遺言状・ザ・ベスト

@moyasai

第1話.自殺率50%とボール

 小説にストーリーが必要なように、曲にリズムが必要なように、遺言状には人生が必要だ。良い小説には魅力的なストーリーが、良い曲には中毒性があるリズムがあるように、良い遺言状には語れるような人生が必要だ。


 僕の人生は、投げ上げられたボールのようなものだ。生まれた瞬間に、僕自身の産声と共に、空高くへと投げられる。

 そして、最高点に達した瞬間から、徐々に落下していく、そこにはなんの障害もない。多少の空気抵抗や風の影響を受けつつも、真っ直ぐと地面に向かって落ちていく。

 死という名の地面に向かって、ゆっくりと徐々に早く、落ちていく。

 ただの時間の経過、ただ地面に落ちていくだけ、真っ直ぐと。

 それが、志島 嶺しじま れいの人生。今のところは。






「じゃあみんな、が書けた人から先生に提出してー、ホームルーム終わりまーす」


 担任の女性教師はそう言って教室を出て行った。先生が教室を出ていくと同時に教室にいる生徒が動き出す。一人の者、友達と一緒に動く者、様々だがほとんどの生徒は真っ直ぐと帰路につく。この高校では去年、部活動が廃止された。


 『遺言状』 それは近年、1年に1回以上書くことが推奨された文書だ。物価上昇、出生率の激減、失業率の激増、貧富の差、あらゆる社会問題が深刻化した今の日本では、2人に1人が自殺により死亡すると言われている。その割合は年齢が上がるにつれ高くなるが、中学生でも2割、高校生では3割の人間が自ら命を絶っている。


 そんな状況の中で書くことが推奨されているのが今、僕の目の前にあるだ。中学1年生になってからは年に1回、遺言状を書いて学校に提出することが教育課程に盛りこまれている。誰がいつ死ぬか、本人が1番知るようになったこの世の中では、死んだ人間の親族でさえ、生前の言葉を知ることが難しい。自ら命を断ってしまった人間の思いを少しでも正確に効率的に親族に伝えることがこの遺言状制度の狙いだ。


 しかし、この制度はほとんど形骸化している。実際、自分の死や周りへの想いなんてものを真面目に考えることができ、それを周りに伝えるようとすることができる中学生や高校生などほとんどいない。子供とはそういうものだ。僕、志島 嶺しじま れいもそんな子供のうちの一人だ。中学生1年生から高校2年生の今まで真面目に遺言状を書いたことなどない。宿題と同じでただやれと言われたから、書けと言われたから書いて、提出しただけだ。


 今まで書いたことと言えば、「お母さんお父さん、いつもありがとう」だったり、「友達もできて楽しい人生でした」といったようなありきたりなものだ。友達もみんな同じようなことを書いている。


 でも、今年は違う。今年の遺言状は真面目に書いてみようと思っている。そう思ったきっかけは、幼馴染の死だ。幼馴染といっても幼稚園の頃仲が良かった程度で、中学も高校も違ったので名前ぐらいしか覚えていない。その幼馴染が先月、自殺したらしい。風の噂を母から聞き、その事実を知った。自殺自体が珍しくない今の世の中で、連絡先も知らない、何年も会ってない人間が死んだだけだ。僕は特に何も思わず聞き流していたが、母は違った。


 母は泣いていた。


「なんであの子が」「嶺と歳も変わらない、あんな若いのに」


と涙を流しながら言っていた。その姿を見て、今年は遺言状を真面目に書こうと思った。僕が思っている以上に母の中では『死』というもののインパクトが強く、もし、僕が死んだら、母はこの何倍も悲しむだろう。今までお世話になった母に、気持ちくらいは残しておかなければならないと思った。


 きっかけはそんな些細な出来事だ。他に特に深い理由はない。強いて言えば、今真面目に書いておけば自分の中では遺言状のフォーマットができるから、来年以降書くのが楽になるから、という理由もある。


 そんな思いを持って、僕は目の前の遺言状を見つめる。しかし、書く内容は一向に浮かばない。両親への感謝や今まで楽しかったことといった遺言状のテンプレを書くことはできるが、それでは例年の遺言状と変わらないし、用紙の半分も埋まらない。


