蒼鬼は贄の花嫁を誘い出す

@kkkkaku

第1夜

 度重なる災害と飢饉に耐えかねたある村で、とうとう村の娘が山の神嫁として嫁ぐことが決まった。

 かつては蒼鬼のお膝元と謳われ、賑わいを見せたここ周囲一帯の土地も、その栄光は地に落ちた今では見る影もなく、ただ人々だけが残された。

 そんな見放された土地で、妖者の襲撃に怯えながらも人々は細々と生を営んでいた。

 しかし度重なる負債と生活苦から、身売りする者や遠い異郷の土地へ出稼ぎに行き、そのまま帰らなかった者がまた一人二人と増え、飢饉から食う物に困り果てた末に、村長は決断した。

 山の奥の社にすむ、山神様の嫁に、村の女を送り出そうと言った。

 反対した者もいたが、このままでは滅びると思った者達と村長によって決断が下された。

 そうして選ばれたのは、若くして隣村に嫁いだものの、三年孕まずに石女として戻ってきた寡婦の女であった。

 本当に良いのかと言う者もいたが、若い女がこの女しかいなかったので仕方ないと村長は言った。

 女は言った。

「これで、私の務めも果たせます」

 さて選ばれてから暫くして、神の住む社へ仕立てた衣を纏い、花嫁姿で赴くことになった女。

 

 思えば、最初から狂っていた。

 ここ百年頼りのなかった山神様とやらのお告げ。かつては富をもたらしたという記録に、希望を見いだした村。

 藁にもすがる思いで、叶うかどうかも分からない山神様に花嫁という贄を捧げる。

 もう少し詳しく調べておけば、或いは親類の元へ助けを呼べていれば、もう少し結果は違っていたかも……しかし所詮は過ぎた過去であり、詮無き事。

 

 

 

 

 

 そうして女は山神様の社の中へ歩を進める。

 神を祀る本殿へと足を踏み入れれば、

 途端、むせ返るような濃い血の香り。

 

 何かが暴れ回ったような社の荒れよう。

 あらゆる物が壊され、そこらに散らばっている異様な光景。

 そして、何かを引き摺ったような大量の血の跡。

 ふらふらと歩き続け、その血痕を呆然と眺める。

 不意に気配を感じ、ハッと顔を上げる。

 すると後ろから指す月の光で、女のものでは無い大きな影が出来ていた。

「あっ――」

「よぉく来たなぁ、花嫁殿」

 不意に声がした。

 低く艶のある、ぞくりとさせるような男の声。

「ここに来るまで、不便は無かったか?」

 

 声が、近付いてくる。

 酷く聞き覚えのある声音に、ぞくりと肌が粟立つ。

 それは紛れもない恐怖からだった。

 記憶に染み込んだ恐ろしいそれが、今己を見ているのだと理解してしまった。

 

「ふ、べんは……あ、りませんでした」

 

 喉が掠れた。

 恐怖が皮膚の下を這いずり回り、冬でもないのに鳥肌が立っているのがわかった。

 

 むせ返るような血の匂いと、湧き上がる激情に心を乱されていく。

 

「そうかそうか……遠い麓からよく来たな、花嫁殿」

 

 ――しかし花嫁殿。

 ――何やら震えているようだが。

 ――何か己が粗相でもしただろうか。嗚呼それとも、……何か、気付いちまったのか?

 

 そのままでは、一生振り向けないだろう。

 

「……あなたは、山神様、でしょうか」

 

 愚かな問いかけだと分かっている。

 それでも、尋ねなければ――ならなかった。

 有り得ない――認めたくない、認められない!

