第6話 お気に入りの店

 古くから妖魔は地方に多く生息していると言われ、実際に目撃談もある。


 人混みがあまり得意でなかったのもあり、探偵事務所を開くならどこがいいかと地図上で探した結果、この町を見つけた。


 適当に決めただけと言えなくもないが、今では多少なりともこの地が気に入っていた。


 開業資金の元手も少なかったことから不動産屋に相談した結果、格安で現在の事務所を借りられた。


 改めて新の城である錦鯉探偵事務所を遠目で見る。


 家というよりはプレハブだ。港に活気があった頃、作業員たちのために建てられたらしい。


 木が名産の町だけあって、鉄筋の他に木材もふんだんに使われていた。趣はあるが、隙間風が入ってくるので冬は寒い。ストーブがなければ間違いなく凍死する自信がある。


 すでに誰も使わなくなっていたプレハブを事務所とし、錦鯉探偵事務所をスタートさせたが、売り上げは芳しくない。競合相手はほとんどいないが、そもそもの依頼数が少ないのだ。


 それでも高校を卒業してすぐに移り住んで以降、なんとかやってこられたのは妖魔退治の報酬があったからだ。


 表沙汰にできない事件を警察から依頼されたこともある。


 その場合の窓口はすべて千尋だ。特務課の手に余ると判断した場合は調査に専念して、新に最後を任せる。


 人間の武器でもダメージは与えられるが、効果は弱まる。加えて上級の妖魔となると、強力な銃火器でもないと難しい。


 自衛隊の戦車やら戦闘機を使えば互角以上に戦えるだろうが、街中で交戦した日には住民が大パニックである。


 そうした事情もあって対妖魔の専属チームが新しく設立されたのだが、普通の人間ではあまり戦力にならない。


 退魔士と呼ばれる連中は各自で仕事を請け負っているため、わざわざ組織の一員になりたがるわけがなかった。


 モデルケースとして県警で発足させたまではよかったが、千尋も言っていた通り、早くもお荷物の左遷部屋と噂されているみたいだった。


「最近では変な組織もできたらしいしな」


 ジャケットのポケットから小型の携帯灰皿を取り出し、誰にともなく呟く。


 妖魔が各地に存在するように、対抗するための勢力も各地にある。錦鯉家のように昔から代々生業にしてきた家が大半なのだが、中には当てはまらない者もいる。そうした連中が集まって組織を作り、最近では活発に活動しているみたいだった。


 以前に千尋に教えてもらっていて、確か名称をゴーストクライシスと言ったはずだ。直訳すると妖魔の危機になるのだろうか。


 とにもかくにも警察、退魔士、新組織と、三つの勢力が互いを認知しながらも協力関係を築かず、独自で妖魔に対抗しているのが現状だった。


 妖魔自体がさほど多くないのでこれまでは問題なかったみたいだが、最近では数が増えたように感じられる。昨夜の猫騒動もそうだ。


 新が一人でバタバタしている頃に、特務課ができたと姉の千尋がこの地へ赴任した。


 現在の市に住居を構え、本部には一時間かけて車で通勤しているらしい。免許はあれど、車を買う金のない新には羨ましくもあった。


 もっとも彼女が窓口になってくれているおかげで、警察組織とスムーズに情報のやりとりができるのだからその点は大いに感謝していた。


 県警の依頼が来はじめたのもそのあたりからだ。優先的に斡旋してくれているのか、それとも面倒事を弟に押しつけているだけなのか。


 どちらにしても、まとまった収入があるのはありがたい。昨夜みたいなハプニングでは何の得にもならないが。


 煙草の吸殻を捨てた携帯灰皿と入れ替わりで、二つ折りの携帯電話をスラックスのポケットから取り出す。


 気は重いが迷い猫探しの依頼人に現状を報告しなければならない。


 死骸がないので死んだとは報告できないが、見失って捜索は不可能になったとある意味正直に伝えるしかない。


 すぐに電話に出た依頼人の中年というか老年寄りの女性に、準備していた事情を一つずつ伝えていく。


 最後まで説明する前に、浴びせられる怒声で携帯電話に耳をつけておくのも困難になる。なんとか聞き取れたのは依頼の打ち切りと、二度と顔も見たくないので前金の返済は不要という内容だった。


 あとは新が何かを言う前に電話を乱暴に切られた。こうしてまた一つ、悪評というか信頼を失っていくのである。


「やれやれ。今回は俺の落ち度じゃねえっての。はあ……。ま、前金は返さなくてもいいんだし、前向きに考えて飯でも食いに行くか」


 電話を乱雑にスラックスのポケットへ手ごと押し込み、欠伸をしながら港を歩く。昔は活気があったらしいが、今は当時ほどではない。だからこそ新も事務所を借りられたのである。


 敷地は広大だが店はない。景色は良いのだが、それだと腹は膨れないので困りものだ。


 そんな時にというか、ほぼ毎日のように利用する店が港にある。一軒だけポツンと寂しげに存在するバーだ。


 地面に置かれた小さな看板にはガーディアンという店名が書かれている。日中でなおかつ営業前なので電気はついていない。


 アンティークっぽく作られた木のドアノブには準備中の札がかけられているが、新は無視してドアを開ける。日中から店内にいるマスターが、鍵をかけてないのがわかっているからだ。


 店内はこぢんまりとしており、横に長いカウンターテーブルに椅子が五つ。ボックス席は二つあり、それぞれ三人掛け用のソファが二つずつ置かれている。


 色は赤で、店内自体が黒と赤をベースにデザインされているが、目にキツすぎず、落ち着いた雰囲気だ。


 近所なのに加え、秘密の隠れ家的な感じがして、新のお気に入りの店だった。


「いらっしゃいませ。今日は早いですね」


 今、大丈夫かと尋ねる前に、カウンター内に立っていたマスターが穏やかな笑みを見せた。グラスを拭く手を止め、綺麗になったグラスを指定の場所へ静かに置く。


 艶のある黒髪のオールバックが特徴的なマスターは如月遼二。たった一人の従業員と二人だけで店を切り盛りしている。


 新が事務所を開くのとほぼ同時期に開店したのもあり、互いに近況報告をしたりなど仲は良い。いつだったかどうして港の近くに店をと聞いたら、海が好きだからと教えてくれた。


 身長は千尋よりやや高いくらいで、蝶ネクタイをつけたワイシャツの上にベストを着ている。下はスラックスで、ワイシャツだけが白色。他は黒だ。


 物腰は柔らかく、口調も丁寧。穏やかさの象徴みたいな人物で、まさにナイスミドルという呼称がピッタリくる。年齢は五十代前半らしいが、ワイシャツの袖越しでもわかる鍛えられた筋肉が、若々しさと力強さを印象に与えている。


 見るからに女性にモテそうで、夜になれば人けのない場所だというのに、営業を続けられるくらいには人が入っている。もうひとりの従業員の力もあるかもしれないが。

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