こうかいわなし!

プロローグ

彼は天性の忘れん坊である。

次にやることを忘れ、買うべきものを忘れ、店の名前を忘れ、人の名前を忘れ、家の場所を忘れ、友人を忘れ、約束を忘れ。どういうわけだかあらゆるものを忘れてしまうのだった。

それはもう忘れっぽいとか、そんな言葉で片づけていいレベルではない。例えば、誰かと仲良くなったとして、次の日遊ぶ約束をとりつけて待ち合わせを決めても、その約束を守るどころか、待ち合わせの時間が過ぎてもまったくとんちんかんなところでほっつき歩いている。探して見つけて声をかけてみれば、まるで初対面のような反応をする。”のような”というか、初対面”の”反応をするのだ。それは何も一度限りの話ではない。仲良くなってくれて、それを忘れられた人が、妙に思いつつももう一度関わりを与えてくれたとして……一日後、完全に記憶がリセットされたかのように、その人のことをすっかり忘れる。それを、次の日も、その次の日も繰り返す。彼がやっと人とのかかわりを覚えるのには、その繰り返しを七回ほど行う必要がある。

つまり、彼の知り合い及び友人には、仲良くなったはずなのに初対面の扱いをされる、なんとも不気味な経験をしながらも一週間根気よく声をかけ続けるような変人しかいない。よって彼には友人が、知り合いが、とことん少ない。それでも彼は悲しんだりなどしない。悲しみすら知らないから。悲しむための情報、つまり、友人が少ないということ、それすらもぼんやりとして、忘却の果てに浮かぶだけなのだから。

とここまで言えば、いかに彼の忘れん坊っぷり、いや、それすら超越した異様さがわかるだろうか。

彼には、生きるのに必要な何かが欠けている、と関わる人々は口をそろえて言った。


自分は何の変哲もないただの人間。とある宿とはじまりの街を交互に住処とし、弟と一緒に暮らしている。


それが彼の記憶の全てだ。

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