握力が8キロになった話
倉木元貴
第1話
これは私が体験した本当にあった話だ。
当時の私は、介護福祉士として障がい者支援施設で生活介護の仕事をしていた。
働き始めてから5年目に突入したこともあり、中堅職員への道を、ゆっくりとではあったが歩み始めていた。
ものごとすべてに消極的な私だったが、5年目と言うこともあって1人でこなしていく仕事が大いに増えた時期でもあった。身体的ストレスや心因性のストレスを受けることも多々あった。だけど、仕事自体にはやりがいはあった。障がい者支援施設ということもあり、寝たきりの人ばかりではなく、高齢者から若者まで多数の人がいた。勉強になるようなたくさんの話が聞けたし、差別や戦争のリアルな話を聞けて、初めての体験だって新鮮だった。
そんなある日、普段と何も変わらずに仕事をしていると、右腕に電気が突然走った。正確に言えば、手首から肘までの
次の日に、趣味で絵を描いているが、どうしても今日中に2枚仕上げたくて、休日だったが朝から晩まで絵を描き続けていた。2枚目の完成間近には、右手が少し痛かった。症状としては
それから1週間が経って、職場でパソコンを操作している時に違和感を感じた。右手の
そんなふうに探している中で、1つだけ症状が全く同じものが出てきたのだ。それは“
病院に行くのも時間が掛かるし面倒だし、と思い、ネットに書いてある治療法を、幾つものサイトを読み漁って、1つ一つを実践していた。具体的にどんな治療法を行なっていたのかと言うと、
その他には、手首のサポーターを使って、手首を固定すること。(因みに、このサポーターは、スポーツ用品店で買いました。2000円くらいでした)
これも割といい効果があった。手首を固定することで、指の痺れが軽減され、治ったのかと錯覚してしまうほど、痺れはなくなっていた。ただ、メリットもあればデメリットがあるのが当たり前で、保冷剤の場合は、溶けていくのと同時に水が出てくるのがネックだったが、サポーターは、手首を固定していたから、手の可動域が極端に狭く、手をのけ反ることも前に折ることも難しくなっていた。しかも、それを仕事中も日常生活でも、ずっとつけていたから、狭い可動域で手首が固定されて、サポーターを外しても、手首の可動域は変わらなくなってしまっていた。これはさすがにまずいと思い、日常生活では、できるだけサポーターを外して生活した。
それと同時に、手首を反ったり曲げたり、ストレッチも毎日欠かさず行っていた。そのおかげで、手首の可動域は、すぐに元に戻った。が、サポーターをつける時間を減らした反動は割と大きかった。たいして何もしていないのに、急に手に電気が走ったり、痛みを感じることが増えた。ひどい時では、箸を持っただけでも痛みを感じることがあった。その影響もあって、家でいるときはできるだけ左を使うように訓練を始めた。
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