四.日曜の来訪者
昭和二十二年七月六日。日曜日の朝も早く起きたかつらは髪を三つ編みにし、外出用のもんぺに着替えた。
かつらは自分の布団を外の物干し竿に掛けると、台所で食事の支度を始めた。土鍋に入れた米や麦を吸水している間に、七輪にやかんをかけてお茶の準備をする。これで朝昼晩の食事をまかなうのだ。朝はお茶漬けにし、昼と夜はおにぎりを作っておく。銭湯の帰りに闇市で野菜や干物を買い、一週間分の食材にするのがならわしだ。
七輪にかけたごはんが炊きあがったので、かつらはバラックに土鍋を運び込んだ。ごはんの匂いにつられたのか康史郞が起き上がる。
「おはよう康ちゃん。梅干し出しといて」
「分かったよ」
かつらの声に応えた康史郞は布団を畳むと仏壇代わりの木箱に向かった。上に家族の位牌や写真、お供え用のお皿が置いてあり、下には梅干しの入った陶器の壺と、米びつ代わりのブリキ缶が入っているのだ。
木箱の前に座ると、康史郞は中央に立てかけられたキャビネ版のモノクロ写真に無言で手を合わせた。
(みんな、おはよう)
康史郞が学童疎開の際に持参した
本当は七人家族だが勇二郎の双子の弟、
朝の挨拶を終えると、康史郞は梅干しの壺を取りだした。
朝食が済み、食器を片付けたかつらは自分の布団を取り込みながら康史郎に呼びかける。
「洗濯始めるから、康ちゃんは自分の布団を干しといてね」
康史郞は布団を干すと、大きめのズボンを履いた。余った裾をたくし上げ、ぶかぶかのウエストを腰に入った紐で締め上げる。亡くなった兄、羊太郎の残した国民服のズボンだ。自分の学生服は勇二郎のお下がりでかなり痛んでいるため、休みの日はランニングシャツとこのズボンで過ごしているのだ。
「俺、銭湯の時間まで釣りに行ってるから」
「わかったわ」
日曜日の釣りは康史郞のお決まりの行動なのでかつらも手慣れたものだ。学校へ持っていく水筒にお茶を入れ、アルマイトの弁当箱におにぎりを詰める。
「じゃ、行ってくるよ」
新しいズック靴を履き、釣り竿とトタン製のバケツを持った康史郞が出ていくと、かつらは写真の前に座ってつぶやいた。
「ズック、もう履いてっちゃった。やっぱり嬉しかったのね」
かつらは木箱の横に置いてある学生服の半袖シャツを取りあげた。洗濯しないと着替えはないのだ。
(わたしの夏のシャツももう一枚欲しいけど、先に康史郞に作ってあげないと。そのためにももっと倹約しなきゃ)
かつらは立ち上がった。
かつらが外に置いたタライで洗濯をしていると、隣のバラックの夫妻が声をかけてきた。四十代の
「おはようございます。ちょっと出かけてきますね」
ワンピース姿の槙代が一礼しながらかつらに呼びかける。ワイシャツにズボン姿の隼二はソフト帽を持ち上げながら言った。
「これから細君と久しぶりに映画鑑賞でね。『素晴らしき日曜日』ってやつです」
「それは良かったですね」
二人に答えるかつらを見ながら槙代が言う。
「横澤さんもいい日曜になるといいですね。それでは」
「映画か。私も康ちゃんと見に行きたいけど、ズック代で貯金もなくなっちゃったから当分無理ね」
洗濯を終え、康史郞の布団を取り込もうとしたかつらがバラックのドアを開けた時だった。カーキ色のTシャツに作業スボン姿の男性が立っていたのだ。無精ひげを生やしている。
「これは失敬。この家の奥様、いやお嬢様ですか」
男性の言葉をかつらは否定した。
「わたしは結婚してませんよ。弟と二人暮らしです」
「なるほど、若いのにご立派ですな」
「それより、ご用は何ですか」
かつらは男に警戒心を抱きつつ尋ねる。
「私は不動産を商ってる
かつらは廣本をまじまじと見つめると答えた。
「うちは父の代からここに住んでます。断じて違法バラックではありません。帰ってください」
「分かりました。本日はこれで」
廣本は頭を下げるときびすを返す。厩橋の方向に帰っていく廣本を見送りながら、かつらは廣本の言葉を考えていた。
(この土地を売ったって、私たちに行く場所はない。絶対守り抜かなくちゃ)
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