 この遺言状は、母や父以外にも見られるかもしれないし、僕が遺した最後の文章的な扱いになるはずだ。どうせだったらもっとオリジナリティあることを書きたい。


 僕は今日書くことは諦め、用紙を鞄にしまう。幸い、遺言状の提出期限はだいぶ先だ。時間はたっぷりとある。帰り支度を整え、帰路についた。

 自宅への帰り道、前を2人の女生徒が歩いていた。その女子たちの後ろを歩いている俺に、図らずも彼女たちの会話の内容が聞こえてくる。


「私のおじさん、先週死んじゃったんだよね」

「え? そうなの? 自殺した感じ?」

「いや、一応仕事の中での事故死らしいんだけど、お母さんは事故に見せかけた自殺だったんじゃないかって言ってる」

「そうなんだー、お葬式とか大変だねぇ」

「ほんとだよー、でも、学校休めるからちょっとラッキー」


 早々に叔父の話を切り上げた彼女たちは最近流行りの化粧道具にについて話し始めた。化粧とは縁がない男子高校生の僕にとっては、日本語だけど内容が分からない会話だった。


 家に帰り、自分の部屋で遺言状について考える。そもそも遺言状とはなんだろうと思い、スマホで『遺言状とは』と調べる。画面には『これで簡単! 刺さる遺言状の書き方10選』『最近流行りの遺言状とは? その起源を調べてみた!』といったサイトへのリンクが表示される。どのサイトの内容も誰もが知っているネット上の情報をごちゃまぜにして薄く引き延ばしたようなものだったので、僕はスマホを置いた。僕が書きたいのは既存の遺言状ではなく、僕なりの遺言状だ。


 遺言状に込める思い、周りへの感謝、自ら死に向かう気持ち、考えたことがないものばかりで書き出しの文章すら浮かばない。みんなは遺言状にどんなことを書くのだろう。


 例えば、自分の親だったら? 恐らく一番には家族や親族のことだろう。残された人間への感謝かあるいは、謝罪かもしれない。そして、自分が何故死ぬのか、今まで辛かったことや楽しかったことも書くかもしれない。それに加え、お金関係のことも書くだろう。自分の遺産を誰に渡すのか、その分配の配分も細かく書かなければならない。


 高校2年生の僕には書けない内容ばかりだ。僕にはお小遣い程度の遺産しかないし、関わってきた人間も少ない。17年しか生きていない自分では、どうしても遺言状の内容に厚みがでない。


 遺言状は死を前提にして書かれる文章だ。死ぬ前に伝えたいこと、伝えるべきこと、死への想い、理由。 


 そもそも僕は死と向き合ったことがない。死についても生についても真面目に考えたことなど一度もない。生きるとは、死ぬとは、どういうことか。僕は今高校2年生で17歳。17年間生きて、17年間死ななかったから17歳になっている。それは生きていると言えるのかな。


 生きているというよりは、時間が経過しているという表現の方がしっくりくる人生だ。ただ時が流れているだけ。投げたボールが地面に向かって落下するみたいに、ただ死に向かって落ちているだけだ。時間の経過に身を委ねているだけの自分が死んだ後に伝えたいことなんてほとんどない。


 自分なりのオリジナリティと厚みのある遺言状を書くには、知識と経験が不足している。遺言状を書くために知識と経験を積み上げなければならない。


 でも、一体どうすればいいのだろう。知識をつけると言えば最初に学校や図書館が思いつくが、どちらも学問に対する知識だ。僕が求めているのは学問のための知識じゃなくて、遺言状を書くための知識、自分の人生を語り、それを書き起こすための知識だ。生きるとはなにか、死ぬとはなにか、自分の人生を言葉で彩り遺言状という形にする。そういうことをできるになる知識や経験だ。


 そんなもの、どうすれば身に付けられるのだろう。少なくとも、この狭い部屋で考え込んでるだけでは身に付けられそうにない。僕はまた遺言状を鞄にしまった。


 1階のリビングに降りると、母が夕飯の支度をしていた。僕はつけっぱなしになったテレビをなんとなく眺める。毎日やっているニュース番組だ。滑舌が良く、疲れた顔をした男性によってニュースが読み上げられる。


