熱気
熱気が私を踊らせる。
すばやく油を鉄板に引き、生地を流していく。
1ミリのズレも私が許さない。
その上に大量の千切りキャベツを均等に乗せる。スピード勝負だ。
和風出汁の匂いが鼻を掠め、鉄板からは微かかにふつふつと音が聞こえてくる。
キャベツの上に、よく焼いた天かす、紅生姜、豚バラ肉を置いていく。
タオルで吸い切れなかった額の汗がしょっぱい。
垂れないよう素早く着用しているTシャツで拭う。
周りからは声が沢山聞こえてくる。
私はヘラを両手で掴み、ひとつずつ丁寧にひっくり返していく。
うん、丁度良い。
じゅうじゅうと鉄板が沸き立つ音と、肉の焼ける香ばしい煙が相まって胸が高鳴る。
美味しそうだ。
そこにソースを塗り、マヨネーズを思いっきりかける。
この見た目だけで食欲を揺さぶれるはずだ。
そこに踊るかつお節、青のりをかけ、
透明な容器にギリギリ収まっていない、溢れんばかりのお好み焼きに蓋をして輪ゴムをかけ、完成。
それを隣で会計している店長が客に提供する。
「お待たせしましたー、豚玉2でお待ちのお客様ー!」
その後手に付いたソースを、一瞬舐めた姿を見た。
その指をエプロンで拭き取る。
これを汚いって言う人とは、多分友達になれないだろうなぁなんて思いながら、手を早める。
沢山の屋台が並び、その中を人がぎゅうぎゅうになりながら歩いていく。
黄色っぽいオレンジ色の、夕焼けみたいな灯りは、どこか皆の表情を幻想的に魅せた。
いや…一夜だけの明るい世界だってことを、私が知っているからそう見えるのかもしれない。
今夜、私はお好み焼きを焼いている。
もうずっと体が熱くてぶっ倒れそうだ。
なのに頭だけが冴えていて、ずっとこうしていたい、なんて馬鹿なことを本気で思っている自分がいる。
この短調な作業と独特の香り、音、そしてべとべとの身体、むわっと私を纏う全ての空気が、何もかも最高で、最悪な気がした。
「マミちゃん、ほんま上手いなぁ、器用やわーー!助かるぅ!水分取ってな!」
そう言って、店長の奥さんのミサトさんが舌をペロッと出しながら缶ビールを机に置いてくれた。
「ありがとうございます!泣ける!」
私は鉄板が空になった段階でぐっとそれを喉に流し込んだ。
「うっっま」
思わず漏れた声に、ミサトさんがグーサインしてきた。
ミサトさんはそのまますぐ、キャベツの千切り作業に取り掛かる。
私は喉を通った炭酸の余韻に少し浸るかのように目を閉じた。
よし、と小さな声で自分に合図を送り、鉄板を綺麗にするところから作業を再開する。
あと数時間で一夜の夢が終わる。
終わって飲む、缶ビールもまた格別だろう。
店長が隣でタバコに火を付けた。
煙が混ざり合う。
「マミちゃん、終わったら思いっきり呑もな。やないと耐えれやん」
ガッサガサの声でそう言うので、つい笑ってしまった。
「もちろんです」
鉄板に油を引く。
手がダルい。
もう何巡目だろう。
もうやりたくない。
でも、本当はやりたい。
終わらないで欲しい。
終わって欲しいとも思っているはずなのに。
変なの。
あの缶ビールの味は、今だから味わえたんだろうな。
美味しかった。
まじで美味かった。
なんやろ、これ。
楽しいってほんまはこういうことなんかなぁ。
熱されて、頭おかしなってんのかなぁ。
「あのぉ…」
ふと、全然知らない女性に声をかけられた。
「動画、撮っても良いですか??