 だって、こんなの――嫌だ。

 あれが、ずっと私を見ていたのだと悟ってしまった。

 否応なく理解させられた現実に、緊張と恐怖から喉が渇いていくのを感じた。

 

「ハハッ……そうさな、花嫁殿の問に答えるのならば、……俺が山神様だ」

 私はこの声を知っている。

 恐ろしい鬼の男の声を。

 何年経っても――成人しても尚、それでも忘れられなかった恐ろしい鬼のことを。

「っ……!」

 振り返ることなんて出来なかった。

 もし見てしまえば、私はきっとその存在を認めることができないだろうから。

 

 背後から、チリチリと焼けるような視線を感じる。

 

「山神様……ふっ。そうだなぁ、俺は」

 

 こいつは山神様では無い――あの蒼鬼だ!

 女は気付いてしまった。

 私が嫁いだ先が、山神様などでは無い――かつて己が傷をつけた蒼鬼だと。

 そうして、悪臭の正体に気付いてしまう。

 この鬼が、山神様を食ったのだと。

 

 背後の鬼が気付いたからには、もう遅い。

 

 身を翻したと同時に、懐から引き抜いた護符。

 それを鬼へと投げ飛ばした。

 

 ――刹那、夜の闇を照らす程の閃光が、鬼の目を焼いた。

 

 

 

 

 一度ならず二度までも、蒼鬼はたかが人間の娘に手を焼いた事になる。

 それは、女の抵抗だった。

 女が万が一と持たされた、妖者から逃げ出すための護符。

 鬼の目を一時的に焼く程には力のあるものだったが、効果は一度きり。

 力のあるものならば、瞬き程の間で癒える程度のものでしかない

「……ああそうかい、花嫁殿は余程じゃじゃ馬らしい」

「……遊び鬼か。これはまた……愉快な女だ」

 

 

 

 女は本殿を抜けて、社からも駆け抜け、竹林を駆けた。

「まったく――花嫁殿は随分と愉しませてくれる」

 辛うじて通れそうな隙間を走り抜けた。

 走れ走れ走れ――!

 ただひたすらに走った。

 美しく飾り立てられた花嫁衣装は、見るも無惨になってから、そうそうに脱ぎ捨てた。

 身軽な絞り袴姿となって走り続けた女だったが、やがて限界が訪れる。

 

 ぜえ、ぜえと荒い息を吐いていた女の体力は底をつき。

 這うように竹林を抜けると――そこには先の見えない長い階段が待ち構えていたのだ。

 女は絶望した。

 長い階段が待ち構えていたことに?

 否。

 その階段の向こうには、見覚えのある寂れた社が見えたからだ。

 

「う、そよ……」

 

 何故。確かに私は、あの社から抜け出せた筈だった。

 ならば、おびき出されたのか?

 この社には幼い頃から何度も通い、それこそ己の庭と呼んでも良い程に慣れた場所だ。

 その周辺も、何年も訪れる中で見慣れた景色になっていた――。

 そう、どこに何があって、どこを通れば良いのかも分かっていたのに――。

 竹林を抜け出せば、そこには村があるはずだった。

 狐か狐にでも化かされたのか。

 

「あっ――」

 

 不意に脳裏をよぎった与太話。

 

 鬼は時に幻術を扱うという。

 夢か現か見分けもつかない程精巧な、そこにあると思い込んでしまえるほどの、よく出来た幻を見せる。

 それこそ、見知った人の声や、姿を真似た幻を見せ、まるで生きているかのように見せることも。

 記憶通りの振る舞いをみせ、偽物だと思いもつかないほどに。

 

 ならば、道中出会った村の人間は、偽物だったのではないか――。

 助けを呼んでくれと、村の人間だと証明する符牒も、一言一句違わず諳んじていたものだから、本物だと思っていた。

 道崩れがあると伝えられ、違う道をいけと言われたのだが――まさか、あの時に?

