day12 チョコミント(はじめての味)
その日も気温がよく上がって、暑い日であった。
学校から帰った
朝恵は横目で動いていないクーラーを見た。勝手につけてはいけないと、両親に言われているそれを。
――クーラー、つけてもいいか聞きに行こうかなあ。タオルハンカチで汗を拭きながら考えていたところに、母がやって来た。
「ごめんね、朝恵。ちょっと今日は暑いわね」
母はクーラーのリモコンに手を伸ばすと、電源を押す。ピッという軽い音とともに、クーラーが動き出してひんやりとした空気が出てきた。これで、しばらくしたら気持ち良く過ごせるようになりそうだ。
「部屋が冷えるまでに、先におやつを買っていらっしゃい」
母がテーブルの上に、小銭入れを置く。いつも朝恵が買い物のときに預けられるものだ。
「なにをかったらいいの?」
「何でもいいわよ。入ってるお金で足りるならね。朝恵の好きなものを買っていらっしゃい」
「ありがとう、おかあさん!」
朝恵は小銭入れを手に取ると、立ち上がった。少し皺の入っていたキュロットスカートをなおすと、部屋を出る。
「じゃあ、いってきます!」
何を買おうかな――頭の中にいろいろと商店街に売っているお菓子を思い浮かべながら、朝恵は店の外に出たのだった。
商店街は今日もほどよく賑わっている。
先日まで七夕のイベントをやっていた広場はすっかり片付いて、普段通りの憩いのスペースとなっていた。
空いていたベンチのひとつに腰掛けて、朝恵は考え込む。一体何のおやつを買おうかと。
和菓子もいいし、たまにはケーキもいいかも知れない。でも駄菓子の類も捨てがたく思える。
「どうしようかな……」
「何をどうするんだ、朝恵ちゃん?」
すっと耳に届いた、聞き慣れたよく響く低い声に朝恵ははっとして顔を上げる。
「――おにいちゃん!」
「今日は何を悩んでいるんだ?」
「あのね。きょうはおかあさんがすきなおやつをかっていいって。それで、なににしようか、かんがえてたの」
「そうか。ここは結構いろいろ揃うからな」
「そうなの。ケーキもいいし、わがしもいいなって。――こんなときって、おにいちゃんなら、なににする?」
朝恵は真雅に尋ねてみた。お兄ちゃんなら一体、こういうときにどんなお菓子を買うのかが、気になって。
「俺様か? ――そうだな……今日は暑いからな。たまにはアイスクリームにするかも知れないな」
広場のほど近くにある駄菓子屋「あかつき」をその長い指で指差しながら、真雅は口の端を上げた。
「あつい日のアイスはおいしいよね、おにいちゃん」
「そうだな。――よし、買いに行くか。何ならアイスだけは俺様が買っても構わないぞ。ここで一緒に食べて帰れば、大丈夫だろう」
「いいの、おにいちゃん?」
「構わないぜ」
大好きな真雅と一緒にアイスを食べたら、一人で食べるよりもずっと美味しいだろう。
今日は駄菓子屋へと行くことにあっさりと決めると、朝恵は真雅と一緒に、駄菓子屋の「あかつき」に向かった。
駄菓子屋のあかつきには、たくさんのお菓子が並んでいた。小銭があれば買える小さなものから、箱にたくさん入ったものまで。子どもだけでなく、駄菓子の『大人買い』をしたい大人も、この店には結構訪れていたりするのだ。
アイスが並べられた冷たいケースを、朝恵は真雅と一緒に覗き込む。
「さあ、どれにする?」
「うーん……」
定番のバニラアイスも捨てがたいし、たまにはストロベリーアイスもいいかも知れない。大好きなチョコレートのアイスも売っているし、暑い日なのでソーダのアイスもさっぱりするだろう。ケースの中にたくさん並んでいるアイスを前に、朝恵は悩みに悩んだ。
「おにいちゃんは、どれにするかもうきめちゃった?」
「いや? 案外いろいろあるものだと、俺様まだ品定め中だな」
だから、朝恵ちゃんもゆっくり考えるといい。そう真雅が言ってくれたので、朝恵はじっくりと考えることにした。
スイカの形をしたアイスも面白そうだし――と思ったときだった。そのアイスが朝恵の目に留まったのは。
それは、涼しげな色をしたアイスであった。水色の地に、どうやらチョコレートが入っているようだ。カップの蓋には『チョコミントアイス』と書いてあった。
今まで食べたことが無いアイスだ。でもチョコレートは大好きだから、きっと美味しいアイスだろう。――決めた。
「おにいちゃん。わたし、これにする」
