【黄昏に舞う戦乙女】
Terran.31
【天を見上げる戦乙女】
第1話
《聖王暦:553年3月》
その日の空は雲一つ無い快晴だった。
「あ〜、空が綺麗だわ…」
先月まで雪がちらついていたのが嘘かと思うほど穏やかな春の日差しに美しい青空が広がり、大地には華が咲き乱れ、活気溢れる人々の声が響き、穏やかな風が香りを運ぶ。
「……臭っ」
声の主は顔をしかめて身体を傾ける。
ヒュン、と脇を何かが勢いよく通り過ぎ、遅れて何か重い物がぶつかった音と、水を含んだくぐもった吐息を漏らして大地に新たな華をぶちまけた。
「人がせっかく心穏やかにしてるのに…」
声の主は空を見上げていた視線を戻し、おもむろに落ちていた槍を右手で拾って握り込み、何やら喚き立てている前方の一団を鋭く細めた双眸で見据える。
「邪魔してんじゃ……ねえよ!」
無造作に見える投擲は、風を穿つ暴力となって一団を貫き、反応の遅れた二人を串刺しにした。
「あ〜もう! 本当なら今頃はロナとデートのはずだったのに、どうしてアタシはこんな所に居るのよ!」
理不尽に振るわれた突発的な暴力に唖然としていた一団を前にして、突然地団駄を踏み始める哀しげな表情の声の主。
その容貌は、この戦場の只中に鎧姿であっても一際目立つ金髪をなびかせる美しい女性だった。
年齢は20代半ば程に見える。革鎧の上からでも分かる彫像の様に均整の取れた肢体を持った美貌を、哀しげな美女の物から徐々に怒れるの女神の物へと変貌させていく。
「どうして、どうしてっ、どうしてよッ!」
混乱から立ち直るだけの時間には十分だったのか、一団の生き残りは散開して、奇行を繰り返す女性を油断なく囲んで槍を前に構える。
「アンタ達のせいよ…」
突如、苛立たしげに踏みしめていたスラリと長い足を止めて、然してそのエネルギーを一切抑える気が無いと言わんばかりの低い声で周囲の空気を張り詰めさせる。
囲んでいる一団の誰かが、ゴクリと喉を鳴らす。
「アンタ達の!」
油断は無かった。
ブワッと風が起こり、気が付いたら鎧姿の女性が囲みの圧が低い一角を正確に狙って急接近する。
「親玉の!」
まさに疾風!
背負っていた短槍が右手で引き抜かれ、避ける暇も与えず三人が、首や脇腹を深く傷付けられた。
「賞金が高いからッ!」
旋回する槍の舞。
かかれ! と一拍遅れた号令で残りの槍持ちが突撃するが、足並みの揃わない烏合の衆は次々と急所を突かれて倒れていく。
「デートよりお金を優先しなくちゃいけなくなったんでしょうがァッ!」
手放された敵の槍を空いている手で素早く掴んで振り向きざまに投擲。
立っている最後の一人の頭に突き刺さり、力を失い膝から崩れるように倒れる。
その言い分は理不尽だ。
憐れな一団のリーダーは、心の中でツッコミを入れたのが最後の思考となってしまった。
◇◆◇
鎧姿の女性は戦闘が終わってから周囲を確認して、他の戦域との距離を測る。
まだ息のある無しに関わらず、一人一人敵の武器でトドメを刺していく。
「ちっ、ザコなんて倒したって大してお金にならないのよ。面倒かけさせないでよね」
腰から魔法銀の印章を取り出し、法力を込めて槍の石突きに取り付けた。
まだ温かい死体の目立つ部分、主に頭部に押し付けて法力印を残していく。
「敵将は、たぶん奥の方よね。あ〜、誰でもいいから露払いしてくれないかな」
使った武器から敵兵の服で血を拭い、敵味方の位置を再確認した。
ぞんざいに死体を積み上げて印章の跡が見えるようにしつつ、流矢を警戒して死体の山を背にする。
「どっかに美味しいとこだけ譲ってくれる気前のいい男前はいないかしら〜」
後方からこの場所へと接近する集団を眺めて友軍であることを確かめてから、どこの隊かを識別しつつ聞こえよがしに呟く。
「フッ、他の傭兵も近くに居るのか?」
「アンタ達に言ってんのよ」
傭兵ではない正規の領軍だろう。
鎧姿でもひと目で貴族だと判る身なりをした隊長と思われる男。
肩までの長い金髪に切れ長の目、鼻筋の通る整った容姿の青年だ。
その横には副隊長と思われる茶色の短髪をした面長の中年男性が付き従っている。
「それはこちらの台詞だ、傭兵よ。お前は確か最前線に配置されていた筈だろう。何故こんな所でうろうろしている」
貴族と思われる青年はさも当たり前の様に答える事を前提に声をかけた。
「はァ?」
彼女を雇ったのは領主である。
直接の上官でもない相手にわざわざ状況説明をしてやる義理は無かった。
「中隊長殿が聞いておられるのだ、しっかり答えんか!」
副隊長らしき男は高圧的な態度で見咎める。
