二四.上野広小路駅で

 一方、康史郞こうしろうは正午前にバラックを出ると厩橋うまやばしの電停に向かった。ランニングシャツの上から学生服の上衣を引っかけ、羊太郎ようたろうの国民服のスボンを履いている。

 厩橋の電停に着くと、康史郞は通学用のカバンを肩にかけ、八馬やまの指示通り学生帽を後ろ向きに被る。辺りを見回すと、電停の近くの通りに二人組の子どもが立っているのを見つけた。背の高さからすると自分と大して変わらない年頃だろうか。一人は大きめの米軍の服を巻き付けるように着ており、もう一人はボロボロの学生服に戦闘帽姿だ。二人とも裸足に破れたズック靴を履いている。

(あいつらなのかな。とりあえず、後で山本やまもとさんにトタンを捨ててた二人の恰好を聞いてみよう)

 用心しながら康史郞が近づくと、軍服姿の方が声をかける。

「黄色のズック、持ってきたぞ」

 康史郞にはピンときた。八馬の言ってた合い言葉だ。

「ならもらおう」

 手はず通り答えると、学生服姿の方が服の下から紙包みを取りだした。康史郞は包みを受け取るとカバンにしまう。手触りは明らかにズック靴ではないが、それは言ってはいけないのだろう。

「じゃ、後はよろしく」

 二人は足早にその場を離れる。後ろ姿を見送りながら康史郞は思った。

(俺も何色でもいいから早く新しいズックが欲しいよ。そのためにも早くアルバイトを片付けないと)


 厩橋から都電に乗り、上野広小路うえのひろこうじ駅に着いた康史郞は周囲を見回した。

(姉さんたちはまだ映画見てるんだろうな。見つからないうちに帰らないと)

 帽子の向きを確かめ、肩掛けカバンを抱えていると、カーキ色のシャツと作業ズボン姿の男性がやって来た。無精ひげを生やしている。

 男は康史郞の前に立つと「何色のズックを持ってきたか」と尋ねた。目が据わっている。康史郞は緊張しながら「き、黄色です」と答えた。

「ならもらおう」

 男の答えを聞いた康史郞はバッグから包みを取り出す。男は包みを受け取ると、一部を空けて中身を確認した。

「代金だ」

 男はズボンのポケットから封筒を差し出す。康史郞はそのまま受け取ると一礼した。男はそのまま去っていく。

 康史郞はおそるおそる封筒をのぞいた。お札が何枚も入っている。康史郞が今まで見たこともない金額だ。

(早くヤマさんに渡さないと)

 帰りの都電が来るまで、康史郞は封筒の入ったカバンを抱えて生きた心地がしなかった。


 その頃、無事買い物を終えたかつらは、右だけのズック靴を肩掛けカバンに入れていた。

「良かったわ、白のズックがあって。少し傷んでるけど仕方ないわね」

「しかしまさか、片方だけの靴を売っているなんて思わなかった」

 たかしは闇市の露天を振り返りながらつぶやく。

「わたしも初めて見たとき驚いたけど、底が片方割れたりした人が買っていくみたい。お金がないから仕方ないわね」

「このところ何でも値段が上がってるからな。また次回の映画まで倹約しないと」

 隆の言葉にかつらは笑顔で答えた。

「わたしは映画でなくてもかまいませんよ。京極きょうごくさんのお好きなところへ行きましょう」

「ありがとう。康史郞君も待ってるだろうし、そろそろ帰ろうか」

 隆が上野広小路駅の方向に足を向けた時、向かいからカーキ色のシャツを着た無精ひげの男が歩いてきた。手に包みを抱えている。男は隆を見ると顔色を変え、突然呼びかけた。

「京極! 貴様は死んだはず」

  隆は顔をこわばらせ、かつらの手を掴んだ。そのまま走り出す。

「待て、亡霊め!」

 男の叫び声が遠ざかる。隆はそのまま走り続け、かつらはついていくのがやっとだった。


 ようやく上野広小路駅に着き、都電に乗り込んだ二人は息を整えながら吊り革をつかんだ。

「どうしたんですか」

「すまない。今日はこのまま帰ってくれ」

 かつらは思い切って隆に尋ねたが、隆はそれだけ言うと窓の外に目をやった。顔がまだこわばっている。

(あの人、もしかしたら家に土地を売って欲しいと来た人かも)

 都電が動き出し、電線が窓の外を通り過ぎていく。かつらはさっきの男の顔を思い浮かべようとしたが、一度だけ見た男の顔を断定はできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る