第26話 大騒ぎ

 無事にチャージさえ終わればこちらのものだ。銃を構えた新は、しっかりとゼードを狙う。


 食い止めるための奮戦ぶりを表すかのように、ブラウスやパンツを土で汚していた千尋が新の殺気を察知して大きく飛び退く。


 ゼードも新の動きに気づいていたみたいだが、積極的に妨害をしてこなかった。この局面でも、ジュエルガンの威力を侮っていたのである。それが取り返しのつかないミスとなる。


 大砲でもぶっ放したかのような轟音が轟く。かつてない反動に、新の体が吹き飛ばされる。


 祐希子がポカンとし、玲子は呆気にとられ、千尋でさえも唖然とする。


「え?」


 誰が漏らしたのかはわからない。確かなのは流星ではなく、彗星のごとき光を纏った宝石弾がゼードへ命中したことだった。


 瞬時に着弾したエメラルド弾を避けるのは不可能で、悲鳴というより絶叫がゼードの口から放たれた。


 大地から雷が舞い上がったような衝撃音と閃光が墓地に走り、ゼードの姿すら確認できなくなる。


 あまりにも凄まじい、凶悪と表現しても構わないほどの威力だった。


「……嘘だろ?」


 誰より呆然としていたのは、銃を両手で握ったままの新だった。地面に尻もちをつき、両足はだらしなく開いている。乙女淑女ではないので気にする必要もないが、そんなのに構っている余裕を失っていた。


 父親のだったジュエルガンを手に取ってそれなりの年月が経過しているが、あれほどの威力を発揮するのを見たのは初めてだった。


「どんだけ高価なエメラルドだよ……」


 無意識にこぼれた呟きが地に落ちるのを合図に、場の緊張感が少しずつ緩みだした。戦闘の舞台となった墓地から敵の姿が消え、安堵する雰囲気も漂いだす。


 呟きが聞こえていたらしく、服の汚れを手で払いながら千尋が新を見た。


「返せとは言わん。分割払いでいいぞ」


「金取んのかよ!」


「無料で進呈すると言った覚えはないな」


「強欲洗濯板め」


「ほう。我が愚弟は命がいらないらしい」


 軽口を叩き合いながらも、直前までゼードが立っていた場所を確認する。警戒を解いていないのは、絶命した瞬間をはっきりと目撃していないからだ。


 周囲には何の気配もない。光の消えた魔法陣だけが、寂しそうに残っているだけだ。


「どうやら撃退できたようだな」


 ここでようやく、千尋が安堵の息を吐いた。


「あんな化物の相手は勘弁してほしいぜ。にしても妖魔貴族か。姉貴は知ってたのか?」


「いや。属性に関しても情報はなかった。代々退魔を生業としている家なら知っていたかもしれないが、そうしたところからの積極的な支援は得られていないからな」


 警察の上層部も、そこまでの知識はないらしい。ゼードも言っていた通り、人間界で暴れるのが下位の妖魔ばかりだからだろう。


「ゼードの話じゃ、上位妖魔は互いに牽制し合ってるような感じだな」


「意外に妖魔の世界にも国があって、年中戦争してたりしてね」


 突拍子もない予想だったが、あながち外れているとも思えない。当たっているのだとしたら、ずっと互いに監視し合う生活を続けていてほしいものである。


「ゼードクラスの奴がごろごろ人間界にやってきたら手に負えねえよ。金を稼ぐ前に死んじまうぜ。もっとも今回は呼び出した奴がいるから来たんだけどな」


 皮肉たっぷりの台詞を浴びせたのは、一人で歩けるくらいまで回復していた玲子だった。くたびれた顔をしているが、今さら新たちに敵対しそうな気配はない。


「その通りですとしか言いようがありませんわ。でも、私はもう一度あの人に会いたかった。例え世界のすべてを敵に回しても」


「気持ちはわからないでもないがな。それじゃ皆でガーディアンにでも行くか。報酬の説教をする権利を使わせてもらわねえとな」


「ウフフ、わかりましたわ。ですが一度帰宅させてください。この格好ではお店に失礼になりますわ。安心なさってください。きちんとお説教をされにお伺いいたしますわ」


     ※


 ゼードとの死闘からおよそ一時間後。ガーディアンの店内は爆笑の渦に包まれていた。


「アッハハハ! 超ウケる! チッピー、里穂を笑い殺すつもりィ!?」


 特に顕著なのが千尋が店へ入って以降、ずっと笑い続けている里穂だった。


「く……何とでも言え」


 唇を噛む千尋の服装はいつものスーツではなく、フリフリの可愛らしい水色のワンピースだった。


 どうしてこうなったのかには理由がある。戦闘後、千尋も玲子同様に帰宅して着替えをしたがった。けれど新と祐希子の護衛を優先した。


 千尋がため息をつくのを見た祐希子は、ガーディアンから近い錦鯉探偵事務所に立ち寄るのを提案。そこで自分の服を千尋に貸すと言い出したのである。


 汚れた服ではやはり店――とりわけ他の客に失礼と考え、好意に甘えようとしたのが間違いだった。


 覗かないよう事務所の外で新を待たせ、脱がせた千尋の服を即座に洗濯機へ放り込んだ祐希子。後戻りできない状況を作り上げた彼女が選んだ服こそ、現在千尋が身に着けているワンピースだった。


