第28話 無智不改
「ふむ・・・ふむ、うむ。お主が台所頭かの?」
「は、はあ!」
「そう怯えるでない。獲って食いはせぬ」
そう優しい声で言われようと、料理長の全身からは脂汗が、脱水で死ぬんじゃないかと思わせるほど滂沱の如く流れ出す。今の久秀から感じる恐怖に比べれば、先ほど領主から感じたそれなぞは児戯に等しい。
「もっとも、食いではありそうじゃがの。・・・冗談じゃ。それより、腕の良いのは分かるが、儂はもう少し素材の味を生かす方が好みじゃな」
ダイニングにいる全員の視線が突き刺さるが、久秀がそれに堪える様子は微塵も無かった。それどころかライの前に並べられていた料理をいつの間にやら領主の席の前に移し、呑気に舌鼓を打つ次第である。
「き、貴様どこから!?」
「どこ?ああ、上からじゃ」
そう、当たり前のことのように言って久秀が形の良い人差し指でピンと指した先には、少し天井板がズレて隙間のできた天井があった。
そうこうしている内に久秀は残されていた料理全てをペロリと完食し、ポットから勝手に紅茶を注いで悠々と啜っていた。カロリー消費の多い体とはいえ、中々の健啖家ぶりである。
「しかしの・・・この茶色い飲み物がこの地の『茶』じゃと言うのは聞いておったし味も悪くは無いが・・・儂は、やはり緑の方が良いのう」
口を開ける天井を見上げながら「点てたいのう」と独り言ちる久秀に、ようやく問答をしている場合では無いと我に返った領主が「貴様あ!!」と怒声と共に殴りかかる。
「じゃが、これが当世の流行とあれば、是非も無い・・・の!」
だが、所詮は武門の男ですら無い男の格闘術の真似事である。百戦錬磨の久秀からすれば蚊が止まるようなとろくさい動きで、今の足腰に爆弾を抱えていない体ならそれこそ目を瞑っていても避けられる。
「ほいっと」
まるで嘲笑うかのように、久秀はワザと領主をギリギリまで引き付けると机を使い、まるで新体操のような動きで跳躍で躱してライの近くにひらりと着地した。まったくもって無駄のない、それでいて無駄な動きだ。
「むご!?」
反対に、パンチが空振りした領主はそのまま勢い余って椅子にぶつかり、諸共に床へと転がり落ちた。
「ご、ご領主様!?」
その醜態を見て久秀の存在に呆気にとられていた衛士たちの内、我に返った数人が慌てて駆け寄った。が、彼らに対して領主はロクに礼を述べるでもなく、言葉短く「殺せ!」と指をさした。
「あ、あの無礼者を殺すのだ!早く!」
領主としての取り繕いすら投げ捨てて下されたその命令に、衛士たちは困惑顔を突き合わせつつも、従うべく腰に佩いた剣を抜いた。彼らには久秀の不気味さより、従わずに領主からもたらされる罰の方が恐ろしいのだ、まだ今は。
「お、おおお!」
意を決した1人が剣を上段に構えて切りかかろうと大口を開けて叫んだ―。
「粗忽者が」
―瞬間、雄叫びをあげる彼の口にビシッという音と共に何かが飛び込んだかと思うと、パンという乾いた響きと共にその衛士の頭が弾け飛んだ。
「儂の・・・」
「おや、誰も知らぬを幸いに手柄を横取りですか?」
「・・・コホン。儂らの術とて当世の魔術とやらに劣るものではなかろう。味は如何の?」
そう鈴を転がすような声で言って小首を傾げる久秀は、それだけを見れば少女の可愛らしい振舞いでしかない。
だがしかし、それが可愛ければ可愛いほどに、頭を失って首から天井に向けて血を噴き出す衛士だったモノの体との対比が、そのそら恐ろしさを助長した。どこからか聞こえた主無きこえなど最早斟酌するにも至らず、先ほどまで散々喚いていた領主すら、顔に飛んだ血潮を拭うことも忘れてただただ茫然と立ち尽くしてた。
「やれやれ、装束は立派なくせに肝の据わらぬ」