『今日の死者数は○○人、そのうち自殺者は8割に上りました。年々自殺者が増えています』

『物価上昇や増税の影響で、内閣への支持率は低下を続けています』


 渋い顔をした内閣総理大臣が映し出される。ニュースに出る大人は大体この顔をしている。


『世界では異常気象が多発しており、環境問題への対策が急がれます』


 ハリケーンに吹き飛ばされる家の映像が映し出される、アメリカだろうか。


『近年は外国から日本への旅行者は減少傾向にあります。原因は……』

『全国各所であじさいが咲き始めました。おすすめ観光スポットは……』


 旅行、観光。そういえば、生まれてから一度も旅行というものをしたことがない。昔は修学旅行というものがあって学校行事として旅行に行っていたみたいだけど、だいぶ前に廃止されたらしい。


 生まれてからこれまで『他の土地に行く』という経験をあまりしてこなかった。行きたい場所は特にないが、旅行というものをしてみたい気持ちはある。短期間で非日常の体験をする旅行は、手っ取り早く知識と経験を身に付けるのにはぴったりかもしれない。幸い、もうすぐ夏休みだ。今の僕には時間がたっぷりとある。


『○○岬が自殺の名所という情報が広まっています。くれぐれも自殺はやめてください』

「お母さん、夏休みなんだけどさ」

「うーん? 夏休みがなに?」

『高齢者による様々な事故が多発しています。関係各所の対応は……』

「ちょっと一人で旅行行こうと思うんだけど」


 カランッっと何かが落ちる音とともに母の手が止まった。


「え? 旅行って、一人で? なんでそんな急に」


 母の声が何故か震えている気がする。母の目を見ると、真っ直ぐ僕を見つめ、見開き、何かに怯えているように目じりがひくついて、顔は少し引きつっている気がする。


 まるで実の息子が余命宣告を受けたかのような反応だった。


「なんでっていうか、そんなに理由はないんだけど、強いて言えば経験?」

「なんで急にそんなこと言いだすの、一人でなんて……」

「もう高校生だから一人でも大丈夫だよ、貯めてたお年玉もあるし」

「そういう問題じゃなくて、その、変なこと考えたりしてない? 悩みがあるの?」


 母はまくしたてるように旅行の理由を尋ねてくる。思い付きで発言した僕は呆気にとられ、数秒間、言葉を発することができなかった。


「特に深い理由はないんだけど、ただ行ってみたいなって思って」

「本当に? 祐樹ゆうきくんのこと、ショックだったりしてない?」


 母が何を心配しているのか分からない。祐樹というのは先月自殺した幼馴染の名前だ。


「いや、特に考えてないよ。悲しいとは思うけど」

「その、後を追うとか、そういうこと、考えてるわけではないよね?」


 血相変えた母が何を心配しているのか、見当がついた。きっと僕が一人で旅行すると嘘を言って、出かけた先で自殺しようと考えてると思ったのだろう。中高生の自殺が増えている今、家族に「出かけてくる」とだけ言って家を出て、そのまま命を絶つというやり方が多いらしいというのはいつかのニュースで見た。母は僕もそのやり方で自殺するのではと思っているのかもしれない。


 見知った顔が死んだことで、母は死をより身近に感じているのかもしれない。幼馴染が死んだからとか、死ぬ人が増えているからとか、そんな単調でつまらない理由で死ぬつもりなんて毛頭ない。


「そんなこと考えてないよ、ただ旅行に行きたいと思っただけ」

「本当に? でも、やっぱり一人は心配だからなるべくやめてほしいな。お父さんもきっと心配するよ」


 母は僕の旅行には反対らしい。まぁ、思い付きの無計画で言ったことだし、心配もされるだろう。


 その後、仕事から帰って来た父に母が旅行の話をすると、父は


「行ってもいいんじゃないか」


とあっさり了承した。母は呆気に取れらていたが、僕は次の日、自身の貯金額を確認し、旅行の予定を立て始めた。

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