第八章 蘇る思い出

五五.葵からのハガキ

 新嘗祭にいなめさいの祝日の翌日、いつも通り「まつり」の仕事を終えて家に帰ってきたかつらに康史郎こうしろうが言った。

「お帰り姉さん。葵さんからハガキが来てるよ」

「本当?」

 康史郎はハガキを差し出す。かつらはあわてて靴を脱ぐと家に上がり、ハガキを読み始めた。


横澤よこざわかつら様

前略 ご無沙汰しております。このたび、成田なりた豪快ごうかい様との婚約を十二月十四日に執り行うことになりました。その前に姉の形見分けをさせていただきたいので、十一月二十九日の土曜に私の家においでいただけないでしょうか。お待ち申し上げております。 草々

 昭和二十二年十一月二十二日 芝原しばはらあおい


 ハガキを読み終えたかつらは、康史郎に呼びかけた。

「康ちゃん、申し訳ないけど明日学校で征一せいいちくんに会ったら『急用が入ったのでお店に行くのが少し遅れるとお父さんに伝えて』と言ってほしいの」

「分かったよ。ついでに姉さんと京極きょうごくさんが婚約したことも言っとくね」

「余計なことは言わなくていいの。たかしさんがお店に来たときに挨拶するんだから」

 かつらはあわてて康史郎をたしなめた。

「でも、葵さんはあんなに結婚を嫌がってたのにどうしたんだろう」

「それを確かめるためにも、明日寄っておきたい所があるのよ」

 かつらはそう言いながら肩掛けカバンにハガキをしまった。


 十一月二十六日、火曜日の縫製工場の仕事終業後、かつらは「墨田すみだホープ」に向かった。店のドアには「純喫茶『墨田ホープ』十二月十四日開店予定」と張り紙がしてある。ドアを叩くとチリリンと鈴の鳴る音がして扉が開き、かしわ憲子のりこが出てきた。

「あら、かつらちゃん、どうしたの」

 ドアの向こうでは夕食中だったようだ。中央のテーブルを囲んで大口おおぐち徳之介とくのすけとハナエ、娘ののぞみ丹後たんご育美いくみと息子のろんが座っている。壁に塗られた白ペンキもすっかり乾き、横にはアベック用のテーブルと椅子が二組置かれている。

「お食事中にすみません。大口さんと憲子さんにどうしても話したいことがあって」

「それじゃ二階で話そうか」

 大口は立ち上がると、階段へと歩き出した。


 大口家の部屋に通されたかつらは、カバンから葵のハガキを取り出した。

「憲子さん、墨田すみだ女学校の芝原あずささんを覚えてますか」

「もちろんよ。朝鮮に行く前、かつらさんと三人で写真を撮ったのよね。残念ながら引き上げの混乱でなくしてしまったけど」

「落ち着いて聞いてね。梓さんは結婚した後、空襲でお亡くなりになったの」

 憲子の眉が下がった。かつらはそのまま話し続ける。

「その梓さんの妹さんが、このハガキをくれた葵さんよ。十二月十四日に成田さんと婚約する前に形見分けをしたいとおっしゃってるの」

「あの見合いした男と婚約するというのか。しかもうちの再開店予定日とはね」

 大口が身を乗り出す。かつらはハガキを見ながら言った。

「きっと何か断れない事情があるのだと思うんです。でも、私たちに助けてほしくてハガキを出したのではないでしょうか」

「なるほど、そういうことなら協力しよう」

 大口はそう言うと憲子の方を向いて説明した。

「夏に葵さんが厩橋うまやばしで身投げしようとしたところを俺と横澤さんの弟が助けてね、その時に『もし本当に逃げたいのならうちに来ればいい』と言ったんだ」

「そうだったんですね」

 憲子はうなずく。

「ありがとうございます。二十九日の午後、工場の仕事が終わったら憲子さんとご一緒に芝原家に伺いたいのですが、大丈夫でしょうか」

 かつらの頼みを憲子と大口は快く引き受けた。

「ええ。梓さんの妹さん、お目にかかるのが楽しみですわ」

「俺は芝原家の奥様と使用人に顔を見られているからな。夕方『まつり』で詳しい話を聞こう」

「分かりました。よろしくお願いします」

 かつらは頭を下げた。


 帰宅したかつらは葵宛てにハガキを書き、ポストに投函した。


『芝原葵さま

 ご招待ありがとうございます。

 二十九日の午後、梓さまのご友人の柏憲子さんと芝原家に伺いますので、よろしくお願いいたします。

昭和二十二年十一月二十六日 横澤かつら』

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