第37話「できっこないを やらなくちゃ」

「十年前まで、僕は自分のことが嫌いでした。理由はこの声のせいです」


 人工声帯を介さない生のハスキー声がマイクに乗る。


「周りはみんなたくましい声なのに一人だけ女の子みたいな声。僕が声を出せば、必ずみんなが振り向きました。その好奇の視線がとても辛くて、こんな声なくなってしまえと何度も何度も引っ掻きました。


 僕は自分のことが嫌いでした。自分の声が大嫌いでした。


 けれども、そんな僕の声を『好きだ』と言ってくれた人がいました。今まで醜いと思っていたこの声を好きと言ってくれた人は初めてで、僕の周りを飛んでいた黒い靄を一瞬で吹き飛ばしてくれました。


 やがて僕は彼女と付き合い、結婚します。彼女はある企業の社長の一人娘で、その会社がとても大好きでした。こんな僕の声を好きだと言ってくれた彼女が好きなものを僕も好きになりたい。だから僕もその会社を


 ——この三賀森物産を好きになりました」


 沈黙が流れる。


 会場にいる全員の視線が、全てのカメラが靖気に向けられている。一瞬でも気を緩めたら倒れてしまいそうだ。でも、しばらくは大丈夫だと心の底が言っている気がした。背中を誰かが支えてくれている気がした。


「けれども、幸せな時間は突如終わりを告げます。先代社長が急死し、同じ頃に妻も交通事故で亡くなりました。


 大切な人を亡くした人ならわかると思いますが、正気を保てなくなります。何に対してもやる気が起きず、周囲に言われるがままに僕は社長という座につきました。


 時間だけが過ぎていって、気づけば会社は傾きかけていました。もう少し早く気づくべきでした。その間、従業員の皆さんにはとんでもない負担と苦労をかけさせてしまいました。本当に申し訳なかったと思うし、何もできなかった——いや、してこなかった自分が惨めで、ヘタレで、クズで、ゴミで、、、


 ゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミでゴミで————」


 十六回にも及ぶ三文字の繰り返しは、ただ一つとして同じものはなく、時には儚く、時には激情を込めて述べられた。


 誰一人として、その姿を笑う者はおらず、配信を見ながら昼飯を食べようとした社員は全員、箸を置いて画面に釘付けになった。


 社長の、次の一言を待つために。


「……そうだ。僕はゴミだ」


 ハスキーなか細い声だけが聞こえる。


「どうしようもないゴミで……………………、




   でも、


      こんな僕でも、


             この会社が好きなんです!」




 張り上げた声が会場を包む、マイクがハウリングを起こす。けれども、彼は止まらない。

 止められない。


「トップが社員の話を真摯に聞いてくれて、時には家族として、時には仲間として、辛い時も嬉しい時も、楽しい時も悔しい時も隣にいてくれた。そんな、社員のことを一番に思う三賀森物産が僕は好きだった。皆さんも、そうであるように!」


 友菜の脳裏に食堂で出会った中堅社員の言葉が蘇る。


『これを言うのはな、みんな本当はこの会社を辞めたくねえんだ。みんなブッサンが好きなんだよ。だから嬢ちゃんたち、なんとかしてくれよな』


 友菜たちが聞き取りをしてわかったことは、社員のほとんどが三賀森物産のことを愛している、ということだった。それほど先代社長の人望は厚かったのだろう。会場にいるほとんどの社員が目に涙を溜めていた。中には俯いて嗚咽を漏らしている者もいる。


「だったら取り戻しましょう。いいえ、取り戻させてください。僕一人の力じゃダメなんです。皆さんの、従業員の皆さんの力が必要なんです。


 まず、人事制度と労務制度を従来のものに戻します。備品も業務のために使うのであれば、全て経費で落とせるようにします。


 さらに、社員の意見が直接経営陣に届くよう『目安箱』を設置します。『目安箱』の中身は月に一度の取締役会で内容を精査し、全てに対する回答を皆さんに公表します。会社の経営方針でも食堂のメニューのことでも構いません。皆さんが普段感じている些細なこと、なんでもいいので教えてください!


 僕はまだ三十二の若造です。社長としての器もまだまだで、時には皆さんにご迷惑をおかけするかもしれません。


 しかし! 今までとは違う。お飾りの社長なんかではなく、この会社のために、大好きな三賀森物産のために、精一杯この命を削らせていただく所存です。どうか、どうか、この若輩者に力を貸していただけないでしょうか。


 そして、再びこの会社を三賀森物産を盛り上げさせてください!」




   ***




 十月一日、提出された辞表は……

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