第2話.脱獄犯と繰り返し
高校二年生の夏休み3日目、朝8時、僕は旅行のための身支度をしている。財布、スマートフォン、歯ブラシや髭剃り、化粧水、充電器、着替えなどなど、足りないものはないかリュックの中身を確認する。何日間の旅行になるか、どれだけ遠くに行くのか、全く計画は立てていないけれど、移動が苦痛にならないように荷物は最小限で抑える。
荷物に不備がないことを確認し、母の下へ向かう。
「お母さん、そろそろ行ってくるよ」
母は口角を上げてはいるが不安げで不満げな顔をして僕を見る。結局最後まで僕の一人旅には反対らしい。母には悪いが、これは僕の人生と遺言状の厚みのためだ。今のところ死ぬ気なんてさらさらないけど、もし、僕が死んだときは遺言状に厚みがあった方が母も嬉しいだろう。
「気を付けてね、どのくらいで帰ってくるの?」
「まだ行く場所も何にも決めてないけど、2週間くらいじゃないかな」
「結構長いね、危ないことはしないでね、あと、1日1回は連絡ちょうだいね」
「分かった、じゃあ、行ってきます」
母への出発の挨拶を済まし、荷物を持って徒歩で最寄りの駅まで向かう。僕の一人旅を後押ししてくれた父は仕事に行っているから行ってきますを言うことはできなかった。最寄りの駅に着いてから、電車が来るまで15分弱待つ。田舎だからこれくらい待つことは普通だ。
今回の旅行で唯一、最初の行き先だけは『都会』に決めていた。理由は行ったことがないから。都会と言っても、東京、大阪、名古屋、横浜と色々あるけど、とりあえず東京に向かってみよう。ここから1時間半程度で行けるし、首都だから一番都会っぽい。
電車に揺られながら、東京のビジネスホテルの料金を調べる。最近は物価高、賃金低下、観光客減少が続いている影響でほとんどのホテルで当日予約が可能だとニュースで見た。それだけ泊まる人が少ないということだ。
なんとなくの平均の値段を把握し、次は自分の貯金額を確認する。僕の頭がはじき出した大雑把な計算結果によると、贅沢と長距離移動を控えれば1か月は旅行することができそうだ。
電車に揺られ、何回かの乗り換えを繰り返していると周りの景色が段々と都会っぽくなっていく。車窓から見えていた大きな山や広い海は、高いビルや多数の工場へと変わっていく。平日の昼間ということもあり、電車に乗ってくるのはスーツを着たサラリーマンや老人ばかりだ。みんな何らかの電子機器に目線を落としている。東京に近づくにつれ、人も増えていくが、みんな同じ表情だ。
目的の駅で降り、複雑な構内を抜け、人生初の都会の街に立った。初めて吸った都会の空気は埃と煙と人を混ぜたような匂いがする。
まずは電車内で予約したホテルに行ってチェックインをする。人生初チェックインだ。手続きを機械で済ませ、表示された部屋に入る。お父さんから聞いていた通り、泊まるのに必要な最低限のものだけが揃っているといった感じの部屋。一晩だけ泊まるならいいかもしれないが、ここで何日も暮らすのはストレスが溜まりそうだ。
荷物を置き、綺麗なベッドに横になる。家では布団で寝てるから、ベッドも人生初だ。僕は5分程ベッドの心地よい反発と肌触りを堪能してからスマホを手に取る。
都会に来ることは決めていたけど、都会で何をするかは決めてない。都会になにがあるかも知らないから、とりあえずマップのアプリを開く。
大きな公園、レストラン、カフェ、ショッピング施設、ホテル、スーパー、色んなものが密集していて、田舎の地元ではあり得ない情報量がマップ上に表示される。
「公園、大きいなぁ」
マップの中でも一際目を引く緑のエリアを見て呟く。都会はビルも高いし公園もデカいらしい。やることもないので歩いて10分程の公園に行ってみることにした。
公園に行く途中、サイレンを鳴らした救急車と2回すれ違った。車も歩いている人もみんな忙しない。
