アイコさんは理想的

右京マチ

第1話

ショウタロウ編



何が起きているのか分からない。


「し、ショウくん、これは違くて……」


目の前がはっきりと見えない感じ。声もぼわんとしてよく聞こえない。


「彼氏さんでしょ? 別れたがってるっていい加減気づいてあげてくださいよ。ハルちゃんが可哀想だ」

「ゆう君、ちょっと……」

女は丸い胸がはっきりとわかる服を着ている。ご自慢のソレを揺らしながら男の腕を掴む。


「そいつから離れろよ!」

俺は自分でもびっくりするくらいの大声が出た。その瞬間、靄がかかってよく見えなかった世界がはっきりとした気がした。


見えたものは愛おしかった恋人の、世界一可愛い笑顔ではなく、汚物を見るような冷ややかな目だった。







  *

「ちくしょぉ、ハルのバカヤロー……」


俺は木製のテーブルに弱々しくジョッキを置いた。ビールなんて普段飲まないくせに、カッコつけて一気飲みなんかしたから頭が痛い。


「葉山さんが男と手繋ぎデートしてたってねぇ。あんま信じらんねえけど、本当ならまあ、ご愁傷様だな」


光輝はおでんの湯気で曇った黒縁のメガネをとり、テーブルにあった紙ナプキンで拭きながら言った。



居酒屋の隅の小さな席に向かい合って座っている俺たちは、他の客の目には浮いた存在として映っているのだと思う。

居酒屋といっても半分バーみたいなおしゃれな場所で、なんかよく分からんジャズなんかかかっちゃって、メニューも味の濃い創作イタリアンで正直居心地悪い。

 


どいつもこいつも馬鹿にしやがって。


俺は誰でも似合う服ナンバーワンであるパーカーのフードを深くかぶり、コンプレックスの癖毛を隠しながら向かいのカップルに心の中で毒づいた。


学生は十八時までアルコール半額という誘い文句にまんまと引っかかったけど、こんな所じゃ酒がまずい。残りのメシを片付けたら店を出よう。




「こちらフローズン・マルガリータでございます」


髪の毛を束ねたイケメン店員が静かに酒を置いた。白い酒の表面に氷を削ったヤツみたいなのが乗ってる。


「こんなの頼んでないんですけど」

「あちらのお客様からでございます」


 酒の上の氷のかけらが一つ崩れた。

 店員の指した方を見ると、二つ先のテーブルに黒髪の女性が座っていた。



「うわ、すっげえ美人……」


光輝が小声で呟いた。確かにそうだと思う。

つやつやの長い黒髪に長いまつ毛、小さい顔は中顔面が短くて丸顔だ。アーモンド型の目は濃い化粧をしている風ではないのにまんまると大きい。


美人だし、かわいい系も入ってると思う。正直、どタイプだ。



「元気出してって意味」

鈴のような声でそう言った彼女は立ち上がり、こっちに近づいてきた。

座っている時は分からなかったが、黒い半袖のニットの下には相当なものを宿しているらしい。リブが妖艶な曲線を作っている。


「でっけえ……」

光輝はさらに小さい声で呟いた。

馬鹿、聞こえたらどうするんだよ。自分の声の通り具合を分かってねえんか。


「浮気されてたんだね」

目の前に来た美女は立ち止まってそう言った。


俺は情けない話を聞かれた恥ずかしさとか、可愛い子の『かわいさの圧』みたいなのに圧倒されて、どうしたらいいか分からずにもごもごしていた。


「泣いていいよ」


 

一瞬何が起きたのか分からなかった。


甘い風が頬を撫でたと思った次の瞬間、顔全体が柔らかいもので覆われた。

視界は真っ黒に、さっき見た女の子の服の色で塗りつぶされている。

 


俺は今、おっぱいに顔を埋めさせられているらしい。


後頭部には女の子の、柔らかい手の感触があった。




「よしよし」

その瞬間、俺は声をあげて泣いていた。

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