第21話 突藪無良
・・・ピチョン・・・ピチョン・・・ピチョン。
岩を乱雑に掘り抜いたような、部屋とも空間とも言いかねる6畳ほどのスペースに天井から滲み出した水が滴り落ち、間断なく音を立てる。灯りは無く、少し離れた所に設置された松明の灯りが仄かに照らし出す、そんな中に2人の人影が見えた。
1人は年の頃は10歳前後。漆黒の艶髪は腰に届くほど長く、蜜を溶かし込んだような白肌と整いながらも彫りの薄い目鼻立ちも相まって、どこか異国情緒溢れる異質な美少女だ。
そして、もう1人は16~18歳くらい。肩まである金髪を乱暴に引っ括った髪型に程よく日に焼けた肌といい、人好きのするパッチリとした相貌といい、美麗と言うよりは可愛いと称する方が適当だと思える容姿をしていた。
例えるなら、前者がどこぞの王女であれば、後者は在所で人気の村娘、といったところか。
「やれやれ、しょうがないと言えばそうじゃが・・・」
ポツリ、と黒髪の少女がその容姿には少々似つかわしくない老練した語り口で独り言ちた。
「・・・・・・・・・」
「じゃが、不徳は認めねばならんの。まさか藪を突いたとは、のう」
「・・・・・・・・・」
再び、独り言のように口ずさむが、その少女の眼は気付いて欲しそうにチラリ、チラリともう1人を上目遣いに視線を送る。そして、それを丸っと無視するかのようにもう1人の少女はブスリとした表情でただ目の前の岩壁と、その横に見える武骨な鉄格子を漫然と眺めていた。
「まあ、こうして捕らえられるのも慣れたものでの。それ故に分かるが、此度の連中は儂らに害意がある訳でも、敵意がある訳でも無かろうて」
「・・・・・・・・・」
「寧ろ、丁重なご招待とも言えるじゃろう。じゃから・・・じゃから、ミルシや。そろそろ機嫌を戻してはくれぬかの?」
そう言って、珍しく下手に出る久秀を一瞥したミルシは、
「ふーんだ」
わざとらしく首をプイと逸らした。そういう問題ではない、と言わんばかりに。
時は暫し遡る。
リファンダム離宮での仕事の後、街道沿いでクリスフトと分かれた久秀たちは、言っていた通りミルシの故郷であるイズサン村へ向かおうとしていた。
だが、一つ問題があった。以前にイズサン村へ行った時には諸々の事情があって、転移の術を使うための起点を設定できていなかったのだ。
「すみません・・・私が、もう2度と行かないから良い、なんて言ってなければ」
「ま、仕方ないの」
そのため、村までは徒歩で向かわなくてはならなかったのだが、一行はまず隠れ家へと戻り、3日間の休養をとった。なにせミルシと果心は兎も角、久秀の満身創痍は目に余るものがあったから仕方が無い。勿論、その間の傷の手当てなどをミルシがたっぷりと堪能したのは言うまでもない。
そうして、準備を万全にして最も近いポイントへと転移した久秀たちは、そこから徒歩でイズサン村へと向かうことになった。
それはいい。
だが、その起点から近くの街へと移動して、街道を経由してイズサン村へ至るのに徒では2日かかる。それについて久秀が、
「ここの山を越えて行けば、1日で着けるのではないかの?」
そう言って、ショートカットを提案したのがそもそもの発端だった。
「でもダンジョーさん、早いって言っても1日だけですよ?」
「構わぬ。少々休み過ぎたでの、たかが1日、されど1日じゃ」
もっとも、隠れ家での3日間の休養の内、久秀が二日酔いで調子を崩してなければ半日は短縮出来たのだが。
「しかし松永殿。街道を行くのと違い、山は危険が多いです。出来れば避けるべきでは?」
「そうです。カシンさんの言う通りですよ」
この時期は獣も多いんですから、というミルシの反対も馬耳東風。
「お主らと、儂がおるのじゃ。獣の1匹や2匹、物の数ではなかろうて」
そう嘯いてズカズカと歩を進める久秀を、引っ叩いてでも止めておけば良かった。全てが終わった時、ミルシはそう思った。
「スタップ!」
案の定、或いは予想通りと言うべきか。山道に入って数時間も行かない内に、久秀は鋭い?声で呼び止められた。