初めて体験する都会の公園は、公園というより広場といった感じだった。学校のグラウンドくらいある広い芝生に、広い駐車場。遊具はなく、芝生の上に続く舗装された道の脇にベンチが点在しているだけだ。この何もない感じがこの空間を公園ではなく、広場だと思わせる。
公園と呼ばれる広場には何もなくて、特にすることもないから、ただ何となく歩いてみる。ベンチに座る老夫婦を眺めたり、つなぎを着たおじさんと目が合って会釈したりしながら、開けた未開の地を歩いて行く。
しばらく歩くと広場にキッチンカーが出店していた。時刻は14時、昼食を食べるタイミングを逃したのでお腹がペコペコだ。
キッチンカーの前に立ってる旗にはパニーノという文字が書いてある。パニーノ、聞いたことない食べ物だ。
近くのベンチに座って、スマホで、パニーノと検索してみる。どうやら食べ物のようだ。サンドイッチのようなものらしい。せっかく人生で初の都会に来たのだから初めての物を食べるのも悪くない。僕はキッチンカーに向かった。
「すみません、この季節のパニーノ、一つください」
「はーい、ご一緒にお飲み物はいかがですか?」
「じゃあ、アイスコーヒーで」
「それではセットで3,800円になります」
お金とパニーノを交換し、僕がパニーノを知ったベンチへと戻る。
数分前に存在を知り、今初めて食べたパニーノはとても美味しかったが、普通のサンドイッチと何が違うのかよく分からなかった。この『よく分からなさ』も都会特有の情景なのかもしれない。
「すみません、そのパニーノ、美味しいですか?」
急に声をかけられて振り返ると、さっき会釈したつなぎを着たおじさんが立っていた。
「これですか? 美味しいですよ。パニーノは今日初めて食べたから、基準が分かりませんけど」
少し驚いたが、おじさんにパニーノに対する率直な意見を述べる。東京では知らない人にも平気で食べている物の感想を聞くのだろうか。
「そうなんですね、ありがとうございます」
おじさんは一礼してキッチンカーに向かい、数分後、僕の下に戻って来た。
「すみません、急に話しかけちゃって」
「いや、全然大丈夫ですよ」
「隣、座ってもいいですか?」
「え? まぁ、いいですよ」
おじさんはパニーノの包み紙を開けながら、僕の隣に座る。見た目的に、45歳くらいだろうか。中肉中背、髭は少し。つなぎを着てるから作業員? 平日だし、仕事の休憩中かな。
僕は急に現れた不審なおじさんに対して想像を膨らます。
「急にごめんね、全然、怪しい人とかではないから」
明らかに怪しい人の言動だ。これが噂に聞く不審者というやつか。
「実はこのパニーノ、前から食べたいと思ってたんだ」
「そうなんですか? パニーノが好きなんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど、前からこの公園には来てて、いつも食べたいなって思ってたけど、美味しいか分からないから踏ん切りがつかなくてね」
「なるほど、僕はここ、初めて来たからあのお店はたまたま出店してるんだと思ってました」
「そうなの? 君はこの辺の子じゃないんだ」
「はい、ちょうど学校が夏休みなので、旅行でも行こうかと思って」
「一人旅行かぁ、今時珍しいなぁ」
「おじさ、えっと、そちらはここら辺の人ですか?」
初対面の人を『おじさん』と呼ぶのはなんだか失礼な気がして言葉に詰まってしまった。おじさんはそんな僕の心を見透かしたように少し笑う。
「おじさんでいいよ、一応、
「そうなんですね、あ、僕は
「嶺くんは、大学生とか?」
「いや、高校2年生です」
幸さんは驚いた顔で僕を見た。
「高校生で一人旅行!? 凄いなぁ」
「まぁ、旅行って言ってもそんなに遠くまで行くつもりはないですけどね」
「一人で行くっていうのが凄いよ。でもあれか、今の高校生は旅行とかあんまり興味なさそうだから、友達は誘いづらいのか」
初めから友達を誘うつもりなんてなかったけど、訂正する意味もないので特に訂正はしない。
「ニュースかネットで見たけど、今の高校生って遺言状書かされるんだって?」
