#18:Groping.

彼女と娘と一緒に暮らしたい。


そう口では言ったものの、簡単に物事が進むとは思っていなかった。


どうなるかは分からないけれど、踏み出す勇気は彼女と娘の存在から、十分過ぎるほど貰っている。


彼女も『ある決意』を胸に秘めて、目の前の仕事に向き合っていた。


子供の頃になりたかった職業、自分が楽しいと思えること…積み上げてきたものを捨て去ってでも守りたいもの。



模索を続けていく中で、何となく見えている景色があった。



彼女のクランクアップを待って迎えた、九月のある土曜日の夜。ボク達は、彼女の実家に約十二年ぶりに訪れることになっていた。娘が彼女のお腹の中にいた時を含めれば三度目のことになる。


「ところでひまわり、学校も休みだったのに何で制服なんだよ」


「私のって制服でしょ?」


「そう言われればそうだけどさ…せめてまだ夏服なんだから、ブレザーは要らなかったんじゃないの?」


「パパ、こういうのはね第一印象が大事なんだよ!」


胸を張ってドヤ顔をしている娘を見ていると、少しだけ緊張が解れたけれど、かくいうボクも休職が続いていて、久しぶりにスーツを着てガチガチになっていた。


「太陽くん、あの…無理はしないでね?」


「大丈夫。わかってる」


約十二年ぶりに連絡をした相手は、妹の桃香ももかだった。直接両親に話をする決心がつかず、彼女に頼るしかなかった。


ワタシ達を迎え入れてくれる話はと進み、桃香も同席してくれることになっていた。


『FLEURISTE』


フランス語で花屋を意味するこの店を、久しぶりに目の当たりにすると、あの時の記憶が大きな足音を鳴らしながら、ワタシの頭の中を駆け巡った。


ワタシの妊娠が分かった時、彼は父から殴られ、土下座をして許しを乞うていた。あの姿はもう見たくなかった。まして娘の前でなんて、想像をしただけでも逃げ出したくなってしまう。


「よし、皆で深呼吸しよう」


彼も相当に緊張しているように見えたけれど、彼にならって深呼吸をする。


「ここからでもお花の匂いがするね」


娘は、この香りをどう感じているのだろうか。少なくともワタシには未だ、苦しくて耐え難い記憶を想起させるものでしかなかった。


「じゃあワタシが押すね…」


実家のインターホンを押すことは、もう家族では無いとコチラから宣言しているように思えた。


「は〜い」


母の声に良く似ていたが、出てきてくれたのは妹だった。


「いらっしゃい、お姉ちゃん。久しぶりだね」


「うん…ただいま」


十二年ぶりに会う妹は、来年で三十路を迎える。最後に会った時は高校生だったけれど、化粧もしていて、すっかり大人の女性になっていた。


「あなた、ひまわりちゃん?大きくなったねー!」


「こっ…こんばんわっ!佐々木ひまわりっでしゅ」


「〝佐々木…?〟」


(姫様は第一印象で噛んだ…まだまだ執事のお世話が必要なようだ)


「ご無沙汰しています。本日はありがとうございます」


「大丈夫ですよ〜、お兄さんもお久しぶりですね」


「いや、そのっ、お兄さんというのは…」


「パパしっかりしなさいよ」


「はい…」


「仲良しだねぇ。さ、はやく上がって!お父さんたちも仕事が終わったところだから」



「お父さんお母さん、お姉ちゃん達来たよー」


妹さんの呼びかけに応じて、彼女のご両親がボク達の目の前に現れた。あの時に感じていた圧迫感は無く、何だか少しだけ小さくなったような印象を持った。


「いらっしゃい二人とも、それと…ひまわりちゃんね?」


(この人が私のおばあちゃんなのだろうか…)


「はい…ひまわりです。あ、こんばんは」


「大きくなったわね」


祖母の笑った顔はママの笑った顔とよく似ていて、優しくて温かい雰囲気を纏っていた。


「本日は急にお邪魔してしまって申し訳ありません」


「まあ、立ち話もなんだから座りなさい」


久しぶりに会う父は、白髪が増えていて以前よりも痩せているように見えた。怒っている様子は無かったけれど、何気ない一言にも強さと怖さを感じてしまった。


「へー!都立にデザイン科なんてあるんだねー!」


「小さい頃から絵を描くのが好きだったんです」


娘と妹は、すっかり打ち解けていたけれど、ワタシ達と両親は会話の『きっかけ』を探していた。


「元気にしているのか?」


その父の一言から、ワタシ達の話し合いは始まった。


「うん。元気にしてるよ」


「そうか…それで、今日は何の話をしに来たんだ?」


「佐々木さん、単刀直入に申し上げます。娘さん…花さんと結婚することをお許し頂けないでしょうか?」


「なんだ、君達は未だ結婚もしていないのか?」


「はい…まだ、正式には…」


「正式も何も、あれから何年も一緒に居てその為体ていたらくなのか?」


「それは…」


あの時殴られたこと、二度目も許して貰えなかったこと、うつ病になって仕事を休んでいること、復職してからの周りの言葉…辛い記憶が思い出されて吐く息が大きくなっていた。


