁(かべ)から自由に縋れる〝向日の景色〟に追想するのは、自体(おのれ)の孤憶(こおく)に無断を運べる一幻(ゆめ)の両腕(かいな)の連呼であった。純白(しろ)い気色が一女(おんな)に仕上がり陰府(よみ)の理郷(くに)から後光(ひかり)が差すのは〝旧来(むかしながら)の奇妙な不得手〟の女性(おんな)に操(と)られた斡旋ばかりで、一男(おとこ)の手数(かず)から妙句(みょうく)を信じる「硝子ケース」の身欲(よく)の許容(うち)には、無駄に信じる虚空(そら)の自然(あるじ)が矢庭に秀出(ひいで)て「夜風」を識(し)った。―――苦労続きの無尽の最中(なか)では一女(おんな)に片付く孤想(こそう)が訪れ、「明日(あす)」の溜まりに「自由」を隠せる暗夜(よる)の静寂(しじま)に音頭を取り持つ一人(ひと)の大器(うつわ)を概(おお)きく省み、漆黒(くろ)い体裁(かたち)に規矩を見て生く無頼の集成(シグマ)の犠牲(おとり)の域内(なか)では、幻想(ゆめ)の進度(しんど)が宙(そら)へ還れる旧い主宴(うたげ)は「沈丁花」を観て、ふらりと翻(かえ)れる不動を識(し)った…。
一女(おんな)の自主(あるじ)の独歩の裏では人の主観(あるじ)が宙(そら)を見忘れ、奇妙に息衝く無純の無様を逆さに観ながら活気を見出し、漆黒(くろ)い独義(ドグマ)を織り成す手厚(あつ)い集体(シグマ)の傀儡等には、秋の空野(くうや)が晩夏に名高い至闘(しとう)の配慮を両掌(りょうて)に保(も)った。幻想(ゆめ)の強靭(つよ)さに怒りを打(ぶ)つける自然(しぜん)の巧みは孤録(ころく)に転じて、幻(ゆめ)を見下げた概(おお)きな白衣(ころも)に未完(みじゅく)を冠して自由を追い駆け、一幻(ゆめ)の宙(そら)から肢体(からだ)を蹴散らす無言の自主(あるじ)は一夏(なつ)に朗(あか)るく、自体(おのれ)の感覚(いしき)を未有(みゆう)に取り持つ「明日(あす)の進化」へ無想を識(し)った。―――独創(こごと)の深化が矢庭に仕上がり孤高の従者を独断して行く稀の理想(ゆめ)から夕日が落ち込み、自体(おのれのからだ)を暫く認(みと)める「宙(そら)の目下(ふもと)で嘯く真偽」は、固有の自主(あるじ)を宙(そら)へ認めた無垢の感傷(きず)から小敗地(アジト)を産(うま)せて、旧い信徒を追随して生く未覚(みかく)の理性(はどめ)を概(おお)きく保(も)った…。
*
…その内に、場所探しの延長にて、俺は(E教会の一階の、あの何度も入ったドアが黒い)トイレに入って居た。そのトイレに入る直前に、又、学生風の、若い男が(そのトイレから)出て来て、俺の顔を一瞥した儘、E教会での若者の何時(いつ)もの習慣(習性)の如く、可成り愛想の悪い素振りをして擦(す)れ違い、そのまま俺の背後から何処(どこ)かへすーっと去って行った。
*
孤独の毛布に埋まりながらも男性(おとこ)の肢体(からだ)が宙(そら)へ浮き出し、一女(おんな)の芳香(かおり)に美味を囀る空転(まろび)の深化は暗いながらに、明日(あす)の私事(しごと)へ充分遺棄する無言の両腕(かいな)を招待して居た。無言の過憶(かおく)に宙(そら)を観るうち無識(むしき)の我信(エゴ)には未想(みそう)が働き、無断に過ぎ去る孤独の刹那が男性(おとこ)へ寄り添い拙いながらも、無信(むしん)で過せる都会の辺りは始終に寄り添う走馬(そうま)の葦にて、自己(おのれ)の未刻(とき)から浮遊に過ぎ生く不装(ふそう)の一姿(かたち)に纏わり付いた。