新米ソーサラー

「イェスター様! 冒険者ギルドの荒くれ者どもがこの建物を襲撃しています!」


 傭兵の一人が慌てた様子でドアを叩き、喚いている。


「すぐに避難を! 私が付き添い、お守りいたします!」


 主人(あるじ)への忠誠心か。その感情は分からんでもない。


 だが下等な種に「守ってやる」などと言われるのは、実に不快だ。


「イェスター様! どうか――」


 イェスターはドアに向かって手をかざし、二言、三言唱える。深い洞窟の奥底で生き物が呻いているような、不快な音だった。


 一瞬にしてドアが砕け散る。


 イェスターが廊下に出ると、虚な目で天井を仰ぎ、息絶えている傭兵が転がっていた。


「あの盗っ人、ギルドに泣きついたか。馬鹿なことを」


 あの女はつくづくこの町での私の地位を理解できていない。


 冒険者ギルドがこの英雄イェスターを襲撃? 世間にどう見えるのかは明白だ。


「あなたがイェスターですね」


 廊下には一人の男が立っていた。


 簡素なローブに安物の杖。ソーサラーのようだが、まだまだ駆け出しといった雰囲気だ。


 しかし――なんだこの気配は。


 イェスターは過去に一度、と対峙したことがあった。彼女は魔女の中でも若く、基本魔法も最近会得したばかりというところだった。


 だがそれでも気圧された。


 後にも先にも、私が人間から逃げざるを得なかったのは、あの時だけだ。


 この男が内包する魔力――魔女に似ている。


 いや、しかしそんなはずはない。ユピテルミア王国の秘境スローグならまだしも、こんなただの港街で、魔女の血を引く者がいるものか。


 ただ、似ているだけだ。


「ノルンはずっとあなたに脅されていた。弁解はありますか?」


 男は杖をこちらに向けて言う。


「これはこれは。どなたか存じませんが、なんの話だかてんで見当がつきませんね。それに外がずいぶん騒がしい。いったいなんの騒ぎでしょう?」


「とぼけるんですね。その傭兵をドアごと吹き飛ばしておいて。もう誰もあなたがただの商人だなんて思いません」


「私も驚いていますよ。突然ドアが砕け散った。失礼ですが、侵入者であるあなたの仕業かと――」


 なんの予備動作もなく、男の持つ杖先から炎のかたまりが飛んできた。イェスターは首をひねり、わずか数センチのところでそれを避ける。


「下級魔法とはいえ無詠唱――貴様、何者だ」


「あなたに名乗るつもりはありません。僕は最近ハレノの冒険者ギルドに加入した、新米ソーサラーです」


 ◆ ◆ ◆ ◆


 イェスター商会本部の三階へ上がったところで、カナタは見た。


 広場にあった銅像と同じ人物。


 間違いない。イェスターだ。


 だが、爽やかで人のよさそうな印象の銅像とはまったく違う。


 あの男の中には、なにか黒々としたものが渦巻いている。まるで獲物を捕捉した蛇のような、狡猾な空気を漂わせている。


 イェスターを見たとき、カナタは腹の奥が沸々の煮えるのを感じた。


「私も驚いていますよ。突然ドアが砕け散った。失礼ですが、侵入者であるあなたの仕業かと――」


 カナタは心の中で火属性の下級魔法を唱える。


 グスタボの地にて死をも焼き尽くす炎よ。不機嫌な火葬場クリマトリアム――焦火しょうか


 周囲が一瞬で熱くなり、炎のかたまりが放たれた。


 それをイェスターはすんでのところで避ける。


「下級魔法とはいえ無詠唱――貴様、何者だ」


「あなたに名乗るつもりはありません。最近ハレノの冒険者ギルドに加入した、ただの新米ソーサラーです」


 イェスターは無表情でカナタを見ている。感情は読み取れない。


 無詠唱にもかなり慣れてきた。下級魔法ならほとんど予備動作なしで発動できる。


 だが、あのときの感覚には至っていない。


 はじまりの村ウィムで、グムド族が目前まで迫ってきたあのとき、カナタは絶望の淵に落ちた。そしてあの声が聞こえた。声に従って手を掲げると、身体が熱を帯び、無詠唱で上級魔法が発動した。


 下級魔法の練習をしているときとはまったく違うあの感覚。普段と比較にならない量の魔力が溢れるあの感覚に達するには、どうすればいいのだろう?