「チョコミントアイスか。――朝恵ちゃんは、ミント系の味は大丈夫なのか?」
「……わかんない」
真雅の口ぶりからすると、チョコミントアイスというのは、ミント系の味が大丈夫でないと口に合わないもののようだ。別の物にした方がいいだろうかと考え込んでいたら、真雅がアイスのケースからチョコミントアイスを出してくれた。
「まあ、試しに食べてみればいいか。何事も経験だ。もし朝恵ちゃんが食べられなかったら、俺様が残りは食べてやるさ」
「いいの、おにいちゃん?」
「ああ。――朝恵ちゃんは、普段はどんなアイスを食べるんだ?」
「あのね。わたしチョコレートアイスがすきなの」
「チョコレートか。なら――これにしておくか」
真雅はケースの中から、チョコレートでコーティングされたアイスバーを取りだした。朝恵も好きな定番商品だ。
「俺様がこれの会計をしている間に、朝恵ちゃんは家で食べるお菓子を選んできたらいい」
「――うん。そうするね、おにいちゃん」
真雅がアイスを買ってくれるのが嬉しくて、自分のおやつのことはすっかり忘れていたのは秘密にしておこう。――真雅の顔つきからすると、どうやらそのことにも気付いていそうではあったが。
家で食べるおやつは何にしよう。たまには、スナック菓子にしてもいいかも知れない。
朝恵はスナック菓子の小袋と小さなヨーグルト型の容器の駄菓子を選ぶと、会計をしてもらい、小さな袋を提げて真雅と一緒に店を出た。
先程の広場まで戻り、ふたり並んでベンチに座る。
「さあ、食べてみるんだな」
「ありがとう、おにいちゃん!」
真雅が手渡してくれたチョコミントアイスを、朝恵は目を輝かせて受け取った。
どんな味なのだろう。ミント系の味というのが、朝恵にはいまいち想像がつかないが。開封してみると、見た目はとても涼やかで美味しそうである。
木のスプーンを手に取って、朝恵はアイスをすくいとった。そして口に運ぶ。
その味は、確かに今まで朝恵が食べたことの無い味だった。はじめての味だ。すっきりとした、爽やかな味がする。その中にチョコレートの甘さもある。普段食べるチョコレートのアイスよりも、チョコミントアイスはさっぱりとしていて、甘さ控えめで――こうした暑い日に食べると、すっきりしているところが普通のチョコレートのアイスよりも美味しいかも知れないと朝恵は感じた。これはお気に入りのアイスのひとつになりそうな気がする。
「……おいしい!」
「そうか。口に合ったか。――それは良かった」
夢中になってアイスを口にする朝恵を、真雅はその鋭い瞳を細めて見守っている。ゆっくりと、チョコレートでコーティングされたアイスバーを囓りながら。
「――ごちそうさまでした」
あまりにチョコミントアイスが美味しくて、つい無言で一気に食べてしまった。
「朝恵ちゃんは、いつも行儀がいいな」
食べ終わったアイスの棒を袋に戻しながら、真雅は口の端を上げる。小さく、ご馳走様と呟いてから。
「朝恵ちゃんは、チョコミントアイスが気に入ったみたいだな」
「うん! とてもおいしかったの、おにいちゃん」
「そうか。朝恵ちゃんは少し大人なんだな」
どういうことだろうか。まだ小学一年生の朝恵が少し大人とは。朝恵は小首を傾げて真雅の顔を見上げる。
「いや。――ランは、チョコミントアイスが苦手でな」
「ランおじさんが?」
この前花火をしたときに初めて会った優しいおじさんが、まさかチョコミントアイスが苦手だなんて。朝恵は目を見開いた。
「ああ。甘い中にミントの味が混ざるのがどうにも苦手だとな。それで、朝恵ちゃんはランより幼いから、チョコミントの味が大丈夫か俺様気を揉んでいたんだが――杞憂だったな。朝恵ちゃんは、この点に関してはランより大人だ」
真雅はにっと鮮やかに笑んで、その大きな手で朝恵の頭をそっと撫でた。
「さて、帰るか。ご両親をあまり心配させてはいけないからな」
「はーい!」
朝恵はお菓子の入った袋を持って立ち上がった。食べ終わったアイスのゴミも袋の中に入れようとしたら、その手を真雅に止められた。
「これは、俺様のところで始末しておこう。――アイスを俺様と一緒に食べたのは、ご両親に内緒な」
朝恵と目線を合わせて悪戯っぽく笑う真雅に、朝恵は大きく頷いてみせた。
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