犠牲の認識条件とジョニー

@Platinam2022

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犠牲の感じ方について。


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かーちゃんが重たいもの持っていたら運ぶのを手伝うし、甥っ子が転びそうになっていたら慌てて補助する。身内が体調不良の時はお粥を作る。こういう労力や時間などのリソースを相手のために使う行動は、辞書的には犠牲があてはまるが、とはいえ家族に対する行動を犠牲と呼ぶのは違和感がある。普通にやることを犠牲とは認識しない。あえて呼ぶなら分担か。


一方で、ジョニーソ〇リみたいな迷惑極まりないやからにこちらのリソースを割かねばならない状況は、明確に犠牲と呼べる。なんでこんなヤツに時間使わないといけないんだみたいな。いや実際ジョニーに絡まれたことはないんだけども、たとえ話として。ヤツほどじゃないにしても、突然やってきてこちらのリソースを削っていくお邪魔虫は一定数存在する。訪問販売は厄介キャラのひとり。


両者を比べてみるに、その相手にリソースを使っても良いと思えるかどうかで、犠牲と感じるか感じないかの違いがあるように思える。家族や身内には感じず、ジョニーや訪問販売には感じる。これすなわち、犠牲を感じずに日々穏やかに暮らしたい場合は、可能な限り周りを家族や身内で固めた上で、ジョニーに合わないようにすればよいということになるのではなかろうか。実現出来れば日々のストレスが軽減されそうだ。やったね!


と、ここまで書いて、そんなこと簡単に出来るならストレスなんて概念存在しないわってセルフ突っ込みした。どう頑張ってもジョニー系に出会わずに過ごすことは難しいし、身内を一杯作るのもコミュ障な私にはキツイ。ノーフューチャー!


ただまぁ難しいとはいえ100%無理というわけでもないので、少しずつ身内を増やしつつ、対ジョニーセンサの感度を上げて、可能な限りやっかいごとに近づかないようにしていきたい。・・・それって今まで通りじゃね?って話でした。

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