「装束が立派でも兵として役に立つかは別問題。そう、常々仰ってはいませんでした?」
「まあの。それより果心・・・」
「ええ。ここはもう問題無いでしょうから、小生は外に回りますね」
再びどこからか聞こえてきた声と会話した久秀は最後に「うむ」と頷くと、何かをポーンと天井の隙間へと放り投げた。
「これで、良しと・・・・・・・さて、無事かの?」
独り頷きながら久秀が食卓にあった肉料理用のナイフで縄を解くと、ライは頭の傷を触り顔を顰めるが、
「うう・・・いや、大丈夫だとも」
流石にベテラン狩人は心が強い。久秀からナイフを奪い取って自らでもう片腕の縄を切ると・・・それを、そのまま久秀の喉元へと突き付けた。
「それで、貴様は何者だ?」
助けてくれた人に向かって投げる声音としては、鋭く重いそれは警戒心の現れだった。若し久秀の態度に怪しいものが毫ほども見られれば、躊躇なくその切っ先は細い首筋を切り裂いたことだろう。
「・・・ほう」
しかし、ジロリと厳しい視線で睨みつける気概に、向けられた側の久秀は逆に嬉しくなったか。思わず感嘆の息を漏らすと、いつに無く綺麗な笑顔を向けてその切っ先をスッと指で掴み取る。思わずナイフを引こうとしたライであったが、その細指のどこにそんな力があるのか、ナイフは万力で固定されたようにビクとも動かない。
「・・・貴様」
「ほっほ、そう睨むで無い。儂はイズサン村の使いじゃ」
「イズサン!ならば、村は!?」
「安心せい。お主らが連れて行かれた後に、危害を加えられた者はおらぬはずじゃ・・・全員無事、と言えぬのは悔やまれるがの」
久秀はそう言ってナイフを離すと、そっと見世物のように置かれた生首の目蓋を降ろして無念そうに見開かれていた目を閉じさせ、丁重に手を合わせた。
その言葉と態度に安堵したかのように「ほう」と肩を落としたライとは対照的に、領主は眦をつり上げると、唾を派手に飛ばしながら喚く。
「おのれ下種が!殺れ、2人とも殺ってしまえ!」
しかし、その命令に従ってくれるような衛士は、今度は誰ひとりいなかった。
それもまあ、当然だ。彼らの中で久秀は『不気味な少女』から『恐ろしい魔術師』へとランクアップしていたのだから。さらば彼らとて、後の罰より今の命の方が大事だろう。
「さて・・・領主よ」
「な、何だ?」
「先の話を聞かせてもろうたが・・・あれは拙いぞ」
「何だと!?」
真っ赤な顔で領主が掴み掛かろうとするのを、周りの衛士が羽交い絞めにして制止する。手元で符を弄ぶ久秀に対して、周りの衛士が冷や冷やするのを他所に食ってかかれるというのは、これも1つの才能と言えるのだろうか。
いや、ただの考え無しの無能ゆえの暴挙か。
「儂もかつては国主であったから、お主の言わんとするところも分からぬでは無いがのう。じゃが・・・取れぬ量の税を無理くり絞り取ってしまおうというのは、勿体無い話じゃぞ」
「勿体無い?」
てっきり「酷い」とか「優しく無い」だとかの非難を浴びるのだと思っていた領主は、その予想外の言葉に思わず鸚鵡返しとなった。
「うむ。軽く見ただけじゃがな、この辺りは水はけも良く日当たりも良い。農地としては上の上じゃろうし、仮に収穫の半分を取り上げても暮らしていけぬということは無いじゃろう」
違うか?とライへと目で問いかけると、ライは「・・・ああ」と少し口ごもりながらも肯定するように頷いた。
「しかしの・・・先からの話を聞いておれば、お主は百姓連中が冬を越せぬ程の収奪を図ろうとしておるようじゃな」
「それがどうした!?こやつらをいかに使おうと、私の勝手だろうに!」
「その結果、肝心要の百姓を減らしてどうする。農地を耕し、収穫をもたらすのは飽く迄百姓連中よ。代官や国主なぞは所詮、その上前を撥ねてしか生きてはいけぬのじゃぞ?」
