第3話 勇者は疲れていました




「―――姫、これで攫われるの十五回目だよなぁ」


 勇者は、自軍の防衛意識の低さ、魔王軍に対する警戒心の無さに最早諦めを抱いていた。


「ねえ、僧侶。僕、昨日買ったゲーム、まだ開封もしてないんだけど。ちょっとでいいから遊んでから出発しちゃ駄目かな」

「駄目ですよ勇者様。あなたの業務は『姫が攫われたら助けに行く』、ただ一本なのですから。あの方が簡単に攫われてくれるから、私達はこんな贅沢な暮らしが出来ているのです」

「そんなこと思ってたの?」

 それはそれでどうなのか、と言った表情で勇者は僧侶のすまし顔を横目に見た。


「お前ら、もう姫様の心配なんてしてないよな?」

 そう横から話すのは、武闘派の大男―――いわゆる『格闘家』職の男。

「いいですよね、戦士様は。結構闘技大会とかで継続的にお金が稼げるから。私なんて、医者とは違って信頼されてませんから。訳の分からない魔法で即時治療をするなんて後が怖すぎる、なんて言って、普段はお客さんに見向きもされないんですよ」

「科学や医学の進歩って、魔法使いにはきついことなんだな」

 そう言って戦士は後ろ首を掻く。

「二人とも、僕に比べたらマシだけどね。『勇者』って、勇気を売りにする仕事だから普段ロクな仕事が来ないよ。ほんと、スズメバチの巣の駆除なんて業者に頼めっての」

「でも、そこで防護服も無しに駆除に当たる辺り、本当に勇者だとは思いますけどね」

 僧侶がそう言うと、戦士は「それただの馬鹿なんじゃねぇの?」と真っ直ぐな罵倒を口にした。


「まあ、攫われちゃったもんはしょうがないか。王女様の救援を含めれば、総計十八回目の魔王城攻略。もう慣れたもんだし、ちゃちゃっと言って帰って来ましょう」

 勇者がそう言うと、他の二人は揃って「はーい」と返事をした。


 彼らのレベルは、既にマックス。

 はっきり言って、部屋に籠ってゲームをやっている方が達成感を味わえるという、なんとも夢の無い旅が始まろうとしていた。


 初めに彼らの前に飛び出したスライムは、戦士の爆発魔法で跡形もなく消し去られていた。




 ◇ ◆ ◇




「アップルパイ、美味しいねぇ」

 姫様のそんなねっとりとした笑顔を向けられて、魔王の娘はかなり気まずそうに「うん」と返事をした。


「お姉ちゃん、怖い人じゃないよ。私、あなたと仲良くなりたいの。ねえ、ほらこっち見て。良い人そうでしょう、とっても可愛いでしょう」

 肩が触れる程に至近距離に座った姫様は、威圧感さえ感じるような距離感でその娘との交流を試みていた。

「う、うん。とっても綺麗な人だと思うわ。だから、もうちょっと距離を取って欲しいかも。まーちゃん、ちょっと人見知りだから」

「怖がることはないわ。私、あなたの大好きな勇者様の許嫁なんだから」

「うん、うん。わかった、わかったからもう許して」

 まーちゃんは一切姫様と目を合わせず、アップルパイを食べようとしていた手は膝の上で大人しく震えていた。


「…姫。まーちゃんが怖がっているように見えるが」

「違いますわ、魔王様。まーちゃんは恥ずかしがっているんです。初めて話す人が居て緊張しているから、私がこうして積極的に気持ちを解きほぐしてあげているの」

「そうか…?」

 魔王は、どう見ても怯えている我が娘を見て心配そうにフォークを持つ。


「お、お父様。アップルパイ、美味しい?」

 姫の眼力に耐えられず魔王のほうへ振り向いたまーちゃんは、冷や汗をかきながら魔王にそう感想を求めた。

「ああ、とっても美味しいぞ。お菓子作り、ほんとうに上手くなったのだな」

 魔王がそう言うと、彼女は「へ、へへ」と照れ笑いを浮かべた。


