第15話
試合を終えて、セレンとヴィンスはテントへと戻ってきていた。
湿らせた布で汗を拭き取り、向かい合って折りたたみ椅子に座る。
「世話になったな。いくら払えばいい」
「いいわよ。必要なことだと思うし、これは貸しにしといてあげる」
「貸し、か。それも悪くないな…」
ヴィンスは呟くように言った。
傭兵間のやり取りでは貸し借りはよく使われる。理由は、相手が金を持ってるとは限らないからだ。
しかし同時に、金を払わないからこその信用で成り立っており、これからも仕事を続けたいのなら容易には破れない。
「で、気は済んだ?」
「ああ。
素直に礼を伝えるヴィンスに、セレンは眉を上げてキョトンとしている。
「驚いた。まさか貴族サマが傭兵ごときに感謝を述べるなんて」
「フッ、貴族が傭兵に…ね。それで、セレンから見て俺はどうだった?」
ヴィンスは何やら含む表情をしてから感想を求めた。
通用しない事は分かっていても、実際に剣を交えた者からの正直な感想を聞きたかったのだ。
「いい線行ってる。まさかアタシに木剣を左手で握らせるなんてね。傭兵になっても食い扶持には困らないだけの腕はあるんじゃない?」
「槍の代わりに棒でも用意すれば良かったな。だが、そこまでか…」
「まあね。まどろっこしいの無しで言うけど、
王都の学園でも剣の腕は上位に入っていたヴィンスとしては、自分と年の変わらなさそうな女性に完敗したのが相当堪えたのだろう。
事実を受け入れつつも、その端正な顔を歪ませていた。
「勝ち筋は有るか?」
「手助けがあって、相手にとって条件が悪ければ可能性が無いわけじゃないけど、そんなの無謀なだけ。玉砕じゃ意味ないでしょ」
玉砕。
敢えて考えないようにしていたが、それも已む無しと割り切ろうとしていた自分の心境を、出会って数日しか共にしていないセレンに見透かされた事が何よりも己の心にのしかかる。
きっと、配下の騎士達はとっくに気が付いていたのだろう。
「成る程、これが忌憚ない意見というものか。分かっていても実際に言われるときついものがあるな…」
「そりゃそうだ。だから貴族は都合のいい言葉だけ吐く人形を侍らせるんだろ」
「くくっ、違いない」
ヴィンスは自嘲気味に笑った。
こうも明け透けに言われては怒る気も起きない。
「無謀だって分かっててもやるのか?」
「それでも、戦わなければならない…」
ふと目の前のこの不思議な魅力のある女性に、自分の事情を何もかも話したら何と言われるのだろうか、何か共感出来る部分があって手助けを申し出てくれるのではないか、と。
そう思い、魔が差して心が寄り掛かりそうになるのをグッと堪える。
「今やる必要あるのか。もっと強くなってからじゃ駄目なのか?」
「…駄目だ。次の機会なんてもう無い」
「それこそそんなことは無いと思うけどね。生きてりゃチャンスくらいあるでしょ」
ヴィンスは事情を打ち明けてはいない。
それでも、セレンの言葉から一筋の光明を見た気がした。
「それは、お前の経験談か…?」
「さあね。少なくとも、死ねば本当にチャンスはもうないわね。でも死んだ気になって足掻けば意外と何とかなるものよ」
セレンの言ったことはごく当たり前の事だが、その時のヴィンスにとっては天啓に聴こえた。
「…分かった」
本当にチャンスを失うのは死んだ時、諦めた時なのだと。
逆に、生きて諦めなければチャンスは有り続けるのだと。
「セレン。俺の命運はお前に託そうと思う」
「どういうこと…?」
「そうだな。とりあえずやってみて、やれそうなら俺を勝たせろ。無理そうなら俺を生きて帰らせろ。それでどうだ」
戦争に行く前から、ぐるぐると頭の中を巡っていた悩みに対する答えは実にシンプルな解答となってヴィンスを解放した。
「…は。ハハハハッ! 何それ? 漠然とし過ぎてるのに、随分欲張りな依頼内容だなーおい!」