「そこで止まれ。・・・おい、止まらんか、貴様!止まれと言っとるだろうが!」
「なんじゃ、喧しいのう」
制止を無視して歩いていた久秀が面倒臭そうに振り返ると、そこには1人の青年が槍を構えて大股で近づいて来ていた。
「止まれと言ったら止まれ!」
「何故ぞ?」
「はあ!?」
「何故、儂が貴様如きの命に従わねばならぬのじゃ、んん?」
腰に手を当て、どこかドスの利いた声で迫ってくる久秀に、青年の方が思わず後ずさってしまう。ニキビの目立つ頬と自信なさげな面魂から、青年といってもミルシとそれほど変わらない年頃かもしれない。
「こ、この先には俺たちのあ、アジトがあるんだ!そこに不用意に近づいてもらっちゃあ、こ、困るんだ!」
「ほう・・・貴様らの根城が、のう」
「そ、そうだ。だから、その・・・そうだ!」
ほうほうと頷いて見せる久秀に、青年は「やっと通じた」と安堵の息を吐く。
きっと、彼は政争や軍略なんかとは縁遠い『善い人』なのだろう。相手が敵だった場合に隠さなければならない情報を、よりにもよって自分から暴露したことにすら気付いていない。
「じゃが・・・ならば」
「ん?」
「ちくと、遅かったの」
え?と疑問符を浮かべる青年の向こう、振り返った久秀の後ろ、つまりは今から彼女が向かおうとしていた山道の先の藪から。
「あ、すみません。お待たせしましたか?」
ヒョイと、ミルシが姿を現したのだ。
「いや。そもそも待ってはおらなんだからの。それより・・・」
「この先ですか?見ての通り、藪が広がってます。やっぱり誰も通らなくなって長い道は直ぐ荒れちゃいますねぇ」
「諸行無常、か。・・・しかし、それだけでは無かろう?」
「え?良く分かりましたね。確かにこの藪を抜けた先から、それなりに道が開かれてまして・・・どこからか、別の道でも作られたんでしょうけど、なんで分かったんです?」
「まあの」
そんなやり取りを繰り広げる2人を見て、暫し唖然としていた青年はガックリと肩を落とし、膝をついた。
「なんで先に行ってんだよおおおおおおぉ!」
哀れ。
「しかもよおおおおおぉ!なんでピンピンしてんだよおおおおおおぉ!」
心からの叫びをぶちまけながら、青年はドンドンと両拳を地面へと叩き付ける。
「ど、どうしたんですか?」
「罠だってあったのによおおおおおおぉ!チックショウめえええええぇ!」
「あ、あの・・・ダンジョーさん、この人は、ええと、誰です?」
「哀れな哀れな若者じゃ。では、行くかの」
「え、でも・・・」
気まず気に青年と久秀を交互に見遣りつつ、ミルシはおずおずと切り出した。
「あの、この人・・・本当に大丈夫なんですか?」
「構わぬ。人間、誰でもこういった経験を積んで大きくなるのじゃ。・・・潰れなければ、の」
最後に不穏な一言を付け加えて歩き去ろうとする久秀から離れ、青年に「ちょ、ちょっと」と声をかけつつ、
「あの・・・大丈夫ですか?」
手を差しのべたミルシへ、彼は剣呑な光の宿る目を向けると、その手をパンと叩き飛ばす。
「え?」
そして、やおら立ち上がるとミルシへと槍を突きつけた。
「貴様あ!」
「へ?」
「動くなテメエ!動くと殺すぞ!」
予期せぬ事態の連続に目を白黒とさせるミルシの後ろで、久秀とどこからか姿を現した果心が「切れたの」「ええ。遊び過ぎましたね」と交わす会話も、今の青年には届かない。
「ちょ、ちょっと!落ち着いて下さい。私たちは別に貴方には何も・・・」
「何も、だあ!」
「ひい!?」
ミルシの不用意な言葉が火に油を注いだようで、青年はダンダンと地団太を踏む。目は血走り、ハッキリ言って正気ではない。
「こんのお、野郎があああぁ!」
頭に血が上り過ぎて錯乱状態に近い青年は、殆ど反射的に槍を繰り出した。
「だから!」
そして、自身に迫る脅威に対して、これまた反射的にミルシの体は動き出す。
「落ち着いてって!」
「あ?」
「言ってるで・・・しょう!」
繰り出された槍の穂先をミルシはスイと避けると、そのまま逆輪の辺りを掴んで捩じり上げて取り上げ、青年の鼻筋を石突で軽く小突いた。
