第29話「これが、取締役・第四席!」

 2021年5月11日 午前10時03分。

 東京・三田 フューカインド本社 10階・戦略事業本部。


「納品日を間違えた?」


 仲沢の声がオフィスに響く。彼の前には昨日の飲み会にはいなかった社員の一人、名越登が立っていた。


「開発部の人が別の企業の納品日を伝えていたみたいで、私もそこまで確認することができず……」


 目元まで髪を垂らし、メガネをかけた若年男性は俯きながらボソボソと言った。

 仲沢は口を真一文字にしながら開発部部長の伊勢内アカネに電話をかけた。


「うちのバカ野郎が納品予定書を別々に送っちまってな。申し訳ない」


 伊勢内は開口一番に謝罪を口にした。


「そこはいいんだ。問題は当初の納品日よりも一ヶ月短くなってしまったことだ。間に合いそうか?」


「アタイらも急ピッチで作業してるが、なにせにズレた納品予定書を送っちまったからな。二週間前納品の予定が今日のところだってある。申し訳ないが、三週間は待ってほしい」


 眉を顰めたまま仲沢が電話を切ると、ユー・イェンツゥ(エナジードリンクの城を築いていた女性)が仲沢の前に来た。


「先方から連絡があったね。担当者から説明を聞きたいとのことよ」


 名越担当者の体がビクッと痙攣する。仲沢は名越の様子を見て目を細めた。


「行けそうか、名越くん?」


 シャツの裾を掴む力が強くなる。だが、ややあって彼は答えた。




「行きたく……ないです」




 一連のやり取りを見ていた友菜は目を見開いた。

 一方の仲沢は笑みを浮かべた。


「わかった。じゃあ、先方には俺が謝りに行こう」

「すみません……」


 頭を下げる名越を背に仲沢は上着に裾を通す。


「大丈夫。部下のできない仕事をするために俺がいるんだ」


 彼は本革のビジネスバックにパソコンなど必要なものを詰め込むと、「ユーちゃん、お伴してくれる?」と言った。


「ユーちゃん呼ぶな」


 呼ばれた色白の女性は口を尖らせながらカバンを肩に下げると、彼の後を追った。


「どうして本人に行かせないんですか?」


 二人が出て行った後、友菜は隣に座る東崎に小声で尋ねた。訊きながら視線は自分のデスクに戻る名越のことを追っている。

 彼女の質問に東崎は不思議そうな顔をして答えた。


「そんなの、本人が行きたくないからだろう」

「けど、いくらなんでも……。まずは担当者が謝りに行くべきじゃ……」


「でもほら、部署のルールにもあるだろ。『やりたくないことははっきり言え』って」

「だからって……」


 自分よりも先に上司に謝らせに行く。しかも自分は同行しない。社会的に考えてあり得ないことだ。


 膨れっ面をする友菜を見た東崎は「じゃあ、もう少し論理的に説明してみるか」と腕を組んでしばらく宙を眺めた。


 そして言った。

「名越はHSPなんだよ」

「えっ?」


「ハイリー・センシティブ・パーソン。感受性が普通の人よりも強い人のことで、特に叱責されることが苦痛らしい。前の会社では泡吹いて倒れたんだと」

「そう、なんですか……」


「だが、データを扱わせれば一流だ。誰よりも早く正確にレポートをまとめてくれる。もし、ここで部長が無理やり彼を謝罪に行かせたら、彼は心に傷を負って本来のスキルを発揮できなくなるかもしれない。自殺まで行ってしまったら大事おおごとだ」


 自殺、という言葉に友菜は口をつぐみ、俯く。


「だから部長は聞いたんだと思うぜ、できるかってな。それで名越はできないって言った。だから自分で行くことにしたんだ」




 三時間後。仲沢とユーが帰宅した。


「いや〜、先方はカンカンに怒ってたよ」


 駆け寄る名越に仲沢は笑顔で言った。


「大丈夫だったでしょうか」

「もちろん。最初は怒ってたけどな。担当者はいないのかって」


 名越が首を縮める。


「状況を説明して土下座もしたんだが、それでも納期を守れって言う。だから『かくなるうえは』とこいつを使ったんだ」


 仲沢は本革のビジネスバックから短刀を取り出して見せた。レプリカだと思うが、刃の煌めき具合など本物そっくりだ。レプリカだと思うが……。


「これで腹を切ると言ったらカカカ、社長さん大慌てで『流血沙汰は勘弁してくれ』って逆に土下座してきたよ」


 オフィスにいる全員が笑い声を上げた。名越も安堵したように笑みを浮かべる。


(なんて豪胆な人なんだろう)


 友菜の頬骨は自然と上がる。

 部下を愛し、必要であれば自らが前に出て戦線を張る。




 これが取締役第四席・仲沢好一。




「あぁ、そうだ名越くん。今日この後一杯どうだい? 無事にクレーム対応も済んだことだし、パーっと行こう」


 昨日の歓迎会を欠席した若手社員は気恥ずかしそうに肩をすくめながら、

「では、少しだけ」と笑みを浮かべた。

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