「やれるか?」
「あ〜可笑しい。いいよ、そんなんでいいならやってやる」
「フッ、交渉成立だな」
どれだけ悩んだ所で己の力が増す訳では無い。
出来るなら出来るし、出来ないならいくら悩んでも今すぐ出来るようにはならないのだ。
出来なかったら、どんなに確率が低くても生きて次のチャンスに懸ければ良い。
「で、こんな無茶苦茶な依頼なんだ。報酬は弾んでくれんだろ?」
「俺を勝たせたら敵将の首にかけられた懸賞金はそっくりお前にやろう。逃げる事になっても、生かして帰せば半額出してやろう。それでどうだ?」
出来るかどうかは、この女性に賭けてしまっても良いだろう。
それで上手くいくのなら、金など惜しむ必要は無い。
「いーや、半額なんてのは無しで」
「…流石に満額は払えんぞ」
セレンは悪戯っ子の顔をしてヴィンスをからかうように見つめる。
「そうじゃないわよ。ヴィンスが勝てなかったら、アタシが代わりにぶっ殺して懸賞金を貰うの。五分の条件ならともかく、相手が弱ってんならアタシが勝つ。だからどの道満額でしょ?」
「……くっ」
無茶苦茶を言っている。
一対一で勝てるかどうか分からないと言っていた張本人が、ヴィンスが戦った後なら勝てると豪語しているのだ。
それは、彼女なりの信頼の証なのだと受け取った。
「くくくくっ、何て強欲な女だ! 俺から獲物を横取りすると言っているのと変わらんぞ、それは」
「強欲はお互いさまだろ? だから、アタシが斃したら特別に敵将の首を売ってやるよ」
ヴィンスは愉快になって、せきを切ったように笑った。
ひとしきり笑ってから、決戦を前に張り詰めていた緊張が解れている事に気が付いた。
「そうだな。セレン、その案は気に入った」
「どの道アタシらの勝ちだ」
「ああ、その通りだ。くくくっ、良いではないか。まさかこんなに分のいい賭けがあるとはな…!」
試合で身体の緊張を、対話で心の緊張を解かれて、今度こそ腹の底からの笑顔を向ける事が出来た。
「じゃあ、今度こそ交渉成立ってことで。後で予備の剣を用意しといて」
「ああ。セレン、改めて宜しく頼む」
「任せときな。金払いのいい客は大歓迎よ」
◇◆◇
セレンがテントを後にして。
ヴィンスは一人、先ほどのやり取りを正式な契約として羊皮紙に書き写しながら気持ちを整理していた。
「客…、か。伝わらない物だな」
彼女の強さに、言葉に、自分がどれだけ救われているのか、それを正確に伝えられないもどかしさを感じている。
「自分がこんなに難儀な性格だったとは…」
最初は同年代の女性の傭兵が珍しくて声を掛けてみただけだった。
伯爵自らが指名して雇ったという
話せば出てくるのは礼儀知らずで生意気な言葉ばかり、そうでなければ金の事か副隊長への小馬鹿にした物言い。
だというのに、姿を見る度に気が付けば目で追っている自分を自覚していた。
彼女との関係はあくまでも臨時の雇用主と傭兵、それ以上でも以下でもない。この戦争が終わればまた次の戦場を求めて立ち去るのだろう。
結局の所、貴族のしがらみから逃れられない自分とは生きている世界が違うのだ。
「いや、お前の言葉を借りるなら『生きていればチャンスくらいある』だったか」
チャンスとは、何処から何処までの事を言うのだろうか。
「(俺が、貴族の地位を棄てて自由になる道も、あるのだろうか…)」
彼女は自分の腕ならば傭兵として生きていけると言っていた。
いや、それはただの妄想でしかない。全然現実的な展望ではない。
しかしチャンスとは、そんな現実的ではないという理由で思考を放棄していた、あらゆる可能性を含めてチャンスなのでは無いだろうか?
それならば…、もしそうであるならば……。
「フッ…。こんな所では、死ねんな…」
◇◆◇
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