 そもそも、私は本当に正しい道を進んでいたのだろうか。それすらも、鬼の幻だったのでは無いか……。

 

「……嗚呼……!」


 もうこれ以上走れない……いや、もう走る気力すら無いほどに疲弊していたからだ。

 それでも逃げなければという本能から、足だけは止めずに動かしていた。

 しかしそれも限界だったようで、足がもつれて地面へと倒れ込んでしまった。

 竹林へと向いた身体は、疲れきって動けなかった。

 そんな女にかけられたのは、蒼鬼の声だった。体が引き締まり、思わず息を飲み込んだ。

 

「――ははっ。楽しかったぜ、花嫁殿」

「鬼遊びはもうお終いか?」

 

 逃げ出そうと辺りに目をやるも、寂れたこの場から逃げ出せそうな場所はなかった。

 ひゅっ、と細い息が漏れた。

 上げた女の顔を覗き込む、鬼の姿に驚いたからだ。

 

 ああ! 鬼が! 蒼鬼が! 嗤ってこちらを見ている!

 

 人ならざる金の瞳が、笑みを称えて覗き込んでいる。

 

「どうしたァ? 手弱女みてぇな声出してよォ……ああ、気付いちまったのか」


「お前の考え通りだが……わりぃなぁ。山神様とやらは俺が喰っちまった」

 

「ふは、お前のつけた傷はよーく覚えてるぜぇ……? あん時は良くもやってくれたなぁ……このアマッ!!」

 

 空気が震えるほどの咆哮に、ガタガタと体が震える。

 

「ああ……心配すんな、お前はしっかり可愛がってやる……殺しはしねぇよ」

「俺は今気分が良いんでなぁ……まっ、俺の機嫌を損ねたら……分かるよなぁ?」

 嘲笑うような笑みを浮かべた蒼鬼は、逃げ出そうとした女の腕を易々と掴んだ。

 

 

 

 

 俵のように抱えられながら、寂れた社へ。

 暴れる女をにやにやと眺めながら、寝間へと連れ込むと同時に押し倒した。

「いやぁぁっ!」

 悲鳴が上がり、外へと逃げ出そうとする女に馬乗りになり、蒼鬼が迫る。

 蒼鬼と呼んだように、鬼の男の髪は蒼い短髪――後ろ髪がやや長くまるで狼のようだった。

 額から突き出た短い四本の真っ直ぐな角は、人外者の証拠であり――瞳孔が縦に裂けた金の瞳は、捕食者を思わせた。

 自分はどうなるのだと女は訴える。

「うん? ははっ……お前も女なら分かんだろ?」

 鬼の男の顔が近付いてくる。

「口開けろよ……舌も出せ」

 女が歯を食いしばって閉じた筈の唇を、鬼の男は容易くこじ開けた。

 軽い水音が響く。

「もっと……寄越せ」

 するりと口内に入りこんだ鬼の舌は、女の弱みを探るように愛撫し続ける。

 女は何度か噛みちぎろうとさ迷わせるが、するりと抜けて翻弄されるばかり。

「……下手だな」

 せせ笑う鬼の男の態度に、湧き上がる屈辱と羞恥――怒りに飲み込まれた女は、激情に身を任せ――ここぞと言う所で、

 

 ――鬼の舌を思い切り噛んでやった。

 

「がっ、あっ、ぐ――」

 

 瞬時に鬼の男が仰け反るように口を離した。

 鬼の男のヴェッ、と何かを吐き出すような音と、女の口に広がる血の味。

 蹲っているのだろう鬼の男の嘔吐くような声に、僅かな罪悪感が刺激される。

 胸がすくような達成感と――取り返しのつかない事をやってしまった――後悔。

 慣れない血の味に口をもごつかせながらも、逃げる為に立ち上がろうとして――鬼の男が幽霊のように起き上がる。

「……くそが」

 その瞬間、視界がぐるりと回ったかと思うと、目の前には怒り狂った鬼の顔が。

 激情にギラついた鬼の瞳孔が、興奮と怒りから丸みを帯びていく。

「は、は……余程、手酷く犯されたいらしいな?」

 垣間見えた鬼の男の舌の先は、小指の三分の一程欠けていた。

 色濃く血に染まった男の唇は、なぜだか酷く扇情的に思えた。

「上等だ――腹が裂けるまでぶち犯してやる」

 お前が唆したのだろうと――憤怒に満ちた鬼の顔を呆然と見つめ、一瞬遅れて女は知ることになる。

 

