第35話「決算発表、当日」
「……
野太い低音が彼の口から聞こえた。正確には、彼の喉にある円筒から聞こえていた。
「人工声帯です。声帯の振動を検知して、あらかじめプログラムされた声で話すことができます。うちの開発部の部長が徹夜で作ったそうです。これを使えば社長が心配されている声の問題も解決できるはずです」
友菜ははち切れんばかりの笑みを浮かべた。
「あとは社長、あなたの気持ちだけです」
東崎がぐいと顔を近づける。
「あなたは亡くなった奥さんのためにもこの会社を存続させたいとおっしゃった。ですが、それだけではダメなんです。会社は従業員を食わせていかなければならない。つまり、1500名の社員全員の人生に責任を持たなければなりません。その覚悟はおありですか?」
「
視線が泳ぐ靖気に友菜が畳み掛ける。
「あたしたちも精一杯サポートします。皆さんがこの会社を再び好きになってもらえるよう、一緒に頑張りましょう!」
そう言って胸の前で小さくガッツポーズして見せた。
靖気はしばらく視線を泳がしていたが、やがて口元をキュッと引き締めると、真っ直ぐな瞳を二人に向けた。
「
***
2021年9月30日13時25分。
東京・荻窪 三賀森物産本社 3階・大会議室。
収容人数800名の大会議室はかつて忘年会や他社との懇談の場として使われてきた。しかし、今では年に一回しか使われない。
決算発表会の日だけだ。
一年間の会社の収支を発表するとともに今後の方針について説明する。例年、会場は満員となり、会場に入れない従業員は中継映像をネット経由で視聴していた。
今年も例に漏れることなく会場は満席となり、立ち見する社員もでた。だが、その顔色はほとんどが暗い。きっと明日には辞表を提出すると心に決めているからだろう。それでも会場に足を運ぶのは————
大会議室の前方には一際大きな長机が置かれている。その横には人一人が出入りできるほどの扉が備え付けられており、控室と繋がっていた。
その控室には社長の三賀森靖気がスーツに身を包んでいた。紺色のジャケットを羽織り、白のワイシャツは第一ボタンをはずしている。ネクタイはつけない。襟から見える首元には包帯で固定された人工声帯が取り付けられていた。
「とてもお似合いですよ」
友菜の言葉に靖気は頬を赤らめた。
「
「人って意外と他人のことを気にしないものです」友菜は笑みを浮かべた。
靖気が笑みを浮かべると、廊下側の扉がノックもなく開いた。
扉の前には康代が立っていた。
靖気の笑みが消える。
「どういう風の吹き回しですの、急に社員の前で話したいだなんて。あなたはワタクシの後ろにいればいいの。社員への説明はすべてワタクシが行います」
靖気は苦い表情を浮かべた。
「
靖気の要望によって調整されたバリトンボイスが部屋に響く。このとき初めて〝靖気の声〟を聞いた康代は目を丸くした。
「その声、一体……」
「
康代の顔が一瞬で真っ赤になる。
「そ、そんなこと……あぁ、やっぱり浅田様の言う通り、外国は日本の企業を壊そうとしているのだわ。それがワタクシの会社まで……。……させない。そんなこと絶対にさせないわ!」
声を張り上げて足を前に出そうとする。友菜たち三人は一歩後退りするが、
「恐れ入ります。間も無くお時間です」
司会を担当する社員が控室の扉を開け、中を覗き込んだ。康代は踏みとどまり、顔を真っ赤にしたまま靖気のことを睨み続ける。
「
「靖気さん、後でゆっくりお話ししましょう」
靖気は会釈すると控室の扉を抜け、大会議室へと向かっていった。
——————
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