めちゃくちゃ上手やなぁと思って。
見てられるって言うか…見てたくて」
普段なら絶対話すことが無いだろう、美人でキャリアウーマンっぽい女性が、照れ臭そうにしている。
「…はぁ」
初めてのこと過ぎて、頭が回らず、気の抜けた声が出てしまった。
「良いですよー!じゃんじゃん撮って下さい!載せる時は、『#お好み焼きみしま』でお願いしますねー!」
と、すかさずミサトさんがフォローをしてくれた。
女性は感謝を述べ、キラキラした目でスマホを覗き込み、カメラを鉄板に向けた。
「え、あ、じゃあ。始めて良いですかね?」
そう言うと、女性は笑顔で何度も頷く。
私は少し息を吐き、じゃ、と言って作業を始めた。
"別の目"があるのはちょっと辛い。
慣れてないし…。
あくまで、普段通りに。と心で唱えた。
だけど内心、喜んで舞い上がっている自分がいる。
"見てたくて"の言葉が頭から離れない。
顔に出さないように、表情を崩さないようにやり切らなければ。
生地を流している辺りから、頭の中で懐かしい母の背中を思い出した。
キッチンに立つ、母の背中。
それも、調理用のハサミでネギを切っている母の姿だ。
ぱち、ぱち、と音を立ててネギを大量に切っている時は、大抵ネギ焼きを作る時だった。
ホットプレートをテーブルに出して、みんなで焼く。
母はこれが1番楽だと言っていた。
「宅配が1番楽やろ」
と言う私に、
「ちゃうちゃう。分かってへんな〜。
楽は楽でも"楽しい"が大事!」
けらけらと笑いながら母は話していた気がする。
妙に納得する答えで、太陽みたいな暖かい言葉だと思った。
忘れてたな…。
ソースを塗りながら、密かに笑みが溢れてしまう。
それと同時に、母との喧嘩を思い出す。
私が正社員での仕事に疲れ、何も相談せずに退職したと報告した時のことだ。
なんでそんなん勝手に決めたんよ、これからどうすんの、あんた。何も取り柄もないのに。
母は心配して怒っているのが明らかだったからか、余計に私はイラついた。
そんな心配要らない、何とかするから。
と言ってたどり着いた先がここだ。
母はお好み焼きを焼いている私など知らない。
器用だと言われている私を知らない。
汗でドロドロになりながら働く私を知らない。
そして私も、今母が何をどう思っているかも知らない。
所詮、家族と言えど報告し合わなければ知らないことだらけだ。
家族だから、母だから、何が分かる。
私だって、私を知らない。
「美味しそう…ありがとうございました!」
美人な女性にそう言われ、胸がキュンと高鳴った。
不器用な自分は、頭を軽く下げる位しか表現出来ない。
女性は豚玉を1つ買って、祭りの中に消えていった。
お好み焼きを切り分け、箱詰めしていく。
「良かったなぁ〜ファンが出来て」
ミサトさんが大量のキャベツの千切りを笑顔でこちらに運んでくる。
「ファン…なんですかね」
はは、と薄い笑いが出た。
「ファンやん!動画まで撮ってたんやで!
うちの看板パフォーマンスにでもしよかなぁ〜!」
ミサトさんは私の肩を何回か叩いて、持ち場に帰っていく。
そうすれば、母は認めてくれるだろうか。
そんなことが頭に過ぎる。
笑ってしまう。
私は生まれた時から、親に認めて貰いたい生き物なのか…。
どうでもいいと言ってしまえたら、楽なのに。
「ミサトさん、見てください!」
私はヘラを掴んで、クルクルと片手で回す。
「えー!!そんなんも出来んの!」
目を丸くして素直に関心してくれるミサトさんに、時給上げて下さい〜なんて冗談を笑い合うこの空間が好きだ。
今夜なら。この気持ちなら、勢いで母に連絡出来るかもしれない…なんて甘えが浮き上がる。
早く連絡しろよ、呆れも浮き上がる。
何でも良い。
とにかく美味しいお好み焼きを作ろう。
空になった真っ黒い鉄板の上に、素早く油を引き始める。
そしたらいつか、母に食べさせてあげよう。
怒るわけでもなく泣くわけでもなく、ただ美味しい、しか言わせないようにすれば良い。
そしたらきっともう少し生きやすくなる。
そうだ、頑張れ、自分。
「うまそ〜!」と横切っていく男子学生達を見ながら、ヘラを動かした。
あぁそうか。熱気が心を動かしてるんだ。
下から、上から、どこからともなくずっと。
熱気が人を躍らせる。
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