「その子も何だ?高校生なのかもしれないが、髪も随分と派手に染めていてだらしなく見えるぞ」


「この子の事で何か言われるのは聞き捨てなりません」


「どうしてだ?その子は私の孫なんだろ?」


「お言葉ですが…」


(焦るな、落ち着いて話すんだ…)


「あの時あなたは、この子のことを見てくれていましたか?」


「なに?」


「この子は未だ三歳にもなっていませんでしたが、確かにここに居ました」


「それがどうした?」


「もう一度お聞きします…あなたは、この子のことを見てくれていましたか?」


「なに?」


「自分の孫だと思うのなら、この子に対して何か言葉をかけてくれましたか?」


「……」


「私は何と言われようと構いません。ただ、花さんとこの子のことを悪く言われることは納得ができません」


パパは祖父とだけではなく、自分とも闘っているように見えた。私に出来ることは何かあるだろうか。


「あのっ、これは私が勝手に染めたから、パパ…お父さんとお母さんは何も関係ありません」


「やっぱり君達の教育が、ままならないからじゃないのか?」


「あなた、もう少し落ち着いて話を聞いてあげて」


「そうだよお父さん、ちゃんと聞いてあげてよ」


母と妹からの言葉に、父は苛立ちながらも少し落ち着いたようだった。


「あの…あれから…ワタシが一人で育ててきたの」


「どういうことだ…?」


「お父さんから許してもらえなくて、ワタシ達ははなばなれになったんだよ…」


(あの時と同じだ…)