要らぬ人間(ひと)から男性(おとこ)が産れ、一女(おんな)が産れる転機の狭間(あいだ)は、未有(みゆう)に埋れた無感の相図(あいず)に拙いながらも見事に概(おお)きく、白亜(しろ)い空間(すきま)に未完(みじゅく)が懐ける夢遊の独活(うど)から身柄を開けば、明日(あす)の目下(ふもと)へそっと根付ける無応(むおう)の芳香(かおり)に準じて在った。何時(いつ)か観て居た無想の生絆(きずな)に〝家屋〟が過ぎ去り、伸びない主観(あるじ)が減退して生く無想の静間(しずま)に零落れ生くのは、透明色した硝子の匣から微塵に懐ける一夏(なつ)が木霊す旧(むかし)の従者の真言(しんごん)だった。夢想(ゆめ)の白亜に未解を齎す不動の自主(あるじ)は、殊に概(おお)きな体躯(からだ)を保(も)ち尽(き)る不安を寝就かす用心(こころ)を持ち去り、白亜(しろ)い気色へ自体(おのれ)を観て生く宙(そら)の翻(かえ)りの幾多の一夢(ゆめ)には、暴れん坊から身憶(みおく)を吐かない旧(ふる)びた手先を不断に観て居た。
*
俺は又、「やっぱりE教会(ここ)の連中は…!…なんでE教会(ここ)の連中、特に(その時は)若い奴らは、こんなに育ちが悪いんやろな。なんでO教会での修養会で会う彼らとE教会(ここ)の連中を比べたら、こうも育ちの悪さが目立つんやろう。(同なじ〝教会〟に居るのに!)」等とぶつくさ呟いて居た。
俺はその(E教会の一階の)トイレの中に鍵を閉めた後(のち)居ながら、雑音・雑踏から逃れる事が出来た安堵を感じて居た。身の周りの空気が冷んやりしていて、とても気持ち(心地)が良かった。〝ここしか無いのか〟等淡く呟きながら、俺は栄子の可愛らしさだけを、思い出して居た。
*
…湿気の温度が温もりながらに成人(おとな)の界(かぎり)を上手(じょうず)に知り貫(ぬ)き、無解(むかい)に意図する無通(むつう)の意図から俄かに挙がれる不死身を見付けて、器用に見分ける陽(よう)の合図は自己(おのれ)の感覚(いしき)を器用に見分ける無用の主観(あるじ)へ上手(じょうず)に謳える。奇妙の孤独に悶え始める幼い一女(おんな)の加減の行方は人間(ひと)の一体(からだ)に〝身重〟を儲けて、明日(あす)と現行(いま)との小さな空間(すきま)に見様見真似で自主(あるじ)を剥くのは、陽(よう)の日々から未完(みじゅく)を相(あい)せる不能の独裁(ドグマ)の体裁だった。漆黒(くろ)い葦から〝私人(しじん)〟が棚引く「向日寄縋(むこうよが)り」の旧い楯には、明日(きのう)に見詰めた人間(ひと)の揺蕩(ゆらぎ)が旧い〝太古〟を漸く儲けて、明日(あす)の景色へ呆(ぼ)んやり透れる一幻(ゆめ)の所以(ありか)の没我を見遣れば、幻(ゆめ)の目下(ふもと)へ見送る音には初秋(あき)の夜長が散々死んだ…。経過(とき)の流行(ながれ)が矢庭に飛び立つ宙(そら)に遺せる揺蕩(ゆらぎ)の元(もと)では、〝不能〟の自主(あるじ)が減退して生く不穏ばかりの孤独に埋(うず)もれ、現代人(ひと)の全てを憎み続ける不毛の哀れに仕手を取るのは、片付け尽(き)らない純白(しろ)い旧巣(ふるす)の順送りである。幻(ゆめ)の身近に器用の樞(ひみつ)が堂々気後れ総じて膨らみ、真白(しろ)い富貴に生憶(きおく)を統(たば)ねる不毛の純度が泡沫(あわ)を採るのは、自体(おのれ)の無垢から毛相(けそう)が企む不潤(ふじゅん)の小敗地(アジト)に還って入(い)った。無業(むぎょう)の小敗地(アジト)に人間(ひと)が置かれる不審の悶えは見るも華々(はなばな)、羽虫(むし)の気色を御供へ生やせる夢中の日下(ひもと)に蜷局を巻きつつ、一幻(ゆめ)の両腕(かいな)に夢目(むめ)を巻け得る至闘(しとう)の頼(より)から不沈を見付けて、男性(おとこ)の清閑(しずか)を感情(こころ)に揺さ振る低い腰から原価を識(し)った…。
