第9話
領軍の本隊は北に広がる針葉樹林地帯の合間にある街道に沿って進軍しているという。
会議にほとんど顔を出さないセレンは詳しい内容について知らないが、現状は一応優勢らしい。
もしこの先も優勢のまま進行すれば、敵の大将首は領軍本隊の手柄となるだろう。
横から敵将を狙うつもりの中隊長ヴィンスは少し焦っていた。
そこで立案された作戦というのが、「全て上手く行けば最善」という類の、不可能ではないが希望的観測に満ちた無謀な策だった。
「(未開の樹林を二個中隊の人数で抜けるって、酷い無茶振りだろ…)」
「聞け傭兵。お前に先行部隊の栄誉を与えてやろう」
「で、いくら払ってくれんの?」
したり顔で中年副隊長が貧乏くじを引かせにきたので、セレンは貧乏くじ料を請求した。
「ま、また金の話かっ! こ、この恥知らずめがっ!」
「アタシらの仕事は敵兵を減らすことって契約内容だろうが。敵の通らねえ道には敵なんていねえの、学校で習わなかったのかよ」
いっぱしの傭兵は無駄に命を張らないし稼ぎにならない仕事もしない。
針葉樹林地帯にも見張りの兵士は置いているとしても、100人からなる傭兵部隊で仲良く分け合えるほどの数は居ないだろう。
「ふん、お前達は中隊長殿の率いる選抜騎士隊を消耗させないのが役割だろう。つまりこれもお前達の仕事なのだ!」
「ハイハイ、じゃあ言い方を変えてやるよ。今は急いで本隊より先に進みたいんだよな?」
「そのための樹林越え作戦だ!」
「傭兵ってお偉い騎士サマと違って行進とか訓練してねえから進むの遅いけど、それでもいいんだな?」
口からでまかせである。
「…………」
「な、適材適所。じゃあまた金になる仕事あったら呼んでよ」
傭兵の下積み時代は、それこそ何でもやって食い繋ぐしかない。
森の中だろうが、ぬかるんだ道だろうが、おそらく正規兵よりずっと手慣れているだろう。
「むぅ、それなら足の速い傭兵で小隊を組んで先行さればいいだろう!」
「あ〜じゃあ『地図』は貸してくれるんだよな?」
軍が使う詳細な『地図』の内容は重要情報であり、ただの傭兵が持っているのは雑で大まかな物しかないのだ。
「馬鹿が! どこの馬の骨とも知れん輩に『地図』を渡せるはずが無いだろッ! どうせ悪用するつもりだったんだろうがクズめ、そうは行かん! 上手く言いくるめられると思ったら大間違いだぞ、口ばかり回る恥知らずの女狐め!」
領軍が使っている物は部外秘の代物だ。いくら傭兵長という肩書きを与えられたとは言え余所者に貸し出せるような物ではない。
当然、拒否されると知っていて振ったのだが、副隊長には効果てきめんで顔を赤くして罵詈雑言を叩き付けてきた。
「地図無しでどこに案内すりゃいいんだよ」
「……ッ! このっ、ああ言えばこう言う…! こちらが下手に出ればつけ上がり、二言目には金カネ金! これだから下賎な出自の女は駄目なんだ! 性格が歪んでるッ!」
「じゃあ無理だから、そういうことで」
相手にするのも馬鹿らしくなり、肩をすくめてテントを後にする。
副隊長はまだ何かを喚き立てているが、もうセレンの耳には意味ある言葉として届いていない。
「(学習能力ゼロ。払う気がなくても、せめて見せ金くらい用意してから話せよ…)」
◇◆◇
そして針葉樹林地帯の強行軍。
一度ヴィンスにも呼ばれたが、副隊長以下の部隊長達の説得により斥候隊を先行させての行軍となり、傭兵達の仕事は物資の運搬。
冷たい小雨の降る中だが、正規兵の目が届かないのを良いことに緩んだ空気で進んでいた。
「おい傭兵長。あの騎士共は何だってこんな馬鹿みたいなルートを選んでるんだ?」
「お偉い騎士サマは最短ルートを進みたいんだと」
熊みたいな筋骨隆々の傭兵アハドは元は他領の兵士長として戦争にも参加した事のあるベテランで、今回の無茶な作戦に違和感を感じていた。
「安直だな。これじゃあ辿り着けても隊はヘトヘトだろうに…。まあルートについては分かったが、何で俺達はこんな後方に居るんだ? 普通は使い捨てるつもりで傭兵を先行させるもんだろ」
「先行させんなら『地図』をくれって言ったら後方に回された」
細かく説明するのを面倒に感じたセレンは適当に端折って答えた。
実際は金払いを渋られたから断ったのだが、その金を払われても受け取るのはセレン一人である。アハドやアマンダは当然気付いているとは思うが、そんな話を他の傭兵には聞かせられない。
「見せたくないのは分かるけどよ、『地図』持ちを傭兵部隊に同行させりゃいいんじゃないのか」
「さあね。盗まれるとか思ったんじゃない?」
「いやいや、俺達のこと何だと思ってるんだ…」
