#11:Curiosity.
直接『そのこと』について、聞いたことは無かった。
中学を卒業して、春から都立高校のデザイン科に進学することが決まっていた自分は、入学式までの『春休み』と呼ばれている、この生産性の無い手持ち無沙汰な時間を、どう有効的かつ有意義に『無駄』なく消費すべきかを考えていた。
「クロッキーでも書こうかな…」
モチーフは何にしようか、ふと幼い頃に遊び相手だった着せ替え人形の姿が頭に浮かんだ。絵を描くことが好きな自分は、お人形遊びよりも『お絵描き』にのめり込んでいき、いつの間にか人形の姿は自分の前から消えていた。
自分の部屋には『無い』それが家の中の『どこ』にあるのか、それとも捨てられてしまったのだろうか…。
その真相を明らかにしたいという衝動に駆られた。
衝動に駆られた自分は『好奇心の権化』となって、誰にも制御できないのだ。
場所の目星は何となく付いていた。
『あの人』との共用スペースには存在しないことを自分は知っていた。
「ここかなぁ…」
あの人の寝室のクローゼットを開けると、視聴覚室の暗幕カーテンが掛かっているのか、と見間違うほどに連なる『黒、黒、黒、黒、黒、黒』黒一色の服が並んでいた。
「ホント、黒しか持ってないんだな」
あの人は普段、黒しか着ない人で幼い頃は一緒に歩くのも嫌だと思う時期があった。
暗闇の下に、白い収納ボックスがキラリと光って見えた。
取り出すと見えていた部分は裏面だったようで、表面を見ると、厳重に4桁のダイヤル錠で施錠されていた。
「どんだけ見られたくないんだよ…」
スマホだって顔認証とか指紋認証でアクセス出来るし、このマンションだって鍵をタッチすればオートロックを解除できる。メールボックスだって3桁の数字を回すだけなのに…。
『0 0 0 0』から片っ端に挑戦するなんて、無駄な労力は使いたくなかった。それこそ時間の無駄だ。
あの人に関連する数字に絞って、ダイヤルを回すことにした。
「平成元年って何年だっけ…」
西暦で何年かなんて知らなかったけれど『元年』という言葉のインパクトだけで、あの人の生まれた年を認識していた。
『1989年』…今年で35歳らしい。そんなことは、どうでも良かった。
1…9…8…9…
(誕生日って何月何日だっけ?)
スマホを取り出して確認する。
0408、4008、0480、0048…これでも開かない。
1989と『48』を足した数字を試してみたけれど、開くことは無かった。
「まさかね…」
開かないと思っていたけれど、試すだけ試してみることにした。
0…7…0…6…
「
まぁいい、開いたのだからそれで良い。
恐る恐る蓋に手を乗せる。手は少しだけ震えていた。
二回深呼吸をして、気持ちを落ち着かせてから未知の扉を開いた。
あの写真のような絵と、写真に映っていた『この景色』を探し出すことは案外簡単で拍子抜けした。
『記憶には無いその景色』を観てみたいと思った。
自分という存在の序章は、どのように描かれたのだろうか。
一度だけ聞いてみたことがあった。
感情なんて無いと思っていたけれど、当時五歳だった自分でも『二度と聞かない方が良い』、そう理解することが出来た。
あの人を説得する為の理由とか、ダメだと言われた時の無駄な時間を過ごすことは不毛だと思った。
今のあの人が帰ってくるのは、だいたい日付が変わる頃だったので、それまでに帰宅できる万全の体制でスケジュールを組み、日帰りで空を飛ぶことを選んだ。
『友達の家に泊まる』なんて嘘をつくこともできたけれど、あの人は必ず電話をして頭を下げる人だし、何よりもきっと嘘をつくこと・つかれることが好きでは無い人だと思っていた。
「思ってたより暑っついなぁ…」
少しは薄着をしたつもりだったけれど、オーバーサイズのパーカーを着てきたことを後悔していた。
子供一人で飛行機に乗ることを指摘されないか、内心ドキドキしていたけれど杞憂だった。後から調べてみたら、自分が利用した航空会社は、十二歳以上であればキッズサポートを使用せずに、一人で搭乗することが出来るらしい。
初めから調べておけば良かった。たまに自分が『無駄』だと思う基準の曖昧さが、自身を苦しめることがあった。
感情を持たないあの人が、幸せを感じることなんてあるのだろうか。
あそこに写っていたのは、本当にあの人なのだろうか…?
また無駄なことに頭を使ってしまった。
とにかく今は、あの場所を目指すだけだ。
自分の知っている海は、いろんな色を混ぜた水みたいに汚く澱んでいて、海を青と表現することに違和感が(水色という色の名前にも納得がいかなかった)あったけれど、きっと『青い海』というものは、こういう色のことを言うのだろう。
目の前に広がる青を前にして、魂を抜かれたようになってしまった。
「綺麗…」
スマホに残しておけば、自分で絵にして再現できるかもしれない…。カメラアプリを立ち上げて、写真を何枚か撮ったけれど、どうも目で見ている青と、画面の中の青とでは印象が違っていて、同じものとは思えなかった。
絵の具アプリを立ち上げて、近い色を選んでスクショしようとしていると、何かが足にくっ付いてきた。
「ひっ!」
(蛇か!ハブか!)
