第39話

 最後までごきげんだった瑠佳と別れ、あたしは未優とともに帰宅した。

 今日はさすがにいろいろと疲れた。精神的に。

「ふあぁぁぁあ~~」と魂ごと抜け出るような声を発しながら、ごろんとリビングのソファに横たわる。


「それにしても、みさきは罪な女だねぇ」

 

 テーブルに散乱していたゴミを片付け、お風呂の準備を終えた未優が戻ってくる。あたしの頭のすぐそばに腰を下ろした。

 今のは聞き捨てならないセリフだ。あたしは上半身を起こす。


「なにが?」

「だってみさきといるほうが楽しいから別れたって」


 間接的に瑠佳を彼氏からNTRした。

 なんていうのはうがった見かただ。瑠佳はもともと迷っていて、単に決断をする要素の一つになっただけって話だ。

 そういうおかしなニュアンスはない。

 

「だからそれは変な意味じゃなくて、友達としてってことだよ! それいうなら未優だって一緒じゃん」

「そう? わたしはついでで、本命はみさきって感じしたけどなぁ」


 ま〜た余計なことを。

 まぎらわしいフリだったけど、瑠佳はあくまで友達として、というスタンスだ。

 今はダチとバカやってるほうが楽しい的なやつを、ガチ勢のあたしたちが勝手に勘違いした。ああ恥ずかしい。


「トモダチ、ねえ~~……」


 未優が含みのある独り言をする。

 まあ、言いたいことはわからないでもない。未優に向かってあたしたち友達じゃん、とかわざわざ言わないし。 


「今はそう言ってるけど、実際わかんなくない?」

「ど、どゆことですか?」

「みさきが目覚めさせちゃったんじゃないの? 本人がちゃんと言葉にできてないだけで」


 つまり今後、目覚めてしまう可能性があるかも、ということですか。

 たしかに素養はある。すごいありそう。


 瑠佳が大満足の一方で、未優はやっぱりちょっと不機嫌というか、釈然としない様子だ。あたしが瑠佳にリップサービスしすぎたのが気に入らないのかなんなのか。


 でもあの場を丸く収めるためには仕方なかった。

 あれぐらい大げさなほうがガチ感は薄れるだろうし。てか別に友達として好き、は嘘ってわけじゃない。


「と、ところで未優さ。さっき『わたしみさきのこと、好き』っていったよね? ガチトーンだったよね?」


 ここだけは声を大にして言いたい。

 今度こそ変な条件付きじゃなしに、言質を取った。修羅場なりかけシリアスシーンで本音を引き出した。あれはガチのマジトーンだった。


「……だってみさきのこと、取られたくなかったし」

「そっか。とっさに素が出ちゃったんだね」

 

 これにはいつも虐げられているみさきちゃんもにっこり。

 はっとなってむっとうつむいた未優は、小さくつぶやく。 


「……ばぁか」


 あの未優が語彙をなくしている。

 図星をつかれて恥ずかしがっている!

 反論の余地がないらしい。やはり人間は追い詰められたときに素が出る。


「わたし、みさきのこと嫌い」


 ……急になんでしょうか。なんでそんなこと言うの。

 

「わたしの言うことをちゃんと聞くみさきはすき。でも他の女の子と仲良くしたりマウントとろうとするみさきは、きらい。おわかり?」

「わかったから嫌いって言わないで」

「ほんとにわかってる?」

 

 もうなんでもいいから「きらい」っていう三文字をあたしに向かって発するのやめてほしい。心臓に悪すぎる。

 

「じゃああたしもそうやっていう未優はきらーい!」


 やり返してやった。

 あたしはビビって素直に言いたいことも言えないチキンではない。ダメなとこはダメとちゃんと言える。そうしないと彼女のためにもならない。


「……へえ?」


 ゆらりと未優の瞳が揺れる。

 え、なにその「やるんかお前」みたいな感じ。


 圧倒的な強キャラ感。焦る気配がない。

 やばい、このままケンカみたいな感じになるのは嫌。


「うそ。嘘だよ! 嫌いじゃないよ! 好きだよ!」


 五秒でチキって撤回する女。

 あたしの手のひらドリルを眺めていた未優は、むふっと頬を緩ませた。


「はい、よくできました。そうやって素直なみさきは好き~」


 手を伸ばして、よしよしと頭を撫でてくれる。っぱイチャラブよ。

 あたしはここぞと頭を倒して未優の肩にすり寄る。


「みゆたんもっとナデナデして~ゴロニャーン」

「お~よちよち、みさにゃんはかわいいねぇ~」

「未優、お前もいい加減素直になれよ」

「そうやってふざけるみさきはきらーい」


 頭を撫でていた手がぱっと離れた。肩を押し離される。

 仮にも元男が完全にペット化するのはどうかと思った。あたしにもかすかに残されたプライドというものがある。

 

「でも、嫌いなとこあるのも当然だよね。わたし、嫌なやつだから」

「え?」

「嘘つかなくていいよ。嫌いなとこは嫌いって、はっきり言って」

「は、はあ……」

「そのぶんわたしも言うから」


 ノーガードの殴り合いをご所望で?

