第32話 炎上縁成
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「いや、せめて何かは言いましょう。策謀家気取りの癖に情けない」
ポカンと呆ける久秀を窘める果心だがしかし、彼女が唖然とさせられるほどに面喰ったのも無理はない。
全ての原因は、予想よりも早い火の回りであった。久秀が玄関を飛び出すと、既に火の手は館中をのたうち回るように広がっており、月灯りよりも赤々と闇夜を染めていた。
「これはいかぬ、駄目じゃ!」
よって、さっきまでの格好付けは何処へやら。脱兎のごとく館の敷地から飛び出し、果心の術を使って川を跳び渡った久秀が振り向いた先に見たものは、真っ赤に燃える一塊の火柱だった
「・・・え、嘘」
ポツリとそう呟いたのも、まあ当たり前だろう。予想通りの方がどうかしている。しかし、ことこんな状況になってしまっては、久秀に出来ることは何も無い。
無論、久秀とて考えなしにライの放火を見過ごした訳では無い。導き出せた中では最上の解決策であったのは勿論、館の周りは高い土づくりの塀と水堀で囲まれているのだから延焼の恐れは無いし、近くを川が流れるのだから消火も容易かろう。
・・・そう、簡単に考えていたのだが。
「・・・・・・いや、これは酷い」
しかし、その火の手は脱出後も弱まるどこりか、しばらくしてなお、増々盛んに燃え続けていた。赤々と天をも染める炎はライへの送り火のようで、まるで天へと昇る魂を導くように高々と燃え盛る。そのため、戻ってきた衛士の連中も対応など出来ず、ただただ大口を開けて遠巻きに眺めるか諦めて帰ることしか出来ないような有様である。
そして、殆どの衛士は後者の道を選んだようで、いつしかこの場に残っていたのは久秀たちだけとなっていた。
「いやはや・・・ここまでの炎は、流石の小生も見たことはありませんね」
「じゃ、じゃろう。しかし、ここまで燃えるとはのう・・・案外、本当に安普請じゃったのかもしれぬの」
若しくは逆に、空気の通りを良くするような高級設計だったかだ。どちらにせよ、得られる結果は変わらない上に確かめようも無いが。
「しかし・・・一応訊いておくが果心」
「分かって仰る。小生の術を用いても、ここまでの炎は手の付けようがありません。自然と鎮火するのを待つしかありませんね」
やはりか、と久秀はそれほど落胆した様子も無く呟いた。果心の言う通り、ある程度は予期された回答だったからだ。
「まあ、流石に周囲の草原や山地に延焼しては拙いですからね。そうなった時はまつ・・・失敬、弾正殿、小生の術で何とかはしましょう」
「じゃの。じゃが・・・であれば、ウカウカとここを離れられんの」
もっとも、延焼の有無にかかわらず、ライへの弔いを兼ねて鎮火を見送る心算だったから、そう言うのは口先だけだ。
「しっかし・・・良う燃える良う燃える。まるで、何某かの魂が乗り移ったかのようじゃ」
「何が言いたいのかは分かりませんけど・・・」
呟きながらどこか感慨深げに火柱を眺める久秀の背後から、ミルシが問いかけてくる。
「・・・どうするんです?これから」
相貌こそぶすりとした不満顔だったミルシであるが、その眼の周りが赤く腫れていることと、館から脱出して小一時間以上は経っていることから、
「まあ、何があったかをくだくだ述べるのは不作法ですから。お察し下さい」
「何を言っておるのじゃ、お主は」
「もう!カシンさんと漫談してないで!」
元の年齢から考えれば孫より若い位の娘に叱られて、思わず「・・・むう」と口を尖らせた久秀だが、傍から見れば仲の良い友達―いや、この年齢差だと姉妹か―にしか見えない。
敢えて例えるなら、しっかり者の姉と要領は良いが物臭な妹か。・・・もっとも、それを言葉にして表現するとどちらにも怒られそうだから、果心は口にはしないが。
「分かっとる、分かっとる。これからの話じゃろう?」
「そう、です!」
「この後と言うなら、儂らはこの仕事を頼んだ連中に報告と、この事後の始末を願いに行かねばならんが・・・しかしミルシよ」