もう感情を抑えられそうになかった。


「お父さんのでワタシ達は一緒に居られなくなったんだよ!ワタシにはこの子がいたけど、太陽くんは一人ぼっちになった!ワタシ達を引き離したの!」


「それは君達の勝手だろう」


「どこが勝手なの!ワタシは黙ってでも一緒に居ようって言ったけど…でも太陽くんは許してもらえないからって…自分が悪いからって諦めたんだよ!」


「じゃあ何で今こうして一緒に居るんだ?」


「あのっ、それは私が…私がお父さんとお母さんを会わせたから…」


何となくこうなる予感はあった。でもボクは、この二人のことを幸せにすると誓ったんだ。


「私が自分の意思で離れることを決めたんです。お父さ…佐々木さんのせいではありません。私が二人から逃げたんです」


「太陽くん…」


「パパ…?」


「大丈夫だよ…」


「私は…いま『うつ病』に罹っていて仕事を休んでいます。でも、そんな時に花さんとこの子に救われたんです」


「それは君が弱い人間だからだろう」


「そうですね…私は弱い人間です。だからあの時も逃げ出して、一人で生きて行くことを選びました」


「それで?自分が弱っているから、この子達に甘えたいってことか?」


「確かに甘えています。私には両親と…兄がいますが、もう十年以上も会っていませんので…頼れる存在は、もうこの二人しか居ません」


「ふん、それも君の勝手な事情だろう」


「私の勝手な事情です。でも、もうこの二人を自分の元から手放したくないんです」


「仕事を休んでしまっているような君が?笑わせないでくれ」


「笑って頂いて構いません。でも、私は絶対にこの二人から二度と逃げ出しません」


「あの…ごめんなさいね。私からもいいかしら?」


母は一度目はワタシをぶって、二度目はただ泣いていたけれど、今回はこれまでとはどこか様子が違っていた。


「花…ずっと一人で大変だったでしょう?」


「お母さん…?」


「ひまわりちゃんも、ずっと寂しい思いをさせてしまってごめんなさいね」


「私は…大丈夫です。ママは私のことを大切に育ててくれていますので」


「鈴宮くん、貴方にも苦労をかけてしまったわね。本当にごめんなさい」


「いえ…自分が甘かったことは事実です」


「そんなことないわよ?それにこの人もね、別にあなた達のことを虐めたい訳じゃないのよ」


「はい…それはもちろん分かっています」


「あれから、ずっと気になっていたことがあってね」


母は自分が思っていたことを、ありのまま打ち明けてくれた。


「花が高校生になった頃から…自分からは何も言ってこなかったけれど、いつも寂しそうな顔をしていてね」


ワタシが学校に馴染めていなかったことは、彼以外に話したことは無かった。きっと母は何かを感じていたのだろう。


「それがある時からね、とっても明るくなったのよ。たぶん貴方…鈴宮くんと出会ったからじゃないかしら?」


「あー、私もそれ憶えてるよ!お兄さんウチの店にお客さんで来たことあったもんね?」


「そうですね…」


「それにね、モデルのお仕事も私達夫婦と美咲ちゃんとで決めてしまったようなものだったし、ずいぶんと会話も減っていたんだけれど、よく話をしてくれるようになってね、あぁこの子は幸せになれたんだなって思ったのよ」


「ふん!母さんも何を言ってるんだか」


「あなたは黙ってちょうだい」


(おばあちゃん…笑ってるけど怒ると怖いな。気をつけよう)


「この人もこう言ってるけどね、花の出てるドラマとか映画とかをちゃんと観てるのよ」


「そっ、それはいま関係ないだろう!」


「二度も言わせないで?あなたは黙っててちょうだい」


「ふん!」


「あの時は私も叩いてしまったけれど、子供が出来たことにじゃなくてね、美咲ちゃんにも頭を下げさせたことが申し訳なくてね…」


「ごめんなさい…」


「謝らなくていいのよ。母さんも叩いてしまって後悔してるのよ…ごめんなさい」


「うん…」


「それに自分の娘が『笑わない』なんて言われるようになっていて、いま話を聞いて理由が分かって私も反省しているのよ」


「お父さんのせいだね」


「桃香までっ、父さんが全部悪いみたいじゃないか!」


「まぁ殆どお父さんが悪いでしょ」


「……」


「でもね、鈴宮くん。この人が仕事を辞めさせる覚悟があるのかって言っていたでしょう?あれは私も同じ意見だったのよ」


「はい…」


「いまの貴方はどう思っているのかしら?」


「私は…」


(彼女は女優の仕事に誇りを持っている…あの覚悟のことは話すべきなのか…いや、今は正直に自分の気持ちを伝えよう)


「私には、花さんから仕事を奪うという選択肢はありません」


「そう…」


「今の私に経済力が無いから言っている訳ではありません。花さんは、女優という仕事が大好きなんだと思います。だから…それをボクが奪うことは出来ません」


「太陽くん…」


「それを聞いて安心したわ。『辞めさせます』なんて言ったら、今度は貴方を叩くところだった。鈴宮くん、花のことを想ってくれてありがとう」


「いえ…私は…もう彼女に何も失って欲しくないんです。それに、私が言える立場で無いことは分かっていますが、ご家族にも花さんを失って欲しくないんです」


「そうね…そう言ってもらえて嬉しいわ」


「お母さんありがとう。その…お父さんも、酷いことを言ってしまってごめんなさい…ワタシも反省しています」


「ちょっとお姉ちゃん!私には無い訳?」


「そうね、桃香も本当にありがとう」


「あのね〜家族に芸能人がいるって、隠すの大変なんだからね?」


「そうだよね…でも私も覚悟していることがあるの」


「花ちゃん…それは未だ言わなくても…」


「んーん、やっぱり言わなきゃダメだよ。あの、ワタシね…………」



この覚悟に、ワタシは一つの条件を課していた。


まだ先のことだから分からないけれど、その約束を守るため…あの映画には今まで以上に本気で真摯に向き合った。



その結果が、私の女優人生の分岐点になると思っていた。



あれから父も落ち着いて、まだ首を縦には振ってくれなかったけれど、最後には「いつでも三人で遊びに来なさい」と言ってくれた。


少し丸くなった父の姿は、見ていて不思議だったけれど本当に嬉しかった。


娘にも頭を下げて、こっそり作っていたという『ひまわりのフラワーリース』を恥ずかしそうにプレゼントしていた。


孫から尊敬の眼差しを向けられて、熱く語っていたけれど、きっと娘の芸術的な才能と感性は、父譲りなんだなと思うと心が温かくなった。


彼と娘のおかげで、家族との離れてしまっていた長い時間を、ほんの少しだけでも取り戻すことができて、彼も自分の中に秘めていた『何となく見えていた景色』に確信を持ったと言っていた。



嬉しくて流した涙と、ワタシの覚悟と彼の確信。



もうワタシ達に逃げ出すという甘えは無かった。

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