第36話

 いきなり後ろから抱きつかれ、どきっと心臓が跳ねる。

 思いのほか瑠佳の力は強かった。ぎゅっと肩ごと締め上げられて、腕が動かなくなる。


 いや、単純な腕力で言ったら振りほどくことはできるだろうけど。

 あたしの体は、縮み上がるように固まっていた。驚きで頭の中が停止して、体に命令を出せなくなる。


 この感じは、トイレでいきなり壁ドンされたときと似ていた。

 けれど違うのは、瑠佳がなにも言わなかったことだ。あたしの体に腕を回したまま、じっと動かない。かすかな息遣いだけがする。


「……な、なに?」


 しばらくして、やっとあたしの口から出たのはそれだけ。

 でも「やめて」とかっていうのは違うし、なんか悪いかなって。またただのおふざけで、「みさきマジになってる~」とかって、笑われるかもだし。


 あたしの問いかけに瑠佳は答えなかった。

 体を抱えたまま微動だにしない。

 

「る、瑠佳?」


 あたしの声が小さくて聞こえなかったのかもしれない。

 もう一度呼びかけると、瑠佳の腕がびくってして、ぱっと体が離れた。


「ああ、ごめんごめん。つい……」


 振り返ると、瑠佳が頭をかきながら気まずそうに笑う。

 本当になんの脈絡もなかったから、心臓止まるかと思った。それが二人きりになった途端だから余計だ。

 

「いやごめんごめんじゃなくてさ、びっくりさせないでよ~」


 ていうか、今のなんだったの?

 どういうドッキリ? ネタバラシは? 

 とは聞けず。あたしは極力面白おかしい雰囲気にもっていく。

 

「なんだなんだ、急に発情期か瑠佳ちゃん~?」

「だってみさきがかわいくてさ。背中見てたら、つい。二人きりだし、今だって思って」


 なにをド正直に白状しているの? 

 もはやなんかのネタであってほしかった。

 それ言われて、なんて返したらいい?


「後ろから肩とか首とか見てると、抱きしめたくなったりしない?」


 まあそれはわからないでもない。未優と一緒に歩いてるときとか。

 でもそう思っても普通はやらない。やっぱりこの子ちょっと普通じゃないのかもしれない。


 それにあたしがそう思うのも相手が未優だからであって、誰でもいいわけじゃない。

 つまりあたしは瑠佳にとっての未優ってこと? 

 それって……。


「でもみさきが私の部屋にいると、やっぱなんかすごい不思議ー」


 話題を途中でかわされた。

 かわされたというか、ただ思いつくままにしゃべっているっぽい。

 瑠佳はカーペットを這いずって、あたしの隣にちょこんと正座する。


「ねえねえ、みさき私の部屋に住む?」

「住まないよ。てか住めねーよ」

「やだ冗談に決まってるじゃ~ん。なにマジになってんの~?」

  

 いやいやまじになってないし今わりとガチめなトーンじゃなかった?

 瑠佳はすぐに不安そうな顔になって、前かがみに覗いてくる。

  

「怒った? ごめんね?」

「いやそんぐらいで怒らないし」

「そう? よかった。でもむっとした顔もかわいいね」


 出た褒め殺し。

 あたしは瑠佳の上目遣いと胸の谷間から逃げるようにそっぽを向く。

 

「やっぱみさきってかわいいよね。顔見てるとうっとりしちゃう」

「はいはい近い近い近い」


 手でしっしと瑠佳の顔を追い払う。

 瑠佳はぶすっと口をとがらせた。 

 

「む~~……なんかさ、だんだん私の扱い雑になってなーい?」

「だんだんね、本性見えてきたからね」

「んー……。でもそれって、仲良くなったってことだよね? うれしい」


 今度はにこっとする。

 はいはいかわいいかわいいと。

   

「あのさ、さっき駅ですぐ助けに入ってくれて、ありがとね。かっこよかったよ」


 そうは言うけどあたしは実際なんもしてないに等しい。

 本当ならもっとカッコイイとこ見せられたんだけど、未優にもってかれた。


「私ああいうタイプの男の人、苦手でさ~。みさきは強気にいくからすごいなって」


 頭おかしい女と紙一重だけどもね。

 女と見られるとだるいからあえてやってるみたいなとこもある。


 まぁあたしも中学のときは相当ヤムチャ……じゃなくてヤンチャしてましてね? 男子とはしょっちゅうバトってたから。


「みさきって彼氏いないっていってたじゃん? 気になってる男子とか、いないの?」


 男子、はいない。

 女子ならいるけど。

 てかいきなり話が飛ぶのはなに。


「い、いませんけど……」

「みさきに惚れられる男って、どんなのなんだろうね。全然読めない」


 それはあたしも読めない。

 現時点では考えられないわけだが。


 瑠佳は床に手をつくと、息を吐きながら天井を仰いだ。


「あーあ。私も、みさきみたいになんかこう、素な感じでいられたらなぁって……」


 それ褒めているようで実は失礼だろ。

 まるで頭空っぽでなんも悩みがないみたいな。

 なにか聞いてほしそうな気がしたので聞いてみる。


「なに? どうかしたの?」

「んー……ちょっと、迷っているっていうか、悩んでることがあって……」


 瑠佳は床から手を離して体を起こした。にこっと笑う。


「やっぱなんでもない。なんか急に重たい感じになってごめんね」


 ……なに? なんなの?

 途中でやめられるとめっちゃ気になる。

 

 ていうかこの好感度が妙に、ずっと高い感じ。

 鈍感系ヘタレ主人公(誰がやねん)のあたしでも、少し思うところはある。最悪のタイミングで、最悪なぶっちゃけをされるぐらいなら。


「話ぐらいは聞くよ? あたしがどうこうできるかはわからないけど。てかそれって、あたし関係ある話? べつにないよね?」

「んー……あるっちゃ、あるかも?」


 あるんかい。

 昨日今日で仲良くなったやつにそんな重めの話が関係するって、どういうこと? 嫌な予感が増す。


「むしろみさきと仲良くなって、迷い始めたっていうか……」


 言いかけると、ちゃぶ台に乗っていた瑠佳のスマホが音を発して振動を始めた。


「あ、電話か」


 瑠佳はスマホを拾い上げた。

 ちょっとの間画面を見つめたあと、耳に当てる。

 

「……うん、家。うん」


 瑠佳はあたしに背を向けて立ち上がると、なにやら真剣そうなトーンで話しはじめた。

 口調こそ親しそうではあるが、少し声音が硬い。


「え、今? 今は……」


 そのとき部屋のドアを開けて未優が戻ってきた。あたしのそばに膝をつく。

 隅っこで通話中の瑠佳を見て、「どうかしたの?」と目配せをしてくる。あたしは「さあ?」と無言でちいさく首を傾げる。


「……うん、うん……そうだよね、わかった。じゃあ」


 瑠佳はスマホを耳から下ろすと、あたしたちの顔を見た。手を顔の前に立てて、ごめんのポーズをする。


「ごめん、急用できちゃって。ちょっと今から、出ないといけなくて」

「どうかした? 大丈夫そう?」

「うん全然、そんな心配するようなことじゃないから」

「電話、誰?」


 なにも考えずさらっと口走ってから、あ、余計なこと聞いたかも、と思った。

 あたしの質問に瑠佳は一瞬困ったような、迷ったような顔をした。それから言いにくそうに口にした。


「んーっと……彼氏?」

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