第33話「あたし、この人の力になりたいです」

「あたし、この人の力になりたいです」


 彼女の語気を社会人になってからついぞ、東崎は聞いたことがなかった。


 社会人は誰もがわがままを押し殺して決められた範囲で仕事をする。けど、目の前にいる後輩はその殻を破ろうとしている。


 将史が横から進言した。


「ですが、我が社は法人としか契約できません。ここで口約束しても、経理部や様々な部署から差し止めを喰らうのは必須です」


 それでも友菜は「助けたいの」と譲らなかった。

 東崎はもう一度、目を閉じる。

 次に開いたときには目の前の痩せた若年男性を見ていた。


「三賀森さん」口をひらく。

「話を聞けば、あなたは婿養子として嫁いできた人間で、奥さんがお亡くなりなった今、三賀森物産から離れることもできるはずです。どうしてそこまで三賀森物産にこだわるんですか?」


 彼の質問に靖気はしばらく視線を下に向けると、やがて左手の薬指を触った。そこには銀色の指輪が嵌め込まれている。


 次に傷跡だらけの喉を触った。


「素敵な声だねって言ってくれたんです」


 ハスキー声の彼は頬を赤らめた。


「初めてそう言ってくれたのが彼女で、気持ち悪いかもしれませんが、僕は今でも彼女のことを愛しています。だから、愛している彼女が好きだった三賀森物産を存続させることが、残された僕の役割だと思っているんです」


 東崎は一息吐くと、ポケットからスマホを取り出した。


「どのみち部長には相談しないといけないな」


 事情を聞いた仲沢の判断は早かった。


「特別対応だ。羽坂くんと東崎くんは三賀森さんと『仮契約』という形でコンサルティングにあたってくれ。他部署への説明は俺がなんとかしよう」

「あ、ありがとうございます」


 即決されるとは思っていなかった東崎は電話越しに頭を下げた。仲沢は間を置かずに「それと」と付け加えた。


「話に出ていた『蛇雪コーポレーションの浅田』という男についても探ってくれ」

「かしこまりました」




   ***




 こうして友菜と東崎は「仮契約」という形で三賀森物産のコンサルティングを行うこととなった。


 コンサルティングを行う上で大切なことは会社の課題を探すことである。そのためにも、現場の社員に聞き取りを行うことが一番だ。


 2021年8月8日 午後0時33分。

 東京・荻窪 三賀森物産 地下1階・食堂。


 従業員1500名の三賀森物産は建物の地下に食堂を持っている。席数600の食堂は昼休みになるとほぼ満席になり、賑わいを見せていた。


「最近のブッサンについて?」


 一人の中堅社員が顔をしかめる。坊主頭の小太りな男だ。半袖ワイシャツに黒のズボンを履いている。彼の懐疑な視線は友菜と東崎に向けられていた。


「はい。ここ最近の三賀森物産について社員の方からヒアリングを行っているんです」

「おたくらは……」


 中堅社員は眉を顰めたまま友菜と東崎を交互に見た。


「申し遅れました。あたし、つい先日人事部に配属された羽坂友菜と申します」


 友菜は首にかけたネームタグを見せた。ネームタグには「人事部 人材推進課 羽坂」と書かれていた。彼女らが聞き込みしやすいよう、三賀森靖気が作成したものだ。彼でもそれぐらいのことはできる。


「我が社の人材をもっとより良くできないか、ということで調査を行なっています。お昼ごはん食べながらでもいいので、お話し伺えませんか?」


 中堅社員はなおも猜疑の視線で二人のことを見ると、やがて食べかけのカレーライスを一口頬張った。


「人材を活用というけれど、本当にできるのかね」

「どういうことでしょうか?」


 友菜は話しながら中堅社員に向かい合うように座った。東崎も彼女の隣に座る。


「ここじゃ社員はほとんど放し飼い状態だ。すべて現場任せで上が責任を取ろうとしない。そのくせ、あれやれ、これやれだの言ってくる。先代はそんなことなかったんだけどな、新社長になってから酷くなっちまった」


「社長が言ってくるんですか?」


「正確には専務だけどな。新社長の声は一度も聞いたことがねえ。格好もふざけてるし、先代の娘婿だっていうじゃねえか。専務によって担ぎ上げられただよ」


「そうですか……」


 友菜は口をつぐんだ。思った以上に靖気の人望は薄い。

 そこで中堅社員が思わぬ一言を言う。


「あんたらも最近入社したようだがついてねぇよなぁ、もうすぐっていうのによ」

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