第7話




 一人で壷の魔物と対峙していたセレンは後方へと下がり、兵の一人から水筒を奪い取って喉を潤して息を整えた。

 自分の水筒を取られた兵がモジモジしているが無視する。


 セレンは荒い息のまま入れ替わりに前線で戦う騎士達の奮戦を観察する。

 全くの初見で何をしてくるか分からない魔物との初戦闘は、歴戦の傭兵である彼女をしても激しく消耗させていた。

 篝火による物か、魔物は赤い光に照らされて不気味さを増していた。


「見事な物だな。あれだけ萎縮していた騎士や兵達がここまで勢いづくとは」

「そりゃどうも…」


 青年中隊長は薄く笑みを浮かべてセレンの奮戦を労う。

 周りに居るのは部隊長や前線に出ていない騎士と幾ばくかの兵達で、負傷した法士達は仕方ないとしても他に傭兵の姿は無かった。


「これ以上の援護は期待できないわけね」

「生憎と法士の数は揃えられなくてな、消耗はさせられん。それにお前ならやってくれると思っている」


 傭兵が呼ばれていないのは、魔物退治と知られれば逃げるかも知れないからだろう。彼等もセレンと同じく魔物との戦闘経験の無い者が大半である。

 青年中隊長は金の髪を夜風に揺らし、端正な顔をセレンに近付けて口を開く。


「しかし良いのかセレン。騎士が倒せば討伐報酬の話は無くなるが」

「あー、クッソ。昼間に散々働かされて夜まで働き詰めなんて、アタシの柄じゃないんだけど…!」


 そういう約束だった事を思い出し、疲労の蓄積した身体を起こす。

 騎士達も慣れない敵にかなり苦戦しているようだ。

 法力を武器に纏わせる訓練はしているのだろうが、実戦の中で維持するのは難しい。ましてや相手は人外の怪物である。

 短時間でも普段の何倍ものペースで精神も体力も削られているのだろう。


「ま、攻撃が効いて血を流すんなら、そのうち倒せるだろ…」


 騎士達は主に繰り出された後の節足を剣で斬りつけているらしい。

 一撃一撃はあまり効いていないが有効な戦法だと思われる。

 既に壷の魔物は満身創痍。赤みを増して未だ動き続けているがセレンの与えた胴体へのダメージは深く、気味の悪い青黒い体液をそこら中に撒き散らしながら暴れていた。


「邪魔だから。剣じゃ間合いが近すぎて本体が狙えてねえんだよ」


 戦っていた騎士の一人を押しのけて前に出て、呼吸を整えて法力を動かす。


「いえ、まだ戦えます!」

「いいから、もう一度手本を見せてやるから少し下がって牽制に専念してろ」


 そうは言ってもセレン自身も魔物と戦うのは今日が初めてである。内心では嘆息しつつ、この異常にタフな怪物をどうやって倒したものかと思考する。


「(傷を負うし、血は流れる。法力の纏わない武器はほぼ効果は無し。となると、コイツ自身も法力で身を包んでいるのか…?)」


 法力を纏った武器は、そうでない武器より鋭さが増して丈夫になる。それは盾も同様で、法力を纏わない攻撃を易々とは通さない。

 セレンは魔物には人とは違う法力があって、それを全身に纏っているのではないかと推測した。


「(あの赤い光は篝火の照り返しじゃなくて魔物の法力なのかも。アタシの法力は腹の底から熱く出て来てる感覚がある。もし魔物も同じなら…)」


 仮に自分の推測が正しければ、法力をあの巨体全体に行き渡らせられる魔物は人よりずっと大きな法力を扱える事になる。

 改めて自分が対峙しているのが怪物であると再認識した。


「(これは、出し惜しみしてる場合じゃないかな…。いや、それはやれるだけやってから考えよう)」


 逡巡して、とにかくすぐに打てる手を講じる事にした。決断するにはまだ情報が不足している。


「正面、引きつけろ!」


 他の騎士へ短く指示を出して走り出す。

 法力を通しやすい自分の槍を引き抜いて、蜘蛛みたいな魔物の背後へと回り込んだ。


「ま、やってみきゃ分からねえ…なッ!」


 背後から加速して突撃して、青く光る槍を全身の力を込めて捩じ込む。

 青い光の帯をたなびかせ…!


