魔族

 ユレイナはイェスター商会本部の一階で、書庫を漁っていた。


 ノルンの話では、イェスターはかなり狡猾だ。彼女の証言だけではうまく逃げられてしまうだろう。


 そのためできるだけ多くの不正の証拠を押さえておきたい。きっとノルンの件だけでなく、はずだ。


「もう! だからってこれが女神の仕事かしら!」


 ぶつくさ言いながらユレイナは書類の束を引っ張り出して目を通す。商品の仕様書や帳簿、見積書や契約書――今のところおかしな箇所は見当たらない。


「――あいつ、大丈夫かな」


 本当ならカナタを一人で行かせたくはなかった。


 イェスターが魔法のようなものを使うとわかった以上、何者なのかはっきりしない相手と一対一はリスクが高い。


 カナタは魔法の才があると言っても、まだ冒険を初めてひと月程度しか経っていない初心者なのだ。


 だが、彼はこう言った。


 ――ユレイナさんは下の階にいてください。イェスターは僕が殺します。


 少し様子が変だった。


 私が知っているカナタじゃない。「殺す」なんて直接的な表現、彼ならしない。


 ウィムの村で二発も放った上級魔法。


 その後昏倒したものの、重大な後遺症も見当たらずぴんぴんしている。その後次々に基本魔法を身につけ、ついにこのあいだは無詠唱で二種類の魔法を同時に詠唱してしまった。「二重詠唱」は、ある意味上級魔法よりも難易度が高いのに。


 あの調子なら、カナタはきっとカレンと同じくらい強くなる。ただ“引きがよかった”だけでは済まない転生者になる。


 それもあり、半ば気圧されてしまい彼を行かせてしまった。


「それにしてもか……」


 ユレイナはこの世界の魔法の成り立ちについて思いを巡らせていた。


 魔法という概念は、


 物質からそれに近いエネルギーを抽出することはでき、それを利用する「錬金術」は、ひとつの学問としても発展してきた。だが、生身の人間が「魔力」というエネルギーを利用し、効率よくアウトプットするための演算を行い、呪文という「トリガー」を唱えることによりそれを発動する魔法は、この世界にとって未知のものだった。


 それをが、固有のスキルとしてこのアイクレイアに持ち込んだ。


 あの子の冒険はさほど長くは続かなかったけど、終わり方が少し特殊だった。


 彼女の選択は気高いものだったけど、果たして正しかったのか、ユレイナには未だに判断がつかなかい。


 そしてカナタの雰囲気は、どことなくあの子に似ている――


 そのとき、上の階からは激しい衝撃音が響いてきた。砂ぼこりが天井からパラパラと落ちてくる。


 急がなければ――


「ん? これって――」


 ユレイナが見つけたのは商会が保有する漁船の航行記録だ。


「こいつら船まで持ってるのね。なるほど、沖合の水域における漁獲権――隣国との交渉記録とその結果も書かれている」


 そこでユレイナはある記述に目が止まった。


〈ポルタ公国の遥か北に位置する「ハシュラ海域」は長きにわたりドラン帝国と漁獲権を争ってきた漁場だ。今回、我らがイェスター会長の交渉により我が国も海域の南部において漁獲権を獲得した。すでにドランは魔族に支配されて久しく、ほとんど不可能だと思われていたことだ。魔族とも対等に交渉し水域を勝ち取ったイェスター会長には脱帽する〉


 


「ありえない。魔族は人間になにかを奪われることをことさら嫌う。しかもハシュラ海域はこの世界でも指折りの漁獲高を誇っている良質な漁場。魔族が手放すわけ――」


 ユレイナはある仮説に思い当たり、背中にぞわりとした感覚が走る。


 このハシュラ海域の件、魔族が人間に漁場を開け渡したのではなく、単なる魔族間の融通だとしたら?


 その理由が、小国ポルタの発展を逆に利用し、内側から侵略していく彼らの策略だとしたら?


 交渉に立ったイェスターは、


「カナタ!」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 シルド平原を旅する悠久の風よ――飼い慣らされた嵐テイムテンペスタ――旋風落潮つむじらくちょう


 カナタは無言で唱える。


 高密度の空気が杖先に集まる。


「二つ魔法を維持しながら、無詠唱で上級魔法か――」


 ツルで拘束されたイェスターは初めて顔に焦りを滲ませた。


「終わりです!」


 ほんの一瞬風が凪いだあと、極限まで膨らんだ風のエネルギーが放たれた。


 逃げ場の失った空気は荒れ狂い、建物の天井を次々に剥がしていく。


 商会本部の屋根が持ち上がり、バラバラに砕かれながら吹き飛んだ。


 周囲で戦っていた冒険者ギルドとサハギンたちは唖然としてそれを見上げる。


 皆一時的に戦闘を中断し、降り注ぐ瓦礫から身を守る必要があった。


 カナタは瓦礫をツルで払いながら、階下へ飛び降りる。風属性の魔法を応用し、着地の衝撃を吸収する。


「おいカナタ! 大丈夫か?!」


 ギルド長のアーノルドがこちらにかけてくる。


「ギルド長! 僕は大丈夫です。すみません、かなり派手に壊してしまいました……」


「それでヤツは? イェスターはどうなった?」


「強力な魔法を放ちました。ただ――」


 手応えがない。


 魔法が被弾する瞬間、イェスターはなにかをした。黒い物質を操るあの技で防いだのか、あるいは――


 そのときだった。


 アーノルドの肩に黒い刃が貫通した。


「えっ」


 突然のことにアーノルドは状況を飲み込めない様子で、ただ突き刺さったそれを見つめる。


 カナタは黒い刃が飛んできたほうを振り返る。


 イェスターがこちら見ていた。


 だがさっきまでと明らかに様子が違う。目が血走り、ニヤついた口元からは唾液が垂れている。品よく整えられていたはずの髪は逆立ち、その形相と相まって、まるで雄のライオンのようだった。


 そして、渦巻く角が二本生えていた。


「腹立たしい。実に腹立たしい。貴様は塵ひとつ残さず葬ってやろう」


 イェスターは唸るように言う。アーノルドを襲った黒い刃は、黒い鞭の先が変形したものだった。イェスターはそれを乱暴に引っ張り、刃を抜く。どっぷりと濃い血が噴き出る。


「ぐっ……がはぁっ……!」


 アーノルドは肩を抑えてその場に倒れ込む。


「アーノルドさん! くっ……イェスター、お前はいったい……」


「カナタ!」


 ユレイナが商会本部から躍り出た。


「ユレイナさん!」


 ユレイナはカナタを見、周囲の状況を見、そしてイェスターを見た。深刻な顔がいっそう険しくなる。


「カナタ! 戦ってはいけない! イェスターは魔族よ!」


「えっ……魔族?」


 魔界からやってきた魔王の軍勢、魔族。この世界の生き物ではない。ことわりを超えた存在。


 カナタはイェスターを見た。周りの冒険者たちも異変に気づき騒然となる。


 こいつらが、僕の倒すべき敵。


 いや、ユレイナに言われる前からわかっていた。


 イェスターを一目見た時に湧き上がってきたあの怒りは、まるでカナタではない、不思議な感覚だった。


 そしてその人物は、魔族を憎んでいる。


「これまでも魔法が得意だった勇者はいた。でも魔族には――そいつには効かなかった! 無効化する術があるの! そいつが本気を出したら――」


 私たちには勝てない――ユレイナは絶望を滲ませた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る