「さすがに現物は盗まなくても、隙を見て書き写すくらいのことならやる奴はいくらでもいるだろ」
これもよくある話である。斯くいうセレンも足が付くので書き写しこそしなかったが、士官用テントで見た『地図』はしっかりと記憶している。
「無いとは言い難いが…、保身と名誉欲とが混ぜこぜになっててリスクとリターンの計算がちゃんと出来てないだろ。大丈夫なのか?」
「はぁ? 大丈夫ならアタシらは集められてないって」
「つまり駄目じゃねえかよ…!」
アハドは無骨な見た目に反して心配性で真面目な男だった。
性格的にも正規兵の方が向いていると思われるが、どうして傭兵になったのかはセレンも知らない。傭兵にもそれぞれ過去や理由がある。
「領軍の心配なんざ二の次でいいだろ。アタシらは傭兵だ。楽して現場行って稼げるならそれでいい」
「傭兵長は割り切ってんな。でもまあ、それもそうなのか」
副隊長とあろう者が素人丸出しの交渉。初陣の騎士と兵ばかり。貴族が率いているのに少ない法士。人数ばかり増やして足並みの揃わない寄せ集めの部隊。
それでもセレンはこの隊から離れる気は無かった。
「(有能な奴の少ない部隊は、実力さえあればデカイ顔して利用できるから楽でいいのよね〜)」
◇◆◇
針葉樹林地帯へ入ってから二日目。昼の小休憩中。
「セレン。聖金貨10でどうだ」
「少しは大変さが身に沁みたんじゃない? 森を舐めすぎでしょ。かなり無茶させるんだから、ここは50は貰わないと割に合わない」
勿論、要件は分かっている。
ここは吹っかけ所だろうと、セレンは溢れそうになる笑みを噛み殺して強気に出ることにした。
「聖金貨50だと!? たかが傭兵風情が、ふ、ふざけるのもいい加減にしろ!」
「ふむ…。条件を呑むのなら40で応じてやろう」
「なッ、中隊長殿!? こんなならず者に頼る必要など有りませんぞ!」
副隊長は慌てた様子で応じようとするヴィンスに訴える。
しかし今回の彼の目付きはかなり冷ややかだ。
「副隊長、少し黙れ。お前の失態が招いた事だ」
「う、ぐぬぬ…っ…」
どうやら先の強行軍に関しては失策だったと、セレンが呼び出される前に叱られていたのだろう。
気色ばんだ中隊長の勢いはすぐに萎んでしまった。
周りの部隊長達も同様である。
「40ねえ…、まあいいわ。それで条件って?」
セレンはチラっと副隊長を見て薄ら笑いを浮かべてからヴィンスへと視線を移し、続きを促した。
「当然だがまずは時間だ。森に入る前の報告では領軍本隊は早ければ明後日の昼頃には敵本隊とぶつかるという予測だった。ならば我が隊はそれより早く着かなければならない」
領軍の主力部隊は街道を回り込むようなルートで敵陣へと向かっている。多少遠回りだが物資の積まれた馬車を牽いては森を通れないので、実質そのルートしかない。
対してこちらは森を突っ切る為に物資は人が持って進んでいる。それに道なき道を通るとなれば、当然ながらその分歩みは遅くなる。
どちらの方が早く到着できるのかは、正直言って微妙なところである。
「これは無茶言ってくれる…。ここから巻き返すにしても『地図』も無しじゃ無理なんだけど」
「副官を付けてやろう。閲覧を許可するから必要な時は言え」
どうやら昨日のアハドが言ってた通りの方針になったらしい。
地図はセレンの頭にも入っているが、知らないという前提で動かなければならないので地図持ちの同行は大変助かる。
「で、条件はそれだけじゃないんでしょ?」
「…つい先程だ。斥候隊から複数の罠を見付けたと報告を受けた」
セレンは大袈裟に天を仰いで額に手をやる。
どうやら敵軍は森ルートの防衛に兵ではなく罠を選んだらしい。
「あちゃー。そりゃ泣きつく訳だわ」
「なるべく罠による被害は抑えてくれ。戦力は減らしたくない」
おそらくあまり凝った罠では無いだろう。
行軍の足を鈍らさせたり、仕留めるより傷を負わせる類の罠だとセレンは推測した。
「なるほどねえ、無茶に無茶を重ねてきたなあ…」
「出来るか?」
「はいはい、金を払うと言うんならやらせて頂きますよ」
思わず笑いそうになるのをぐっと堪える。
どちらもセレンの予想の範囲内であったからだ。
「流石に聖金貨40の仕事となれば厳しく査定させて貰う。時間の遅れや被害に応じて減額するからそのつもりで当たれ」
「そういうことなら、せいぜいご期待に添えられるように努めるとしますか」
セレンは歯噛みする副隊長を横目に、手をひらひらさせてその場を後にした。
◇◆◇
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