#17:Smile.

この日のワタシは、珍しく緊張していた。


四月から始まった件の映画撮影は、クランクインから一か月が経っていたけれど、ここまでは順調過ぎるほど順調にスケジュールを消化していた。


いよいよワタシの演じる灯が『明るく穏やかでよく笑う女性』へと変貌を遂げる『きっかけ』となるシーンを撮る為、ワタシ達は物語の舞台となっている北海道のとある高校を目指していた。


原作者の平野三好ひらのみよし先生が北海道のご出身で、今もここに居を構えていることもあって、この日は先生自ら撮影を見に来られることになっていた。


彼女とは、前作で『最優秀賞』ではなかったけれど、助演女優賞を受賞させて頂いた後、一度だけ未来と一緒に対談という形でお会いしたことがあった。


久しぶりの再会というイベントも、ワタシの緊張を否が応でも増幅させてしまっていた。


前作『memories』が公開された十五年前と比べ、原作者の意図にそぐわない脚色や望まない脚本の書き換えなどに対して、SNSを中心にそれを指摘する声が大きくなっている昨今、演者として作品に関わることは、どの作品に対しても気を遣わざるを得なかった。


特に真美さんは原作者優先主義で、原作者のイメージを具現化することに重きを置き、何よりも『そこに』拘りを見せていた。


平野先生がイメージする灯を演じることが出来るのだろうか、『笑わない女優』と呼ばれているワタシが、真美さんの求める灯の笑顔を表現することが出来るのだろうか…。


娘の導きで彼と再会したワタシは、日常での笑顔を取り戻すことが出来たけれど、いざ芝居でとなると一抹の不安を抱えていた。


「海さん、お久しぶりです」


「先生、ご無沙汰しております。また灯を演じさせて頂くことになりました。宜しくお願いいたします」


平野先生は、前作の激しい作風からは想像できないほどに素朴で、物腰が柔らかく腰の低い女性だった。


「はい!楽しみにしていますね」


(楽しみか…それってかなりパンチの効いた言葉なんだよなぁ)


今回撮ることになっているシーンの設定は、灯と澪の二人に娘が産まれていて、その娘たちの高校の入学式で偶然にも再会を果たすというものだった。東京では散ってしまっている桜も、まだ満開の状態を維持していて、季節感を表現するには問題は無さそうだった。


現役の女子高生だという娘役の二人の姿を見ていると、まるであの時のワタシと未来を見ているようで、さらに不安を煽ってきた。


台詞は完璧に頭に叩き込んできたけれど、どうアウトプットすれば良いか、撮影開始を目前にしてもイメージは霧の中を彷徨っていた。


「大丈夫?」


「未来…うん、大丈夫だよ」


「あの子たちを見てると…昔を思い出すよね…」


「うん、ワタシも思った」


「あのね…私には…その…子供がいないから…旦那さんもいない…けど…なんていうか…」


「うん…」


「たぶんね…たぶんだけど…いまの…今回の灯ちゃんを演じることが出来るのは…いまの海ちゃんじゃないと…その…出来ないんじゃない…かな?」


「いまのワタシ?」


「そう…それに…最近の海ちゃん…なんだか幸せそうに見えるし…きっと大丈夫だよ…」


「そうかな?でも未来にそう言ってもらえると安心するよ。ありがとう」


「ううん…私も…また海ちゃんと映画撮れて…嬉しいから…」


「そうだね、まさか未来が映画に戻ってくるなんて思ってなかったよ」


「それは…この作品だったし…その…海ちゃんがいたからだよ。私もしっかりお芝居するから…大丈夫だよ…そのままのちゃんで…」


(そのままのワタシか…)


「あの…今って…今日も…先生が来てるけれど…叩かれちゃったり大変だし…私は…この自分じゃ勝負できないから…楽は楽なんだけど…」


「うん」


「前の…あのシーン…海ちゃんとの初めてのシーンね…あの時…ちょっと素の自分が出せたから…海ちゃんのおかけで良いシーンになったんだよ?」


(確かに節々に素の未来の表情を見せていたよな)


「だから…その…今日は私に任せてっ」


「うん、未来に任せるよ。正直どう演じていいか分からなくて困ってた」


「大丈夫だよ絶対に…海ちゃんなら…大丈夫」


未来は普段は大人しくて静かだけれど、世間では大女優で通っている。インタビューでも素の自分を出さずに『演じている』プロ中のプロだ。


(あの時みたいに演じられればな…)


どうなるか分からないけれど、先生からも真美さんからも納得してもらえる芝居をしたい。親友からの言葉に力を借りて演じてみよう。



桜の木の下で、二十年振りに再会する二人


「あれ?もしかして…灯ちゃん?」


「え?澪…?」


「久しぶりだねー!高校の卒業以来じゃない?元気だった?」


(さすが大女優…振り幅が凄すぎる…)


