第31話「謎だらけの若手社長」

 2021年8月3日 午後1時35分。

 東京・三田 フューカインド本社 8階・営業企画部。


「本当ですか?」


 オープンスペースでパソコンを広げながら川手将史は眉を顰めた。


 机を挟んで彼の前には友菜がいる。彼女はパソコンを広げることなく、カウンターバーから取り寄せたオレンジスムージーを啜っていた。


「そう。資料出す前に専務の人から言われちゃって……」

「そうですか……。私が行ったときにはお二人とも興味深そうに話を聞いてくれましたが……」

「二人ともって、社長も?」


 友菜はストローを口から外した。


「はい。変わった格好をしてましたが、前のめりになって聞いてくれましたよ」

「変わった格好って、フードとマスクとヘッドホン?」

「そうです。サービスの内容についても積極的に質問されて、かなり脈があるなと思ったんですがね……ん?」


 思わず将史がパソコンを睨みつける。しばらくスクロールしてから画面を友菜に見せた。


「その三賀森社長からメールです」


 友菜は思わず画面を覗き込んだ。

 メールには次のようにあった。




   %%%




 From:y_mikamori@mikamori.co.jp

 To:masashi_kawate@fukind.com


 株式会社フューカインド 営業企画部

 川手様




 お世話になっております。


 先日、ご訪問いただいた三賀森物産の三賀森靖気です。


 おそらく担当者からすでに伺っていると思われますが本日の件について、ご期待に添えない形となってしまい、申し訳ございません。


 会社としては貴社と契約をしないということになりましたが、実は個人的にご相談したいことがありまして、近いうちにお会いすることは可能でしょうか。その際には本日、ご来訪いただいた羽坂様と東崎様にもご同席いただきたく存じます。


 ご迷惑をおかけいたしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。




 三賀森靖気




   %%%




 二人は顔を見合わせた。


「どういう意味だろう?」

「さあ……」


 将史は首を傾げると「ひとまず、日程の調整をしてみます」と言った。


「わかった。あたしは東崎さんに事情を説明してくる」


 友菜はオレンジスムージーを最後まで啜り切ると、7階オープンスペースを後にした。




   ***




 2021年8月3日 午後2時5分。

 東京・三田 フューカインド本社 10階・戦略事業本部。


 友菜がメールの内容を話すと、東崎は


「なんか裏がありそうだな」と腕を組んだ。

「いちおう、部長に報告だけ入れといてくれ。もしかすると予想以上の事態に発展するかもしれないからな」


 将史からはその日のうちにメールが届いた。日時は三日後の8月6日午後3時半。場所は靖気本人の希望で、新宿のファミリーレストランになった。


 そして——




 2021年8月6日 午後三時二十四分。

 東京・新宿 インペリアル・ホスト新宿駅前店 店内。


 日本で一番利用者の多い駅は真夏の午後であっても絶えず人が流動していた。移動する人もサラリーマンや学生など若い年代が多く、お年寄りしかいなかった荻窪とは対照的に見える。


 そんな新宿駅から徒歩十分のところにインペリアル・ホスト新宿駅前店はある。店名こそ「新宿駅前」となっているが最寄駅は西新宿駅と胡散臭さを感じる。だが店内はオレンジを基調としたソファやテーブル、椅子が配置され、多くの人が午後のひと時を楽しんでいた。


 その一角、店内の端の席で友菜と将史、そして東崎は三賀森物産・社長の三賀森靖気と対面していた。


「……お、お越しいただき、ありがとうございます」


 席につくと、女性の声が聞こえた。

 友菜は思わず周囲を見渡した。しかしこの席には友菜以外、女性はいない。


 もしや、と彼女は目の前のを見た。灰色のフードを目深に被り、マスクをつけ、首にヘッドホンをかけた若年の男性は軽く頭を下げた。


(彼の声だったのか。思ったより高い)


 驚きを隠せない友菜と東崎に対し、将史は動揺することなく、


「それで、どのようなご用件で……」と会話を繋いだ。


 彼の言葉に靖気は体を縮こませ、俯いた。

 だが、しばらくして顔を上げると、ゆっくりとした所作でヘッドホンを首から外した。その手が震えていることを友菜は見逃さなかった。


 次にフードをとり、マスクを外した。

 そのままパーカーのチャックを少しだけ開く。


 一同の目は見開かれた。

 視線は男性の喉元に集中する。




 生々しい傷跡があった。


   何本もの線が入り組み、


     傷一つ一つから悲鳴が聞こえてきそうだった。




 ハスキー声の男性が言う。


「お話ししたいのは僕のこと、そして会社のことです。

 三賀森物産は倒産の危機にあります」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る