「ッ!」


 最後の一歩を踏み込む直前に魔物の尻が持ち上がった。

 咄嗟の直感に従って身をよじって不完全な一撃となり、腹の側面を抉る。


「ちっ、本当に見たまま蜘蛛なんだなァ!」


 セレンが躱したのは壷の魔物から吐き出された粘着力のある極太の糸だった。

 しかし前面の騎士と相対する魔物は苦し紛れに糸を放てはしたが、大きく抉られたダメージで態勢を崩して傾いている。

 セレンは駄賃とばかりに糸を吐き出した部分の周りに刃を当てて削り、魔物が暴れ出すと素早く後方へと身を引く。


「魔物は弱ってんぞ! どこでもいいからどんどん斬って血を流させろ!」


 騎士達は疲労の残る身体に鞭打ち雄叫びを上げ、ここぞとばかりに足や顔面に剣を叩きつける。

 セレンはそれを観ながら深く身を沈めていった。


「さすがにもう奥の手はねえだろ…」


 一際強く法力を滾らせて、低い態勢から加速させ、体重と運動エネルギーを乗せに乗せた渾身の一撃を見舞おうと踏み出す。

 一歩。二歩っ。三歩ッ。四歩!!

 青い残光が煌めく疾風迅雷の一撃が魔物の腹を貫いた!


『ギイイイイイィィィ!!』


 それは魔物の断末魔の叫び声なのか、それともまだ何かをやろうとして響かせる怨嗟の怒声なのか。


「ぐぅっっ…!」


 一人間近で聴いたセレンは魔物から溢れ出す波打つ悪意を浴びて、全身を震わせながら苦しみに耐える。

 魔物から発せられる赤いモヤと、聞く者に不安を与える不気味な声が鳴り止むまで、騎士達は距離を取って臨戦態勢を崩さなかった。




◇◆◇




「セレン、よくやった」


 壷の魔物との戦闘から半刻ほどの時間が過ぎ。

 他者にジロジロ見られるのもお構いなしに汗で蒸れた兜を脱ぎ捨て、衛生兵のテントから気の抜けた顔で魔物の残骸を眺めていた所。指示を出し終えた青年中隊長がやってきて労いの声を掛けられた。


「しんど…。割に合わないだろ…。ああ〜気持ち悪い…。聖金貨40って言っときゃよかったぁ…」

「フッ。渡してやれ」


 動く気力が無いのか視線だけ向けたセレンに従者が近付いて金貨の入った袋を差し出す。


「ほいっと。ひぃふぅみぃ…」


 動く気力は無くても金勘定する気力はあったらしい。


「お、30入ってる! あ、数え間違えとか言うなよ、もう貰ったんだからな!」

「部下に一人の犠牲も出さなかったのは褒めてやる。それはその礼だ」


 セレンの嬉しそうな顔を見た青年は、ふっと微笑を浮かべる。

 いつもは澄まして硬い眼差しも、今は優しく細められていた。


「あれ、アンタもしかして結構いい奴?」

「ヴィンスだ」


 突然の予想してなかった返答に困惑するセレン。


「はい?」

「これからはヴィンスと呼べ。敬称は要らん」


 ヴィンス、それはヴィンセントの愛称。おそらくこの青年中隊長の名前なのだろう。しかし何故今になって脈絡もなく名乗ったのかが分からなかった。


 実力を認めたからだろうか。

 敬称は要らないと言うが、そもそもセレンは敬称なんて滅多に付けない。よっぽどの相手でもあんまり付けたくない。せいぜいが相手をからかう時に付けるくらいだ。


「(だからなんでいきなり愛称からなんだよ。距離感狂ってんじゃないの?)」


 そのまま自分を見つめるヴィンスの視線に耐え兼ねて、かと言って充てがわれたテントへ退散する元気も回復してないセレンは、解体されていく魔物の残骸へと視線を逸らす。


 あの魔物は時間は掛かるが、対策さえ解ればこの中隊なら被害を抑えて倒せるだろう。

 魔物の基準はよく知らないが、辺境では魔物の領域に出向いて定期的に間引いているらしいので、こうして持ち運んでこれる程度の魔物なら勝てない相手では無いという事だ。

 だが、もしこれが敵軍と協力して襲ってきたらと考えるとゾッとする。

 しかしそれなら最初から編成に組み込めば良いだろうし、わざわざ危険を冒してまで壷のまま秘密裏に敵陣へ運んだりはしないだろうから、連携は取れないのだと勝手に結論付ける。


 そこでふと、そういう難しい話は正規軍の考える事だ、と眠気に負けたセレンは考えを打ち切った。


「(もしもの備えは必要だけど、アタシは傭兵だし。危なくなったら命と金だけ持って逃げればいいだけだしね…)」


 所詮は傭兵。

 今は領軍に味方しているが、それだってどうなるか分からない。


「あ〜、早く帰りたい…」





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