腹は立つが一応友軍なので最低限の説明は必要かと思い直して口を開く。
「アタシはね、休暇予定の所をアンタ達とは別の雇い主、領主からどうしてもって頼まれたから来てあげたの」
苛立ちが声色に出てしまっているが、休暇を返上しているのは事実なので機嫌の悪い彼女がキツめに当たるのは仕方がなかった。
「傭兵なら傭兵らしく分をわきまえて我々の露払いに徹していろ!」
どうやらこの副隊長は領主から特別扱いされる傭兵が気に入らないらしい。
「あのね、契約じゃ敵将以外を相手にするのはサービスであって義務じゃないの。アンタ達こそザコをお漏らししてアタシの手を煩わせるんじゃないわよ」
確かに彼女は最前線に居ないが、遅れてやってきたのは彼等も同様である。
領主との契約では敵兵の相手をする優先度は低く、敵軍の将を討ち取るのが今回の仕事の最優先の目的となっていた。
つまり、露払いは領軍の仕事なのだ。
「この、言わせておけば…!」
「よせ。なら契約変更だ傭兵よ。敵将は我が中隊が引き受けることにする。お前は敵陣までの道を切り開く手伝いをしろ。俺が敵将を討ち取った暁には、報酬にも色を付けると約束する」
この話を領主が聞いたら憤慨するだろう。一介の中隊長ごときが領主の決めた契約内容の変更など出来る筈もない。
しかし彼女は良くも悪くも傭兵だった。
「ふ〜ん…。で、いくら?」
敵将を譲る気は無かったが、それでも一応話だけは聞いてみる。
「聖金貨10でどうだ」
「安っ。懸賞金の一割とか、領軍って随分ケチ臭いのね」
今回の敵将を討ち取れば領主から懸賞金として聖金貨100枚が約束されている。
これは仕事の報酬とは別途受け取れる。
「女ァ、調子に乗るな! 普段通りの仕事をして追加の報酬を恵んで貰えるんだぞ、それで文句を言うとは身の程を知れ!」
「構わない。時間が惜しいからな、聖金貨20だ。これで手を打て。露払いの額にしたら十分だろう」
彼女は自分がリスクを冒して支払われる報酬と、リスクを負わずに貰える報酬とを天秤にかけた。
敵将はかなりの実力者だという噂で、下手をすれば討たれるのはこちらである。
「ちっ、いいわよ。ただし前払い、即金でなら受けるわ。後でそんな話は無かったなんて言われても面倒なのよね」
書類で保証された事前の契約と違い、臨時の取引の場合は余程の信用が無ければ後払いは成立しない。
それに取引相手がもし重症を負ったり相討ちになれば、取りっぱぐれるリスクもあるのだ。
「いいだろう、交渉成立だ。出してやれ」
聖金貨20枚と言えばそれなりの金額なのだが、どうやら普段から従者に持たせているお小遣いらしい。
やはりこの青年は貴族なのだろう。
「おい、目の前で数えるとはどういうつもりだ! 中隊長殿を信用できないと言うつもりか?!」
「うるっさいわね。傭兵の信用は金で買えって騎士団で習わなかったの?」
副隊長らしき男が喚き散らす。
重要な取引を自分でした事が無いのだろうか。
商人同士でも取引で金銭の勘定は欠かさない。
いくら相手が貴族だろうと契約金を渡されたら確認もせずに受け取るなど非常識である。
「そんな物教える騎士団あるか!」
「傭兵よ、時間が惜しいと言った筈だが」
貴族の隊長は別の誰かに敵将を先に討たれるのを懸念しているらしい。
そんなに簡単に倒せるような相手なら、わざわざ領主自らが腕の立つ傭兵を特別に手配させたりなどしないのだが。
「はい、まいど〜。それと傭兵傭兵って呼ばれるのは好きじゃないの。個人的に雇用契約したんだからちゃんと名前で呼びなさいよね」
本当は名前を呼ばれるのも嫌である。
しかし信用した、という建前の為に内心嫌嫌ながらも名前で呼ぶという形式を取っていた。
「それは失礼した。だが生憎と俺はお前の名前を知らない」
「(ちっ、名前も知らずに声をかけたのかよこのボンボンは。これだから貴族は…)」
「ふん、中隊長殿が下賎な傭兵の名など覚える訳が無かろう」
その言葉にイラッとした雰囲気を隠そうともせず、彼女はそれまでとは打って変わって洗練された美しい所作で宮廷式の挨拶をして見せる。
「はいはい。アタシは『セレンディート』。この界隈じゃ“地上の戦乙女”って二つ名で呼ばれてる。特別に戦乙女って呼んでもいいわよ?」
その場に居た彼女を除く全員が目を見開き息を呑んだ。
もっとも、口調はそのままで表情はしてやったりという顔をしたチグハグな様子でやって見せる彼女の態度に、気を取り直した副隊長と取り巻きの騎士達は呆気にとられた表情で見つめていた。
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