 けれど未優の言うことも一理ある。距離が縮まれば、いやでも悪いとこが見えてくるものだ。お互い腹に溜め込んでいる関係とかよりはいい。


「まあ、未優はちょっと嫉妬心が強いっていうかね~。心配性っていうか~」

「うん、そうだね」

「気分の上げ下げが激しいというか、そのときによってキャラがかわるというか」

「そうだねえ」


 全肯定彼女。

 自覚はあるようだが、直そうとする気とかはないらしい。


「でもみさき好きでしょ? そういうの」


 それだとちょっと病んでる子が好きみたいな特殊性癖になってしまうわけですが。


「てか、それ言ったらみさきだってそうじゃん」


 おっとこれは特大ブーメラン。

 Yandereなら負けねえよ?


「みさきが他の子と仲良くしてると、たしかにイラっとくるけど……でもまあ、みんなの人気者のみさきもすてがたいしなぁ」

「そ、それはどういう?」

「女の子はやっぱりみんなの人気者が好きだからねぇ」


 モテているやつがさらにモテる理論。

 実際一人の子に一途な男より、いろんな子と遊んでいる男がモテるとかっていう。


「……ってことは、つまみ食いオッケー?」

「今わたしそんなこと言ったか?」

「じ、冗談に決まってますがな〜! そんなやめてくださいよ真顔で」

「面白くもなんともないんだけど?」


 危ない、今刺されるかと思った。

 ていうか刺された。冷たいナイフのような目で胸のあたりを。


「ま、みさきにそんな度胸なんてないだろうし? つまみ食いどころか食べられる側でしょ。瑠佳ちゃんとかに真顔で迫られたら抵抗できなそう。『あっ、だ、ダメだよ瑠佳……』とかって」


 なんだそれ。そんなわけ……ありそうすぎるだろ。

 さっき瑠佳の部屋で二人きりだったときのやりとりを見られてたのかと疑うほどだ。

 

 でも実際不意打ちされると怖いし。びっくりして体動かなくなるし。

 けどここで舐められるわけにはいかない。


「いやいやないない。未優さん忘れてませんか? あたしが元男だということを。肉食の性を」

「ふぅん? じゃあ、試しにわたしのこと食べてみていいよ?」

「へ?」

「はい、召し上がれ」


 ソファに座ったまま未優は両手を上げて、無防備な姿をアピールする。

 なにこの人、急に「プレゼントはわ・た・し」みたいなこと始めたぞ。


「た、た、食べていいって……」

「お好きにどうぞ?」

「い、いいの? ほんとに?」

「どうぞ」


 唐突なサービスタイムに動揺を隠せない。しかしさっきの発言の手前、隠さないといけない。

 あたしはキョドらないようにむっと口を結ぶと、まっすぐ未優の顔を見つめた。


 目があうなり、未優はゆっくり瞳を閉じた。腕をだらんと下ろして、体の力を抜いてみせる。

 しかしよくよく見ると、口元はかすかにいたずらっぽく緩んでいた。これは完全に舐められている、というかおちょくられている。


 そっちがその気ならやってやろうじゃないの。

 あたしは意を決して腰を浮かせて、膝同士がぶつかるぐらいの距離に座り直した。


 目と鼻の先まで顔を近づけてみる。

 けれど未優は目を閉じたまま、微動だにしない。


 いやでも食べるって、具体的になにをどうする?

 柔らかそうな体に触れる? 柔らかそうな唇を食べる? いやその前に服を脱がせる?  

 想像すると急に動悸がしてきた。指先が震えだす。

 

 白い喉元を下にたどる。大きな襟のついたフリル付きのシャツ。胸元がなだからかな曲線を描いている。

 あたしはその張り出した胸……には触れずに、二の腕を掴んだ。とくに意味はない。胸に触ろうとしてひよった。


 未優が薄目を開けて、かすかに微笑んだ。

「それで? どうするの?」と挑発的な笑みだ。

 

 お互い声はなかった。二人きりの部屋はやけに静かだった。邪魔が入るような気配はない。

 ドラマとかマンガとかだったら、ここでいきなりピンポン鳴ったり、電話かかってきたりして、急に待ったがかかるかもしれない。

 

 でもやっぱり部屋は静かだった。

 静かなうちは、逃げたりごまかしたりはできなそうだった。あたしはまた、未優の作りだした空間に気を飲まれていた。

 

 なにをどうしろとか、直接命令されたわけじゃない。けれどまるで未優が意図するように、あたしの体は動く。

 なんでこんな流れになったんだっけ? と頭の片隅でぼんやり考えながら、あたしはゆっくりと顔を近づけていく。

 

 まつげが触れそうな距離で、未優の目が閉じた。同じことをするように命じられた人形のように、あたしの目は閉じた。

 光が消えた暗闇の中で、唇と唇が触れた。


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