無断の集成(シグマ)に概(おお)くを観ながら宙(そら)を見渡す無造が表れ、分厚(あつ)い小人(こびと)を周囲(まわり)に突き刺す孤独の信仰(めいろ)が進化に解け込み、幻(ゆめ)の白蛇(おろち)が結託して行く無創(むそう)の進理(しんり)はもどかしさも無く、茶色い辛苦を未曾有に観て居る幻想(ゆめ)の盲者(もうじゃ)を〝文章〟にもした…。
分厚(あつ)い人界(かぎり)が始動(うごき)に這い擦(ず)り、一女(おんな)の生憶(きおく)が夕日を見送る無心の主観(あるじ)を如何(どう)でも良く観て、行き成り殺せる俺の強靭(つよ)さは現代人(ひと)に対して絶対だった。精神(こころ)の空間(すきま)に幻想(ゆめ)を失くせる不倖(ふこう)の撤廃地(アジト)は凍えて居ながら、精神(こころ)の内(なか)まで人間(ひと)を透さぬ幻想(ゆめ)の末路へ逡巡した儘、落胆して生く真実(ほんとう)だけ観て幻(ゆめ)の連想(ドラマ)を皆殺しにした…。漆黒(くろ)い空間(すきま)へ悶絶して生く気孔の進度(しんど)がぐらつきながらも、白亜(しろ)い〝微か〟に好機が飛び出る無音の敗者に光を観た儘、「敗北」だらけが真実なのだと孤独の気色は輪廻(ロンド)を幻見(ゆめみ)て、黒い家から一宙(そら)が仕上がる快活気取りが軒端が差した。俺の宮(みやこ)が上手(じょうず)に仕上がる「向日仕立て」の上気の果(さ)きには、独り暮らしが「真実(ほんとう)なのだ」と永久(とわ)に見限る救いを棄て尽(き)り、誰が浮いても何が混んでも必ず変らぬ不動の宮(みやこ)の髪を愛したその視(め)で観て居り、白亜(しろ)い邪魔から〝マンネリ地獄〟の現代人(ひと)の緩みが早々仕上がる…。孤独の気色が輪廻(ロンド)を労わる旧い現代人(ひと)の未想(みそう)の進理(しんり)は、掛け替えないまま無穏(むおん)に見送る無言の敗者の魁(さき)へ置き捨て、独歩(ある)く対岸(きし)から不毛に死に生く遥か旧(むかし)の〝小手鞠(こてまり)〟等には、面々繋がる景色が講じた〝人間(ひと)の暴図(ぼうと)〟を素描して居た。柔らの無理から旧(むかし)が仕上がり既知の一幻(ゆめ)には竜胆(はな)が騒がれ、現代人(ひと)の未来(さき)から肢体(からだ)が片付く一夏(なつ)の撤廃地(アジト)は不順(ふじゅん)に蹴上がり、無言の理性(はどめ)に未来(さき)が塞がる脆(よわ)い成果(さき)から一女(おんな)が這い出て、脆(よわ)い者だけ虐殺して生く現代挿話(げんだいそうわ)を得意に説いた…。