「まあ…元気…だったよ。澪は元気にしてた?」


「私はこんなんだから、いつも元気だよー!」


「そう…それなら良かった」


「でもまさか二人とも娘が産まれてて、同じ高校だったなんて凄いね!こんなことあるんだー」


「そうだね…あの、式も始まるしそろそろ行かなきゃ…」


「じゃあ娘ちゃん達は先に行っててね、お母さん達はもう少し話をして行くから」


ここで娘役の二人がけ、澪と二人きりになる


(このまま未来に任せて大丈夫かな…)


「そのっ…話って…」


「あの時はごめんなさい!あんなことになっちゃって!」


「いやっ!謝らないで…その…私も若かったし…ピリピリしちゃってたから」


「ホント若かったよねー」


「………」


「でも灯ちゃんのお陰で、他人の思いに向き合えるようになったんだよ?」


「私は…あなたにあんなに酷いことをしたのに…」


「まあ、あの時は辛かったけどさー、結局アイツもあんな男だった訳だし」


灯と付き合っていた男は、澪に一目惚れをして澪と付き合うことになった。でもそれがどうしようもない浮気男で、学校中の女子生徒から危険人物として見られるような存在になって、物語からフェードアウトしていった。ちなみに役者界からもフェードアウトしていた。


「そう…だね…」


「でも年を取るとさ、あれも必要なことだったんだなって思えるんだよね」



(必要なこと…)



あの子を授かって両親に報告したあの夜も、一緒に暮らしたいと、もう一度懇願したあの夜も必要なことだったのだろうか。



「澪…あの時は本当にごめんなさいっ!」


「いいって!頭をあげて?私は灯ちゃんに本当に感謝してるんだよ?」


「そんな…私は恨まれても…感謝されることなんてしてないよ…」


(涙は問題なく出せた…未来のおかげで感情も上手くコントロール出来てる)


「過ぎたことは仕方ないし、やってしまったことも取り返しはつかない。私だって灯ちゃんから、知らなかったとはいえ彼氏を奪っちゃった」


「………」


「でも、今が幸せならそれで良いと思ってる」



(今が幸せ…大切な娘が居て、大好きな彼もワタシの隣に戻ってきてくれた…いまのワタシなら…)



「ねえ…灯ちゃんは…今は幸せ…じゃないの…?」



澪じゃない、未来から言われた言葉のように感じた台詞は、ワタシを灯から佐々木花に戻してくれた。




「私は幸せだよ…また貴女に会えて良かった」




涙と一緒に、今までのことが全部嘘だったかのように自然と、ワタシは笑顔になっていた。


ワタシの唯一の親友は、ずっとワタシのことを見てくれていた。そう思うと、心の中の温もりが全身から溢れ出していた。



(ヤバい…かなり疲れた…)


達成感もあったけれど、色んな感情とか思い出が頭を駆け巡って、想像以上に堪えていた。


「海ちゃん…私…大丈夫だった…かな?」


「ありがとう…未来のおかげで乗り切れたよ〜」


「あの…」


ワタシ達の前には、平野先生と真美さんが立っていた。既に感情を出し切ってしまった抜け殻のワタシに、この二人からの講評を受けることは正直キツかった。


「先生…あの…私達のお芝居…どうでしたか?」


未来が素のまま、ワタシに変わって聞きたいことを聞いてくれていた。


「あの…とっても良かったです…本当に感動しました…ありがとうございます」


先生は涙を流して、心から喜んでくれているようだった。


(良かった…)


「いや〜これで『笑わない女優』も卒業だね〜」


「せっかく褒めて頂いてるのにやめてくださいよ」


「あの…監督…どう…でしたか?」


「どうもなにも最高だったよ〜!先生もこう仰ってくれてるんだよ?二人とも100点、いや120点満点だよ」


「良かった〜」


久し振りに感じるこの喜びは何なのか。


先生や真美さんからの期待、未来との信頼関係、家族との絆…初めて映画に参加した時に感じた高揚感。


ワタシは女優という仕事が大好きで、多くの人達のおかげで成り立っているんだなと再確認できた。


「あのっ!海さんっ!ここのシーンなんですけど、ご相談したいことがあって…」


ワタシの娘役をしている女優から言われたその言葉に、驚きがあったけれど、ひまわりのことが頭に浮かんだ。


女優の先輩として、この子の為になることは何でもしてあげたい。この作品を素晴らしいものにする為になら何だって出来る。


台本を握りしめ、ある決意を心の中に抱いて、母親として、娘の相談に耳を傾けた。

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