分かっておるのか?と目で問うが、残念ながら領主はただただ焦点の定まらぬ目を揺らすばかりだ。
それを見て久秀は少し悲しそうに目を伏せた。
「無論、儂とて天下万民の為、火急に負担を願うことはあったがの。しかし、それを恒常的にやろうとするならば、それは寄生虫が食い過ぎて宿先を殺すような所業ぞ」
「き、寄生虫だとお!?」
「じゃろう。そもそも領民の扱いなぞは・・・」
若い口から滔々と、まるで経験談のように語られる訓話。しかし、その話を領主が最後まで聞くことは無かった。寄生虫呼ばわりに我慢が限界だった彼は衛士の制止を振り切ると、
「下郎があ!」
と、手を伸ばす。いや、伸ばそうとした。
「阿保めが」
当然、それを久秀が許す訳も無い。テーブルの上にあった皿を掴むと、まるでフリスピーのように投げ放つ。そして、何ということだろう。その皿はまるでチャクラムになったかのように、領主の両腿へと突き刺さった。
「ひゃあ!」
「果心めがおらぬとは言え、儂独りでもこれくらいはやって見せねば。それこそ鼎の軽重を問われるので、のう」
ドヤ顔でそう語る久秀とは対照的に、領主の顔は先までの恐怖に加えて大腿を襲う痛みに醜く歪む。
「ひ、ひいや・・・あ!わああ!?」
ヨロヨロと痛む両足ですり足の様に後ずさろうとして、生首を乗せたカートに引っかかった領主はそのまま諸共ひっくり返しつつ、派手な音を立てて床へと倒れた。
「い、痛いよ~」
自らの血反吐で衣装をベトベトに汚し、溢れ出す涙と涎で鹿爪らしかった髭は無残に萎れ見る影もない。顔から足先までを諸々の体液でベトベトにして「痛いよ~」とゴロゴロと床を転がり、落下した生首と目が合って「ひゃあ!」と悲鳴を上げる領主に、先程までは辛うじてあった威厳や威風ある態度は欠片も存在しない。
そこにいるのは最早、ただの哀れな哀れな小男でしかなかった。
「何度やれば学習するのじゃ、お主は。まあよい」
「き、きききき貴様らア!助けろ、早く私を助けろオ!!」
眼だけを血走らせ、キンキンとした金切り声でがなり立てる様子は領主と言うより、まるでヒステリーを起こした行かず後家のようだ。
「・・・・・・お、おい」
「・・・・・・でも、なあ?」
そんな領主の目も当てられない様相に、衛士たちは「どうしたものか」と困ったような顔でお互いを見合わせる。
仮に助け起こすくらいなら久秀も邪魔はしないだろうが、日頃の行いからかだろう。助ける者は勿論、心配して駆け寄ろうとする者すら衛士の中には誰1人としていなかった。料理長?そんな男はとっくに逃げ出している。
されど、そんな領主を天が哀れに思ったか、沈黙が支配するダイニングに、窓をバンバンと叩く音が響いた。
「何だ?」
取り敢えず何でもよいから助けが欲しい衛士の1人が近寄ってみると、そこには仲間の衛士が血相の変わった顔で窓枠を叩く姿があった。その表情に少し訝しみながらも衛士が窓の鍵を外すと、その衛士は開くのを待てぬとばかりに窓を自ら押し開けてダイニングへと入り込んできた。
それを見て、領主は「おお」と表情を明るくする。その血相を見てどうして顔を明るく出来るのかは謎だが、得てして追い詰められた人間の思考なんてそんなものかもしれない。
「お、おい!どうしたってんだ!?」
「お、おおおお!た、大変だ!大変なんだ!」
「大変!?な、何がだ!」
「反乱だよ!村の連中が大挙して襲って来やがったんだ!は、早く領主様へお伝えを!!」
しかし、その叫ぶような報告と外からワーワーと反響して聞こえる喊声が、領主を更なる絶望の淵へと叩き込んだ。
どうやら、天がもたらしたのは助けではなく、彼へトドメだったようである。
やばい。