「うんうん、似合ってるよ。一度でいいから、千尋さんに乙女チックな服を着せてみたかったんだよね」


「乙女! ギャハハ! 確かに乙女だわ! 言葉遣いも変えてみ? アタシィ、千尋よっほおォンとか」


「貴様ら……よほど死にたいらしいな」


「ひいいっ! やめてよ! その格好で凄まれると、余計笑えてくんだけどォ!」


 ボックス席で騒ぐ面々を放置し、新だけはいつもの席で頼んだジンライムをちびちびと飲む。カウンターには灰皿も置かれており、吸いかけの煙草が立てかけられている。


 気を遣ったマスターが貸し切りにしてくれたおかげで他の客はいない。身内と呼べる関係者以外にワンピース姿を見られずに済んだのは、千尋にとって不幸中の幸いかもしれない。


 ワンピース姿の千尋をスマホで撮影しようとして、祐希子が逆襲されているうちに店へ玲子が到着した。


 こちらもワンピースなのだが、千尋のとはデザインが大きく異なる。ワインレッドのドレスというに相応しく、魅力的な胸元から白いふくらみがこぼれそうになっている。


 髪を掻き上げる仕草は実にエロチックで、新はジンライムの入ったグラスを片手に持ったまま硬直してしまう。他の人間も声を出せずにいるうちに、スッと玲子は新の隣に座った。


「本日はどうもありがとうございました。お礼にたっぷりとサービスさせていただきますわ」


 妖艶な表情と仕草に、魂まで魅了されてしまいそうだった。


「こら! 何やってんだよ、魔女オバサン!」


 おばさん呼ばわりされても、玲子は一切動じない。


「どうしたの、お嬢ちゃん。大人の女性は余裕が大切ですわよ。決して慌てたりしてはいけませんわ」


「ムキーッ! 調子に乗るのもここまでだよ! こっちには最終兵器の千尋さんがいるんだぞ!」


 腕を掴まれ引っ張り出される千尋。少女趣味のするワンピース姿では、とても勝負にはならなかった。


「まあ、とてもお似合いですわ」


 本心か挑発かわからない褒め言葉で、噴火するかのごとく赤面する。


「……さ」


「さ?」


 顔を俯かせてプルプルする千尋の呟きを聞こうと、里穂がしゃがみ込んで耳を寄せる。


「酒だ! 酒を持ってこい! 呑まないとやってられるか!」


「千尋さんが壊れた!」


 千尋の暴走をきっかけに、説教というよりも盛大な飲み会に変わっていく。店内はかつてないほど騒がしくなるが、マスターも楽しんでいるみたいだった。


 強引に玲子も飲まされたようで、新の隣に戻ってきた時には結構酔っているみたいだった。


「こんなに笑ったのは、夫が亡くなってから初めてですわ」


「それはよかった。涙を探すっていう依頼だったが、淑女にはやっぱり笑顔が似合うからな」


「くさっ!」


 酒は飲んでいないはずなのに、場の空気に感化されて大はしゃぎ中の祐希子が、いつの間にか新の側に来ていた。


「そういう台詞はマスターみたいな渋い男性に似合うんだよ。新が言ってもギャグなだけ!」


「放っておけよ」


 急に照れ臭くなって、グラスに残っていたジンライムを飲み干す。


 冷やかす周囲とは対照的に、玲子だけは感謝の面持ちをしていた。


「夫が亡くなって以降、いつ死んでもいいと思っていました。ですが、こんなに楽しい夜もあるのでしたら、もう少し生きてみよう。今夜はそう思わせていただきましたわ。それもこれもすべて、錦鯉さんのおかげです。新……と呼んでもよろしいかしら」


 赤らめた頬を隠しもせず、伸ばした人差し指で玲子は新の胸板にのの字を書く。


 新が返事をする前に、何故か祐希子が「駄目に決まってるだろー」と拒絶した。


 その反応が返ってくるのを見越していたのか、口元に手を当てた玲子が愉快そうにする。


 からかわれたと知って祐希子がむくれている間に、玲子はそっと新に手を伸ばした。


「これを受け取ってください。罠にまでかけた私を助けて下さいました、心優しい錦鯉さんに持っていてほしいのです。困った時に、きっと貴方を助けてくれますわ」

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