第11話
翌日。針葉樹林地帯、夜半。敵陣周辺。
後続の部隊を即席の野営に残したセレンはヴィンスからの指示で、夜目の利く斥候を含む僅かな手勢を連れて早朝に向かうルートの下見に来ていた。
副官を呼んで『地図』を確認したセレンは目的地を前にして意気揚々とした足取りで、踏破した後の敵本陣への奇襲作戦について思いを巡らせていた。
とそこへ、忘れかけていた懸念が形を伴って現れたのである。
「ちっ、そう安々とは通してくれないってわけね!」
メキメキと樹木が乾いた音を立てて倒れ込む。
いくら鍛えた戦士と言えども、生身で倒木に巻き込まれたらタダでは済まない。そして人の手の入っていない森林では突然の倒木を避けるのは難しい。
「倒木だ、近くの木の後ろに隠れろ!」
声を掛けられて隊員達が倒木に備える。
これは罠ではない。
薄暗い森の奥から樹木を倒した張本人が複数の目を赤く灯らせてその姿を現した。
「セレン姐さん、あ、アレ!」
「あーうん、魔物だな」
「あ、あれが魔物っスか…! ひいっ」
例の壷の魔物と同型と思われる蜘蛛の魔物は、薄っすらと赤い燐光を纏わせながら隠れている木の脇へと脚を伸ばす。
冷静に呼吸を整えていたセレンは背中から槍を引き抜き。
「おらあっ!」
引き伸ばされきった瞬間を狙って蜘蛛脚を躊躇なく斬りつけた。
青い一閃が赤い薄膜を破いて甚大な被害を与える。
『ギシャアアアァァァ!』
そのまま突き出された脚は半ばから切断されて転がり落ちた。
「よっし、通る!」
「セレン姐さん流石っス!」
前の時は初見という事もあり、安全な間合いからのヒットアンドアウェイでチクチクと削る様にしていたが、魔物の間合いを掴んでいる今回は最初から攻撃の機会を逃すつもりはない。
脚を切断された蜘蛛の魔物は尚も耳障りな音を響かせながら素早く引っ込む。
「おい眼鏡副官、ヴィンスにだけこの事を伝えろ。ボンクラには言わなくていい」
近くの木の後ろに隠れた拍子に眼鏡がズレた地図持ちの副官は青い顔でコクコクと頷いて、セレンが手を叩くとお付きの騎士共々慌てて野営地まで走って行った。
「残りは応戦だ。ドサクサに紛れて逃げようとすんじゃねえぞ」
暗い森の中から舌打ちが聞こえる。言わなかったら逃げる者もいたかも知れない。
「傭兵長、そうは言うがよ。俺には魔物との戦闘経験は無いんだが、具体的にどうすりゃいいんだ?」
「他の奴はどう?」
「オレもアハドと同じだ。魔物はさっぱり門外漢」
「無いわけじゃないけどよ。戦った事あるのは【動く死体】までだ」
「あー、自分は魔物絶対無理っス…」
「この辺じゃ出ねえもんなあ」
「だから人間同士で戦争とかやってられるんじゃないの」
「違えねえ! でさ、魔物倒したら金出んの?」
「敵兵と同じ額なら降りる…」
魔物との距離を取って軽く打ち合わせをする。
見事なまでに纏まりが無い。
「よーしいったん黙っとけ。金は何とかして出させるように掛け合う。んで今回のアレはアタシがやるから援護だけしとけばいい。お分かり?」
前回の出現では緊急事態の収束と対策法の確立の為に支払われただけで、実際は魔物の討伐報酬の定めは無い。
支払いの請求は敵兵の撃破報酬と同様に領主宛になるだろう。
「援護だけなら、俺はやってもいい。戦い方を見ておきたいしな」
真面目なアハドは滅多にない魔物討伐の経験を積む為に協力する事を選んだ。
「ああね。【動く死体】だけじゃ魔物討伐の話の種にはインパクトが弱いと思ってた所だし、丁度いい機会だわな」
唯一、低級とはいえ魔物との戦闘経験のあるハルバード使いの男も参戦を表明した。
「でさ、金は出んの? 出ないの? え、出ないの。じゃあパスパス」
「報酬の代わりにそこに落ちてる魔物の脚をくれるんなら、やってもいい…」
「え、そういうのも有りなん? じゃあやっぱりやるやる!」
ナイフ使いのノリの軽い斥候男と、目元以外を布で巻いた弓使いも援護を申し出た。
魔物の素材が金になるのを知っていたのだろう。
「魔物との戦闘は見てえ。けど近付きたくねえし遠距離からの援護もできねえし、どうしたらいい?」
「アンタ役に立たねえな。夜目が利くならとりあえず敵兵が来ないか見張ってろ」
「おお、見張りね。見てるだけなら得意だぜ!」
夜目が利くと聞いて下見に連れてきていた何も考えて無さそうな男に見張りを任せた。
任せろと親指を立ててウィンクまで返す。役割が与えられて心なしか喜んでいるように見えるが、たぶん何も考えていないのだろう。
「自分は無理っス! 人間だって怖いのに魔物なんて絶対無理っスよ〜!」
レニは首と手をブンブン振って非参加を表明。
彼女はアマンダの傭兵団の斥候役でほとんど直接戦闘はしないという。
「じゃあ先に行った眼鏡を追いかけてヴィンスの所へ行って、必要なら道案内」
「了解っス!」
ガサガサと茂みの向こうから音が聞こえる。
手傷を負って遠巻きに観ていた蜘蛛の魔物が再び近付いてきていた。
◇◆◇
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