「何です?」
「お主・・・本当に儂らと共に行く気かの?」
その久秀の問いに、ミルシは大きく頷いた。
「ええ。・・・いくら『悔やむな』と言われても、村に居れば絶対に思い出すし恨みも蘇ります。いずれは許せるようになるでしょうけど」
それに、と少し表情を暗くすると、
「私は・・・私は、爺様たちの為とは言え、山の神様からの恵みを頂く以外の目的で弓を取り、多くの命を屠りました。・・・最早、そんな私に狩人としての資格はありません」
だから、と一転表情をニコリと変えると、
「こうなったのは、ダンジョーさんのせいでもあるんですから。責任、取って下さいね?」
「共犯じゃとでも?ふん、ちゃっかりしとるのう。・・・さっきまでワンワンと泣いておったのが嘘のようじゃて」
あ、言った。
「そ、それは言わないで下さいよ!は、恥ずかしじゃないですか、もう!」
「何が恥ずかしいか、今更に。儂も、この果心も知っておることじゃろうに」
だとしても、そうハッキリとは言われたくないのが乙女心なのだが、残念なことにそういった機微を察する能力は久秀には無かった。もっとも、照れ隠しに顔を伏せるでなく思い切りビンタをかますミルシ相手に、果たしてそんな配慮が必要かと問われれば・・・難しいが。
「何をする!」
「下手なことを言った罰です、罰!」
「そういうものか?・・・・・・じゃが、儂らについて来るとして、村のスツアーロはどうする?」
「スツ?私がダンジョーさんたちについて行くのとあいつに、何の関係が?」
暗い雰囲気は何処へやらだ。そうきっぱりと言い切ったミルシの言葉に、久秀と果心は思わず顔を合わせると、
(これは駄目じゃな。通じておらぬ)
(ええ、そのようです。彼も可哀想に)
そんな会話を目と目で交わした。
「何か、不穏なやり取りをしてません?」
「気のせいじゃ。それより・・・」
スイ、と久秀は胡坐をかいて背筋をシャンと伸ばしてミルシへと向き直る。その一転して真剣な雰囲気に「え?」と小首を傾げるミルシを見据えて、
「お主も座れ」
そう、白刃のように真剣で鋭い声音で久秀は命じた。その声の調子に、ミルシも何も言わずに同じように座った。まるで山で粗相をした夜に祖父から呼び出された時と同じような緊迫感がミルシを襲う。
「初めに言っておくがの」
「は、はい」
「儂らのやっておることは汚れ仕事じゃ。決して正しき弱者を助け、悪しき強者を挫くような、人に誇れる仕事ばかりではない。それは承知の上じゃな?」
ミルシは静かに頷く。
「それに、此度のことで分かろうが、儂らの仕事は命懸けじゃ。命を的にしてきたことも二度や三度では無いし、そうなった場合にお主を助けることが適わぬことも、当然にある」
もっとも、ライに誓ったこともあるのでそうそう見捨てるような真似をする気は久秀には無い。が、何が起こるか分からないのが戦場の常だ。
「つまり・・・」
「つまり、ダンジョーさんが都合よく助けてくれることを期待するな、ってことですか?」
今度は、久秀が静かに頷いた。
「で、あれば・・・分かりました。仮にそうなった時には、見捨てて下さい」
「良いのかの?村へと帰れば、それは要らぬ覚悟じゃぞ?」
「はい」
スッと、真剣な眼差しで久秀から視線を逸らすことなく、ミルシは言った。そして、その覚悟に応えるように久秀も鋭い視線に殺気を乗せて睨めつける。
「・・・!!」
もし、この程度の殺気で目を逸らしたのなら無言で気絶させて置いて行こう。そう考えていた久秀だったが、ミルシはビクリと身じろぎをしただけで毫ほども目を逸らすことなく、逆に睨めつけてきた。
(・・・生意気な)
そう感じつつも、それでも合格は合格だ。ふっと、久秀は殺気を緩めて微笑みを浮かべる。
「良かろう。精々、儂の役に立つことじゃな」
「・・・!あ、ありがとうございます、ダンジョーさん!」
「それと、それじゃがな」
「どれです?」
緊張の糸が切れたせいか、馬鹿正直にそう言ってくるミルシに一寸後悔しつつ頭を抱えそうになった久秀の言葉の続きを、さっきまで黙っていた果心が続けた。