「書きますね、中学生から書かされてますよ」
「バカらしいよなぁ、学生のうちに遺言状を書かせるなんて」
「そう、ですかね」
大人には子供の遺言状はくだらなく見えるのかな。くだらないと思われないような遺言状を書かないと。
「なんで一人で旅行しようと思ったの?」
幸さんはそう尋ねてきたが、ついさっきバカらしいと一蹴された遺言状のためだとは言いにくい。
「なんというか、都会に行きたかったっていうのと、気晴らしですかね」
「気晴らしで一人旅か、大人だな」
幸さんはそう呟くと、パニーノを一口食べる。ため息を吐くように、「おいしい」と呟く。
「都会への憧れがあるか分からないけど、東京には住まない方がいいよ」
「なんでですか?」
「東京は生きづらいからね。今の日本で生きやすい場所なんてないのかもしれないけど、ここは、もう人が生きられるような場所じゃないと思う」
僕はさっき見たマップアプリの画面を思い返す。あんなに色んな店があって、電車もあって、便利なのに人が生きられる場所じゃないとはどういうことだろう。
そう疑問に思っていると、また遠くから救急車のサイレンが聞こえた。
「今、自殺者が増え続けてるのは知ってる?」
脈絡のない質問で、一瞬返答に遅れる。
「知ってます、テレビで見たりしました」
「今サイレン鳴らしながら走ってる救急車、あれは大体自殺した人を回収するために走ってるんだ。東京は人が多くて生きにくいから、自殺者が多い。飛び降り自殺なんてのも日常茶飯事なんだ。そんなのは、人が住むような場所じゃないだろ」
そうだったのか、じゃあ、ここに来る途中にすれ違った救急車も、そのために走ってたのだろうか。
「じゃあ、なんで幸さんは東京にいるんですか?」
工場で働けるなら、東京じゃなくても働く場所があるはずだ。
「そうだなぁ、仕事場が東京だからっていうのが理由かな。東京に配属されたから東京で暮らしてるだけ。別にやりたい仕事でもなんでもないけど、仕事を貰えてるだけでありがたいからやってる。失業率のこととかもニュースで見た?」
僕は黙って頷く。最近は自殺者とともに失業率も激増している、というのは毎日のようにニュースで取り上げられている。
「一回仕事を失ったら、次の仕事が簡単には見つからない世の中だからさ。他の場所に引っ越すためだけに仕事辞めることなんてできないよ」
乾いた笑いを見せ、俯きながらそう話した幸さんはまたパニーノをかじる。
「やっぱ仕事って楽しくないんですか?」
「楽しくないよ、面白くもない」
「なんのために仕事してるんですか?」
「そりゃお金だね、お金なきゃ生きていけないし。まぁ、今の給料じゃお金あっても自由には暮らせないけど」
「給料が足りないってことですか?」
「そう。このパニーノだって1つ3,000円、こんなのが3,000円もしたら何にも気軽に買えないよ」
先ほど「おいしい」と評した食べ物に文句をつける、大人の評価ってのはあまり当てにならないのかもしれない。
「パニーノ1つ3,000円って高いんですか?」
「高いよ、今じゃそれが普通なのかもしれないけどね。3,000円あれば昔は安めの焼き肉が食べ放題だったのに、今じゃこんなパン一つだ。ほんと、嫌になるよ。ただ真面目に働いて暮らしてるだけなんだけどなぁ、何をするにも何もかもが足りない感じ」
それは驚きだ。焼肉なんて食べたことないけど、少なくとも3,000円で食べれる物ではないと思う。幸さんみたいに普通に生きているように見える大人でも、働く為か、暮らしの為か、東京から出れず、東京で暮らし続けなきゃいけないのか。
まるで檻みたいだ。東京という檻の中で生活しなければならない。そこから出ることが許されないまま、生活を続けていく。
「じゃあ、なんで働き続けるんですか?」
仕事は楽しくないらしい、そして、仕事を続けていても不自由な檻の中に閉じ込められるだけらしい。それなのに何故そんなことを続けるのか、弱冠17歳の僕の頭には疑問符が浮かぶ。