「ひぎ!」
勿論ミルシに彼を殺す気は当然として傷を負わせる気すらサラサラなく、彼女たちからすれば軽く当てただけに過ぎない。が、バチンという乾いた音と共に激痛に襲われて鼻からダクダクと血が流れだした青年にそんなことが理解できるはずもなく。
「ひい!た、助けてえ!」
まるで少女のように悲鳴を上げると、胸元に揺れていた呼子を咥えるとそれをピリピリと高らかに響かせた。
「ちょっと。だから落ち着いてって・・・」
「嫌だあ!」
「あ、あのねえ!」
ズリズリと片手でひしゃげた鼻を覆いながら必死に抜けた腰で後ずさる青年に、ミルシは呆れつつも落ち着かせようとして奪った槍を返そうと差し出した。
その時だ。
「貴様、動くな!」
呼子の音を聞きつけた3人の男たちが周囲の藪から飛び出し、それぞれがミルシへと穂先を突きつけて来たのだ。
「え?・・・え?」
咄嗟の出来事にキョロキョロと彼らを見渡すミルシだったが、ここで傍から見た彼女の状況を確認してみよう。
彼女の前に腰を抜かした彼らの同輩が鼻から血を流しており、彼女はその血が付いた槍の石突を彼へと突き付けている。ミルシとしては返そうと渡している心算だが、彼らから見ればぶん殴った後か、追い討ちをかけようとしているようにしか見えない。
その時点で、男たちの警戒度は上限を軽く突破していた。
「貴様、何者だ!」
それ故に、ミルシへと誰何する声にも殺意が滾る。
「何者って。ええと、私は・・・」
「こ、こ、コイツらは俺たちのアジトを探ってやがった!」
「え?あ、アジトって何!?」
「誤魔化すんじゃねえ!この先を見て来たってこたあ、そういうこったろうが!」
そして間の悪いことに、仲間が来たことに気を大きくした青年が、ミルシが弁明を述べる前にそう言い放ってしまった。
「い、いやいや!違います、私たちはただ、この山道を抜けようとしただけで・・・」
しかし、最早そんな正論が通じる状況ではない。
「嘘を吐くな貴様ら!いったい誰の手の者だ!」
「誰って・・・ダンジョーさん?」
つい、口を吐いて出た言葉。しかし、それを聞いた久秀は思わず天を仰いだ。
「ダンジョーだと!?」
「は、はい!」
「やはり貴様、王国の手先か!」
「何で!?」
驚きで、思わずミルシは槍から手を離す。
「ダンジョーってのは貴族雇われの仕事人の名だ。と、言うことは・・・」
「ああ。王国の連中も探ってるとあれば・・・おい」
「え?・・・あ、はい」
「手を出せ」
その言葉に素直に差し出されたミルシの両手を、男の1人が手慣れた様子で素早く縛り上げた。
「え?え?ちょっと、え?」
「五月蠅い。貴様にはしっかりと話を聞かねばならんからな、大人しくついて来い」
その言葉とは裏腹に、男はグイとミルシの両手を縛った紐の片方をまるで家畜を引くように引っ張る。そうされればミルシとしては転びたくは無いので、引っ張られるままについて行くしかない。
「これは、なんとまあ・・・」
「じゃの。まったく、あ奴も間の悪いことよ」
「・・・ん?お前、誰と話している!?」
久秀と果心のヒソヒソ話を聞き咎めたリーダー格の男がキッと彼女を睨めつける。久秀としてはそんなひと睨み如き蚊に刺されるよりも効かないが、無暗に警戒されても良いことはないのでブルリと身を震わせて見せる。
「いや、いや。独り言じゃて、そう目くじらを立てずとも・・・」
「ふん。悪いが、貴様も一緒に来てもらうぞ。逃げようとしたら・・・分かるな?」
「せんせん。それに、こんな幼子独りで逃げられる訳があるまい」
いけしゃあしゃあと言ってのけるが、幸いにも男たちの誰一人として、久秀の内に潜むものに気付くことはなかった。
「ああ。大人しく良い子にしてれば乱暴はせん、安心しろ。さあ、貴様も行くぞ!」
荒々しく紐を引き、そのせいでミルシは危うく転びかけるがそんなことに頓着してくれる男たちではない。
「ちょっと、危ないですよ!?」
「五月蠅い、王国の狗め!アジトについたら知ってることを全て吐かせてやるからな、覚悟しておけ!」