「もう一度聞きます。ノルンはあなたに長いあいだ苦しめられてきた。これはその報復です。弁解はありますか?」


「あの盗っ人とは正しい手順で契約書を交わし履行している。その内容もろくに読めない馬鹿な娘がわめいているだけだろう。無関係な冒険者どもにとやかく言われる筋合いはないがね」


「母親を人質にして、犯罪に手を染めさせる内容の契約書が、果たして最初から有効だったのか疑問です。国の監査が入れば確実に行政処分の対象だと思いますが」


 ユレイナからの受け売りだった。カナタの元の世界では当然こんな契約認められないが、それはこの世界でも同じことだった。


「ならば国の監査を待つことにしよう。ハレノに到着するまで二十日といったところか。それまでに処分対象になるような証拠はきれいになくなっているだろう」


「させません。今日まであなたは“ハレノの英雄”として名を馳せてきたようですが、それも今日で終わりです」


 イェスターは初めて表情を変えた。口元だけで笑っている。


「聞こえなかったか? 証拠はきれいになくなっていると。つまりだ。お前たち冒険者ギルドも、一人残らずきれいに死んでいるということだ」


 イェスターは腕を肩の高さに持ち上げ、水平に振り抜いた。


 その手から黒く細長い、鞭のようなものが出現した。それはのたうってそこかしらにぶつかり、壁や天井を破壊しながらカナタを襲う。


「弥終の村ドレーゼを守りし巫女たちよ。徹底した拒絶ノアズアーク――殻球かっきゅう!」


 カナタは杖を突き出し、防御魔法を張る。身体を守るように、半円形の光の壁が現れた。


 黒い鞭は激しい音を立てて壁にぶつかった。


「その程度では防げんぞ」


 イェスターは姿勢を低くし、今度は両手を大きく振り抜く。細い鞭が、今度は丸太ほどの太さになった。床を抉りながら、まるでカナタを喰らおうとする大蛇のように迫ってくる。


「ぐっ……!」


 防御魔法が砕ける。


 ――焦るな。押し返せる。


不機嫌な火葬場クリマトリアム――炎刻えんこく!」


 カナタははっきり唱える。杖の先から巨大な炎の渦が出現し、イェスターの放った黒い大蛇を迎え打つ。


 衝突した瞬間、両者の質量が一点に収束し、音のない時間が訪れる。


 そして弾ける。


 耳をつんざくほどの爆発、熱、暴風――


「うああっ!! ゆ、床が――」


 衝撃で床の一部が壊され、カナタは足をとられた。


 バランスを崩し、床に手をついてしまう。


「最近力をつけたと言ったらところか。状況判断が甘い。戦闘経験が浅いようだ」


 イェスターがいつの間にか背後に周り、カナタの首に短剣を当てていた。身体は先ほどの黒い鞭で拘束され動けない。


「……イェスター会長。あなたは何者ですか?」


「答える気はない。お前は勇敢だったが、愚かだった」


 イェスターは前触れもなく短剣を振り、カナタの首を切り裂いた――


「むっ――」


 だが短剣は肉を裂けず、逆に何かに当たって刃こぼれした。


 同時に床を突き破り、葉の生い茂るツルが何本も出現した。


 ツルは素早くイェスターの腕に巻きつき、短剣を払い落とす。首や胴、脚を拘束し、ものの数秒で彼は身動きが取れなくなる。カナタを拘束していた黒い鞭は空気に溶けるように消える。


 形勢が逆転した。


 イェスターは無表情のままカナタを見る。


「首の周りだけ防御魔法。さらに木属性の下級魔法で拘束――それぞれ繊細な魔力コントロールを必要とする。加えてどちらも無詠唱とは――ただのソーサラーではないな」


 カナタは喘ぎながら立ち上がった。


「僕は特になんの才能もなく、半分諦めモードの人生を送ってきました。初めて……初めて、得意かもしれないって思えるものができた。それが魔法です。だから……」


 杖を突き出して、頭の中で呪文を唱える。空気が渦巻き、風が吹く。


 カナタは口角が持ち上げ、不適な笑みを浮かべた。


「浮かれないように気をつけないと」

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