くっ付いてきたのは、一枚の紙だった。
「もう…ビックリさせないでよ…」
言語コミュニケーションの出来ない相手に、愚痴をこぼして手に迎え入れた。
「えっ…?!」
先日、あの暗黒空間にあった物だ…。裏面、いや正確には表面?には何も書かれていなかった。
(間違えて持ってきちゃった?いや、ちゃんと戻してダイヤル錠を掛け直した。何かの呪いがかけられていて、自分を追ってきたのか!)
悪い妄想が止まらなかった。
辺りを見渡すと、一人寝ている男の人の姿が目に入った。
「あの人のかな…?」
男の人の脇には『開いた本』が置かれていた。わざわざ無理に起こしてまで確認するのも、無駄な労力に思えたので、彼が目を覚ますまで青色を楽しむことにした。
「あれ…寝ちゃってたのか…」
彼が起きたことを確認して、キャップを被ってサングラスを掛けてから立ち上がり、彼の前まで行って、海をバックにして尋ねた。
「これ、風で飛んできたんですけどアナタのですか?」
「ボクの物です…すみません」
寝不足なのか、目の下のクマが印象的だった。
「酷い顔…」
(マズい!つい心の声が漏れてしまった…彼に聞こえてしまったかもしれない…)
「拾って頂いて、ありがとうございます。助かりました」
(聞こえていなくて助かりました。ありがとうございます)
お辞儀をして、両手でそれを受け取る彼の姿は、まるで先日の卒業式で、卒業証書を受け取った時の自分を見ているようだった。
「いえ…」
(そういえば、あの人はまた卒業式にも来てくれなかったな…)
いや、考えるだけ無駄だ。
(でも、この人…どこかで見た顔をしている気がするな…)
これも、考えるのは無駄な時間だろう。
(それにしてもジロジロと見てくる人だな)
それに気付いたのか、目を逸らされた。
「ここの夕陽は本当に綺麗ですよね…」
同感だ。でも、地元の人は訛りがあると思っていたのに、標準語のイントネーションで少しガッカリした。
「そうですね、は……いやっ、知っている人の…想い出の場所らしくて、改めて観てみたいと思いまして」
想い出の場所とは言ったものの、あの人の想い出の場所という確信は無かった。
「想像以上でした。やっぱり『実物』は違いますね」
青い海と、この夕陽を観れただけでも収穫としよう。そう思っていると、彼も語り始めた。
「ボクも十二年振りに来たんですけど、ここは何も変わってなくて感動しました。街並みは変わっているかもしれないですけど、ここは変わっていませんでした。それって素敵なことだと思うんですよね」
十二年前…?少し引っ掛かるものがあった…いや、これもまた無駄な思考だろう。
「ほら、後ろ、キラキラしていて綺麗ですよ」
彼が指を差して、振り返って見た海は、キラキラと光を放っていて、とても絵にして描けるものでは無いと思った。
「凄い…」 只々、感動してしまった。
「カード…拾って頂いて、ありがとうございました。ごゆっくり」
立ち去ろうとした彼を、無意識に呼び止めてしまった。
「あのっ…」
「はい…?」
「どうか生きていて下さい」
自分でもどうしてこんな言葉を発してしまったのか、よく分からなかった。
でも何故だろうか、彼の顔は何かを諦めていて、今にも消えてしまいそうで、後ろ姿もどこか儚げで、キラキラ輝く海とは真逆の印象を受けてしまった。
いや、今は何も考えずに『全身で』この風景を味わいたかった。
髪を解いてキャップを脱いで、サングラスを外した。肌に当たる風と夕陽、目に映るキラキラした海は、『今まで見て来たどんな景色よりも』美しかった。
「良いものが観れたなぁ」
帰りの機内で余韻に浸っていた私には、少しだけ気になる事があった。
女の勘…いや、名探偵としての勘だろうか。
(あのキャラクターは高校生か…まだ私は中学生だ。いや、私も来月から高校生だから高校生なのかな?今の私は何にカテゴライズされるんだろう…)
また無駄な思考が、頭の中を駆け巡ってしまった。
私には、あの施錠された空間を『もう一度』開放する必要があった。
これはきっと、無駄ではなくて『必要なこと』だと確信していた。
あの人が出掛けて、一時間様子を見てから、こっそりと寝室に忍び入った。さながら名探偵、いや天才的大泥棒『三世』のそれである…祖父母の顔は知らないけれど。
ダイヤルを回して、中身を確認する。
「やっぱり、同じ物だ」
間違いなく、あの砂浜に居た男性の所有物だった物と、全く同じ物がそこにはあった。
…と、ここまでは特に驚くことでは無かった。どこでも手に入る物だろうし、『初対面の人が同じ機種のスマホを使っていた』程度の偶然だろうと思っていた。
確認したいのは『そこ』では無かった。
ページを何枚か捲ると、あの人と私が写った写真、それとは別にもう一人、当時の自分の『記憶』には無い人物が写っていた。
「やっぱり…」 間違いなかった。