幸さんは、タバコの煙を吐くように、細く揺れるようなため息を吐いて答えた。
「それはなぁ、俺は、人生のためだと思うよ」
「人生、ですか?」
「そう、人生って流れ作業みたいなもので、ただお金を稼いで、物を買って、それを消費して、また稼いでっていうのの繰り返し。その繰り返しが人生で、それを続けるにはお金を稼ぐ、つまりは、仕事をする必要があるってこと。当たり前だけどね、仕事する理由なんてそんなもんだよ」
人生は、流れ作業でただの繰り返し。せっかくお金を稼いでも、一巡したらまた稼がなきゃいけない。
人生も東京と同じく抜け出せない檻で、ただのループ。幸さんの口ぶりと人生観からそんなことを思う。
「その繰り返しが楽しくなくても、続けることが前提ってことですか?」
「そうだな、続けないってことは死ぬってことになっちゃうからね。続けない人も増えてるけど、俺は繰り返し続けること以外は考えないかな」
「それは、意味があるんですかね」
「意味があるかは結果次第じゃないかな。俺もまだ結果は出せてないけど、この繰り返しは過程であって結果じゃないんだ。いつかは繰り返しから抜け出すことができると思ってる。繰り返しから抜け出すために繰り返し続けるってこと。ちょっとややこしいかな」
言っていることはややこしいが、意味は分かる。つまり、幸さんは脱獄犯なのだ。いや、まだ脱獄していないから、脱獄計画者か。繰り返しの檻、東京という檻の中にい続けながら、常に外へ出ようと檻を壊そうとして生活している。その脱獄がどういった形なのか、僕には分からないけど、幸さんはいつか、人生からの脱獄犯になることを望んでいるのだろう。
「なんか、カッコいいですね」
「えぇ? そうかな、ただの社畜だよ。あ、社畜っていう言葉、もう今の高校生は使わないかな」
幸さんはそう言って少し口角を上げてから、欠片となったパニーノを口に運んだ。パニーノが消費され、また繰り返しが進む。
「初対面なのになんか深い話しちゃったね。ごめんごめん、最近は若い人と話す機会が少ないから自然とテンションが上がっちゃったかな」
「いや、僕も色々聞いちゃってすみませんでした。ありがとうございます」
「謙虚だなぁ、あ、そうだ。これからの社会、生きるのが大変になりそうな君に助言をしてあげるよ」
「なんですか?」
「人生の繰り返しから抜け出したいなら、政治家になりなさい! そうすれば、繰り返しから早く抜け出せると思うよ」
突拍子もないことを言う大人だな、この人は。政治家なんてなろうと思ってなれるようなもんじゃないだろうに
「流石に無茶ですよ」
「えぇーそうかなぁ、こんな社会になっちゃって、政治家なんてジジイばっかだし、怠けてばっかだし、若い人が手を上げるだけでも人気でるよ、多分」
「じゃあ、僕が立候補したら票入れてくださいね」
「ははっ、いいよ、もちろん入れてやるよ」
悪そうな笑みを浮かべた幸さんは包み紙を丸めながら立ち上がる。
「じゃあ、俺はそろそろ行くわ。高校生の一人旅、楽しめよー」
そう言って歩き出した幸さんに別れの挨拶を告げ、僕も歩き出した。ホテルに帰る途中、救急車の音を2回聞いた。きっと脱獄できなかった人を運びに行くのだろう。そんなことを思いながら来た道を戻る。
混在した都会の匂いと音の中にいる自分は、今だけはここの囚人の一人。さっき食べたパニーノは繰り返しを進めるための歯車の一つ。
繰り返すことが人生で繰り返しこそが人生で、生み出して費やして消えてって、また生み出してを繰り返す。
いつかはそれが終わるかも。いや、いつまでもそれは終わらないかも。どうなるか分からないループの中、ただ結果を求めて周り続け、その輪の中に囚われる。
それが幸さんの人生、それが多くの人の人生、僕もきっとその人生。
次の日の昼、昨日と同じ歯車を回し、繰り返しを続けた。
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