やばい。
やばい、やばい。
「やばい、やばい、やばい、やばい、やばーい!」
そんな余裕がある訳でも無いのに、喋りながらでは走るスピードが落ちるのは分かっているのに。ミルシの口からは、止めどなくそんな感想が零れ出る。
「やば・・・っい?」
そんな風に叫びながら逃げ去る彼女を捕えようとするかのように、ヒュンと彼女の後ろ髪を掠るように何かの腕が通り過ぎた。
いや、そうではない。そうではない証拠に、その鋭い爪で散らされた彼女の金髪がハラハラと宙を舞い、彼女の顔は真っ蒼に染まる。
その一撃は間違い無く、明らかに彼女を殺しにきていた。
「この、しつこい!」
追手の勢いを少しでも削ぐべく、ミルシは納屋にある桶やら木箱やらを手当たり次第に拾っては追って来るソレに投げつけるが、果たして意味はあるのやら。
少なくとも、ソレが投げつけられたそれらを腕で弾いている間はスピードが緩まるのだから全くの無駄では無いだろう。が、それを拾うことに依る彼女のスピードダウンを加味すればどっこいどっこいと言ったところか。
こんなことなら。
こんなことになるのなら、あの時消えた男の言葉に従ってドアを開けず、回れ右をして逃げ出せば良かったか?
(・・・いいえ!)
それは違うと、彼女の心が叫ぶ。
少なくとも彼女がドアを開けて、その中を見て、そして思うがままに動いたことにより少ないながらも親しい隣人たちを助けることが出来たのだ。今頃彼らはこうやってミルシが目を稼いでいる間に別の隙間から逃げ出していることだろう。
勿論、他に追手が無ければだが・・・そんな悲観を、ミルシは努めて脳裏から叩き出す。それに囚われたが最後、きっと彼女の脚も止まってしまうだろうから。
「よし、いける!」
追手の攻撃を躱す為に納屋の中を右往左往して幾星霜・・・は、言い過ぎか。しかし、果てない逃走の果てにミルシはようやく納屋に入るドアへと至った。その喜びも束の間、ほんの先ほど前はゆっくりと開けたドアを、今度は押し開けるように転がり出る。
「見えた!」
そして、外に出る扉をその目に捉えることに成功する。後はもう、逃げ切るまでホンのチョイのはずだ。思わず、彼女の眼からは涙が零れる。
「って!」
しかし、後ろから聞こえてくる音から察するに、感涙に浸っている猶予は殆どない。さっきからずっと酷使している両足を叱咤激励してミルシは、今日一番の勢いで納屋から飛び出ると直ぐに扉を閉じ、初めから外れていた閂代わりに剣を差し込んだ。
「わ!?」
すると間一髪、ドンドンと扉を打ち鳴らす音が聞こえたので、慌ててミルシは扉を背で抑えつつ、壁に縫い付けられている死体から剣を鞘ごと引き抜くとさっき挿した剣の上に差し込んだ。
「こ、のお!」
閂用の金具や扉の蝶番が壊れてしまえば彼女の運命もそれまでだったが、幸いにもそれらは与えられた役割を全うしてくれるらしい。扉はガタガタと派手に揺さぶられたものの、壊れることも破られることもなかった。
少なくとも、今の間は。
「ふう・・・よ、良かったぁ」
助かったという実感に思わずへたり込みそうになるミルシだったが、再びバンバンと扉を叩く音にピョンと背筋を伸ばす。衝撃で舞い散る木屑とガタピシと納屋全体を揺らすような勢いに、一先ず耐えてくれたとは言え、そう永くは保たないのは自明の理だった。
「えっと・・・取り敢えず」
軽く額に浮かぶ汗を拭うと、ミルシは少し思案をしてきた道の方へ視線を移した。入ってすぐの所で別れたのだから、合流するとすれば、あの場所から逆へ行けば良いはずだ。
「急いで、ダンジョーさんたちと合流しないと!」
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