「そ、そんなぁー!」
そうして、アジトとやらに連れ込まれ、荷物を奪われ、牢に放り込まれて、今に至る。
「・・・そんなことがあったんですよ?」
「すまぬ。憶えておら・・・い、いや、憶えておる!憶えておるとも!」
無表情でにじり寄って来るミルシに、久秀は慌ててブンブンと首を縦に振って首肯した。怒り顔で怒鳴るより無表情で迫ってくる方が怒っているというのは、世界が変わっても不変の道理だ。
「おい、五月蠅いぞ!」
「ほ、ほれ。大人しくせぬか、のう?」
「まったくもう。それに・・・」
と、ミルシは不本意そうに頬を膨らませる。
「どうして、私だけがこんな風に、両手と両足を縛られなきゃいけないんです?」
そう主張する彼女の両腕は手首の辺り、両足は踝の辺りで縛られており、動くにはさっきみたいににじり寄るかピョンピョンと跳ねるしかない。
「仕方なかろう。奴らからすれば、仲間を傷つけたのはお主の方じゃからの」
加えて、久秀が『見た目上は』無力な少女であることも大きかったのだが、それを自分から言うことは彼女の矜持が許さなかった。
「運が無かったってことですか・・・はあ」
しかし、小さく溜息を吐いた後、今度はコソコソと久秀の傍ににじり寄ったミルシは彼女の耳元で「でも・・・」と囁いた。
「どうして大人しく捕まったままなんです?」
「・・・?どういうことじゃ?」
「だって、ダンジョーさんと言えば牢破り、でしょう?」
「名を呼ぶでないわ。それと、それを儂の習性みたいに言うでない!」
でも、とミルシは不自由な姿勢ながら器用に指折り数える。
「私と遭ってからでも、ひい、ふう・・・4回は脱獄してますよね。最後は失敗しましたけど」
「それは言うな・・・ではなくての。まあ、連中が素人臭いのはあるがの」
そう言って、久秀がチラと目をやった先、牢の外にある長机にはミルシの弓も含めた彼女たちの持ち物全部が奪ったまま乱雑に置かれていた。普通、捕らえた人間の持ち物なんかは脱獄された時に備え、別の場所に保管しておくものだ。
「それに、見張りはたった1人。加えてロクに体を検めることもせぬとはの」
「確かに・・・私の襟とバックルとブーツに仕込んだナイフも、そのまま見逃されてますからね」
「・・・それは少し、忍ばせ過ぎじゃがの。まあ、つまりは、じゃ」
見張りに見えない位置で、久秀は懐から符を1枚取り出すと、
「逃げるならいつでも逃げられるでの。取り敢えずは連中の出方を見てみようと思うての」
そう、意地悪そうな笑みを浮かべて嘯いた。
「うわあ・・・悪趣味ですよ、それ」
「それに、儂らがこうしておる間に、果心の奴に探りを入れさせておるからの。それの待ち時間、というのもある」
じゃからの、と久秀はゴロンと寝所代わりに敷かれた粗いマットに寝っ転がる。
「暫し、ゆっくりとさせてもらおう。少なくとも、飢えさせはせんじゃろうしの」
「それ・・・1日が惜しくてショートカットをやろうとした人の言うことですか?」
ジロリと抗議の意を込めて半眼で睨めつけるミルシだったが、それを受けた久秀は「ふふ」と笑いを漏らした。
「・・・何です?」
「いや・・・そう言えば、儂とお主が初め遭うた時も、お主はそういうザマじゃったの」
「あの時?・・・・・・ああ、そう言えば。私、あの時のことは忘れておきたいんですよね」
「おや?そうかの」
「そうかのって、それは・・・・・・ああ、もう!いいです、私も横になりますから、起こさないで下さいね!」
言うが早いか、ミルシは同じようなマットの上に横になると、久秀に背を向けるようにして寝っ転がった。
「うむ。では精々と儂も静かにしておくかの」
そう独り言ちて目を瞑ってみる久秀だったが、その前に手足を縛られた棒鱈のような格好で横になるミルシを見て「まあ・・・」と囁くような声で呟いた。
(・・・あの時のことは、思い出さぬ方が良いから、の)
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