きっと『一度だけあの人に聞いた』存在は、この人のことだろうと理解できた。
(でも、どうしてあの場所に居たんだろう)
手元にある写真では、あの人も、彼も、そして自分も、見たことのない笑顔をしていた。
開き進めると、ふと一枚の写真が目に止まった。
彼が私を膝の上に乗せて、絵本を読んでくれている…。
「あれ…?この絵本…」
『ある花』の絵が描かれたその絵本に見覚えがあった。
遠く記憶の彼方に残された、その光景が甦ってきた。
優しく包みこまれていた感触と温もり、優しくて落ち着く声、絵本に描かれていた花、あの人の笑った顔…大好きな空間。
ボックスの中には、幼い頃の遊び相手だった人形があったけれど、記憶の中の顔とは違う顔をしていた。
その人形と一緒に遊んでいた時よりも、過去の『絵本の記憶』は、鮮明に記録されていた。
ボックスの最下層まで掘り起こしてみたけれど、その絵本は見つからなかった。
彼にもう一度会ってみたい気持ちはあったけれど、あの人に聞くことは出来ない。
あの時のように、悲しい顔をして泣いてしまうだろう。
このモヤモヤは忘れてしまった方が良い、きっと無駄な事なんだ。
ボックスに詰まった想い出たちを、丁寧に元通りに直して、暗黒の中にそっと戻した。
彼に今後また会えなくても、あの絵本をもう一度読みたいと思った私は、自宅近くの『深川図書館』を目指していた。
小さな頃に『お化け屋敷』みたいに見えて怖くて、今まで立ち入ったことが無かった。
中に入ると、正面で大きなトトロのぬいぐるみが出迎えてくれていて、右手には児童コーナーがあり、壁には時間になると『帽子を被った小人が鐘を叩く仕掛け』なのだろうか、可愛らしい木製の『からくり時計』が掛けられていた。
見たことがある…ような気がしたけれど、目的の絵本を探すことが先決だった。
「あった!これだ…」
随分と読み込まれているそれを、早く開いて読みたかったけれど、児童コーナーにある椅子とテーブルは小さい子供向けで小さく低くて、とても座れそうになかった。立ったまま読みたくなかったし、奥の別スペースでは、スポーツ新聞を広げて読んでいる人達が居て、どうも落ち着けそうになかった。
どうやら二階に開架閲覧席があるらしいと知った私は、二階へと続く階段から見える景色を見て確信していた。
「ここ…来たことがある…」
レトロなランプが付いているこの階段を、両手を繋いでもらって一歩ずつゆっくりと登って、二階に上がった所から、この『ステンドグラス』を見たことがあった。
(あの二人と来たのかな…)
そこまでの確信は持てなかった。それ程までに私には、あの写真の中の二人と一緒に『三人で』過ごした記憶が無かった。
二階も随分と席が埋まっていたけれど、奥に進むと、丁度いい長さのテーブル席に空きを見つけた。
対面に先客が居るようだけど、早く絵本を読みたかった私は、走らないよう早足で席を目指した。
席について、ふと見上げたその先の顔に、私は目を疑った。
そこには二日前あの場所で会った、彼の姿があった。
答え合わせがしたくなってしまった私は、『わざと』表紙が見えるように、本を立てて存在をアピールした。
顔を上げた彼は私と目が合うと、すぐに目を逸らしてどこかに行ってしまった。
静かに追い掛けると、貸出の受付をしているようで、このまま帰らせてはいけないと思った私は、螺旋階段を駆け下りて、受付の返却口に絵本をコロコロと滑らせて図書館を出た。(後から知ったけれど、出入口はもう一箇所あって危うく逃すところだった。警部殿も真っ青だろう)
あの時と同じ格好をしようと思い、リュックに忍ばせておいたキャップとサングラスをつけて、ブランコに座って待つことにした。
ブランコに乗るのも何年ぶりだろかと思うと、楽しくなってしまったけれど、図書館から出て来る彼を見つけて逃げないようにゆっくりと近づいた。
『ゲッ!』みたいなバツの悪そうな顔をしていたけれど、逃がすつもりは無かった。
周りに人が居ないことを確認して、キャップとサングラスを外した。
「聞きたいことがあるんですけど、いまからお時間ありますか?」
(このチャンスを逃してたまるものか!)
「いや〜、あの、これから予定があって家に帰るところなので…」
この人は嘘をつくのが下手というか苦手なんだろうな…すぐに分かった。
「そうなんですか。じゃあ私も着いて行って良いですか?」
「それはちょっと…ねえ?」
引き下がる訳にはいかなかった。
「じゃあ『何時からなら』お話できますか?」
最悪、連絡先だけでも聞き出してやろうと思ったけれど、彼は諦めてくれた様だった。
「はぁ…分かったよ。じゃあ近くのカフェでもいいかな?」
「やった!」
心の中の私が、スタンディングオベーションをして、歓喜の声を上げていた。
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