女性(おんな)の景色が男性(おとこ)を失くして永久(とわ)に跳び立ち、不倖の水面(みなも)を幸(ゆき)に弄(あそべる無頼の主観(あるじ)に滔々問うのは、現代人(ひと)の孤独へ一点(あかり)を差せない不穏の笑みから逆生(もどり)が這い出て、明日(あす)の身憶(みおく)に幻想(ゆめ)を苛む脆(よわ)い四肢(てあし)を順折り折った。幻想(ゆめ)の夜半(よわ)から搬送され行く拙い主観(あるじ)の無幻(むげん)の滔(とう)には、分厚(あつ)い陽光(ひかり)が自身を映さぬ幻覚(ゆめ)の主観(あるじ)の没我を受け付け、一人(ひと)の葦へと固陋を見送る拙い現代人(ひと)への〝浄化〟の有無には、温厚(あつ)い旧体(からだ)が母性(はは)を想わすオレンジ色した白壁(かべ)さえ観て居た。―――、旧来独白(むかしがたり)の不沈の進度(しんど)に幻(ゆめ)の独語(かたり)が旧来(むかしから)観て、現代人(ひと)の愚行(おろか)が全く解(かい)せぬ死太(ふと)い八頭(おろち)が至純(しじゅん)を省み、脆(よわ)い一夜(とばり)が千夜(せんや)を越え生く一幻(ゆめ)の逆行(もどり)の後形(あとかた)等には、死人に見得ない成人(おとな)の体形(かたち)が無謀を確かめ不沈を解いた。罅割れして生く人間(ひと)の生果は無穏(むおん)の自主(あるじ)を成果(はて)に当て据え、自ず返れる人間(ひと)の暗夜(よる)から無断が講じた〝悪魔〟を空転(ころ)がし、暗(やみ)の無意味に話し通せる独り善がりの呆然自失は、惨い盛(さか)りの相場の乗り見て気丈の程度に公言して居た…。無人に帰(き)し行く地球(アース)の揺れには現代人(ひと)の過憶(かおく)が揺られた儘にて、孤独の王佐が堂々巡りの気性を振る舞い微塵に省み、幻想(ゆめ)の野菊に竜胆(はな)を扇げる孤独の空間(すきま)へ身堕ちするのは、孤独と現代人(ひと)との再現連動(さいげんドラマ)の無実に関する不貞でもある。―――、共存するのが人間(ひと)の定めに愚かを講じて居座る間は、俺の背後に培い続ける無感の心機に追随した儘、「明日(あす)」の過憶(かおく)へ従い続ける無断の日(ひ)の粉(こ)に逆らい続ける。黄土の芽を出す幸先(さき)の木の葉は人間(ひと)の表情(かお)見て眩々(くらくら)した儘、幻想(ゆめ)を講じて抗い続けた苦悶の日々から精神(こころ)が延び活き、絶対不要の害児(がいじ)を認(みと)めた夜半(よわ)の寝床を箱庭にもした。一女(おんな)の一形(かたち)が無断に仕上がる人間(ひと)の独義(ドグマ)の許容の四肢(てあし)に、孤高を統(たば)ねて人間(ひと)に埋れる未完(みじゅく)の生茂(せいも)を暗算して居る…。精神(こころ)の無己(むこ)には四肢(てあし)が無い儘〝無い物強請り〟の許容を身に着け、旧い常識(かたち)に同調(シンパ)が挙がれる無戒(むかい)の生憶(きおく)に感覚(いしき)が過ぎ去り、孤独の信仰(めいろ)へ不循(ふじゅん)を帰(き)せ得る無刻(むこく)の自然(あるじ)を既視(おおめ)に観て居た。遠く凌げる〝旧巣(ふるす)〟の孤独は矛盾を暗転(ころ)がす正義を身に着け、旧来(むかしながら)の利潤の総ては蓮の葉を観て好転して居た。現代人(ひと)の夜(ゆめ)には〝朝〟が突き刺す〝日(ひ)の粉(こ)〟が降(お)り継ぎ、明日(あす)の信仰(めいろ)を公転させ行く旧(むかし)の独語(かたり)を端正(きれい)に片付け、旧い葦から群生(ぐんせい)して行く「向日の童児(どうじ)」は総て死に絶え、好からぬ嘘から生命(いのち)が仕上がる無言の背句(はいく)を滔々詠んだ。
~素通り廻り…~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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