「本当、上手だわ。これからもあなたが作ったアップルパイ、ぜぇんぶ私が食べちゃいたいくらい」

「わ、私、勇者様にも食べてもらいたいな」

「ぜぇんぶ私が食べちゃおうかな」

「ひぃ」

 相も変わらず血走った目で話す姫に、まーちゃんは最早涙目になっていた。


「―――まーちゃんは、将来お菓子屋さんになりたいのだろう。その夢がかなうのも、そう遠くはなさそうだな」

 魔王のその言葉に、姫はぱっと振り向く。

「お菓子屋さん?」

「そうだ。まーちゃんは、ずっとお菓子屋さんになることを夢見て、我が妻からお菓子作りのノウハウを学び続けておるのだ」

 姫は、ふと我に返ったようにまーちゃんの顔を見る。

「そうなんだ」

「うん、そうだよ。私、皆に美味しいお菓子を届けて笑顔になってもらいたいの」

 その言葉に、姫は急に真面目な表情になる。


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「…ううん、別に。なんでもないよ」

 様子が変わった姫の様子に、まーちゃんは不思議そうに覗き込む。

「お姉ちゃんは、将来何になりたいの?」

「…何になるって。そりゃあ、私はお姫様だからね。王国のトップとして、政治を行う大切な立場になるのさ」

「それが、お姉ちゃんの将来の夢?」

「夢じゃないけど」

 姫は、そう言って視線をまーちゃんから逸らした。


「お菓子屋さんには?なってみたい?」

「…」

 姫は、黙り込んで応えようとしない。

「なりたく、ないの?」

 尚も、姫は答えない。

「ねえ…」

「なりたいよ!」

 急に大きな声を出した姫に、まーちゃんは驚いて少し体を後ろに引く。


 姫は、突然堰を切ったように涙を流し始めていた。

「なりたいよ。お菓子屋さんにも、お花屋さんにも、皆の目を引く踊り子さんにも。でも、なれないんだ。私は、私として生まれてしまったんだから」

「おねえちゃん…」

 まーちゃんは、姫のその様子を悲しそうな目で見つめる。


「じゃあさ、おねえちゃん。ここに居る間だけでも、お菓子屋さん、やろうよ。食べてもらうのは魔物の皆だけど、きっと喜んでもらえると思うよ」

「…いいの、そんなことしても?」

「いいよ、だってまーちゃんがついてるんだもん」

「どういうこと?」

「え、えっと。だから、まーちゃんのパワーがあれば、きっとぜんぶ何とかなるから」

「あは、意味わかんないや」

 姫はそう言うが、どこか本心で喜んでいるような顔を見せて笑った。


「よぉし、そうと決まれば、まーちゃん張り切っちゃうぞ。ねえ、お父様。みんなに気が付いてもらえるような、素敵なお菓子屋さん、作れないかな?」

「何を言う、作れないわけがなかろう。明日まで待っていろ、すぐに素敵なお店を作ってやるからな。食材も、道具も使いたい放題だ。なぁに、お父さんに任せなさい」

「お父様、大好き!」

 そう言うと、まーちゃんは椅子から飛び降りて魔王の元まで駆け寄って、顔を埋めるように抱き着いて見せた。


「おねえちゃんはきっと料理が下手なんだろうけど、まーちゃんがいっぱい教えてあげるからね!」

「へ、下手じゃないし!下手じゃないしっ!卵を混ぜる手伝いくらいなら、やったことあるから!」

「へへ、またまたぁ」

「結構言いたいこと言うな、この子!?」

 自分のことは棚に上げて、姫は心外とばかりに腕を振り回していた。


「じゃあ、ゴブリン君、そういう訳で諸々の準備宜しく」

「えっ?」

 魔王からいきなりそんな勅命を受けたゴブリンは、ほんの少しの抵抗を見せた後、目に涙を浮かべてそこから走り出すのであった。



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