「つまりですね、ミルシさん。この人が言いたいのはこの人の本当の名前です」
「名前・・・って、ダンジョーじゃ?」
「それは官職名ですね。この人は弾正少弼の時期が長かったので、そう名乗られることが多いんですよ」
へえ、とミルシは興味なさそうな返事を返す。
「ですので。つまるところ・・・」
「待て、果心。そこからは儂が伝える。儂の名は松永久秀と申す」
「まつ・・・なが?」
「官職名を足して言えば、松永弾正少弼久秀となりますね」
「なる、ほど?・・・はい。分かりました」
「本当かの?」
頭の上をクルクルと星かヒヨコが回っているような表情のミルシに、訝しそうに久秀は問いかける。そして、その勘は正しかった。
「はい、覚えられないことが分かりました。ですので・・・宜しくお願いしますね、ダンジョーさん!」
その自信満々な言い切りに、久秀はガックリと肩を落とした。
「ど、どうしたんですか?」
「お主のう・・・そう堂々と、分からんと言い切る奴があるか」
「ま、まあまあ松永殿。下手に言い間違われるよりは良いじゃないですか・・・プフッ」
果心の言葉にも一理ある。それに、官職名で呼ばれることが一般的だった久秀としても悪い気はしないのも事実だ。もっとも、最後に噴き出したのを除けば、だが。
「仕方ないのう。・・・・・・ま、ええがの。では宜しく頼むぞ、ミルシ」
「はい!こちらこそ!」
そう互いに言い合うと、互いに頭を深々と下げた。
「・・・で」
「で?」
「で、じゃないですよ、ダンジョーさん。これからその依頼主さんに会いに行くんでしょう?」
よっと立ち上がりながら、ミルシは尋ねた。
「その人はどこにいるんです?まさか、この近所じゃ無いでしょうけど・・・」
「お?おお・・・そうじゃな・・・そう、なるか」
しかし、何故だろうか。至極当然であるミルシの問いかけに、久秀は不自然に言い淀んだ。
「松永殿、もう仕方のない話です。諦めましょう」
「う、うむ。じゃが、そうではあるのじゃが・・・・・・困ったのう」
今一つ歯切れの悪い久秀の態度に、眉を顰めたミルシが「何の話です?」と問いかけようとした、正にその時だった。
「見つけた!」
「居たぞ、ここだ!」
その大声とピリピリと静寂を引き裂く呼子の音に、たちまちミルシたちの周りをずらりと大勢の兵士たちと彼らが持つ槍の穂先が囲む。
「え?え?」
それに対して、と言うより対応出来ずにキョロキョロと視線を泳がすミルシとは対照的に、久秀はどこと無く気まずい表情ながらも一切動じていない。まるで、こんな事態になることが予め予期出来ていたかのような落ち着きぶりだ。
「動くな!」
「は、はい!」
体までほんの数センチ間際まで槍を突きつけながらの命令に、反射的にミルシは両手を高々と掲げる。その潔いまでの降参振りを見て、突きつけられている穂先がほんの少し退がった。
「良し、そのままだ!隊長、コイツらに間違い無いでしょう!」
その言葉に、槍を持つ兵士たちをかき分けて男が1人、ミルシたちへと近づいて来た。
「おう。しかし流石は子爵様、確かな情報だ。おい、お前!」
どうやらその男がこの中で一番偉い隊長格らしく、腰から剣を抜くとその切っ先をミルシへと突き付ける。その足下で少し不満そうに久秀は顔を顰めたが・・・まあ、この状況ならだれでも年嵩に見えるミルシの方に訊くだろう、普通は。
「え?・・・は、はい」
そして、反射的に返事をするミルシに対して、その男は満足げに頷いた。
「よおし!無駄な抵抗はするんじゃないぞ。領主の館を襲撃した件、とっくり喋らせてやるかな!」
いきなり降って湧いた尋問宣言に、縋るように久秀を見たミルシの目に映ったのは手掌を合わせ拝むように頭を下げる久秀と果心の姿だった。
「すまんの」
そう、目で謝ってきた久秀の謝罪を聞いて、ミルシは思わず天を仰ぐ。
「え、え、ええええ――――――――――――――――――!!」
その叫びは、無情にも赤々と染まる夜空へと消えていった。
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