第21話 鯰
「鯰だ」
不知火が舌打ちする。
「うちの当番だよ」
不知火が口笛を吹き鳴らす。
「待て、如月はーー」
闘護が言い終わる前にあたりの景色はそのままに、目の前に巨大な灰色の物体が現れた。
闘護が私に駆け寄ってきて、ジィに告げた。
「如月と玉藻を守るんだぞ」
「ジィっ」
ジィは任せて、とばかりに返事をし、私たちの前に立つ。
向こうで不知火が鯰と呼ばれる灰色の巨体を真っ二つにしているところだった。
いつの間にか黄金色の龍に乗って空を飛んでいる。
その龍が真っ向から鯰に突っ込んでいき、不知火が刀で斬っていく。
それを下で見ていた闘護が叫ぶ。
「ダメだ。そいつは分裂型だ!」
「えーっ。早く言ってよ」
「尾を見ればわかるだろう!」
「そんなのお前にしかわかんないよ!」
切られた鯰の体が、新たに灰色の球体となって、手足を生やしていく。
バスケットボールほどの大きさのそれは、地面につくなり人型となった。
だが泥人形のように顔はない。
闘護はそいつらに囲まれ、だが身を翻しながら手にした刀で次々斬っていく。
和装に身を包み刀を振るう姿はまるで別人みたいだ。
すごい。
人間離れしたスピード。
でも、苦戦しているのは私にも見てわかった。
斬れば分裂して数が増え、だが襲われて斬らないわけにもいかない。囲まれて逃げ場もない。
「不知火、そいつの角は腹の下だ!」
闘護が叫び、不知火は金の龍に乗ったまま空を旋回してくる。
「了解」
その一瞬の隙だった。
闘護が背後から迫る鯰に突き飛ばされて転げる。
そこを一斉に鯰人間たちが襲いかかった。
「闘護部長!」
私が叫ぶより早く、ジィが飛び出した。
闘護部長のところへ飛んでいくと、鯰人間たちを蹴散らすようにして闘護部長を咥えて飛び上がる。
と、鯰人間たちが蒸発するように消え去り、気づくと大鯰も同じように消えていくところだった。
「闘護、大丈夫!?」
振り返った不知火はジィの口からぶら下げられてる闘護を見て大笑い。
「なにそれ! 龍の乗り手が龍に吊るされるって。おかしすぎるでしょ」
「うるさい」
闘護も罰が悪そうに地上に降りる。
ジィは闘護に頭を撫でられ嬉しそうにしている。
「ありがとな。でもおまえの主人は如月キナなんだ。キナの下を離れたらダメだぞ」
ジィは小首を傾げる。
闘護部長は優しく笑いかけ、私に向き直る。
「色々説明しなきゃならないことはあるが、とりあえず現実(うつしょ)に戻ろう。社員旅行中に2人で居なくなったとなれば、みんなに何を言われるかわからないからな」
「それもそうですね」
不知火も刀を納める。
と、同時に黄金色の龍も姿を小さくして不知火の袖の中に消えた。
「ぼくの龍は恥ずかしがり屋でね。挨拶もなしにすまないね。それじゃ、とりま僕はここで。玉藻のことは君たちに任せたからよろー」
「あ、おい!」
部長が呼び止めるのも聞かず、不知火は姿を消してしまった。
「無責任なやつめが」
闘護部長は腕組みして私たちを見下ろす。
そして深いため息。
「どうしろっていうんだ、まったく。ためだ。考えがまとまらない。とにかく一度戻る」
闘護部長が私に手を差し出してくる。
「嫌だろうが、手を繋いでくれ」
全然嫌じゃない。
私はすぐに部長の手を握った。
中学生じゃあるまいし、そんなことでドキドキしてしまう自分がいた。
好きという気持ちが、だんだんと輪郭を帯びてくる。
「現実へ帰る。音夢との行き来の感覚を覚えてくれ」
「覚えると言われても……」
「言葉で説明するのは難しい。力の使い方、気の流れ、そう言うものを意識して感じ取ってみてくれ」
それから玉藻に向き直る。
「君たちも現実に来なさい。音夢は危ない」
玉藻は頷く。
「顕現してもよろしいですか?」
「仕方ない。その方が現実では楽だろう」
「はい。現実は物質世界なので、顕現していたほうが空気に合います」
「わかった。それならおまえは私の親戚の子ということにしよう。何か聞かれたら実家が近くで遊びにきたとでも言い訳しておこう」
「かしこまりました。ジィ様の方はなんとしますか?」
ジィは話を理解したのか、ポンっと人型になった。
部長はしげしげとジィを眺め、
「髪も目も青いしな……。バンドマンをしている俺の弟ということにしておくか」
「では私は闘護さまの甥っ子ですね」
「そうなるな。ホテルの方にはうまいこと言っておくから、泊まっていきなさい」
「はーい」
玉藻はどこか嬉しそうだ。
そういえば現世が好きと言っていたから、ホテルに泊まれるのが嬉しいのかもしれない。
「戻るぞ」
闘護部長がそう言った次の瞬間、私はもう元のホテルの自販機の前に立っていた。
「すごい。魔法みたい」
私が思わず呟くと、闘護部長が苦笑する。
「魔法ではないよ。人の力だ」
「そうなんですか」
「如月も出来るようになる。ただ、音夢への行き来は時空を超えるから、無闇にはしない方がいい。多少のズレは影響ないが、あまりに大きくズレすぎると元々生きていた世界とは別の世界になってしまうことがあるからな」
何それ怖。
「だから鯰が出てもおまえはこなくていい」
「でもーー」
「俺がなんとかするから。おまえのことは俺がなんとかする」
「そういう関係だったのね」
声がして、振り向くと女子トイレの入り口の前に美佳が立っていた。
「部長。これは問題ですよ。奥さんがいながら、こんなこと」
えーー。
一瞬私の思考回路が止まる。
「誤解だ、佐栁」
「じゃあその手はなんですか」
美佳の視線で気づく。
私たちは固く手を握りあったままだった。
「奥さんに伝えさせてもらいます」
美佳はそれだけ言うと私たちに背を向け行ってしまった。
「面倒なことになったな」
呟く部長から私は手を解いた。
「部長、結婚されてたんですねーー」
少なからず、そのことが私にはショックだった。
「している」
部長からそうハッキリと聞かされ、追い討ちをかけられる。
「部屋に戻ります」
部長に呼び止められたような気がしたが、もう何も頭に入ってこなかった。
部長が私なんかを好きになるはずがない。
わかっていたけど、やっぱり目の前に現実を突きつけられると辛かった。
********************
第三章に続く……
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