 

 

「叫んでなんか変わんのか?」

 髪を掴まれて顔を上げさせられた女。

 散々泣き叫んだ末に、目元が腫れ、鼻が痛みではなく熱を帯び始める。

 どろりと鼻から何かが溢れるのを感じ取った。

 喉がヒリつき、薄く開いた唇からは血の味がした。

「あ……がっ」

 何の感情も浮かばない金の瞳に、女が映る。

 怯えから目を逸らそうとする女の行動に、鬼の男はふっと笑みを浮かべる。

 女の鼻から零れた赤い血を舐め取り、苦しげに息を吸う女の口を舌で塞いだ。

 淫らな水音を響かせながら、女の口内を弄ぶ鬼の男の舌に、女の身体は快感と恐怖に身を震わせた。

 涙で滲んだ女の黒い目をうっそりと眺め、嗜虐的な金の瞳をギラつかせた。

「いい子になって良かったなぁ?」

「あ……」

 鬼の男への恐怖から、必死に抵抗する女。

 気を遣らせるなと鬼の手ではたかれた後、いつからか鬼の力が弱まったことに気が付く。

 思わず抵抗する力を抜いてしまった女だったが、それは鬼の罠だった。

「悪りぃな」

 女の抵抗が弱まった隙をついた鬼は、着物の裾を開けば……そこには、かつて己を惑わした魅力的な脚が月明かりに照らされた。

 瞬間、蒼鬼の目が妖しく光る。

 暫くして女の顔がサッと青白くなる。

 狼狽する女の様子に、鬼の男は喉を鳴らすように嗤った。

 ゆっくりと露わになった柔らかな白肌の脚を撫でると、ガクガクと震える女に覆い被さっていった。 

 

  鬼が漸く満足した頃は、女のぐったりと脱力した身体を、鬼の腕が支えている状況になっていた。

 そんな女を労るように撫で回しながら、満足げに男は言う。

「堪んねぇな」

 彼女が着ていた服は、最早乱れに乱れて見るも無残なものへと変わり果てていた。

 ……女の匂い立つような肢体と乱れきった姿を惜しげもなく晒していた。

「嗚呼……疲れてるとこ悪ぃが、まだお前はやることがあんだろ」

 男は満足そうに呟くと女の身体を抱き寄せ、その柔らかな肢体に顔を埋める。

 

 ――やること?

 

 女の中でひしひしと湧き上がる嫌な予感を察したのか、鬼が低く笑い声を上げた。

「お前の疲れは取ってやる。……ん? 言っただろう? 腹が裂けるまでお前をぶち犯すってな」

 顎の先を持ち上げられ、鬼の表情がよく見えた。

 金色の瞳の中に、蒼い炎が燃え上がる。

 淡い輝きをみせると同時に、女の身体から疲労が抜けていく。

 鬼が使う妖術だと気付いた時には、再び床へと押し倒されていた。

 鬼が目を細めながら牙を剥いた。

 

「舌を噛みちぎり、二度も欺いた恨みを俺は許しちゃいねぇ」

 

 瞳孔が縦に裂けた金の瞳が、鬼の歓びを表すように輝きを増し始める。

 

「お前が痛みで泣くか、快楽で啼くかは、俺次第ってとこだ――どうした? 笑えよ」

 

「小賢しい頭でよぉく考えるこった……俺の機嫌を上手にとれよォ? また痛い思いをしたくねぇならな」

 

 そうして女の体を味わおうと伸ばされた、鬼の節くれだつ指が這わされ――再び長い夜が始まる。

 


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